もう家を出ないと、そう思い自室でヒナタは立ち上がった。
準備はすでに完了しているが、気分は優れない。
ヒナタがヒロトを応援しようとする気持ちに嘘は勿論ない、全てがうまく行って欲しいと願う気持ちにも嘘はない。
ヒロトと当日の正午付近でGBNにダイブし協力する話はしたが、BUILD DiVERSの皆と一緒に行動するという話はしていない。今日くらいならうまく誤魔化してイヴと顔を合わせないで済むかもとヒナタは思うが、そのうち顔を合わせる時が来る事は確かだった。
『あの子』と会ってもヒナタはあまりうまく話せる気もしない、あまり仲良くできる気もしない、そういう気持ちにどうしてもなってしまい少し憂鬱だった。
ベランダからはカラッとした空が見える、天気は良いようだ。
家から出て扉を閉めると、隣の家の扉が開いた。
ヒナタが目を向けると、ユリコが出てきたようだった。
「おはようございます」
「おはよう、ヒナタちゃん」
ヒナタが見るにユリコは買い物に行く時の装いだった。
G-CAFEにいく彼女と買い物に行くユリコの辿る道はある程度一緒だ。同じ考えに至ったユリコは途中まで一緒に行く?と視線で問いかけ、ヒナタも頷く。
マンションから出て二人は道を辿り始める。ヒナタの足取りは軽くない、ユリコは彼女の歩く速度に合わせる事にした。
ユリコから見る、ヒナタは良い子だ。
愛想がよく、他人に気を配る事が上手い。この子と接する人は皆そう思うだろうと、贔屓目抜きに彼女は感じている。
ずっと前にヒロトが落ち込んで帰って来た時も自分達と遜色ないほど心配してくれた上、その出来事以降も何かと息子を支えてくれた。
そして少し前に心を乱す様な出来事があったにも関わらず、ヒロトを支えようとする態度に変わりは無い。
今のヒナタの様子はユリコからすればやはり心配だ。
昔からヒロトの事を手助けしたり、理解しようと彼女が働き掛けていたをユリコは知っている。その献身的な行いは、同時に自己犠牲の可能性を含んでいる事も。
「私、どうしたらいいのかな」
ポツリとヒナタが呟いたのは、その時だった。
ここ最近自分がどうしたらいいのか、ヒナタは散々考え続けていたが、答えらしい答えは見つからないままだ。
悩みの内容を全て説明するには口が重かった。ユリコなら察してくれるかもしれない、という微かな望みでようやく出た言葉。
小さな声でともすれば聞き逃しそうになる音量だったが、ユリコの耳にははっきり届いた。
ユリコの考えはすでに結論が付いていた。
「そうねぇ――――」
今までのヒナタとこれからのヒナタ、その差異がどこにあるのかユリコは知っている。
ヒナタのヒロトに接する気持ちは否応なく変化せざる得ない、もうすでに唯一を決めてしまった息子が彼女に目を向ける事はないだろう、好きな事や決めた事には一途、それがヒロトだ。
その事はヒナタ自身も良く知っている筈だ、知ったから傷ついた。
「コミュニケーションが取りにくい人って、どうしたって居るわ。仕事柄色んな人と話したり文通したりするけど、例え言葉の壁を乗り越えても、良く分からない人はやっぱり良く分からないわよ。ヒナタちゃんはきっとあの子と距離感が分からないから悩んでるんだと思うの」
「……」
「一度ヒロトから離れてみたらどうかしら?」
「……離れる」
ユリコは彼女に対する心配の心と少しの寂しさを覚え心中複雑だった。もう少し良い言い方はないのかと思いながらそれでも伝えた。
ヒロトを第一に優先する親として、ユリコがヒナタに伝えれる最大限の言葉と気遣い。
ヒナタの悩み事を正確に捉えていた彼女と同じようにユリコの優しさにヒナタは気づくことができた。
イヴと顔を合わせるかもしれないが、無理して仲良くする必要はない、ユリコの言葉はヒナタにそう伝わった。
そしてそのユリコの答えはヒナタの中でどこか当然になっているヒロトへの歩み寄りについて考え直させる。
距離を取る、ヒナタはその選択肢を示され、どうしようかと思い悩む。
ヒナタがまた別の悩みを抱えた事にユリコも気づく。
多少ヒナタを傷つけかねないが雁字搦めになった彼女に言える事はまだある、ユリコは決心して言ってしまう事にした。
「ヒロトを理由にして無理に仲良くしても苦しくなるだけよ」
「……そうですよね」
ユリコの言葉には突き放す響きがあった。
ヒナタが無理をしてイヴと上部の付き合いをしたとして、しばらくは大丈夫かもしれないが何かの拍子にバランスが崩れればイヴは勿論ヒロトや他の友達にまで影響が波及しかねない。それは決してヒナタも望むところではないだろう。
自分の気持ちに整理がつける事の出来る時間と距離がヒナタには必要、それがユリコの答えだった。
ヒナタもユリコの答えを理解して頷く。
自分の為にヒロトは動き出した、なら自分もヒロトの為と言い訳をするのはやめよう。
ユリコのおかげでそんな気持ちが沸き上がってきて、ぐっと気分が楽になった。
「ありがとうございます、ユリコさん。決心を何とかつけてみます」
「……そう、よかったわ」
「でも」
「何かしら?」
「ヒロトの応援はします、やりたい事に変わりはありませんから、それじゃあまた!」
ヒナタは足取り軽く走り始めた。
ユリコはその背中を見ながら、目を細めた。
ヒナタは足取り軽くG-CAFEにたどり着いた、早速手続きを終えてGBNにダイブする。
ヒナタのダイブ位置もミッションカウンター付近に設定されてある。
気が重くなってゆっくり歩いている間に、正午は過ぎてしまい予定よりダイブ時間が少し遅れた。
今ヒロト達がどの段階にあるか分からず、ともかくそれを確かめようとヒナタが考えた時後ろから大きな声が響いた。
「GBN大好きだぁー!!」
「ガンプラ大好きー!!」
「ひゃあ!?」
ヒナタはびっくりして身を縮こまらせて、ふと気付く。
ヒロトが今回の計画内容を話してくれた時は、大きなフォースのリーダーがGBNのダイバーを盛り上げるために演説すると言っていた。今のはその演説の結果だろうか。
ミッションカウンターの上部に案内モニターがある、今回の計画に応じてその上に特設モニターが配置されており、キョウヤの演説は中継されていた。
ヒナタが他のダイバーの視線からその特設モニターを発見すると、ちょうど画面が切り替わって大きな花と星々が存在するディメンションが映された。
「……奇麗」
ヒナタは緑色の光を蓄えている花に目を向ける。
あの光がヒロトの言っていた粒子という物だろうか、と彼女は少し感動していた。
次第に粒子は濃くなっていき、ついに花から溢れ出るように一つの大きな流れとなって星々の先へと向かっていく。
天の川みたいだ、とヒナタは感じた。
その少し後、きらりと天の川に沿って走る、一つの流星を確かに彼女は見た。
「ヒロト」
どうか、彼の気持ちが届きますように。
ヒナタは強く強く、一心に祈った。
◆◆◆
「各ディメンションからデータの流入が起こり始めています!」
「サーバーへの影響は?」
「大きくはありません、少しグラフィックが乱れる程度です」
「よし、そのまま監視を続けてくれ」
部下からの報告にGMは安堵すると、指示を下す。
そうするとまた別の部下が声を上げた。
「BUILD DiVERSのガンプラが動き始めてます!」
「何?」
「一機がカプセルの方に移動中!」
「どういう事だ、ミス・トーリ、分かるか?」
報告を聞いたGMはトーリの方に目をやる、ほぼ同時にトーリはウィンドウを浮かべて、BUILD DiVERSの会話ログを状況を確認し、ヒロトとメイが何かを察知して行動を起こした事を読み取った。
「ELダイバー・イヴにはまだ何も起きていない筈だが」
「今から何か起こるのかもしれません、彼らはそれを察知した様です」
「馬鹿な、と言いたいが今更か。ELダイバー・イヴから目を離すな!」
トーリがヒロトと通信を繋げようと試みるが、繋がらない。
影響はすでに出始めていた。
◆◆◆
ネプテイトガンダムは猛烈な勢いで直進していた。
星に当たり判定が用意されていないので、避ける必要はない。星一つを突き抜けた時点でその妙な感覚にも慣れた。
今も強い胸騒ぎが、ヒロトの中で渦巻いていた。
仲間たちとの通信はすでに途切れた、普段なら距離が離れすぎているので通信が切れて当たり前だが、今日は運営の力を借りてその限界はほぼ無制限に引き延ばされている筈だ。
異常を察知している筈のGM、トーリからも連絡が来ない。
先を見据えると、何か光の欠片の様なものがどこからともなく流れて来ていた。
その欠片の向かう先は、ネプテイトが進む場所、つまりカプセルの場所に収束しつつある。
つまりイヴは目覚めかけている、そうヒロトが予想した時だった。
徐々にだが視界が暗くなっている事に気が付いたヒロトは恒星を探した。
星の海ディメンションには間隔を開けて恒星がある、発光オブジェクトとして配置されたそれはディメンション内を一定の明るさに保つ役割を担う為の物だ。
ヒロトが一番近くにある恒星に望遠カメラを向けてみると、光が何かに遮られて弱弱しい光になっている。
コアガンダムがヒロトに見せたあの真っ暗な空間は、恐らくこの先にあるのだろう。
そうしている間にもカプセルとの距離は縮まりつつある、そろそろ速度を落とさなければならない、ヒロトは判断を下してヴォワチュールリュミエールの出力を落とす。
「操作が効かない……?」
出力が落ちない事を確認し、コアガンダムが拒否しているとヒロトはすぐに察した。
コアガンダムに任せよう、とヒロトが判断を下した時には更に周囲は暗くなっていた。
ガキンッ、と何かが押しつぶされているような音がコックピットへ響く。
「――――!?」
ネプテイトの右足にダメージが入った。ダメージが入ったのは機体の末端で特に行動に支障はない、とはいえ明らかに異常な現象に、ヒロトは思わず声を上げる。
「コアガンダム、大丈夫なのか!?」
ヒロトからの操作はやはり効かない。
彼はそのまま直進を続け、それにつれて異音はどんどんと増えていく。
そしてついにはヴォワチュールリュミエールの展開に関与する右腕が完全に圧壊し、システムが強制的にダウンする。
ヒロトの目の前は真っ暗で、コアガンダムのカメラ越しでも何も見えなくなっていた。
その状況になっても、コアガンダムは前に進む。
何があろうともヒロトをイヴの元まで送り届ける。
その意思はヒロトにも伝わった。
「ありがとう」
また、背中を押された、ヒロトは確かにそう感じた。
握る操縦桿は、温かかった。
ガキンと、また大きな音が響いた。
その音が響いた直後、急激に浮遊感を覚え、ヒロトが驚きながら操縦桿を握りなおそうとするが手に何も当たらない。
手は動かしていない、周囲を確認しようにも真っ暗で自分の手すら見えなくなっていた。
夢で見た場所だ。とヒロトは違うと首を振る。
あの夢を見る前からここを知っている、ヒロトは確信した。
「イヴ?」
近くに彼女が居る、ヒロトはそう感じ取った。
返事はない、だがすぐ近くに必ず居る。
「イヴ、迎えに来たんだ、返事をしてくれ」
あの夢を見る前から、ヒロトはここがどこなのか知っている。
彼女と離れて、一番辛かった時に来た。
ただ暗く。
ただ冷たく。
何もない。
この場所を彼はよく知っている。
こんな場所にイヴを置いてはいけない、一刻も早く、この場から出なければならない。
何を言ったら彼女が返事をしてくれるか、ともかくヒロトは話しかけた。
「イヴ、こんな場所に居たらダメだ」
そう声をかけた時、懐かしい声が響いた。
「ごめんね、ヒロト」
「――――!」
震えて今にも消えそうな、弱い、弱い、小さな声だった。
その声を聞いて、彼女がどれほど自分を責めているか彼にはすぐに分かった。
耳を塞ぎ、目を閉じて、ひたすらに自分を責める。
イヴはこの場所の何処かで蹲っている。
声が響く、一か所からではない。
「ずっと一緒に居たのに隠し事ばかりしていた私はヒロトと会えない」
「そんな事はない!」
探す。
「いっぱいヒロトを傷つけた私に会う資格なんかない」
「資格なんかいらない!」
全ての感覚を使って探す。
「自分勝手な私」
例え目が使えなくとも
「臆病な私」
音の方向が判断できなくとも
「醜い、私」
ふと緑色の瞬きが、見えた気がした。
「助けて貰う、資格なんて、ない……!」
「イヴ」
「ぁ!」
手は届いた。
確かに、彼女の手だ。
イヴはヒロトの手を振り払おうとするが、固く握られて振り払えない。
あの時掴めなかった手を、震えたこの手をヒロトは絶対に離さない。
「俯いてたら、何も見えないよ」
真っ暗で何も見えないが、イヴは俯いているようにヒロトは感じた。
逆の手で、彼女の頬に手を添えるとその手が濡れた。ヒロトが持ち上げようとするが強張って、泣いてるイヴの顔は上がらない。
目を合わせたら怒られると震えている子供のように、今のイヴは頼りない。
「怖い?」
「何で」
「ん?」
「何で怒らないの……?」
イヴは震えて聞く。
「ずっと一緒に居てくれたヒロトに何にも言わなかった!最後の最後に全部押し付けて!いっぱいヒロトを傷つけて!コアガンダムにも酷いことさせた!なのにどうして!?」
声を荒立たせるイヴとは対照的にヒロトの答えは穏やかだった。
「イヴはもう自分を責めてるじゃないか、それが分かってるのに俺が責める訳ないよ」
「……ヒロトは平気なの?」
イヴの言葉にヒロトは握った手を、自分の頬へと持っていく。
「平気じゃないさ」
「……ぁ?」
イヴの手はヒロトの頬に触れ、濡れている事を彼女に伝えた。
ヒロトは泣いていた、彼女の手を掴んだ時から彼は涙が溢れて止まらなかった。
イヴはヒロトの涙に手が触れて思わず顔を上げた。
「泣いてるの?」
「目の前で大事な人が居なくなって、最後にした約束も全部裏切る所だった。自分が嫌いになった!辛かった!苦しかった!悲しかった!平気な訳ないだろ……!」
「ぁ」
ヒロトは全てを吐き出した、溜まりこんだ感情は仲間のおかげで一度吐き出せた、二度目も今吐き出す事が出来た。
以前よりはっきりと辛かったと言えたのは、自分を変えてくれた仲間たちとイヴが目の前に居てくれるお陰だ。
イヴはヒロトの感情の限りを込めた声に、震えて縮こまる。
「最後まで何も言わなくてごめんなさい」
「うん」
イヴの心からの謝罪を、ヒロトは受け入れた。
「自分勝手なことしてごめんなさい」
「うん」
ヒロトは傷ついてないから、大丈夫だからと、イヴの言葉を跳ね除けたりしない。
「ごめんね、ヒロト」
「うん」
イヴはヒロトの胸に身体を預ける。ヒロトはイヴの頭に手を置いて頭を撫でた。
彼のその手の優しさが、強く彼女の胸を打った。
こんなに優しい人に隠し事をした自分、傷つけた自分がイヴは許せなかった。
「……ぅぅぁぁぁぁ」
何度も何度も謝って泣くイヴが近くに居る事で、ヒロトは自分の身が割かれるように苦しい気持ちに捕らわれる。
もうこんな声で謝られたくないとヒロトは感じた。
「俺はイヴの事を許すよ、だから――――」
「……?」
「イヴも自分の事許していいんだ。俺の方こそ一人でずっと悩ませて、ごめん」
イヴの事情に踏み込まず、最後の最後まで何も聞かなかったのは自分も同じだとヒロトはイヴに謝る事が出来た。
彼の心に棘の様に深く刺さった罪悪感は、イヴへの謝罪と共に消えていく。
「助ける事ができなくて、ごめん」
声を上げて足掻けば、『彼』の様にイヴを助けることができたかもしれない、そうすればイヴはこんなに泣かなくても良かった筈だ。ヒロトの後悔は、言葉とともに消えていった。
「……ぁぁぁ」
「悲しい別れになったのも、半分は俺の責任だ。ごめん、イヴ」
彼女はやりたい様にやった、そう納得していたヒロトは、本当に何も分かっていなかったと実感する。
こんなに傷ついて、こんなに謝って、こんなに自分を責めるイヴが、やりたい様にやれた訳がないというのに。
イヴは大きく首を振る。
「ヒロトは悪くない」
「イヴも悪くない」
ヒロトの優しい返事に、イヴはグッと息を呑んだ。
「うっぅぅぅぅわああああぁぁぁ!!!!ごめんなさいぃぃぃ!!!!」
イヴはついに大声を上げて泣き出した、ヒロトは彼女の身体を抱きしめた。
泣いている人が居る時は、黙って寄り添ってあげる。自分が泣いたときに言われた言葉を思い出しながら、もう彼女が何処にも行かない様に、力強く、優しく抱きしめた。
世界は真っ暗な闇を振り払って、徐々に白い輝きを取り戻した。
「イヴは自分が許せそう?」
ヒロトの言葉に、イヴは大きく首を振る。
やはりそうか、とヒロトは思う。一度自分を嫌いになってから、自分を許すまでずいぶん時間がかかった。仲間たちに出会えて、イヴと再会できてようやく自分に刺さった杭が抜けたが、彼女からすればまだ時間も言葉も足りないのだろう。
「そっか、俺も自分が好きになれるまではまだ時間がかかりそうだ」
「……ぅぅう、ヒロトは凄い人だもん、すぐ自分を好きになれるもん、なって大丈夫なんだから」
「俺なんて大した事……ほらまたこれだ」
ヒロトは小さく笑うと、イヴと少し身体を離して目を合わせた。
目を合わせて強く実感する、目の前に彼女が居る事が本当に嬉しかった。
白く輝くこの空間のおかげで、彼女の顔が良く見える。
「変わろう、イヴ」
「変わる?」
「俺達は自分が嫌いだから、そこから一緒に変わるんだ、自分が好きになれるように」
「一緒に?」
「うん」
一緒に、その言葉にイヴは泣きながら笑った、これから先の事を話してもらえたことが嬉しかった。
その笑顔を見て、ヒロトは笑いながら泣いた、この顔をまた見たいと彼はずっと思っていた。
「ヒロトと一緒なら」
「イヴと一緒なら」
一度離れ離れになった二人は、また一緒に笑い合えた。
挿絵は霜山シモン様より頂きました。