下水道の獣   作:あらほしねこ

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退役軍人

 早朝の冒険ギルド、始業開始の数刻前。受付嬢は、いつものように受け持ちのカウンターで、いつものように依頼を求めて訪れる冒険者達を出迎える用意を整える。そして、微かな喧騒の波が次第に大きくなり、フロアーに冒険者たちの姿が現れる。

 さて、今日も忙しくなりそうですね。

 そんな、いつもの光景を見渡しながら、彼女の眼は知ってか知らずしてか、ある冒険者の姿を探すように、ひとつ、ふたつと視線を巡らせた。

 しかし、彼女の目に留まったのは、探していた冒険者の姿ではなく、黒ずくめの冒険者―――というには、あまりにも物々しく、しかし、整然とした出で立ち。

 黒塗りのサレット・ヘルム、そしてこれも黒塗りの面頬で覆われた顔の奥に、いささか外連味が過ぎる紅い色眼鏡が光る。そして、肩から羽織った黒いマントの胸元から覗くのは、鈍く黒光りする革張りのブリガンダイン・アーマー。

 誰か、新しい装備を整えたのだろうか?いや、しかし、その雰囲気は自分の記憶にあるどの冒険者とも一致するものはない。

 どちらかと言えば、冒険者と言うよりも、強いて言うならば正規軍の武官か。さもなければ、異端審問官。

 周囲の冒険者たちも、この黒ずくめの見慣れぬ来訪者に、微かにではあるが警戒の色を走らせる。しかし、彼はいかにも一見者らしい仕草で周囲を二度三度見渡した後、何やら得心いったかのようにひとりでうなずいている。

(何でしょう、水の都―――それとも、もしかして王都からの使者でしょうか)

 受付嬢は、ほかの冒険者同様、さざ波のような緊張感を全身に巡らせながら、黒衣の来訪者の一挙一動を見守る、とその時、紅い眼鏡と真正面から目が合ってしまった。

 しまった。

自らの迂闊さを認識するより早く、黒衣の来訪者は得たりとばかりに真っ直ぐ自分の座るカウンターへ、何故か足音ひとつ鎧ずれの音ひとつ立てず、まったくの無音で歩み寄ってくる。

 マントを翻しながら、つかつかと、しかし床の上をすべるように歩き出した黒衣の来訪者に、居合わせたほかの冒険者たちも一斉に警戒の目を向けるが、誰一人として動こうとしなかった。否、彼らの名誉のために言うなら、理解と対応が追い付かなかったのかもしれないが。

 もちろん冒険者である可能性は十分ある、しかし、どこかの軍閥からの派遣武官、もしくは、いや、あまり考えたくないが、祈らぬものに感化された者を教化する異端審問官だったとしたら?

 いやいや、大丈夫だ。このあいだの定例監査や会計監査でも、ギルド本部から派遣された監査官から問題なしとの総評も得た。それに、このギルドに関わりのある人間で、異端審問官の査問に付されるような心当たりは何もない、何もない―――はず。

 ほんのわずかな時間で、受付嬢の頭の中で、熟練の職人が手掛ける糸車のようにぐるぐると思考が回り、大丈夫だ、問題ない。と言い聞かせてなお、彼女の緊張感は最高潮に達していた。

 そして、そうこうしている内に、とうとう黒ずくめの来訪者はカウンター越しに受付嬢の真正面に立つと、彼女を見下ろした紅い眼鏡を妖しく光らせた。

 遠目で見てもそうかとは思っていたが、間近で見るとさすがに大きい。このギルド常連である重戦士に匹敵するかそれ以上、その黒ずくめの風体から否応なくにじみ出る威圧感も手伝い、さながら自分の目の前に黒い壁を据えられたかのような錯覚に陥る。

「あ、あの―――」

 いつも通りに声をかけようとして出てきたのは、まるで新米時代の自分が蘇ってきたかのような、なんとも情けない声。

 彼女とて、冒険者ギルドの職員となってから、海千山千の冒険者をそれこそ朝食のパンの枚数同様覚えきれないくらい見てきたし、対応もしてきた。しかし、この黒衣の来訪者を前にして、どういう訳か口の中がからからに乾き、舌がうまく回らない。

 受付嬢の目は、ほぼ無意識にフロアーに視線を走らせ、見知った顔を探す。しかし、今日に限って、あのなにかと騒々しい軽薄な冒険者も、使い込みも過ぎる鎧兜に身を包んだ寡黙な冒険者の姿もない。したがって、彼女は心の中で自身に鞭を入れた。

「おはようございます、冒険者ギルドへようこそ!今日はどのような御用件でしょうか?」

 なんとか、いつもどおりの声で朝の挨拶を成功させた受付嬢に、黒衣の来訪者は、じろり、とその紅い眼鏡越しの視線を向ける。そして、

「やあ、おはよう。朝早い時間から申し訳ないのだけれどね」

 その威圧感の塊の姿には似つかわしくないほど、意外に気さくで、紳士的―――と言えなくもない声。

「実はね、私も冒険者になりたくてね。手続きをお願いしたいのだよ、ひとつ、お願いできるかな?」

 やや鷹揚ではあるが、友好的な口調に、彼女の全身に張り巡らされていた緊張が、僅かに緩み、安堵のそよ風が心を包み込む。

「冒険者登録……ですか?」

「そうなんだよ、私は訳あって失業中の身なんだけれどね。何にせよ、食べていかなければならないじゃあないか」

「ええ、まあ……そう、ですね」

 意外だった、冒険者の登録は、他の町のギルドで済ませていたとばかり思っていた。よく見れば、身に着けている装具一式にしても、昨日今日買いそろえたようなまっさらの新品と言う訳ではなく、日々の手入れを怠らない『ちょうどいい』使い込みの風合いが見える。

 この男は『失業中』と言った、では、やはり、どこかの軍人だったのかもしれない。しかし、それならそれで、なぜ冒険者を?と言う疑問が浮かぶ。しかし、彼女は敢えてそれを隅に押しやった。それは、これからのやりとりで扱う話だから。

「そうそう、だからね、ここはひとつ、私も冒険者として食い扶持を得ようと思っている訳なんだよ」

「そうでしたか……はい、それでは、この冒険記録用紙に必要事項を記入していただけますか?」

「了解了解、ええと、名前に性別、年齢、それから―――」

 受付嬢が差し出した冒険記録用紙を受け取り、いちいち声に出しながら紙面に筆を滑らせていくその様子は、威圧感十分なその姿に似つかわしくないほど滑稽というか剽軽。

「さあできたよ、これでどうかな」

「あ、はい。確認しますね」

「うん、よろしく頼むよ」

 この頃になると、先ほどまでの緊張はどこへやら。やや和やかな雰囲気で冒険記録用紙を受け取り、その内容を確認する。流麗、とまでいかないものの、相応の教育を受けたと思しき筆跡はなかなかどうして読みやすい。しかし、そこで受付嬢は、その記入された内容に、微かに唸る。

(王都の常備軍での勤務経歴あり、戦傷で一線を退いたとありますが、これは―――)

 退役軍人という、荒事という範疇で言えば決して素人とは言い難い彼の経歴。かつての所属先まで事細かに書き込んだその文面を信じる限り、脱柵や不名誉除隊ではないのだろう。それらを全て踏まえた上で、受付嬢は表情を改めると申請の結果を告げる。

「申請書を確認しましたが、内容については問題はありません。ですので、冒険者登録については、規定で白磁等級から始めていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

 先ほど彼が述べた通り、王都での従軍経験とその年齢は、単なる駆け出しでないのは理解できた。しかし、見かけで人を判断するわけではないが、この事実に、彼自身がどういう反応を示すか。

 もっと自分の実力にふさわしい階級から始めさせろ、と不平を並べる自称経験者がいないわけではなかっただけに、今の問いへの答え方で、彼の人となりが多少判断できる。

「全く構わないよ。千里の道も一歩から。美麗な女神像も、まずはノミのひと打ちから生まれるわけだからね。過程をすっ飛ばしても何もいいことはないからねぇ。是非とも、そちらの規定で進めてもらってくれたまえ」

 楽しそうに、そして待ち遠しそうに答える男の返事に、受付嬢の表情が緩む。どうやら、ひととなり的に問題はなさそうだ、今の所、は。

「ありがとうございます、それと、あと―――」

「うん?他になにかあるのかな」

 そう、最後に確認しなければならないこと。それは、黒塗りのサレットと面頬、そして紅い眼鏡の奥の彼の顔を覚えておかなければならなかった。

 ギルドとして正式に冒険者登録をするにあたって、申請書類上の内容だけでなく、素顔も含めた本人の素性を把握するのは当然の必要事項。

「その、今一度、お顔を確認させていただけないかと―――」

「ふむ」

 受付嬢の言葉に、退役軍人は少し考えこむように首をかしげる。

「う~ん……実のところあまり気味のいいものではないけど、構わないかな?」

 先ほどとは打って変わり、僅かに拒否感を滲ませる退役軍人の言葉に、受付嬢は再び緊張の波が全身の肌を走るのを感じた。

 ですが、本人確認は重要ですから。しかし、用意していた言葉は、思いがけず現れた援軍―――らしきものに遮られてしまった。

「さっきから黙って聞いてりゃ偉そうに、なにお嬢さんを困らせてるんだコラ」

 長槍を担いだ美丈夫が、割って入るように退役軍人を睨みつけている。その肩越しには、相方の魔女が、嘆息交じりに煙管をふかしながらも、詫びるようなしぐさで会釈を寄越していた。

「新人は新人らしく、お嬢さんの指示に従ってりゃいいんだよ、ったく。なにカッコつけてもったいぶってんだこのヤロウ」

 さすが銀等級冒険者というべきか、この威圧感の塊のような男にさえ、物怖じする気配もない。どうやら、途中から現れた槍使いはその場の会話だけ聞き、自分がこの黒ずくめの男にゴネられていると思って、助け舟を出しに来たのだろう。

 確かに、この男がギルドに現れ、なおかつ自分のカウンターに向かって歩いてきた時は、正直、無意識にとはいえこの男の姿を探したことは事実だ。しかし、今この場で横槍を入れられてもどうにもならないし、意味がない。

 それとも、自分とこの黒ずくめの男との会話の中に割って入ろうとしているのか。まさか、さすがにそんな狭量なことはしないとは思うが、なにしろ、ある冒険者相手に幾度か前例があるからわからない。

(まったく、そういうところですよ)

 受付嬢は小さく嘆息し、この場をどうとりなそうかと思案を巡らせる。

「いやいや、すまなかったね。そんなつもりじゃなかったんだが、まあいい。立会人もいた方がこの場合、都合がいいだろうね」

「あん?」

 槍使いのやや攻撃的な態度にも、いささかも気分を害した様子もなく、退役軍人は両手の平を揃えて相手に向けるおどけた仕草を交えつつ応えると、黒ずくめの男はサレットと面頬の留め金を外し始めた。

「すまないけれど、少し場所を借りるよ」

 律儀にそう一言断ってから、カウンターを傷つけないよう丁寧にサレットを置き、続いて面頬と兜下を隣に並べた。それでも、決して軽くはない、重量感のある音に、槍使いの眉が一瞬動く。

そして、おもむろに紅い色眼鏡を外した素顔を受付嬢に向け、続いて槍使いの方を見やった。

「あ―――」

 目の当たりにした退役軍人の素顔に、受付嬢は、彼が顔を見せることをためらった理由を察し、そして、その明らかに新人とは言い難い経歴が刻まれた顔に、槍使いの目から攻撃的な色が消え、代わりに警戒の色が浮かぶ。

 壮年、という言葉を表すように引き締まった顔。しかし、その顔中に火傷の痕と思しき引き攣れた皮膚がまだら模様のように張り付き、短く刈り込まれた白髪交じりの頭には、幾条かの創傷が刻まれている。そして、本来、人の眼の白くあるべき部分が真っ赤に染まっている。

「いやぁ、お恥ずかしい話ではあるけれど、若いころヘマをしてしまってね。痕が残ってしまったんだけど、あまりにみっともないから、隠すのがつい癖になってしまったんだよ。いやいや、ふたりとも、気を悪くさせてしまったなら申し訳なかったね」

「いや……別にわかりゃいいんだけどよ」

「ほら、登録……の、邪魔、しない……の」

 存外素直に素顔をさらしたことと、詫びの言葉に、やや釈然としない様子で言葉を続けようとした槍使いを、いつの間にか背後に歩み寄っていた魔女がその襟首を掴んだ。

「まだ、冒険の……場所。決めて、ないで……しょ?」

「なっ?おい!話はまだ終わってねぇぞ!?」

「私たち……には、関係……ない話、でしょ」

 そしてそのまま、槍使いは魔女に襟首を掴まれたまま、依頼掲示板まで引きずられていってしまった。

「やれやれ、なんとも元気があって愉快な青年だ。それに、良い女房役もいて、うらやましい限りだねぇ、うんうん」

 傷だらけの顔に、心底楽しそうな笑顔を浮かべてうなずきながら、退役軍人はせわしく瞬きを繰り返しながら受付嬢に振り返った。

「さて、そろそろ眼鏡だけでもかけさせてもらえるかな?御覧の通り、これがないと私の目には、昼間の光はまぶし過ぎてどうにもしょうがなくてね、ハッハッハ」

「あ、す、すみません!どうぞ―――」

「いやいや、こちらこそ、手間をかけさせてしまって申し訳ないね」

「いえ、こちらこそ―――あ、もう兜を被っていただいてもよろしいですよ?今から認識票を作りますから、もう少しお待ちいただけますか?」

「いやいや、何から何まで申し訳ないね。こちらこそ、よろしくお願いするよ」

 どこまでも人の好さそうな言葉に励まされながら、受付嬢は白磁の認識票に尖筆を走らせ、この退役軍人の個人情報を丁寧に彫り込んでいく。

 そして、その頃には、彼の顔は再び黒塗りの装甲と紅い眼鏡に覆われていたが、それでもどことなくうきうきとした様子で、認識票が作られる様子を見守っている。

「どうぞ、こちらが貴方の冒険者認識票になります。大事なものですから、無くさないように気を付けてくださいね」

「もちろんもちろん。うんうん、これで私も今日から冒険者だよ!」

 受け取った白磁の認識票を眼前にかざし、まるで成人したての若者がするような喜びように、受付嬢の頬が緩む。いや、さすがにいくら若くても、ここまで率直にはしゃいでみせる者はあまりいなかっただけに。

 しかし、この大男が持つと、白い認識票が猶更小さく見える。白磁等級での出発となったが、この男の経歴が事実であれば、そう時間を置かずに実績を積み上げ、自身の力量にふさわしい等級に上がるのはそう長くはかからないだろう。

「それでは、早速ですが、依頼を受けてみますか?それとも、どこかの一党に加われるよう紹介をしましょうか?」

「いや、それよりも君、教えて欲しいことがあるんだよ」

 退役軍人に依頼を勧めてみたところ、予想に反して意外な返事が返ってきた。

「このギルドには、初心者向けの訓練所があるという話を聞いたんだけれどね。私も是非、そこに通いたいんだよ」

「訓練所、ですか?」

 正規軍人の経験がある上に、先ほど見た彼の顔に刻まれた戦歴の跡。さすがにトロールとまでは行かなくても、ヘルハウンドくらいなら蹴散らしてしまいそうにも思える、が。

「いやいやいや、勘弁してくれたまえよ、君。こんな年寄りがあんなおっかない怪物に挑んだら、それこそ食べられてしまうよ」

 退役軍人は、その言葉の割には楽しそうに笑いながら大きな体を揺する。にもかかわらず、相変わらず、鎧ずれの音ひとつ立てないのが奇妙といえば奇妙な印象。

 先ほどの歩く動作ひとつにしても、極力物音を立てないようにしているのは、正規軍人としての訓練を受けた成果からなのか。

「戦友を頼りに数頼みの戦しかしたことがないものでね。冒険者としての作法や心構えは、恥ずかしながら何も知らないんだよ。だから、その訓練所で冒険者の作法を勉強をしてみたいんだよ。どうだろう、君?」

「ええ、そうですね、それもいいかと思います」

「うんうん、そうだろう、そうだろう?無知を知る者は、知るを得る。年寄りの手習いかもしれないけど、備えるに越したことはないからねぇ」

それでは、と受付嬢は、訓練所までの道のりを、事細かに退役軍人に説明する。

「ああ、地図は結構だよ。ちゃんと覚えられるし、もしどこかに落としたら大変だからね」

 

 

「………ねえ?」

「なんですか?」

「あの人、なんだろう。いつからいたっけ」

「そういえば………」

 冒険者訓練所で、只人の聖女見習いと、圃人の少女巫術師は、お互いの相方が稽古に励んでいるのを見守るさなか、いつの間に現れたのか、ひっそりとたたずむ黒ずくめの戦士らしき姿に、微かに警戒の色を浮かべる。

「気づいたらあそこにいたんだけど、ずっと稽古の様子を見てるのよね………」

「それにしてもあの人、暑くないんでしょうか………」

 初夏の日差しが降り注ぎ、今の時期に合わせた服装でもやや汗ばむような天気。にもかかわらず、黒塗りのサレットに面頬、肩から羽織った黒いマントにくるまった姿は、どうみても辛そうにしか見えず、見ているこちらまで暑苦しくなってくる。

「新しい冒険者さん―――でしょうか?」

「そうかもしれないけど、何の用なのかな」

「もしかして、新しい指導役―――でもなさそうですね」

 圃人の目は、黒ずくめの来訪者の胸にことさら見せびらかすように下がっている、白い認識票に気づく。

「あの格好で白磁等級………?」

「どうします、声をかけてみます―――か?」

「えぇ………」

 見習い聖女は、おもわず露骨に拒否反応を浮かべたが、少女巫術師の言うことももっともではある。それに、自分たちもいつまでも新人ではない。来訪者に対しての声かけくらいできないで、何が冒険者か。

「うん、そうだよね。それに、重戦士さんや他の人もいるから、いざとなったら大声出して………」

 見習い聖女が、行動の段取りを算段しながら、意を決して立ち上がろうとしたその時、

「そこのお前!そこでなにをしている!?」

 凛とした誰何の声。白銀の鎧に身を固めた女騎士が、ここからでもよく聞こえるほど通る声をあげながら、躊躇なく黒衣の来訪者に近づいていく。

「ね、姐さん………」

「さっすが銀等級、勇気あるわねぇ………」

 用事から戻ってきたらしき女騎士が、ずかずかと黒衣の来訪者に向かって歩いていく様子を、見習い聖女と少女巫術師は固唾をのんで見守る。

 さすがにこの頃には、重戦士と、彼に稽古をつけてもらっていた新米戦士と少年斥候も、異変を察して稽古の手が止まるが、すぐに、『また始まった』といった諦めの表情になる。

「さっきから何をしている、ここに何の用だ?」

「ああ、これはこれは。ここが冒険者の訓練場と教わって来てみたら、なかなか熱の入った稽古をしていたものでねぇ、ついつい見入ってしまったんだよ」

 なにしろ、私も冒険者になりたてなのでね、と言わんばかりに、退役軍人はその巨体を折り曲げ、胸元の真新しく光る白い認識票を、まるで少年が宝物を見せびらかすようなしぐさで女騎士に掲げて見せる。

「なるほど、新人冒険者、というわけか」

「もちろん、そのとおりだよ」

 その歳と装備でか?と言いかける言葉を、女騎士はふいと飲み込む。別に冒険者になるのが、成人したてや歳をごまかした若者ばかりではない。いわゆる食い詰め浪人とされる、元兵士や出奔した騎士というのも珍しくはない。

 だからこそ

この得体のしれない人間に対して、その素性はともかく技量だけでも確認しておかなくては何らない。得体のしれない冒険者といえば、知り合いにもひとりいることはいるが、この目の前にいる黒ずくめは、それとはまた違った方向性の得体の知れなさだ。

「どれ、暇なら私が稽古をつけてやっても良いぞ?」

「君が?」

 女騎士の問いかけに、退役軍人は興味深そうに身を乗り出すと、その威圧的な風体からは予想できない朗らかな声をあげた。

「おお、それなら是非ともお願いするよ、君!」

 何がそんなに嬉しいのか。全く似合わないうきうきとした言葉に、女騎士は小さい嘆息をつく。

「それでは、用意ができたら言うがいい」

「うんうん、用意はもうできているよ。というか、いつでも動けるようにしていなくては、冒険者失格だからねぇ。ハハハハハ!」

「おい、あれって、大丈夫なのか、ホントに………」

「兄ちゃん、あれ、どうする?」

 新米戦士と少年斥候の言葉に、重戦士は『心配するな』と一言返し、女騎士と黒ずくめの動向を注意深く見守る。

 二人に対する稽古につい熱が入っていたとはいえ、先ほどからあの黒ずくめがこちらの様子をずっとうかがっていることは気づいていた。だから、向こうが動けば、即座に対応するつもりだったのだが、

「さて、それでは始めようか」

 そんな重戦士の思惑を知ってか知らずか、訓練場の真ん中に陣取った女騎士は、盾を構え剣を抜く。女騎士とて、ただの面白半分で声をかけたわけではない。兜と面頬だけでなく、色眼鏡までかけて念入りに顔を隠すという、あからさまな怪しさというのが引っかかるが、手すきの自分が動くべきだ、そう思ったからだ。しかし、対する黒ずくめは、武器も見せず、構える様子もない。

「どうした、準備はできているのではないのか?」

「ああ、心配ご無用。分かりづらくて申し訳ないけれど、これが私のやり方なものでね。ハハハハハ」

こいつ、ふざけているのか。女騎士の柳眉が一瞬吊り上がるが、次の瞬間、鋭い打ち込みが飛んだ。

「おお?危ない危ない」

 熾烈な丁丁発止が始まるかと思いきや、黒ずくめは大袈裟な動きで、女騎士が次々と繰り出す打ち込みから逃げるように身をかわす。それはまるで、反抗期の娘に逆襲され、どたばたと逃げ回る父親のように見えなくもなかった。

「どうした!逃げてばかりでは稽古にならんぞ!?」

「いやいや、そうは言っても君、怖いものは怖いよ」

 予想外というか、思いもしなかったその情けなくも滑稽極まる展開に、固唾をのんで見守っていた見習い聖女と少女巫術師だけでなく、重戦士たちも呆気にとられた表情で、その喜劇めいた大立ち回りの様子を見守る。

 もしかしたら、本当に格好だけの見掛け倒し?

なら、どうしてあれだけ大げさに逃げ回っているのに、鎧ずれの音どころか、足音ひとつしない?重戦士は、ないまぜになる思考を無理やり隅に押しやり、それでも注意深く黒ずくめの挙動を目で追った。

「ええい、でかい図体をしてちょこまかと!」

 業を煮やした女騎士が小さく叫び、剣の柄を握りなおす。もう構うものか、鎧の上からならば、打撲か最悪骨にひびくらいは入るかもしれないが、死ぬことはないだろう。

 それに、自分からお願いしますと言っておいて、この体たらく。少し、この黒ずくめの性根を叩き直してやらねばならない。

 瞬間、女騎士の剣先が鋭さを増し、今までとは比較にならない速度で繰り出されたのは、もはや打ち込みではなく、斬撃。

 そして、閃光のような軌跡を描いた切っ先が、退役軍人の右肩に炸裂しようとしたその瞬間、素早く翻した黒マントの裾がまるで生き物のように翻り、手にした長剣ごと女騎士の右腕に絡みついた。

「なっ!?」

 とっさに振りほどこうとした瞬間、女騎士は予想外の剛力で振り回され、地面から足が浮くほどの勢いで体が流れ、視界が急速に横滑りする。

 何とか体勢を立て直そうと勢いに抗うが、その度にさらに容赦ない怪力で軸を崩されるように右へ左へと振り回され、頭蓋ごと脳と眼球を揺さぶられるような衝撃が襲う。

 急激に悪化する状況に、女騎士は必死に相手の姿をとらえようしたその瞬間、一瞬正面に戻った視界に、太陽を背にした黒ずくめが、フランジメイスを逆光の中にかざし、引き絞るように振り上げた姿が目に飛び込んだ。

 そして、紅い眼鏡をことさら異様に光らせながら、自分の顔面目掛けて振り下ろしたフランジメイスの矛先と、数瞬後には西瓜のように砕かれる自分の頭の不吉なイメージ。だが、それでも咄嗟に左手の盾を引き上げたその瞬間、不意に右腕の拘束が解け、女騎士の体は、振り回された勢いそのままに地面の上に転がった。

「くそっ!なんだ!?」

 聖騎士志望とは思えぬ悪態と共に、素早く立ち上がった女騎士は、訓練場の隅へどたばたと大慌てで駆けていく黒ずくめの背中を見つける。

 そして、手元からすっぽ抜け、これ以上ないくらい引きつった顔をした見習い聖女と少女巫術師の足元に突き刺さったフランジメイスを地面からやっとこさ引き抜いた後、ふたりにぺこぺこと頭を下げて謝罪している姿であった。

「なんなんだ、あいつは」

 さらに駆け付けた新米戦士と少年斥候、そして重戦士も加わり、謝罪する相手が増えた黒づくめは、まさに休む間もなく頭を下げ続けていた。

「莫迦々々しい、やる気も失せる」

 その情けなくも滑稽な光景に、女騎士は剣を鞘に納めると、大きくため息を吐き出した。

 

「その様子だと、だいぶ絞られたようだな」

 とぼとぼと訓練場を後にしようとする退役軍人の背中に、女騎士の声がかけられる。夕暮れ時のぼんやりとした空気に浮かぶそれは、まさにたそがれそのもの。

「ああ、君か。先ほどは本当に申し訳なかったね」

 振り返ったその顔は、サレットと面頬、そして紅い眼鏡のせいで表情まではうかがい知れないが、どうやら相当気落ちしている様子だった。

 無理もない、あれだけ嬉しそうに冒険者認識票を掲げ、冒険者となったことを喜んでいたのだ。それが、あんなどうにもみっともない結果に終わったのだから。

「そうしょげるな、怪我人はおらず、知り合いとうちの巫術師が土を被ったくらいで済んだのだからな」

「あの二人には怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳ないことをしてしまったよ。私も、少し浮かれ過ぎていたようだ」

「謝罪は済んだのだろう?もう過ぎたことだ、あまり引きずるな」

「本当に申し訳ない、そう言ってもらえると救われるよ」

 素直に頭を下げる退役軍人に、女騎士は苦笑交じりにその姿をみやる。

「気が向いたらまたいつでもくるといい、ここは、そのための場所なのだからな」

 鷹揚な女騎士の言葉に、退役軍人は謝礼の言葉と共に頭を下げると、また街へ向かって歩き出していた。

 

 

「そう言えば、ゴブリンスレイヤーさん、聞きました?」

「何をだ」

 ゴブリン退治の依頼を受け。依頼先の村から聞き取りをした、ゴブリンの群れが潜む洞窟に向かう道すがら、女神官は傍らを行く冒険者に声をかける。

「最近、新しい冒険者さんがギルドに登録した話なんですけど」

「珍しくない」

 ゴブリンスレイヤーと呼ばれた冒険者の返事は、良くも悪くも端的で素っ気ない。しかし、これはいつものこと。長い付き合いでその言葉の機微を察することができるようになった今となっては、あまり気にならなくなった。

「それが、随分変わった人らしくて」

「そうか」

「見た目は歴戦の戦士そのものなのに、冒険者になってからずっと、下水道掃除ばかりしているって噂になっているんですよ」

「普通だ」

 確かに、彼の言う通り、冒険者になりたてならば、町の地下にある下水道に赴き、大鼠や黒蟲相手に経験を積んでいくのは、なにも珍しいことではなかった。

「そうかもしれませんけど―――なんか、気になりませんか?」

「なぜだ」

「噂だと、もともと王都で軍人さんをしていたそうなんですよ。だから、体もとても大きくて、装備も整っているそうなんです。それに、訓練場で女騎士さんと模擬戦をした時は、結構健闘してて、もう少しってとこまで行ったそうなんですよ」

「そうか」

 女神官の話を聞きながら、彼なりに、頭の中で話をまとめる。

「―――軍人は、基本的に集団で戦う。冒険者のように、両手で数えられる数ではない、数百、数千、戦によっては、数万の部隊もあり得る」

「―――は、はい」

「ひとりでは大したことがない―――とは言わん、要するに、戦い方が違う」

「戦い方―――ですか」

「そうだ」

 ゴブリンスレイヤーは、女神官にそう答えると、この男にしては珍しく、続きを話し始めた。

「冒険者になったら、ひとりで状況を何とかしなければならない時もある。自分自身で考え、行動しなけれならない。そして、その結果と責任は、自分に返ってくる」

「そう―――ですね」

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、女神官は沈痛な面持ちでうなずく。あまり思い出したい記憶ではないが、最初の一党が自分を残して全滅したあの時。ひとり残された自分は、恐怖に怯えるだけで、ほとんど何もできずにいた。

「第一、人間と怪物は違う」

 ぼそりと吐き捨てるような一言。女神官自身にも、十分心当たりのある言葉。祈る者と祈らぬものの間に存在する溝、それは単純に常識で推し量れるものではない。

 愚かなものもいる、狡猾なものもいる、無邪気なまでに残忍なものもいる。ひとつ言えるのは、自分たちの常識で推し量ることのできない存在が、自分達の生きる世界を同じくして跋扈しているという事実。単純に、討伐すべき邪悪なもの、で済ませてしまっていては、容易く足元を掬われてしまう。

「だからだろう」

鉄兜がゆっくりとこちらを向き、女神官をみやる。

「そいつは今、冒険者の流儀、とやらを学ぼうとしてるのかもしれん」

「そう―――ですね」

「それより、奴らの巣に近い、油断するな」

そう言うと、ゴブリンスレイヤーは、すいと前に出ると、帯革に提げた中途半端な長さの短剣を引き抜いた。

 

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