下水道の獣   作:あらほしねこ

2 / 12
半闇狩人

「ふぅむ、ここは確かこうだったから、こうして―――」

 ギルドの酒場で、退役軍人はテーブルの上に書きかけの地図を広げ、記憶が新しいうちに清書する作業に没頭している。訓練所での騒動から数週間ほどして、退役軍人はギルドの依頼を受け、冒険者としての活動を始めていた。

 ただ、今のところは町の地下の下水道に潜り、ひたすら大鼠と黒蟲を蹴散らし、時折、運命の骰子に見放された哀れな若者の亡骸を地上へと運び出す。そんな地味な仕事の繰り返し。しかし、退役軍人は、違う意義、というか楽しみを見つけたようでもあった。

 それが、今、チーズの塊と牛乳のジョッキを傍らに置き、清書に没頭している。それは、地下下水道地図の描き直し。

「おはよう、先生。今日も地図作りですか?」

「やあ、君か。おはよう、これからお仕事かい?」

「まあ、そんなところです。その前に、朝飯でもと思って」

 若い戦士は、退役軍人の向かいに座ると、バターを乗せたライ麦パンをかじりながら、興味深そうに彼自作の方眼紙をのぞき込む。

「だいぶ出来上がってきたじゃないですか」

「ありがとう、それでも、これでまだ半分もできていないんだよ。なにしろ、思っていた以上に広くてね。でも、これはどうして、なかなか書きごたえがあるんだよ。それより君、若いのにずいぶん少食じゃあないか、よければ、このチーズも食べなさい」

「いいんですか、ありがとうございます」

 まるで親戚のおじさんのような、温かい、そしてお節介な退役軍人の言葉に、若い戦士は思わず苦笑を浮かべなから、チーズの欠片をひとつ頂戴する。黒ずくめの鎧兜、黒塗りの面頬と紅い色眼鏡で顔を覆う、何も知らないものが見たら身の危険を感じかねない風体。にもかかわらず、中身は気のいいおじさんそのもの。

 しかも、まだ誰も、この黒づくめの男が素顔を晒したところを見たことがない。話によれば、冒険者登録の時、受付嬢と銀等級の槍使いが、彼の顔を見たというが。

「他の依頼とか、受けたりしないんですか?どこかの一党に入るとか」

「私が?いやいやいや、私なんぞは、馬齢を重ねているだけでまだまだ勉強が必要だよ」

「でも、ゴブリン退治なら、いけるんじゃないですか」

「ゴブリン―――ねぇ、それも悪くはないと思うんだけどね。1匹2匹ならともかく、群れをなしているとなると、ひとりではちょっと怖いねぇ。ただ、今やっている地図作りが丁度面白くなってきた所だから、一区切りついたら考えてみることにするよ」

「そうですか……あ、でも、もしその気があったら、声かけてくださいよ。先生ならいつでも歓迎しますし、手伝いますよ」

「そうかい?それは嬉しいねぇ、それじゃあ、困ったら是非相談させてもらうよ」

「ええ、そうしてください」

「いろいろ有り難う、それじゃあ、気をつけて行ってきたまえ。武運を祈っているよ」

「こちらこそありがとう、先生」

 朝食を食べ終わり、掲示板のあるロビーへ向かう若い戦士の背中を見送りながら、退役軍人はジョッキを手に取り、ちびりと口に流し込む。

「今時、気持ちのいいくらい、真っ直ぐな青年だねぇ」

 歳は若いが、冒険者としては先輩格となる若い戦士。こちらが白磁等級の新米であるにもかかわらず、先生などと望外の呼びかけでいろいろ気にかけてくれる。あの分だと、これまで相当な苦労を積み重ねてきたのだろう。

「さて、こんなものかな」

 机上でまとめられる分を記し終えた地図をしまい、残りの牛乳を飲み干して立ち上がろうとしたその時、また、彼に声をかけてくるものがいた。

「よう、アンタ、まだ生きてたのか」

「やあ、おはよう。今日も元気そうで何よりだよ」

 このギルドの中でも、最強の実力を持つとの誉れも高い銀等級の槍使い。彼は、長槍を肩に担ぎながら退役軍人の顔をのぞき込む。

「また下水道掃除かよ?あんたなら、もちっとマシな依頼をこなせるだろうによ」

「ハハハ、さっきも同じことを聞かれたけど、私なんてまだまだだよ。それに君、下水道の探索も、これでなかなか面白いものだよ?」

「なんだよ、あんたも一つの仕事にこだわるクチか?見た目もそうだが、アイツみてぇなこというのな」

「アイツ、とは誰のことだい?」

「聞いたことねぇのか、ゴブリンスレイヤーって奴で、このギルドじゃちょっとした有名人さ。あいつも、口を開きゃあゴブリン、ゴブリンと、そればっかだ」

「ほぉう?なかなか面白い人がいるものだねぇ」

「面白いっつぅか、あそこまでいくとただの変人だぜ」

「なるほど、なるほど」

 ゴブリンスレイヤー

 槍使いが口にしたその名前に、退役軍人は興味深そうに紅い眼鏡を光らせる。話を聞くところによれば、ゴブリンを駆逐することだけにひたすら血道をあげる男。

 そして、彼に救われた村や虜囚の話は、枚挙にいとまがないということ。そして、その功績が評価され、在野の冒険者において最高評価ともいえる、銀等級に上り詰めたということ。

「あんた、まだあいつを見たことないのか?」

「まだそれらしき青年に会ったことはないねぇ、行き違いなのか何なのか。しかし、そう聞くと、是非話をしてみたい気になってきたねぇ」

「一度見てみるのをお勧めするぜ、なにせ、ぱっと見リビングメイルみてぇな奴だからな。まあ、そういうあんたも、首を小脇に抱えてりゃ、デュラハンと勘違いされそうだけどよ」

「いくらなんでもそれは無理だねぇ、首を外したら死んでしまうよ」

「だから冗談だっつうの、真に受けんなよ」

「いやはや、これは失敬々々、ハハハハハ」

 呆れたような槍使いの言葉に、退役軍人は楽しそうに笑い声を弾ませる。

「まあ、それはともかく、年寄りの手習いのようなものだから、大目に見てくれると嬉しいね」

「まあ、いいけどよ」

 その威圧的な容貌にも関わらず、よくしゃべり、よく笑う。常に鉄兜と面頬、そして、本人は狂った視力を補助するためという紅玉色の色眼鏡で顔を覆う。

 確かに、以前見せた素顔の有様から言えば、あまり衆目に晒したくないというのもわからなくもない。

「それにしてもアンタ、いつも楽しそうだよな」

「それはそうとも、まだまだ駆け出しだが、冒険は楽しいよ。君は、楽しくないのかい?」

「んなわけねぇだろ、だいたい俺が―――」

「ほら……先生、の、邪魔……しない、の」

「ぬあっっ!?」

 退役軍人に詰め寄ろうとした槍使いは、不意に襟首を掴まれて驚きの声を上げる。

「別に邪魔してるわけじゃねぇだろ、俺はな―――!」

「ごめん……なさい、ね?先生、騒がしく……しちゃって」

「いやいや、とんでもない。賑やかで楽しかったよ、どうか気にしないでくれたまえ、ハハハハハ」

 魔女に引きずられていく槍使いに手を振りながら見送った後、退役軍人は、依頼が張り出された掲示板の方を見やる。

「さて、まだ子供たちがまだ選びあぐねているようだし、もう少し様子を見てからにしようかな」

 一応、冒険者に登録できるのは15歳を過ぎた成人とはいえ、退役軍人から見れば、まだまだ子供。そんな彼らに向いた仕事を、自分の都合で持っていく気はない。

(いざとなれば、無報酬でもかまわない、自主的に出かけるまでさ)

 大方の依頼はベテランが持って行ってしまった後の掲示板の前で、ああでもない、こうでもないと騒がしく悩んでいる若い冒険者たちの姿を微笑ましく眺めながら、退役軍人は、のんびりと構えることにした。

「それにしても、なんで私は、『先生』と呼ばれるんだろうねぇ?」

 流石に悪い気はしないが、いつの間にか定着してしまった自分のあだ名に、いろいろ思いを巡らせながら、退役軍人は通りがかった獣人給仕に食後のお茶を注文すると、朝の陽ざしにくるまるようにくつろぎ始めた。

 

 

 投石紐から振り抜かれた礫が、大鼠の頭蓋に当たりその脳漿を飛び散らせる。しかし、それは下水道の通路を塞がんばかりに集まった内の1匹に過ぎない。そして、自分の腰に提げた帆布の袋に残った礫は、もう片手で数えられるほど。

 地下下水道の区画の隅に追い詰められた新米冒険者は、目尻に涙を浮かべ、恐怖で引きつった表情で、それでも、帆布の袋から残り少ない礫を手に取り、投石紐に絡めるや自分に向かって跳びかかるそぶりを見せた大鼠の眉間に礫を叩き込んだ。

 もう、ここでお終いなのだろうか。

 新米冒険者は、今すぐにでも泣きわめきたい気分をどうにか飲み込み、暗闇の中から押し寄せる大鼠の群れをにらみつける。

 食って、寝て、生殖のことしか頭にないような、嫌悪しか感じない畜生共。それは、自分を追い出した村の連中の顔と重なって見えた。

 また飛びかかろうとした奴に一発。そして、また一発。そして、袋の中の礫は尽きた。当然、投げた礫は大鼠の群れの中。拾いに行くなど到底無理な話。

「馬鹿にするな……馬鹿にするな………っ!」

 新米冒険者は、覚悟を決めて帯革の鞘から小刀を抜き逆手に構える。その寸鉄が、この哀れな若い冒険者に残された最後の武器。

 そして、もはや絶望しか感じられない大鼠の群れが上げる、嘲弄のようにも聞こえる鳴き声が下水道の壁に反響し、たちの悪い耳鳴りのように頭の芯に響く。

 どうして自分がこんな目に。自分は誰にも、何も迷惑なんてかけていなかったはずだ。ただ、あの山奥の村で、細々とではあっても、父の墓を守りながら、猟師として生活できればそれ以上何も望まなかったのに。

 それが、村を追い出された後は、誰も雇ってなどくれず、見ず知らずの人間に体を売る勇気も無く、生きるための日銭を得るため、冒険者の登録をしたあとは、真っ暗な下水道の中で、異臭と汚物にまみれながら大鼠や黒蟲を殺し、僅かばかりの報酬を得てのその日暮らし。

 しかし、それももう、今日で終わりだろう。唯一の武器だった礫と共に、自分の命運も尽きてしまった。

「お父さん――――――」

 絞りだすような声で、今は亡き父を呼ぶ。そして、それを嘲笑うかのように、大鼠の群れは、一斉に飛びかかり新米冒険者の全身に食らいついた。

 必死に振り回す小刀で、飛びかかる大鼠を切りつけ払いのけようとするが、もはや哀れな獲物にしか過ぎない人間に対して、大鼠の群れはその数を頼りに押し寄せまとわりつき、牙を突き立てた。

「畜生、畜生っ―――!!」

 無我夢中で小刀を振り回し、必死に抵抗する新米冒険者の血塗れの手から、最後の頼みの綱だった小刀が滑るように払い飛ばされる。

 そして、一斉に群がり集る大鼠の爪や牙が全身を食いちぎろうとする激痛と、きぃきぃと耳障りな大鼠の鳴き声が、新米冒険者の感覚を塗りつぶしていった。

「うあっ!うああっっ!!」

 石床の上を汚物にまみれながら転げまわり、皮膚を裂かれ、手足の肉を喰い千切られながら、全身を苛む激痛に悲鳴を上げ、それでもなお、拳で、蹴りで、必死に悪足掻く。

 しかし、武術の心得などないその抵抗は、新鮮な血肉を前にした大鼠たちにいささかの痛痒も与えられない。喉笛に食らいつこうとする大鼠の顎を両手で押さえつけ、血だるまになりながら必死にもがく新米冒険者の表情が、あるものを見つけ一気に凍り付く。

 暗闇の中に浮かび上がる、二つの紅い目。

 ああ、死神が来たんだ。新米冒険者は自分の最期を悟り、生まれて初めて見る『死神』の姿に、くしゃりと表情をゆがませた。

 もう、本当にお終いなんだ。

 四方八方から大鼠に噛みつかれる激痛の中で、新米冒険者は涙を滲ませながら諦めの溜息をつく。そして、大鼠の牙を押しとどめていた両手から力が抜け、黴菌まみれの牙がその細い喉笛に届こうとしたその瞬間、鈍い打撃音と、鋭い鳴き声と共に降りかかる生暖かい血の匂いと同時に、大鼠を押し返していた両手の力が軽くなる。

 弾みで石床の上に転げると、朦朧とする意識の中で、暗闇の中に紅い目を揺らめかせながら、手にしたフランジメイスで次々と大鼠を殴り飛ばしていく黒装束の死神の姿を目で追いかけた。

 死神がメイスを一振りする度、只人の子供ほどもある大鼠は、文字通り弾き飛ばされ、石壁に激突し脳漿をまき散らすものや、致命傷を負ったまま水路に転落し、そのまま汚水の中へ沈んでいく。

 そして、ぐしゃり、という中身の詰まった革袋を叩き潰すような音を最後に、あれだけうるさかった大鼠の鳴き声と気配が消える。

「君、生きているかい?」

 あれだけいた大鼠すべてを鏖殺した死神が、自分に向かって話しかけてきた。新米冒険者は朦朧とした意識の中、どこか夢うつつな気分になりながらその声に答える。

「はい……でも、もうすぐ死にます。お願いです……どうか、お父さんの所に連れて行ってください……お願いします」

 新米冒険者の最後の願いに、死神は困ったように小首を傾げた。

「それは困ったねぇ……ともあれ、話は後でゆっくり聞くとして、まずはこれを飲みなさい」

「はい………」

 素直に返事をした新米冒険者の口の中に広がる液体の感覚。しかし、すでに全身の感覚が麻痺し始めて味までわからない。なんだろう、これが死に水、というものなのだろうか。

「それと、これも」

 再び、唇に冷たい硝子の感触があたり、これも、新米冒険者は素直に飲み込んだ。そして、一瞬じんわりと体が温かくなったような気がしたが、それ以上に、抗いきれない睡魔が沸き上がってきた。

「もう大丈夫だよ、さあ、帰ろう」

 ふわりと抱きかかえられた感触、そして、音もなく闇の中を進んでいく気配。ああ、これでやっと、お父さんに会えるんだ。緊張の糸がぷっつりと途切れた新米冒険者は、奇妙な安心感と共に、意識を失った。

 

 

 新米冒険者が目を覚ました時、見覚えのない天井が目に映る。柔らかい枕、洗濯したての香りがするシーツと毛布の匂い。

 まだぼんやりとする意識で、ここは天国なのだろうかと考えた。もっとも、自分が、天国に行けるような人間かどうかは知らないけれど。

 あの地下下水道での乱戦が夢か何かであったかのように、全身の痛みは消えている。毛布の中から持ち上げた腕には、あれだけ手酷く大鼠に肌や肉を食いちぎられたはずなのに、傷らしい傷は残っていない。

 誰かが助けてくれたんだ。

 そう理解した新米冒険者の頭の中で、安堵の気持ちと同時に、父の元へ行きそびれてしまった心残りがないまぜになる。そんな彼女の思いに割り込むように、扉をノックする音が響いた。

 現実に引き戻された気持ちと共に、落ち着かない返事をすると、鈴を転がすような声と共に、地母神の神官装束に身を包んだ、まだ少女ともいえるような若い神官が入ってきた。

「お休み中失礼します、お加減はいかかがですか?」

「あ……はい」

 透けるような白い肌、きらきらと輝く金色の髪、磨き上げた碧玉のような青い瞳。そして、小さく可愛らしい丸い耳。どれもが羨ましく、そして、美しい姿。それにひきかえ、自分ときたら。

 泥炭を擦り付けたような黒い肌、蜘蛛の糸のような鉛色の髪、雨ざらしの真鍮のような黄褐色の目、そして、中途半端に尖ったいびつな自分の耳に比べれば、なんと美しく、溜息が出そうになることか。半闇人の新米冒険者は、羨ましさと情けなさがないまぜになって、女神官の姿から目をそらす。

「あの、お見舞いのお客様が来ているんですけれど、ご案内してもよろしいですか?」

 女神官の遠慮がちながらも丁寧な呼びかけに、半闇狩人はやや戸惑いながらも、なんとか小さくうなずいて、了解の意思を示した。

「そうですか、良かった。あの、どうぞお入りになってください」

『うん、ありがとう』

 扉の外から聞こえてくる、聞き覚えのある声。まさか、死神が自分の見舞いに?いや、そんな馬鹿なことがあるはずはない。自分は、他の冒険者に助けられ、そして、地母神を奉る神殿に運び込まれたのだろう。

 そんなことを考えながら、柔らかな笑みを浮かべている女神官が、身だしなみの仕上げにと顔に浮かんだ寝汗を手ぬぐいで拭い、櫛で髪の乱れを整えてもらっている自分が、どうにも分不相応な気がして、少し居心地が悪くなる。そして、声の主が、音もなくのっそりと部屋に入ってきた。

「やあ、おはよう。具合の方はどうかな?」

 黒い兜と鉄仮面、そして、念入りに顔を隠すかのような紅い色眼鏡。鎧を着こんだ上から羽織ったマント。とにかく、身に着けているものすべてが黒い。

 その一目見たら忘れられないような姿は、間違いなく、地下下水道で見たあの黒ずくめの死神だった。

「あの、それでは、私はこれで失礼します」

「ああ、君、ちょっと待って」

 空気を読んで退出しようとする女神官を、黒ずくめの死神が呼び止め、その手の平に金貨の詰まった小袋を手渡した。

「あ、あの、御布施についてはもう十分頂いておりますので……!」

「いと慈悲深き地母神様の御加護が、これからもこの子にありますように。是非とも、君からも祈ってやってはくれないかい?」

「は……はい、わかりました」

「ありがとう、君。それじゃあ、引き留めてしまって申し訳なかったね」

 丁寧に一礼して退室する女神官を見送った後、黒ずくめの死神は、傍らにある椅子を引き寄せるとそれに腰掛ける。しかし、想定外の重量に抗議の悲鳴を上げる椅子の様子に、一瞬困った様に小首をかしげた後、残念そうな様子で立ち上がった。

「やれやれ、やはり、軽装で来るべきだったかな。お嬢さんの目の前で、壊れた椅子ごと床に転げては、どうにも格好が悪いからねぇ。申し訳ないけれど、君、このままで勘弁してもらえないかな」

「は、はい。あの……もしかして、あなたが助けてくれたんですか………?」

「うん、そういうことになるのかな。ともあれ、今回は間に合うことができて良かったよ。如何に冒険者の宿命とはいえ、前途ある若者の御遺体をお送りしなければならいというのは、どうにもやるせないものだからねぇ」

 しみじみと呟く黒ずくめの死神は、その紅い色眼鏡の奥からじっと視線を向ける。

「傷も目立たないようで何よりだ、私のように、焼きそこなったソテーのような顔になってしまったら残念だからねぇ」

 面頬の奥で、ひとり可笑しそうに笑った後、黒ずくめの死神は、やはり立ったままでは具合が悪いと見たのか、静かに半闇人の少女の枕元に目線を合わせるように、膝をついて身をかがめた。

「だからと言っては何だけれどね、申し訳ないけれど、同じ冒険者のよしみで兜はつけたままで勘弁してくれないかい?」

「でも……少し、怖い……です」

 その、どこか気さくな雰囲気に引きずられてしまい、つい口をついて出てしまった正直かつ不用意な感想を前に、黒ずくめの死神は、不意を突かれたような視線を紅い色眼鏡越しに向ける。そして、そんな彼の様子に、半闇狩人は調子に乗り過ぎたと身を固くする。

「ハハハハハ、これは一本取られてしまったねぇ。でも、元気が戻ってきたのなら嬉しいよ、うんうん」

 しかし、半闇狩人の素直すぎる感想に黒ずくめの死神は楽しそうに笑い、面頬越しに嬉しそうな声を向けると、何度もうなずいた。

「いいよいいよ、君の言う通りなんだから」

 見た目によらず気さくで温厚な言葉に、半闇人の少女は心の中でほっと胸をなでおろす。

「ところで、不躾なことを聞くようだけれど、君は闇人なのかい?」

 黒ずくめの死神の率直な問いかけに、半闇人の少女は、ぎくりと表情をこわばらせる。

「いやいや、誤解のないよう言うけれど、君の生い立ちをどうこう言うつもりはないよ。私も何人か闇人にあったことはあるけど、こんな可愛らしい闇人は初めて見るものだからねぇ。いうなれば、黒檀の姫君、と言ったところかな?ハハハハハ」

 黒ずくめの死神からかけられた思いもしない言葉に、半闇狩人は頬に熱がさすのを感じ、つい顔をそむけてしまう。そして、雰囲気に流されてしまいかけたものの、半闇狩人は、この冒険者に言わなければならないことを思い出した。

「ああ、御免、御免。年寄りになると、つい思ったことが口に出てしまっていけないねぇ。気を悪くしたなら、謝るよ」

「いえ……わたしは大丈夫です、それと……助けてくれて、ありがとうございました」

「やあ、どういたしまして。それと、君に伝えておきたいことがあってね、それで今日はお邪魔したんだよ」

「な……なんで、しょうか………?」

 もしかして、神殿に寄進した立て替え代の請求だろうか。もしそうだとしたら、そんなお金なんて、持っているわけがない。半闇狩人は、毛布の下で、全身をぎゅうと固くする。

「お父さんの所に連れて行って欲しいということなんだけどね、君にもいろいろ事情があるのだろうけれど、私には少し荷が重い。

 でもね、ここで知り合ったのも何かの縁だ、元気になったら、冒険者ギルドの酒場にくるといいよ。朝と夕方はだいたいそこにいるからね、及ばずながらだけど、私もできる限り力を貸すからね」

「え………?」

「事情が分かれば何か力になれるかもしれないが、今、私からあれこれ聞くのもあまりいいことじゃないからね。君が私に話してもいいと思ってくれたら、その時に相談してくれたらいいよ。ああ、それから、神殿への寄進のことは心配しなくていいから、しばらくゆっくり休んでいきなさい。慈悲深き地母神の奇跡でも、さすがに体の芯に根を張った疲れまでは癒すことはできないからね」

 思いがけない言葉に、呆気に取られている半闇人の少女に、黒ずくめの死神は鷹揚にうなずきながら、静かに立ち上がった。

「ともあれ、君とまた話ができてよかったよ。さて、これ以上休養の邪魔をしては体に障るし、私はこれで失礼させてもらうよ」

「は……はい、本当にありがとうございます」

「どういたしまして、では、また会えるのを楽しみにしていからね」

 すうと立ち上がり、現れた時と同様、靴音ひとつ立てず部屋を去っていくその姿を見送りながら、半闇人の少女は、もしあれが本物の死神でも構わない、と思った。

 いつしかぶりに感じる、安堵の感情。それに身を任せるように、彼女はもう一度柔らかい枕に頬をゆだねる。そして、全身をじんわりと伝わってくる微かに痺れるような感覚に、毛布の下で子犬のようにきゅっと体を丸くした。

 

 

「でも、びっくりしちゃいました」

 いつもの酒場で、いつもの面子と夕食を囲む席で、薄めた葡萄酒を口にしながら、女神官は小さく息をつきながら戸惑ったような笑みを浮かべた。

「地下で拾った瀕死の新米冒険者のために、金貨一袋をポンと寄進。しかも、お互い白磁等級ときた、っちゅうんはの」

「ふむ、なかなか出来ることではありませんな」

 女神官の話に、鉱人道士と蜥蜴僧侶は、それぞれ呆れ半分驚き半分といった表情でうなずいている。

「そして、見舞いついでに、心づけの追加ときたってか」

「あっ、い、いえっ、それはちゃんと神殿にお納めしましたよっ!?」

「冗句じゃ、冗句。ちゃんとわかっとるよ」

「まったく、これだから鉱人は品がないのよね。この子がネコババなんてするわけないでしょ」

「かあっ!だから冗句と言うとるだろがい!いちいち揚げ足とらんと気が済まんのか、耳長の!」

 妖精弓手に言葉尻をつつかれ、面倒くさそうに、しかし、どこか楽しそうに言い返す鉱人道士の様子を眺めながら、蜥蜴僧侶は蕩けたチーズをたっぷり乗せたローストミートを口一杯に頬張りながら、至福の表情を浮かべる。

「いずれにしても、慈悲深き御仁ではありましょうや。祈る者として、冒険者として、かくありたいものですなあ」

「まあ、そうなんだろうけど・・・ね」

「おや?野伏殿は、まだなにかおありかな?」

「別にそういうんじゃないんだけど」

 妖精弓手は、サラダの小エビをフォークで突きながら、視線を宙に向ける。

「一党の面子でもない、通りすがりの冒険者が、ピンチになった赤の他人を助けるってのは、まあ、わかるとして………」

「わかるとして?」

「金貨一袋を惜しげもなく寄進って、ちょっとそれってどうなんだろうな、って」

「ふむ」

「つまり、そいつに何か下心があったといいたいんか?耳長は」

「ちょっと、言い方。でも、まあ……そうかも」

「なんともまあ、お前さんも、大概只人社会の空気に毒されてきとるようだの」

 とは言え、妖精弓手の言い分もいちいちもっともなこと。これが銅等級や銀等級の冒険者がしたことなら、それは率直に、そしてよくある美談として一時の話題にはなるだろう。しかし、白磁等級の冒険者の場合、世間からの受け取られ方は、どう贔屓目に見ても良いものとは言い難い。

「まあ、確かに、人となりに問題のある御仁もおりますが故、白磁等級の冒険者に対する目は、おのずと厳しくもなるでしょうなあ」

 蜥蜴僧侶は、妖精弓手の意見に一定の理解を示す。

「されど、かの御仁、噂に聞けば王都で軍人をしておられたのこと。恐らく、退役した後の転職先に冒険者を選んだ、ということも考えられますなあ」

「はい、確かに、そんな感じの雰囲気でした」

「然り、出自が農家の三男坊であれ、精強なる近衛兵であれ、ひとたび冒険者を志した以上、白磁からの出発は不変の理。人格能力の差はあれど、出発点は皆一緒。とはいえ、かの御仁の今後の活躍を見ないことには、流石になんとも言えませぬなあ」

「なんじゃ、結局そこに落ち着くんかい」

「然り、然り、なにせ、かの御仁の与り知らぬ場で、かような話題で盛り上がること自体、当人からしてみればいらぬ御世話、益体なき余興でありますれば」

「まあ、それもそうよね……って、そんなことより、オルクボルグはどうしたのよ、今日は夕食一緒に食べるって約束したじゃない!」

「まあそういきりたつでないわい、耳長の。かみきり丸にだって都合があるんじゃ、いつものことじゃろうが」

「それはそうだけど………」

 まるで子供のような不貞腐れ方をする妖精弓手に、鉱人道士はあきれたように鼻を鳴らしながらも、妖精弓手のジョッキに薄めた葡萄酒を注いでやる。

「明日は休みだからって、飛ばし過ぎじゃい、耳長娘。かみきり丸が約束したなら、必ず来る。わしらはそれを待つ、それでええんじゃい」

 鉱人道士になだめられ、妖精弓手はなにやらぶつぶつこぼしながら、ちびちびとジョッキを傾ける。

「遅くなった」

 ぶっきらぼうな言葉と共にあらわれた、安っぽく、古びた鎧に身を包んだ冒険者。彼は、いつの間にか、彼ら一党が陣取るテーブルの傍らに現れる。

「おーそーいっ!オルクボルグ!駆け付け三杯だからね!?」

「そうなのか」

「そうよ!覚悟しなさい!!」

 待ち人来る。勢いを取り戻す妖精弓手の声、鉱人道士の笑い声、好物のチーズ料理を頬張る蜥蜴僧侶。そして、女神官の苦笑交じりの溜息。一党の頭目を迎えた冒険者たちの宴席は、騒々しくも、温かい喧騒に包まれた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。