電車やバスを乗り継いで自宅の前までたどり着くと、ヒロトはイヴを自分の肩に乗せた。
イヴは今からヒロトの両親と会う事に緊張していた。彼を深く傷つけた事への申し訳ない気持ちがある中で自身の特殊な生い立ちもあるとくれば当然の事ではあった。
彼は硬い彼女を解す為に、優しく声をかけた。
「もう親には話してるから、そう重く考える事ないよ」
「……うん。もう大丈夫」
ヒロトの指先で頭をなでられたイヴは意思を固め、挑むような面差しで彼の家に入る事を決意した。
家の中に入ると二人分の足音がバタバタと玄関まで向かってくる。
ヒロトはそんな急がなくてもと苦笑し、イヴはプルプルと首を振って先程から付きまとってくる悪い想像を振り払う。
「ふっ」
「こら、笑う事はないだろ!」
「やっぱり変よね、ふふ」
いつものぼさぼさとした髪がある程度整っている父親の姿を認めた瞬間にヒロトが噴き出し、自分でも居心地悪そうなオサムが彼を窘めた。オサムの身嗜みを自分の手で整えて置きながら、ユリコもこの掛け合いは起こるだろうと予想していた。
もうすでにかなり気の抜けた雰囲気になったが、酷く緊張しているイヴは空気を把握できず上ずった声で座ったまま頭を下げる。
「イヴです、初めまして!」
「クガ・オサム、ヒロトの父親です、よろしく」
「クガ・ユリコ、ヒロトの母親です、よろしくね、……で、どうなったの?」
対するヒロトの両親たちの態度は柔らかく、あまり緊張を感じさせない。
ユリコはヒロトが少し前に話していたことを思い出しながら、視線で問う。
視線の意味を組んだヒロトは少しだけ気恥ずかしい感情を抱きながら、頷いた。
「……イヴは俺の恋人になってくれたよ」
「よぉし!よくやった、ヒロト!」
彼の報告を聞くやオサムは声を上げて喜んでヒロトを褒めた。ユリコもそれでこそ我が息子と言わんばかりに満足げに頷いている。
イヴもようやく息子に変わった恋人ができた事について異様に軽い雰囲気で対応する二人に気づき、本当にいいんだろうかと首を傾げた。
そんな時、ヒロトのお腹がグゥと音を立てた。
イヴを取り戻し、告白するという大勝負の日に食事が喉を通る筈がなく彼は今日ほとんど何も食べていなかった。
ユリコはその音を聞いて微笑むと、イヴの方に掌を差し出した。
「先にお風呂入っちゃいなさい、ご飯の準備はできてるわ」
「分かった。……気を付けて」
「分かってるわよ、こっちにどうぞ、イヴちゃん」
ユリコに促されてイヴは少し戸惑うような素振りを見せたが、決意を固めて彼女の掌に移った。
息子に話は聞いていたが、いざこうして小さな彼女に触れてみるとユリコが随分と昔に見た漫画やアニメの妖精をどうしても思い出してしまい感激してしまう。
良く知らない人の掌に乗る事に対する戸惑いやいきなりヒロトと引き離されてしまった不安感が彼女から伝わってくる。
ヒロトがイヴに視線を送りながらかなり未練がましい足取りで風呂場へといった後、ユリコは掌に彼女を乗せたままリビングの机へと戻った。
オサムはイヴにいろんな事を聞きたい気持ちでうずうずしていたが、先にやるべき事を済ませる為今はグッと堪えた。
「イヴちゃん、貴方の事はヒロトから聞いてるわ。どんな出会い方をして、どんな別れ方をしたのか、大体ね。あの子が落ち込んだ理由も良く分かってるつもり」
ユリコの発言にイヴは息を呑んで、ともかく謝ろうとする。
オサムはそんな彼女の様子を見て、謝罪を制する事にした。
「ごめ――――」
「ああ、僕らには謝らなくていいんだ、ヒロトからはイヴは自分をひどく責めていると聞いてる、君はヒロトに謝ってヒロトは君を許しているんだろう?なら、僕らが外からとやかく言う事じゃないし、イヴさん、君が気にしすぎる必要はないんだよ」
「……でも」
「そうだなぁ、僕らがどんな仕事をしてるか、ヒロトからは聞いた?」
話題が急に入れ替わった事に戸惑いを覚えながらもイヴはオサムの質問に頷く。
「両親は物語を作る仕事に関わってる、と聞いてます」
「うん、大体そうだ。僕らがやってる仕事は、大雑把に言ってしまえばどれだけ多くの人に認めてもらえれるかで良し悪しが決まる。良い評価を受けた事だってあるし、そりゃあもう酷い評価を受けた時もある。それこそ自分の人生丸ごと否定されたようなきっつい言葉も言われる」
オサムはジッとイヴを見つめる。
「そういう厳しい経験を乗り越えて、僕は今ここに居る。いや、今もそういう世界と戦ってる。息子に辛い経験をしてほしくない気持ちは親だからね、勿論あるさ。でもヒロトは今一番人生で晴れやかな顔をしているよ、心だってずっと強くなった、喧嘩や別れは悲しい事だけど、だからって悪い事ばかりじゃない」
オサムもユリコも脚本家と翻訳家で立場はかなり違うが、日頃から創作物に触れて生きているという事に変わりは無い。
異星からの迷い人、なんて設定はオサムも考えた事のある言ってしまえばありきたりな物だ。その迷い人の心情はどんなものかを考えた事もある。
仕事でラブロマンスの翻訳を手掛ける事もあるユリコも同じく、重い過去を背負った登場人物の心情を翻訳したり、人の葛藤や悩みの形をよく考えている。
異星から地球に迷い込み、当然身寄りもない。その状況を想像の世界で理解した気になっているのは彼女には失礼な話かもしれない、だがヒロトの話を聞いて理解した時彼らは同じ様な気持ちを抱いた。
彼女は心細く、辛かっただろう。どうすればいいかとずっと悩んでいたはずだと。
「イヴちゃん、貴方が私たちに引け目を感じる必要はないわ。自分に納得ができる様に考えてみて。これから先時間はいくらでもあるんだからね」
「ありがとう、ございます」
イヴは二人から『変わろう』と約束してくれたヒロトと同じ温かさを感じ取り、深く頭を下げた。
オサムはそんな彼女の様子に打ち解けるにはまだ時間がかかりそうだな、と感じながら話す。
「最終目標は家族かな、ヒロトと一緒に居るなら、娘も同然だよね?」
「そうね、きっと楽しくなるわ。これからよろしくね、イヴちゃん」
ユリコが差し出してくれた指を、イヴはギュッと両手で握った。
彼女は親になってくれると言ってくれた二人に、胸いっぱいの嬉しさを感じた。その気持ちは言葉に言い表す事が出来ず、声が出なかった。
寂しい気持ちをずっと我慢して、間違えてしまったけどそれでも一人で頑張った。
イヴが『両親』にそう伝えれたのは、いつかの未来の出来事。
◆◆◆
「……外、高いし危ないから、イヴちゃんをベランダに出さないようにしなさいね」
「うん、分かってる、おやすみ」
ヒロトが風呂から上がり、夕食を食べた後。
イヴに関して両親と相談する事はまだ残っているが、ユリコからしばらく余計な事考えずに休んでなさいと言われた為、ヒロトは彼女を手に乗せて自室へと引っ込んだ。
自分が居なくなった間にあの両親が豹変するとはとても思えないが、一応イヴに伺いを立てる。
「どうだった?」
「ヒロトのお父さんとお母さんなんだなーって思ったよ」
「なら、良かった」
優しい、温かい。それがイヴの感想だった。
打ち解けるにはまだ時間がかかるだろうが、イヴと両親ならいつの間にか仲良くなってそうだな、とヒロトは予想する。
彼女は掌の上でヒロトの部屋を隅々まで眺めて、あ、と声を上げた。
「……久しぶり、ごめんね」
「少し話す?」
「うん、ありがとうヒロト」
「俺は少しベランダに出るけど、すぐ戻るよ」
ヒロトは今日家を出る前にネプチューンアーマー以外は机の上に並べて置いた。イヴが帰ってきたら、アーマー達とお互いに積もる話もあるだろうと配慮しての事だ。彼が机にイヴを下ろすと、彼女は一番近くにあるアースアーマーに手を置いて座る。
コアガンダムとネプチューンアーマーも近くに置くと、イヴの集中を乱すかもしれないという配慮と仲間に感謝のメッセージを送るという目的も含めてヒロトはベランダに出た。
メッセージ欄を覗いてみると、カザミ・メイ・パルがやり取りしている最中のようだった。
イヴを取り戻すという大きな目標を遂げて、ずいぶん久しぶりな感覚を覚えるような気楽なメッセージが溜まっている。
ヒロトは未読の場所からざっと目を通す。
『打ち上げやろうぜ!』
『AVALONからもう誘いかかってますけど、どうしましょう?』
『報告のメッセージはパルが送っていたが、顔も見せたほうが良いだろうな』
最初は比較的真面目な物もだったが、物の数コメントのやり取りの内に話の内容がまるで違うものに移っていく。
『フォースネストは遺跡っぽい所がいいなー』
『いいですね!秘密基地みたいな雰囲気の場所を探しましょう!』
『近々ディメンションがまた増える、とか噂が立ってるが探索してみるか?』
『そういやイヴさんってガンプラどうすんのかな?ヒロトと同乗する?もしくは別に作る?』
一番最新のコメントはこんな内容になっていた。
ヒロトは手早く文字を打つと、カザミの質問に答える。
『今日はありがとう。あとその辺りは未定』
『よぅ、大将、おつかれー!』
『イヴさんは大丈夫ですか?』
『無論身体の方ではないぞ』
ヒロトがコメントを打つと三人からポンポンとコメントが返って来て、しばらく返事をするだけで手がいっぱいになる。
部屋の中を見てイヴが各アーマーと順に会話している事を見守りながら、仲間たちとやり取りをしていると隣の部屋からヒナタが出てきた。
彼女と目が合って早速ヒロトは今日の感謝を告げる。
「今日はありがとうヒナタ」
「ううん、お礼なんていいよ」
ヒナタは今日、イヴの為に祈っていない。ヒロトの気持ちが届くように願っただけだ。
彼女の事を含んでいる感謝は受け取れない、ヒナタはそう感じて首を振る。
ヒナタが自分の目でイヴを見たのはほんの数分間の事。
その間に感じる事はいくつもあった、ヒロトとイヴの間にある強い絆、二人の間にある感情。
ヒロトは好きな人の前ではこんな顔をするのか、と自分が知っている彼との違いに驚いた。
あの時の彼の顔を見て、自分は失恋したのだと込み上げてくるものがあった。
それでも表面上取り繕えたのは、彼女を見る前に失恋を悟れたことと、ユリコのお陰だ。
ユリコの意見を貰って、自分の為に動いてみようと考えて、今日の経験でこれからやる事は決めた。
「ねぇ、ヒロト」
「何?」
ヒナタはベランダの縁にもたれかかるのをやめてヒロトから見えないところに背を預ける。
顔は、見られたくなかった。
「ヒロトは自分の事、大切にできる?」
「……難しいけど、やっていくよ」
「そっか」
彼は変わっていく、強くなっていく。
自分の為と彼女の為、どちらかに偏っている事はない。
私も変わろう、ヒナタは再度決意を深める。
小さな嫉妬にかられずにイヴをありのままで見れるように、これが自分だと胸を張ってヒロトとイヴに誇れるようになろう。その為に二人からは一度離れて、自分にある物とやりたい事を探す。
「私しばらくGBNから離れようと思う、もっといろんな事をやってみたいの」
「えっ?」
「変わりたいんだ、私も。ヒロトみたいに」
「……わかった、ヒナタがそうしたいなら、俺は応援する。皆には俺から伝えておくよ」
「うん、ありがとう」
私の家族、私の兄弟、私の初恋の人。
深く聞いてくれなくて、ありがとう。
「じゃあ、またいつか話そうね」
強くなったら会いに行こう、彼女は自分と約束する。
「うん、また」
彼女が今流した涙は誰にも見られる事はない。
◆◆◆
「話は終わった?」
「うん、まだ皆いろいろ私に言いたい事あるみたいだけど、今日はもう休めって」
イヴはもう少しお話ししたかったんだけど、と困った顔で言う。
ヒロトはアーマー達が自分の両親と同じような事言っている事に少し笑った。
「明日もあるんだ、焦る事ないよ」
「うん、えへへ」
イヴは小さい身体でヒロトの手に縋りつく。
彼女が機嫌がよく笑っているのは、明日があるというヒロトの言葉が嬉しかったからだ。
ヒロトも愛らしい仕草をする彼女の頭を逆の手の指で撫で、二人で幸せに浸った。
「ふぁ」
ヒロトが普段寝る時間からすればまだ早いくらいだが、彼は眠気を感じ始めていた。
イヴは彼があくびをする様子を見ながら、今日の夕方彼女に降りかかった有る事への仕返しを思いついた。
「ヒロトヒロト」
「ん?」
ちょいちょいと、耳を寄せろと彼女が示してくるのでヒロトはそれに従ってイヴの顔へと耳を寄せた。
周りに誰も居ないし、コアガンダムやアーマー達が聞き耳を一々立ててるとは思わないけど、と彼は思いもしたがイヴがなんだか楽しそうな顔をしているので素直に従う事にした。
「今日一緒に寝ても良い?」
囁くような声で思わせぶりな事を言われて、ヒロトは驚いて顔を赤くしてしまう。
イヴはヒロトの反応にクスクスと笑って満足気だ。
「照れたヒロト可愛い」
夕方の仕返しか、と察したヒロトはならばと彼女の身体を万一にも壊さないようにしながら手で包み込んだ。
そのまま力加減をしながらイヴの身体をこすると、彼女は楽しそうに歓声を上げる。
「きゃぁー」
「……まったく」
適当にお仕置きを切り上げて、イヴを肩に乗せる。
コーイチから事前に送られていたELダイバーのワイヤレス充電器を手に取って、部屋にある延長ケーブル越しに壁と枕の間に置いた。
「一緒に寝るのは初めてだね」
「うん、GBNの中だと眠れないからな」
GBNにダイブ中は寝落ち防止用のセーフティが常にかかっている。
リクからヒロトが聞いた話によればサラはGBNで寝ていたらしい、しかしイヴが寝たところを彼は見た事が無かった。
ふと、エルドラでほんの少しだけ気絶したことがあるのを思い出し、あそこなら寝れるのか?と疑いを覚えながら部屋の電気を消す。
「暗いの怖くない?」
ヒロトはあの真っ暗な空間を思い出して、イヴに尋ねる。
彼女は彼の気遣いに微笑んで首を振る。
「ヒロトと一緒なら大丈夫」
「わかった、一緒に居る。……そういえばおはようも言った事ないか」
「うん、ヒロトがGBNにくるのは早くても昼過ぎだったから、こんにちは、こんばんは、しか挨拶は言った事ないよ」
イヴは充電器の上で横になりながら、明日も楽しみだねとほほ笑む。
ヒロトは硬い充電器を見て、これもどうにかしないとな、とイヴの快適な生活の為やれる事を考えながら頷いた。
「おやすみなさい、ヒロト。また明日ね」
「おやすみ、イヴ。また明日」
ヒロトの寝顔可愛かったよ、と彼女に悪戯気に微笑まれるのは明日の朝の話だった。