何かが右手の中で動いている、とヒロトは感じて眠りから目を覚ました。
寝起きのぼんやりとした意識を振り払う為にともかく目を開けてみる。
「あ、起きた。おはよう、ヒロト」
「……おはよ、イヴ」
おはようと挨拶を交わせる些細な時間がイヴにとっては毎朝の楽しみだ。
なので普段はヒロトの小さな恋人は毎朝彼より早くに目を覚まし、ベットの上でちょこんと座りながら彼の覚醒を待っているが今日は珍しくイヴは寝ころんだまま。
その理由は寝ている間にヒロトの右手が彼女に覆いかぶさって体を起こす事が出来なかったという些細な物である。
イヴの身体に自分の右手が重なっている事に気が付いた彼はすぐに身体を起こした。
「ごめん、苦しくなかった?」
「ううん、全然」
イヴとしてはスリープ状態が解けてすぐヒロトの手の中に居る事が出来て心地良くむしろ、起きたヒロトがすぐに手をどかしてしまった事が彼女からすると名残惜しく少し残念と感じたくらいであった。
今日は平日で当然ヒロトは学校がある、ベットから出て手早く着替える。彼の着替えが済むまでイヴは大人しくしていたが、つい昨日マギーとやりとりする中で知った事を試してみようと決意する。
「ヒロト、ヒロト」
「ん?」
小さな彼女のチョイチョイと音が聞こえそうな手招き応じてヒロトは手を差し出す、何かこっそり伝えたい事があるのだろうと察しての行動だった。
ヒロトは嬉しそうに手に乗ってくるイヴを自身の顔の近くまで寄せる、日頃からこうした事はよくする様になったが2割くらいの確率で彼女の発言は彼にとって衝撃的な物になる時がある。
寝起きで多少ぼーっとしたままのヒロトはその警戒を怠っていた。
「早く帰って来てね」
「っぅ?!」
イヴの甘い声でのおねだりにヒロトが思わずぞくっとした感覚を覚えた瞬間、間髪入れずに頬に軽い感触があった。
行ってらっしゃいのキス、イヴの今の言葉と行動を一度に表すならそれ以外にない。
「っ!?――――どこで覚えて来たんだ?」
「嫌だった?」
「そんな事ないけど……!」
この後ヒロトは何で朝からそんな上機嫌なの?とユリコに質問されて、ありのままを答えようとするイヴを必死で押しとどめる事になった。
なお、学校から帰ってくるときの彼の足はいつもの1.5倍程度は速かった。
◆◆◆
そんな事があった日の夕刻、GBNの月面都市にあるソレル・カフェ。
それぞれのダイバーに割り当てられる客室でリクとサラは人を待ちながらのんびりと過ごしていた。
「あ、これ美味しい」
プリンが団子状に丸まった『お月見プリン』を食べてサラは目を輝かせる。リアルでは即型崩れを起こすレベルの軟体が丸いまま形を損なわず、皿の上で積み重なっているデザートは仮想空間の環境を大いに活かして考えられたものだ。
「こっちも美味しいよ、栗はいいね」
カプルをモチーフにデザインされた『カプル・モンブラン』は可愛らしい見た目をしていて最初はどう食べたものかとリクは悩んでいたが、思い切って一口食べてしまえば見た目より味の方に彼の意識は持っていかれた。
リクが感想を述べていると『お月見プリン』の一つがスプーンに乗って彼の前に差し出される。
「リク、あーん」
「あー、うん、美味しい。中にカラメルが入ってるんだ、なるほど」
サラの行動に特に恥じる事もなく、リクはヒョイとプリンに食いついた。
お返しに、とリクがモンブランの一部を掬い上げてサラの前に差し出す。
「はい」
「――――美味しい!もっと早くここに来ればよかった」
「確かに、ちょっと惜しいことした気分。まぁでもまた来ようよ」
「うん!」
隣に並んで座ってる二人に『距離近いんだからお互いの皿からデザートを直接取ればいいのでは?』、と冷めた意見を口にできる人間は誰も居なかった。
リクとサラがそうして仲良くしてると不意に二人のダイバーが個室に入ってくる。
「ごめん、待たせた」
「二人共、こんにちは」
手を繋いでワープしてきたのはヒロトとイヴの二人だった。
リクとサラはパッと顔を明るくして、示し合わせるまでもなく同じ返事をする。
「「そんなに待ってない」」
「あら、息ぴったり」
二人の様子にイヴはクスクスと笑う。
同様に微笑んだヒロトに促されてイヴが先に席に着き、ヒロトがその隣に座る。
「とりあえず何か頼む?」
リクが今来た二人に聞くと、ヒロトとイヴはそろって頷く。
ヒロトがデザートを注文するためのウィンドウを表示し、すぐに感心して呟く。
「かなりメニュー増えたな」
「うん、昔の倍はあるね」
ヒロトがウィンドウを操作して、実装順にメニューを並べ替えて古い物から先に表示させる。
そのウィンドウをイヴが隣で覗き込んで、楽しそうに声を上げた。
「あった、これ」
「ん?ああ、懐かしいな、イヴはこれにする?」
「うん!」
「よし、じゃあ、俺は……これでいいか」
二人が注文を決めると数秒以内に品物がテーブルに届いた。
出てきたのは見た目がまるで凝られていないシンプルなイチゴのショートケーキとエクレアだ。
余りのシンプルさにリクとサラは逆に目を見張る。
「……なんか普通だね」
「まぁ、確かに」
ヒロトからすればGBNの黎明期からあったデザートにデザイン性はないのは致し方ない事と思うが、細かい物が充実してきた頃にGBNを始めたリク達からすれば確かに驚くようなものかもしれない。
「昔はこのくらいしかなかったの」
イヴはそう言って一口食べると、んー!と声を上げた。
イチゴ!クリーム!という分かり易い味が彼女の口の中に広がる、妙に中毒性のある刺激が懐かしい。
ヒロトはそんな彼女を横目で見ながらエクレアを一口食べて『雑な味ってこの事か』と今になって実感した。
「雑だ」
「ふふっ、やっと分かった?」
イヴはショートケーキを少し切り取って、ヒロトの前に差し出した。
二人きりならともかく、今はちょっと。彼はそう断るかどうかで逡巡する、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべてヒロトの口にケーキを寄せてきた。
食べるまで引かないか、とヒロトが半ば諦めてケーキを食べるとイヴは嬉しそうに笑う。
「美味しい?」
「……まぁ」
ちょっと気まずい感覚を覚えながらヒロトが頷く。
席の正面で座っているリクとサラはついさっきまで自分達が行っていた事を棚に上げ、微笑ましい物を見る目でヒロトを見守っていた。生暖かい、『うわぁ……』みたいな感想がありありと浮かんでないだけまだマシなような、これはこれでくすぐったい様な複雑な気持ちが彼の中に沸き上がる。
リクとサラは仲良くしている二人を見れただけで嬉しいと感じる。打ち上げの時もヒロトとイヴのは手を繋いで行動していたがあの時は大勢のダイバーが居て二人の様子をじっくり伺うチャンスがリクとサラには無かった。
少し感動している二人の視線を浴びているヒロトはしばらく沈黙状態になってしまったがイヴは止まらない。もう一回ケーキを少し切り取ると今度はサラの前に持って行った。
「はい、サラも」
「いいの?」
「勿論」
「ありがとう!」
イヴの差し出したケーキにサラはパァッと相好を崩すと素直に受け入れる。
リクとヒロトはその様子をぼんやり眺めながら『絵になるなぁ』とほぼ同時に同じことを考えていた。
四人の今日のお茶会の目的は二つ、その一つはもっぱら雑談だ。
「新規ディメンションが実装されるって話があるけど、あれ本当かな?」
リクが適当な話題を上げると、ヒロトもその話題乗る事にした。
「新しいディメンションって形になるのかはともかく、あのGN粒子の受け皿を作る必要はあるんじゃないかな、それが噂の元になったとか……?」
「あー、確かにかなり余ってそうだったね」
うんうんと頷くリクは脳内でイヴ復活計画の残滓である白い花に蓄えられたGN粒子を思い浮かべる。
GBNに対するダイバーたちの愛情が強く籠った、あの粒子を運営がどう処理したのかと言う話は四人の耳に入ってこない。それとなくヒロトがキョウヤに聞いて見たが、彼も一向に首をかしげていた。
現時点では妙なバグの温床にはなっていないらしい、とだけキョウヤは述べていた。その点についてはヒロトも安堵を覚える他にない。
四人はその後も新しいディメンションに対する意見を交わし、一頻り時間が経つうちに話題が切り替わる。
「――――へぇ、じゃあイヴさんはヒロトと一緒に暮らしてるんだ!」
「素敵!」
話題はリアルに関する内容。二組のカップルが会話を交わしていくとお互いの日々の過ごし方に注目し合うのはごく自然な事で、更に誰の目にも触れない環境となれば忌憚のない踏み込んだ内容になるのは当然だった。
リクとサラが暮らしている日々をヒロトは二人との今までの付き合いの中で凡そ把握していたが、ヒロトがイヴと暮らすようになってからの話は今日まであまりする事が無かった。
勿体ぶって場所を整え聞いた方が面白くなるだろうと、あえて二人で示し合わせて普段の暮らしについての質問を控えていたリク達は今知った情報だけでも大いに関心を示した。モビルドールを作成していたのはヒロト自身で、そうなるとほぼ確信に近い予想はしていたが、いざ一緒に暮らしている事を耳にすればやはり感動を覚えるものだ。
まさしくおはようからお休みまで一緒の二人にサラは羨ましさを素直に感じていた。モモ・アヤメ・ナミの家を巡って 日々を過ごすのは心の底から楽しい、とはいえ別れ際にもうちょっとリクと一緒に居たいと考える日も良くある。
目の前で幸せそうに微笑んでいる姉を見ていると、その気持ちが急激に膨れ上がるのも仕方のない事だった。
「いいなぁ……」
唇を尖らせてちょっと拗ねたような口調になったサラがリクにチラリと視線を送る。
サラが視線で伝えてる事にうぐっと困った顔になるリクにヒロトが小さく苦笑してすぐにフォローに回った。
「サラさん、リクも考えてると思うよ」
「焦らせたらダメよ、サラ」
サラの気持ちは良く分かるとはいえ、イヴは心を鬼にして妹に釘を打つ。生まれが漠然とした自分を受け入れてくれたヒロトの両親は格別に大らかで、リクの両親はまた別の性格をしているのだろうと判断しての事だ。
イヴに注意されたサラはしょんぼりと肩を落として頷く。我儘が過ぎる事を感じて落ち込みながら、それでも内心の羨ましさはやはり消せない。
リクはそんなサラの様子を見て、まだ先の話だしとか、叶うかどうか確約はできないしとか、彼なりに色々考えてサラに話さずにいた事をもう我慢せず言ってしまう事にした。
「サラ、俺、大学入ったら一人暮らしするからさ」
「――――!」
「まだ待たせちゃうけど。その時ちゃんと迎えに行くよ」
リクもやはりヒロトが羨ましかった。
サラと毎日一緒に居れる、少し考えただけでもリクの思考は甘く痺れる。言葉にして伝えた以上何としても叶えよう、以前から考えていた事に対する決意を彼は更に強くする。
リクに合わせて体を成長させ立ち振る舞いもそれに応じる様に落ち着いてきたサラだが、今の彼の言葉に堪え切れない気持ちが溢れ出した。
「リク大好き!!」
「ぅわぁ!?」
体当たりもかくやと言う勢いで飛びついてきたサラを受け止めて、リクは必死で踏ん張って耐えた。
飛び込む仕草にイヴとの類似性を見たヒロトはこの後しばらく二人はくっ付いたままだろうなと予想した。
イヴは心底幸せそうな妹の姿を見る事で、ヒロトへの感謝の気持ちがより強くなった。
彼が助けてくれなければ、こうして直に妹とその大事な人を見てその幸せにあやかる事なんてできなかった。
『俯いてたら何も見えない』と彼は言っていた。
ヒロトの傷も気持ちも、今のGBNも、増えていく大切な人たちも、妹の姿も、顔を上げる事が出来たから、勇気を彼が与えてくれたから見つける事が出来た。
胸を張っていいとマギーがイヴに伝えてた時、彼女は上手く返事が出来なかった。
今なら少しは誇らしく答える事が出来るだろうか、とイヴは思う。
ヒロトはイヴの様子を見て、なんとなく肩を抱き寄せる。心細い気持ちになっているのではないか、という確信があるわけでもないただの感任せの行動。
されるがままにヒロトにもたれかかったイヴは彼の温かさを感じた。
「ありがとう」
「イヴはここに居るよ」
「うん」
リクとサラの目が逸れている内に、ヒロトの頬に柔らかい感触が伝わった。
◆◆◆
四人がそれぞれ二人の空間に閉じこもってしまう時間がしばらくあったが、その内に話は再会されて飛ぶように時間が過ぎて気が付けばもうそろそろログアウトして家に帰らなければならない時間になっていた。
今日来た目的は雑談と、それ以外でもう一つ。
別れ際に差し掛かり、その話はお互い示す事なく行われた。
姉妹であろうとも、兄弟のような関係であろうともここから先は意味をなさない。
「準備はできてる?」
リクはヒロトに問う。
十全か?怠りは無いか?
「ああ」
ヒロトは迷いなく頷く。
ここから先は、敵同士。
「五対五、一度落とされれば復活無しのデスマッチ」
フォースバトル、条件は明確。
「メンバーは俺、ユッキー、モモ、アヤメ、コーイチ」
フォースメンバーの選出。
「こちらからは、俺、カザミ、メイ、パル、イヴ」
この場に居る四人に肌にビリビリとした感覚が走る。
イヴがどれほどパイロットとして動けるか、ガンプラはどういう性能か一切の情報は明かしていない。フェアでない条件がこの勝負が本気である事を示している。
「勝負は週末の正午、使用するディメンションは直前にランダムで決定、準備時間は十分のみ」
ヒロトの冷たい声に、リクは硬く頷く。
そして獰猛に告げる。
「容赦はしない」
「望むところだ」
どちらが強いか、この戦いで決める。
BUILD DIVERS VS BUILD DiVERS
魂をかけた一戦が静かに火蓋を切った。