スカイダイバー   作:高田正人

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第64話:Behavior therapy5

 

 

◆◆◆◆

 

 

「――この時間が好きです」

 

 迷子を親元に送り届けてから、時は過ぎ――。

 

「一日が平和に終わろうとする夕暮れと、楽しげに家路を歩く子供たち。人々の平穏を守護する騎士でよかったと、心から思える一時です」

 

 橋のたもとから、ストリンディはシェリスと一緒に赤々と輝く夕日を眺めていた。川の流れは淀みなく、時の流れは気怠げで心地よい。

 

 素晴らしい一日だった。こんな楽しい日を過ごすことができるなんて、ストリンディは想像だにしていなかった。穏やかで、優しく、それでいてどこか刺激的で、花火のような驚きに満ちていて。それは、ストリンディ一人では到底味わうことのできない甘味だった。けれども、そんな一日を与えてくれた当のシェリスは、夕日に背を向けてこちらを見た。

 

「私にとって一日は、まだ終わってないわ。むしろ、これから始まるの」

 

 冷徹さを消さない彼女に不安めいたものを感じて、ついストリンディは小言を言ってしまう。

 

「ボーダーラインで夜遊びですか? それはあまり誉められることでは――」

「私の本職を教えてあげるわ、ストリンディ・ラーズドラング」

 

 シェリスの赤みがかった双眸が、彼女を見据える。

 

「私の出身はボーダーライン。私のコードネームはコンフィズリー。私は思想・信条・人種の区別なく、ただ報酬のみを雇用の条件とするフリーのハッカーよ。あなたとは一度企業間闘争で戦ったわ、企業が保有する個人での最高戦力さん」

 

 その一言一句を、果たしてストリンディは予期していたのだろうか。それは彼女自身にも分からない。ただ――

 

「――そうですか」

 

 ただ、ストリンディは深々とため息をついた。一日が終わっていく。楽しかった夢から覚める時が来た。

 

「私にとってあなたは、何でもない一日を突然色とりどりに変えてくれる、不思議な花火のような人でした。それに驚かされるのと同時に、そんなあなたと過ごす日々こそが、かけがえのないものなんだと強く感じたんです」

 

 人造の目のように硬質で感情を見せないシェリスの両眼。それに負けないよう、ストリンディもまた力強く彼女を見つめ返す。思いの丈を言葉に込めて、届かない願いをそれでも届くように心を込めて。

 

「あなたは、私の日常でいて欲しかった」

 

 シェリスと会いたかったのは、ここスカイライトの日常の中でだ。ボーダーラインの戦場のただ中ではない。

 

「ご意向に添えなくて残念だわ」

 

 言葉の内容とは裏腹に、シェリスはまったく残念そうな様子を見せることなくそう言った。ああ、そうなのか。ストリンディはかすかに理解した。シェリス・フィアにとっての日常とは、ここスカイライトにないのだ。平穏とは虚妄でしかない。ボーダーラインの喧騒と狂騒の中にこそ、彼女の日常はあるのだろう。

 

「でも、私はセンチメンタルな話をしたいんじゃないの。仕事の依頼よ」

 

 デートの誘いと同じ声音と調子で、シェリスはストリンディに告げる。やめて下さい、とストリンディは言いたかった。その姿で、その顔で、その声で。日常をまったく区切ることなく破壊と打算に満ちた戦場に塗り潰さないで、と叫びたかった。しかし声は出ない。

 

「あなたは以前、報酬は応相談で護衛の依頼を受けてくれると言ったわね。まさにその依頼がしたいの」

 

 いつぞやの約束をシェリスは掘り返してきた。

 

「ストリンディさん、私を守るために一緒に『オヒガン』に来ていただけないかしら?」

 

 その誘いに、簡潔にストリンディは答えた。

 

「大変申し訳ありませんが、その依頼を受けることはできません」

 

 

 

 

 オヒガン。涅槃を意味する名がついたそこは、エンクレイブと同じく上空に位置するコロニーだ。タカハタ・グレート・ザイバツの私有地にして政治的中立地帯であるそこは、あらゆる先進的技術が実験されるマッドサイエンティストのフラスコだ。俺のようなハッカーには少々綺麗すぎるが、スカイライトに比べればまだ馴染みのある場所だ。

 

 キシアが俺に伝えた計画。それは、虚数海を浮遊するエンクレイブをオヒガンに受肉させることによって強制的に現世に引きずり出すというものだ。あの天使が聖遺物を依代に受肉したのと同じ理屈だ。コロニーが丸ごと実験場であるオヒガンは、計画にうってつけの場所だ。ボーダーラインで同じことをしたら、複数の企業から袋叩きにされるだろう。

 

 コロニーの防壁を突破して干渉するのだ。作戦を決行する時、俺のボディは恐らく完全に無防備になるだろう。そこを狙われたら一巻の終わりだ。そのための最高の矛にして盾として、俺はストリンディ・ラーズドラングに白羽の矢を立てたのだが――。フェニーチェ財団の騎士として、スカイライトを留守にするわけにはいかないとのことだった。

 

「振られちまったのかよ、コンフィズリー。女の子を口説くのはなかなか難しいだろ?」

 

 ストリンディに別れを告げてボーダーラインへと歩き出す俺に、アドロからの通信が入る。進捗を手短に告げたらすぐにこれだ。俺は鼻で笑って言い返した。

 

「まさか。これからが本番よ。あの優等生の仮面を引き剥がす、楽しい楽しいイベントが待ってるわ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 


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