Fate/STEEL BALL RUN【完結】 作:石田たつを
賽の目がいつも『
何度も振ればいつか必ず『
人生で一番幸せだった誕生日。
1998年。3月2日。
12歳の誕生日。
兄さんが美味しいデザートを振る舞ってくれて……綺麗な耳飾りをプレゼントしてくれた日。
嬉しかった。
いつも触れてきた『家族』の温かさ。その結晶。
いつも、いつも……鏡を見ても昏い目と暗くなっていく髪しか映らなくて……
憂鬱で仕方なかった日々。
それが、たった一つの耳飾りだけで……
『今日一日を頑張ろう』と思える程の勇気が湧いてきて、鏡に映る自分をほんのチョッピリだけ好きになれた。
誕生日から1週間くらいは『幸せ』だった。
兄さんはデザートと耳飾りだけでなく……
『幸福』までもプレゼントしてくれた。
だが、そんな日は長くは続かなかった。
ある日、珍しくリビングに居たお爺様が、わたしの耳飾りを見て興味深そうな顔をして近づいてきた。
「桜や、その『耳飾り』は……」
「ッ……
その日は、いつもの不気味な雰囲気は鳴りを顰め、寧ろ好々爺のように朗らかな表情だった。
お爺様は時々、妙に優しい時がある。
それが、今日。
「どれ……少し見せなさい」
一瞬だけ、いつもの威圧感を発したので…大人しく耳飾りを渡すとまじまじと眺めながら目を細めた。
その姿はまるで、大学の教授。
あるいは大ベテランの研究者みたいだった。
「ほう……これは
「え……?」
「確か、西太后という帝の側妃が居た時代じゃったかの…?中々に精巧な作りをしておる」
そうして、暫く眺めた後、お爺様はほんの一瞬だけ『魔力』を発した……ように感じた。
ほんの、一瞬だけ………
気のせいかと思う程に一瞬だけ……
言及しようにもこの朗らかな顔を見る限り、もしかすると本当に気のせいだったのかと思ってしまう。
いや、きっと…気のせいだ。
そうに違いない。
ここであらぬ疑いをかけて問い詰めてしまうと……
また、いつもの『怖いお爺様』に戻ってしまう。
「慎二からの贈り物、『大事』にしてやりなさい」
「はい………」
結局、最後まで…和かな表情は崩れなかった。
本来であれば、それは喜ばしい事。
だと言うのに………
何故こんなにも……
不気味でしょうがないのか。
何故こんなにも……
その日から、この綺麗な耳飾りがどこか怪しく……どこか異質に見えてきてしまった。
◆
目が覚めた。
懐かしい夢を見た気がする。
ボヤけた視界が徐々にハッキリとしてきた。
目に映るのは、もう見慣れてしまった天井。
窓の外は、まだ真っ暗。
先輩のお家に泊まってから、一体どれだけ経ったのだろう…?
最初は、兄さんにいきなり言われて、ビックリしてしまったけれど、こうして日常の陽だまりの中で息が出来るのは、素直に嬉しくて、嬉しくて……
胸の中が温かくなって、少しだけ…怖くなった。
サイコロが、いつも『6』を出すとは限らない。
いつか、必ず『1』を出す。
いつか必ずやってくる。
今の『幸福』が……きっと『不幸』に変貌する。
それは明日だろうか……?
それとも明後日……?
泣きたくなってきた。
ボンヤリとした不安が身を包み込む。
もう一度、寝なければ。
明日も先輩と兄さんの為にご飯を作って……
学校に行かないと………
コンコンッ……
ノックの音。
誰だろう。
こんな夜更けに。
「桜……起きているかい……?」
それは優しい声色。
それは兄さんの声。
それは確かだ。
間違える筈がない。
だと言うのに何故だろう……?
ベッドから動けない。
鍵は閉めたっけ……?
閉めた……閉めた筈……確信が持てない。
きっと、閉めていた筈……!
「桜?…開けるよ……」
過去の自分に送った祈りは届かなかった。
兄さんが入ってくる。
電気を点けていないせいで、顔がよく見えない。
それでも一つだけ可笑しな点がある事は明白だ。
そんな筈はない。
兄は歩けない。
本来なら車椅子を漕ぐ音が聴こえる筈だ。
キイキイと、蟲の金切り声に似た……
ほんのチョッピリだけ嫌な音が……
「なんだ、起きていたのか……」
窓から差し込む月明かりが、兄の顔を照らす。
優しげな表情。そして穏やかな表情。
兄はそんな顔はしない。
無愛想で、額に皺を寄せて、今にも道に唾を吐き捨ててそうな……
そんな顔が
可笑しい。絶対に可笑しい。
目の前の兄は、
「ハァーッ……ハァーッ……ぅ…ぅぅ……」
「どうした……?……怯えているのか……?」
ベッドの近くの椅子に腰掛けて、心配そうにわたしを見つめてくる。
何処からか花の蜜のような…甘い香りがする。
呼吸が荒くなっていく。
身体が酸素を求めている。
「所で桜……1つ、聞きたいことがあるんだ」
嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
聞きたくない。
嫌な予感がする。
聞きたくない。
目の前の『兄に似た誰か』の言う事なんて…!
「どうして…
「ゃ………ぃや……やめて……」
兄さんの声。
兄さんの顔。
兄さんの体。
兄さんの姿。
どれも全部…嘘っぱちだ。
幻覚だ。幻影だ。
誰かがわたしに魔術をかけたのだ。
「どうして…お前はのうのうと衛宮の家に居る?」
やめて。
「いつまで…お前は妹ヅラをしている?」
やめて。
「何故……お前はマスターにならなかった?」
もう……やめて……!
「なぁ、桜……ぼくの脚、治してくれよ」
う……ぅう……ッ……
息が……息が出来ない……!
苦しい……くるしい……ぃ…
喉が渇いて……喉が苦しい……痛い……
気分が悪い……吐き気がする……
気持ち悪い……きもちわるい…っ…!
「ぁ……ぁあ……う…ぇ……」
譫言が聞こえてくる。
わたしの……口から。
ここから出なくては。
ここから離れなくては。
何処かに行かなくては…!
「おまえ大丈夫かぁぁ〜〜〜桜ァ〜〜〜〜」
もうイヤだ。
これ以上、兄の声を聞いていたくない。
兄は椅子から動かない。
汗が止まらない。
脂汗で手がビショビショだ。
ドアノブをうまく捻れない。
ここから離れなくては。
「
蟲の囀りが聞こえる。
金属が擦れる音みたいな。
頭が痛い。
耳が痛い。
足元がふらつく。
それでも、ここから離れなくては。
離れなくては。
離れなくては。
今すぐに。
今すぐに。
今すぐに。
どうにか、玄関まで来た。
震える手じゃうまく開けられない。
背後から『何か』が迫って来る。
怖い。
振り向くことが出来ない。
足音が聞こえてくる。
それは徐々に大きくなっていく……!
ビショビショの手を服で拭いた。
それで、どうにか…開けることが出来た。
しばらく歩いてから気づいた。
自分が裸足で出てしまった事に。
道端の砂利が足の裏に食い込んでくる。
ザラザラとしたコンクリート。
冷たいコンクリート。
足の裏が痛い。
夜の風が寒い。
街灯が眩しい。
ここから離れなくては。
もっと、街灯の無い場所へ。
月の明かりが眩しい。
もっと、明かりの無い所へ。
「助けて……助けてください…先輩…兄さん…」
譫言が聞こえる。
他ならぬ自分自身の。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
いや、きっと……今までが『幸せ』過ぎたのだ。
わたしには、過ぎた『幸せ』だったのだ。
誰にも会うべきじゃあない。
誰にも会ってはならない。
わたしは独りにならなくては。
もう、誰も傷つけない為に。
これ以上、大切な誰かを。
死んでしまいたい。
わたしは…もう……
◆
一見すると、それは唯の『耳飾り』だ。
しかし、その正体は……『生物』である。
『プリーズ・プリーズ・ミー』
それが名前。
一体、誰が名付けたのか?
それは誰にもわからない。
この生命体には
それは、基本元素がケイ素(Si)である事。
生命が誕生してから40億年。
その殆どの生物は炭素(C)を基本元素として結合構成されている。
しかし、ほんの僅かな割合の…その一部の生命体は異なる進化を遂げて、この地球に誕生した。
炭素系有機体の隣に隠れるように共に存在する……
ケイ素(Si)系の細胞。
その細胞で体を構成されて来た『生物』
即ち、『岩生物』
生命
炭素系(C)という一つの道がもし行き詰まった時の為の『滑り止め』
その役割が『岩生物』である。
『プリーズ・プリーズ・ミー』
この『岩生物』は『昆虫』である。
即ち、『岩昆虫』だ。
湿地帯に生息し、そこに生息する他の動物の体表に張り付いて、幻覚作用のある分泌物を吻から注射、暴れ狂って疲れ果てた獲物を捕食する。
食性は『肉食』で……
主な獲物はカワセミ、カエル、アオダイショウ。
周囲の物や植物に擬態する性質がある。
様々な蟲の魔術を修めた間桐臓硯は……
偶然…間桐慎二が購入した『耳飾り』が『岩昆虫』であると見抜いた。
見抜いた上で、それを利用する事にした。
容易く『暗示』をかけ、手足のように
間桐臓硯の合図一つで、分泌物を作りだす。
実は『岩生物』は、この世界の裏の住人である……『魔術師』たちの格好の研究材料とされている。
独特な進化を遂げた『彼ら』もまた、この世界の『食物連鎖』の渦から抜け出せなかったのだ。