Fate/STEEL BALL RUN【完結】 作:石田たつを
『彼』は1967年に生まれた。
綺礼という名は祈りの言葉だという。
清く美しくあれ、と父親は『彼』に名づけた。
子はその祈り通りに成長し、幼くして道徳と良識を持ち、早熟と思われるほど見識深かった。
父は良い後継者に恵まれたと喜び、息子は父の喜びを理解していた。
息子が優れているのは、親として喜ぶ事だ。
……そう理解し、『彼』は成長していく。
そこに疑問はなかった。
父を愛せない事と父の期待に応える事は別の問題。
綺礼と名づけられた彼は健やかに成長していく。
………ただ一点。
父の言う『美しいもの』がなんであるか、それだけが理解できないと首を傾げながら。
その齟齬に気がついたのは、ある日の朝だった。
父の巡礼に付き従い、
彼はなんとなくボーっと窓から路地裏を見ていた。
すると、そこには子犬を甚振り喰い殺す猫がいた。
猫は腹が減っていたのだろう……一心不乱に子犬に齧りついて、血と
『彼』はその時……初めて『美しい』と感じた。
感じてから直ぐに、背後に立っていた父の存在に気がついた。
顔を見ると、父は顔を悲しそうに歪め、無言で宿から出て行って、喰い荒らされた子犬の残骸を丁寧に地面に埋め、手を合わせて祈った。
白髪混じりの頭と漆黒の
それでも尚、祈り続ける父の背を見て『彼』は、こう思ったのだ。
『
話はそれだけのことだ。
彼が美しいと思うものは蝶ではなく蛾であり、薔薇ではなく毒草であり、善ではなく悪だった。
人並みの良識を持ち、道徳を信じ、善である事が正しいと理解していながら。
彼は、その正反対のものにしか、生まれつき興味を持てない人間だった。
その苦悩は、誰に理解できるものでもない。
綺礼本人でさえ、それが苦悩であるかどうかさえ判断がつかなかった。
ただ、努力はした。
清く美しくあれと、初めからなかった心を求め続けた。
肌をこそぎ、肉をちぎり、骨をはずし。
心の中にないのなら、体のどこかに容れるべき個所がある筈だと探した事もある。
父は十数年をかけて、茨の踵で聖地を巡礼した。
刻んだ歩みで言うのなら、その距離は月にすら届くだろう。
肉体的な苦痛を求めてではない。
そも、
その功徳の中、彼は食事を断った。
自分が生まれつきの罪人ならば、その程度の罰がなければ世界と釣りあわないと、彼が信じた道徳が教えたのだ。
そうしてさらに十年。
求め続けた心は得られず、代わりに得たものは結論だった。
なんのことはない。
つまるところ、彼には生まれつき『人並みの幸福実感』がなかっただけだ。
人が幸福を実感する、善しとされる正の事柄。
博愛、信頼、栄光、安全。
そういった悦びを見いだせない、生まれついての欠陥者であっただけ。
彼が『楽しい』と思える事は他人の苦しみでしかなかった。
他者による殺害、他者による愛憎、他者がもつ転落。
そんな負の事柄でしか、彼は『幸福』を実感できなかった。
……彼にとっての不幸は、そんな思考回路でありながら十分すぎるほどの『道徳』を持っていた事だ。
幼い頃、どうあっても自分が
欠陥者である己を諦め、自分なりの異常快楽に走るのではなく。
人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し、どうにか救おうとしたのである。
その道が信仰であり、父と同じく、神父として人生を説く事だった。
『神は全てを赦すという』
ならば自分のような『生まれつき持ち得ぬ者』も救うのではないか、と考えた。
だが、結果は無惨だった。
神の教えを守り、規律に従い、質素に生きたものの、彼には『他者の苦しみ』に勝る悦びが見いだせなかった。
背徳を禁じる教会の教えを信じきってさえ、彼には背徳しかなかったのだ。
もっとも、そこに苦しみはなかった。
初めから無いものを求めたのだ。
手にしていたものが失われた訳ではなく、嘆く事などありえない。
成人し、神父となった彼についてまわったものは、『なぜ』という疑問だけだ。
生まれつき、『善から悪に変わる』という選択さえ持ち得ない、とはどういう事なのか。
初めから規格外の者として生を受け、世界から断絶されたまま死に至るモノとは何か。
それは壊れたもの、世界に害を成す事を前提として生まれるモノではないのか。
良識の語り。道徳の解き。正義の裁き。
それらが全て
………だが、それはなんだ。
有ってはならぬモノならば、なぜ、そんなモノが生み出されねばならないのか。
………そう。
初めから欠陥があるのなら、そも生まれてこなければよい。
世界は悪を憎み、間違いを排除する。
にも関わらず初めから『望まれないもの』が生み出され、ただ死ぬ為に、ただ疎まれる為だけに在るものがある。
『彼』は、その罪の所在を問い続けた。
長い苦悩、盲目な信仰の果てに得たものは救いではない。
ただ、なぜ、と。
それは苦しみではなく純粋な疑問であり、何かに対する、振り下ろしようのない怒りだった。
◆
『八極拳』とは、清代の中国河北省滄州の孟村に発祥したと伝えられる中国武術であり、開門八極拳、半歩拳法などの別名がある。
一瞬で激烈な技を打ち出すことを特徴とし、中国拳法の中でも屈指の破壊力を誇る。
八極拳は、敵と極めて接近した間合いで戦うことを得意とし、その八極拳の風格は中国において『陸の船』とも形容され、細密な歩法と手技をもって敵のガードを開き強力な一撃を打ち込む。
突きや掌での攻撃の他、肘撃や靠撃*1など、近接での体当たり戦法的な技法も重視される。独特の『震脚』を伴う重心移動や体勢の急激な展開動作を行うことを主な勁力の源とする。
言峰綺礼は父である璃正に従い、代行者見習いとして10数年に渡る巡礼に付き合い、その間に八極拳を習った。
それだけでなく、22歳の時にマンレーサ*2の聖イグナチオ神学校に進み、代行者として2度目の洗礼を受けてからは、
それは人智と研鑽の結晶。
漢王朝…紀元前206年の時代から、綿々と受け継がれてきた武の技術の粋を集め、今にも自壊しそうな程までに追い込み、追い詰め、研ぎ続けた一つの『技術』の終着点。
繰り出される拳撃、掌打、肘撃、靠撃、蹴撃。
それら全てが精確に…そして鋭く、かつての太古の支配者に浴びせられる。
『恐竜』が…およそ1億6000万年も生態系の頂点に君臨した『野生の暴力』だとするならば……
それに対抗し得るのは、『2000年間』磨かれ続けた『人間の叡智』に他ならない。
ボムギッ!!
再び響く轟音。
放たれたのは『鉄山靠』……またの名を貼山靠。
それは背中からぶつかる体当たり。
正確には、並足を揃えて膝で軽くしゃがみ、踏み出して敵の足を引っ掛けて下方向に向かって背中で体当たりする技。
超近距離でのみ真価を発揮する。
鉄山靠が鋭い爪で切り裂こうと懐に向かって接近していたディエゴの側面に叩き込まれ、そのままブッ飛ばされる。
しかし、その先はジャケットが捨て置かれた場所だった。
「フンッ…!極東の格闘技術を修めているが故に、『恐竜』の『野生の力』さえも凌ぐか…ッ!!」
『恐竜』はやがて『半人半獣』の姿に変身する。
口は裂け、耳まで亀裂が伸び………
蛇の眼孔、割れる鱗の肌。
それは、異形の人体であった。
「そこで言峰綺礼!きさまが如何に体術に優れていようとも関係のない処刑方法を思いついたぞ……」
ジャケットの内ポケットから取り出されたのは、銀色の拳銃。
コルト・シングルアクション・アーミー。
1874年製。装弾数6発。
回転式シリンダーに込められた『.45コルト弾』には『銀』がコーティングされていた。
コオォォォオオオッ!
裂けた口の両端から、熱を帯びた煙が漏れる。
まるで目一杯フかした煙草の紫煙。
奇妙な呼吸の音が静かに奏でられる。
「
真っ直ぐに直進する5発の弾丸。
対する言峰は、もはや回避する事は叶うまいと、両腕に『強化』の魔術を施し、身体の前でクロスする事で『防御姿勢』をとった。
本来であれば、それは適切な対処。
言峰の思惑通り、弾丸は銀光と共に弾かれ、急所への攻撃を防いだ。
しかし………
メラメラ……メラメラ……ッ
飛来する弾丸が纏う電磁波にも似た『エネルギー』によって
『波紋』の力は『生命と太陽のエネルギー』ッ!
水や炎、電磁といった自然現象と調和するッ!!
「この薄汚い呪われた者がッ!オレから離れ去り…悪魔とその下っ端どものために用意してある『永遠の火』に入れッ!」
「『マタイによる福音書』25章41節を…
怒りのままに吠えるディエゴに対し、沈黙を保っていた言峰から初めて、明確な『怒り』と『殺意』が溢れ出る。
業火に燃え、身体中の裂傷から血が流れ、尚も構えを解かず、所か益々勢いを増しながらの突進。
交錯する両者の腕。
片や野生の剛腕が振るう俊速の爪。
片や身体全体の気功を以って放たれる寸勁。
伸びる腕。
爆発的エネルギーを秘めた一撃。
ほんの僅かな距離……ディエゴの腕の関節が外れ、先に『一手』早く届いたのは鱗に覆われた恐竜の腕だった。
ズドォオッ!
「勝ったッ!死ねィ!!」
斬り飛ばされた言峰の右腕、すかさず十字を切るように振るわれる追撃。
到達点は首。
喉元まで迫る爪。
コンマ数秒の猶予。
停滞する時の狭間で、言峰綺礼は僅かに…まだ『生きている』腕に魔力を通した。
メギャンッ
それは黒鍵だった。
より正確にはこの瞬間に刃を形成した黒鍵だった。
交錯する直前、距離を詰める間の僅かな時、言峰は寸勁が届かなかった時の『保険』として、右手に『柄のみ』の黒鍵を握っていた。
斬り飛ばされる直前。
数本の神経が千切り飛ばされる寸前。
その刹那、流された魔力の奔流。
それが黒鍵の柄に流れた瞬間、鋼鉄の刃が無から生まれ落ちた。
「うおおおおおおおおッ!?」
伸びる刃の切先が、真正面の首に飛来する。
勢いは留まることはなく。
そこに慈悲はなかった。
ズキュウウウンッ!
決着はここに。
舞い散る鮮血の雨の中で項垂れたのは……
『ディエゴ・スティール』だった。
首に突き刺さる黒鍵が、ひとりでに刃を失い、柄だけとなって地に堕ちていく。
「主よ、この世からあなたのもとにお召しになる者を心に留めてください。永遠の安息を彼に与え、絶えざる光を彼の上に照らしたまえ。彼の安らかに憩わんことを……
言峰は静かに祈りの言葉を口にし十字を切った後、燃える
「
ディエゴは、雄叫びをあげながら、去り行く背中に対し、残り…たったの一発だけの拳銃を向けた。
もはや『恐竜』となる力は残っていない。
ただそれでも、この青年は最後まで戦う意思を捨て去らなかった。
目は霞み。
手は震え。
次第に意識が遠のいていく。
ただそれでも、ただそれでも……
引き金に指をかける。
震える拳銃の先には、不敬者の背。
罰するべき、背信の徒。
ほんの僅かに、手の震えが止まった。
狙いが定まっていく。
引き金に指をかけた。
外す訳にはいかない最後の弾丸。
かけた指に力がこもる。
その刹那……彼は『声』を聴いた。
「つまらん足掻きをするな、雑種」
それは侮蔑と失望に満ちた『声』だった。