下水道の獣   作:あらほしねこ

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白磁の師弟

「やあ、おはよう、お嬢さん」

 早朝の冒険者ギルド、始業時間きっちりに現れた退役軍人は、何重にも重ねて厳重に梱包した麻袋を片手に、カウンターの向こうの受付嬢と朝の挨拶をかわす。

「先日の依頼の報告をしたくてね、今は大丈夫かな?」

「はい、どうぞ!それで、今回はどこまで進みましたか?」

「そうそう、これが一番新しい分の地図になるね。それと、これは誰か男の人を呼んでもらっていいかな」

 そう言うと、退役軍人は、手にしていた麻袋を遠慮がちに見せる。二重三重にした上に、石灰を詰めて臭いや汚物が漏れないようにしているとはいえ、大鼠の尻尾や黒蟲の牙が入った袋を、これぞ首級でござい、と、うら若き女性に手渡すのはどうにも気が引ける。

「いつもすまないね、君。申し訳ないけれど、よろしくお願いするよ。ああ、石灰が入っているからね、吸い込まないよう気を付けて」

 ギルドの男性職員に麻袋を渡した退役軍人は、彼に丁寧に礼を述べた後、気を取り直すように油紙に包んだ地図をカウンターの上に広げた。

「これは……だいぶ範囲が広がりましたね」

「そうだろう?しかも、大鼠や黒蟲の群れが大きくなっている。現に、若い子がこの辺りで大変なことになっていたし、かなり古い御遺体もいくつかあったんだよ。おせっかいかもしれないけれど、もし子供たちがこの辺りまで行くつもりなら、一応注意喚起はしておいた方がいいかもしれないねぇ。一応、これから清書してから提出しようと思っているんだけどね」

「わかりました、でも……本当によろしいんですか?」

「うん?なにがだい?」

「こういうことを言うのもいまさらですけど、先生が苦労して作った地図を、無償で配布させてもらってることですよ」

 受付嬢は、まだ清書前だという地下下水道の地図に目を落としながら、遠慮がちに尋ねる。その地図にしても、ただ通路が描かれているだけでなく、様々な注意書きが丁寧に記されている。

 当然、字の読めない者が見ても理解できるように、命に係わるであろう危険を感じさせる絵柄を書き加えることも忘れていない。なんならこのまま受理してもいいくらい、この男の人柄が伝わってくるような版面。

 地下下水道の構造に関しては、当然、ギルドでも把握している範囲での地図は用意している。しかし、大抵の冒険者は、大鼠や黒蟲の退治で手一杯。詳細な更新情報を書き留めて提出してくれる冒険者は、いないことはないが、あまり多くない。そも、そんな余裕がある冒険者は、わざわざ実入りの少ない下水道になど潜りなどしない。

「ああ、そのことかい?いやいや、まったくかまわないよ。私が好きでやっていることなんだからね。却って、こうして受理してくれるだけでもありがたいよ」

「そ、そうですか?」

「そうとも、それにね、自分の足元がどうなっているか、それを常に知っておくことは大事なことだと私は思うんだよ」

「え………?」

「ギルド職員に対して、今更言うことではないかもしれないけれどね」

 退役軍人は、断りを入れるかのように言葉を一区切りさせた後、受付嬢の目を真っ直ぐに見ながら問いかけた。

「日が差さぬ場所、暗闇に満ちた場所は、祈らぬもの達の絶好の隠れ家だよ。そんな場所をいくつも見てきたものだからね、ついいらぬお節介をしてしまう」

「は、はい………」

 退役軍人の、彼自身の経験に基づいているのであろういつになく真剣な言葉に、受付嬢は少し気圧されたようにうなずく。

「まあ、なにもなければそれが一番いいんだけれどね。年寄りの気苦労ですめば、それに越したことはないんだからねぇ、ハハハハハ……あっ」

 何かに気が付いたのか、退役軍人は急にそわそわと慌てだすと、受付嬢を急かすように話しかけた。

「どうやら、のんびりし過ぎてしまったようだよ。君、申し訳ないけれど、報告内容の確認をお願いできるかい」

「え?あ、はい。それでは、大鼠11匹、黒蟲9匹を退治、重傷を負った冒険者を救出。特記事項は別紙参照……はい、これで問題ありませんね。それでは、こちらが報酬になりますね」

 同じ下水道掃除でも、他の白磁等級の倍の仕事量と精度。それでも、彼は、それが当たり前のように仕事をこなし、そして、他の新人の仕事を圧迫しない気配りを忘れない。それでも、未だ下水道探索にこだわるのは、余程慎重な性分なのか、それとも、他に理由があるのか。しかし、それは本人の口から語られない以上は、無意味な憶測でしかない。

「先生、お疲れさまでした」

「うん、ありがとう。ではまたお世話になるよ」

 報酬の金貨1枚を丁寧に押し頂くように受け取り、感謝の意を示した後で、珍しく急いた様子でカウンターを離れようとした退役軍人の前に現れたのは、槍使いの冒険者。

「よお、あんた、まだ下水道探検を続けてんのか?」

「やあ、おはよう。それと、君。申し訳ないけれど、その話はまた後でいいかな」

「はあ?アンタ、何慌ててんだよ」

「いやいや、そう言うわけではないのだけどね」

 この槍使いの青年も、悪い人間でないことは十分理解している。しかし、たまにやや面倒臭い時がある。特に、今回のように、特定の人物と会話を交わした後は特に。

 だが、今だけはどうか勘弁してほしいとつくづく思う。退役軍人は、先ほど見えた、見覚えのある姿を探そうとして、いつの間にかそれが間近に来ていたことに気が付いた。しかし、

「あん、誰だお前?」

「――――――――」

 敵意に満ち満ちた表情で、槍使いの青年を無言で睨みつける半闇人の少女。その金色の瞳は、獰猛な狼を思わせる眼力で真っ直ぐ槍使いを射抜くが、当然、そんなことでひるむような槍使いでもない。

「俺になんか用かい、お嬢ちゃん」

「お前に――――――!」

 そう言われる筋合いなんかない、そう叫びかけた半闇狩人の気勢は、ことさら陽気に向けられた退役軍人の言葉で遮られた。

「やあ、君か!もう起きてきて大丈夫なのかい?いや、もっと休んでいた方がいいんじゃないかと思っていたんだよ」

「お、お師匠様、でも、こいつは――――――!」

「こらこら、人様に対してそんな言葉遣いはいけないなぁ。大丈夫、彼は私の知り合いなんだから、ちゃんと行儀よくしないといけないよ?」

「は、はい……ご、ごめんなさい、お師匠様」

「ということなんだよ、君。見てのとおり先約があるものだからね、申し訳ないけれど、これで失礼させてもらうよ?」

 予想外の光景に鼻白みながらも、槍使いは面倒くさそうな表情でふたりに視線を向ける。

「ああそうかよ、邪魔して悪かったな、“お師匠様”」

 ようやく状況を理解した槍使いは、やや皮肉交じりの言葉を退役軍人に向けるが、その瞬間、再び半闇狩人から親の仇の如き物凄い形相で睨まれた。

「だから駄目だっていっているのに、君はもう。それじゃあ、また今度」

 これ以上状況を悪化させないよう、半闇狩人の手を引いてそそくさと酒場へ向かう退役軍人の背中をいぶかしげに見送っていた槍使いは、いつもよりかなり強く、魔女の杖で頭を小突かれた。

 

 

「いやあ、さっきは驚いたよ。君、さっそく来てくれたんだね」

「はい……あの、ご迷惑じゃなかったですか……?」

「何を言っているんだい、またこうして会えて嬉しいよ、本当に良く来てくれたね」

 また会えて嬉しい。そんな退役軍人の言葉に、半闇狩人は全身が熱くなるのを感じ、もじもじと体を揺する。そんな彼女を丁寧にエスコートして、いつもの酒場の片隅に席を取り、向かい合うように腰を下ろした退役軍人は、数日ぶりに再会する若い半闇人の冒険者を改めて出迎える。

 そして、目の前の彼女の姿に、自分が望んだとおり、寺院はこの半闇人の少女に対して、きめ細かく身の回りの世話をしてくれたことに感謝する。

 無残に引き裂かれた衣服は可能な限り繕われていたし、髪や肌も清められ、年相応の艶を取り戻し始めている。

 しかし、それでも褐色の肌を通してでさえ容易に見て取れる、目の下に濃く浮かぶくまや、ひび割れて荒れた唇、痩せこけた頬の様子から、これまで相当過酷な生活を送ってきたのであろうことは容易に想像がついた。

 まだ若そうにみえるけれど、これは、相当苦労してきたようだねぇ。

 退役軍人は、ため息交じりに心の中で呟きながら、自分の向かいでおどおどとした様子で座っている半闇人の少女をみやる。

 彼女は今、いくつくらいなのだろう?

 ふと、頭の中をよぎる考え。只人とは違い、森人や闇人の年齢は見た目では及びもつかないことはままある。さっきから感情豊かに動く、控えめに尖った可愛らしい三角形の耳は、純粋な闇人ではなく、いくらか只人の血が流れているからだろう。

 あどけなさと端麗さが同居する彼女の容姿は、成人したての只人の少女そのものなのだが、いずれにしても女性としての気遣いは必要とするところだろう。

 しかし、なによりも優先させなければならないことを思い出した退役軍人は、半闇人の少女の顔を覗き込みながら尋ねた。

「それより、君、朝ご飯はもう食べたのかい?」

「あの……すみません、起きてすぐここに来たので………」

「ううん、それはちょっと良くないなあ。朝食は一日の基本なんだからね、でも丁度良かった。私もこれから朝食をとろうと思っていたからね、一緒に食べようじゃないか」

 退役軍人の言葉に、半闇狩人はきまり悪そうにもじもじとうつむくと、もごもごと口の中で呟いた。

「あの……その……ごめんなさい、お師匠様。わたしは、大丈夫ですから………」

 世話になった寺院にいとまを告げた後、さっそく冒険者ギルドを訪れたまでは良かった。しかし、今まで食うや食わずの生活をしていた自分に、酒場で朝食を頼めるほどの持ち合わせなど、持っているはずもなく。

「ねえ、君?あの時、何も心配いらないと言ったじゃないか。ともあれ、私に任せておきなさい。だいたい、年寄りの使い道はそれくらいしかないんだから」

「あの……でも……」

「ところで、良ければ教えて欲しいんだけれど、私を師匠と呼んでくれるということは、これから私と一緒に冒険をしてくれると思っていいんだね?」

 期待がこもった退役軍人の言葉に、半闇人の少女はうつむきながら遠慮がちにうなずく。そして、その三角形の耳は、褐色の皮膚を塗り替えるかのように赤く染まっていた。

「じゃあ、決まりだね。弟子にひもじい思いをさせないのは、師匠の務めだからね。本当になにも心配はいらないから、私に任せておきなさい」

 そういうと、退役軍人は獣人女給を呼び止めると、二人分の朝食を注文する。それにしてもこの女給、この酒場全体によく気を配っている。こうして、タイミングを見計らうように、それとなく注文をしやすい位置に来ていてくれるのだから。

「あいあーい、それじゃ、ミルク2杯にゆで卵2個、パスタ盛り合わせに、ササミのサラダ盛り合わせですね!」

「うん、よろしくお願いするよ」

「毎度!」

 そして、獣人女給は、にしし、と笑みを浮かべる。

「それにしても先生、いつの間にこんなかわいい子とお知り合いになったんで?」

「ふふふ、そうだろう、そうだろう?いやいや、実に若返る思いだよ」

「はいはい、ごちそうさまですよ。それじゃ、少々お待ちを!」

 ぱたぱたと厨房へ向かう獣人女給に小さく手を振って見送りながら、退役軍人は楽しそうな声で半闇狩人に話しかける。

「このギルドの人たちは、みんな楽しい人たちばかりだよ。おかげで私もずいぶん助けてもらっているよ。君も今まで辛いこともたくさんあっただろうけれど、これから一緒にがんばってみようじゃないか」

「は……はい!わたしの方こそ、よろしくお願いします、お師匠様!」

 今度こそ、気持ちが溢れんばかりの声と共に、深々と頭を下げる半闇狩人と、嬉しそうにうなずく退役軍人の様子を、厨房のカウンターの前で、獣人女給もなぜか一緒になってうんうんとうなずいていた。

 

 

「ところで、君。これから一緒に冒険をしていくわけなんだから、君のことを教えて欲しいと思うんだよ。ああ、もちろん、私のことも何でも聞いていいよ。なんといっても、私たちはもう仲間なんだからね」

 オリーブオイルと岩塩の粉末、そして細かく刻んだ香草を絡めただけの、質素だが量は存分にあるパスタを大皿からとりわけ、もりもりと頬張りながら話しかける退役軍人に、半闇狩人は戸惑うような表情を浮かべる。

 面頬や兜をつけたままで、食べづらくないのかな。そんなことを考えながらも、彼女は、ちみちみと咀嚼していた口の中の物を飲み込む。

 おいしい

 寺院で供された食事も悪くはなかった。それでも、久しぶりに食べる、塩気のきいた卵や鶏肉の味。なによりも、誰かと一緒に食べる食事。そう意識した瞬間、亡き父と一緒に生活していた思い出がよみがえり、彼女の目の端に、じわり、と涙が浮かぶ。

「ああ、いや、話しづらかったらいいんだよ。すまなかったね、少し調子にのってしまったようだよ」

 慌てた退役軍人の様子に、半闇狩人は、なんとか精一杯笑顔を浮かべながら応える。

「ごめんなさい、ちがうんです……あの、わたしは大丈夫です、お師匠様。それで……ええと、何からお話すればいいですか?」

「そ、そうかい?」

 健気な半闇狩人の言葉に、退役軍人は気を取り直すようにジョッキのミルクを一口飲むと、もう一度彼女に話しかけた。

「そうだねぇ……うん、君は、冒険者になってからどれくらいなのかな?」

 そう、まずは気になっていたこの半闇人の少女の年齢。純粋な森人や闇人ほどではないにしろ、半森人や半闇人も只人にくらべれば長命であり、見た目以上の年齢である場合もよくある話。

 もしかしたら、見た目は幼くても自分と同年代、さては年上である可能性も否定できない。今後の接し方を考えると、年齢とまでは言わずとも、おおよその年代の把握だけはしておきたいところ。

 かつて現役だったころ、新たに配属された新しい軍団員が、てっきり年下の部下かと思っていたら、実は自分よりはるかに年上の半森人だったことがあり、それまでの接し方を顧みて相当泡を喰った記憶があるだけに。

 それに、冒険者は基本、成人してからの登録が原則であるから、そこから大体の年齢は計算できる寸法。率直に尋ねれば、話は早いのだろうが。

 女性に対して年齢の話は失礼だからねぇ、うん、我ながら冴えているじゃあないか。などと、頭の中で自画自賛している退役軍人に、半闇狩人は、おずおずと答え始めた。

「その……去年、成人になったので、その時に登録しました」

 ということは、自分よりはるかに年下であることは確定。退役軍人は、ひとまず安心するように肩の力を抜いた。もっとも、自分より年上であったとしても、それはそれで、いろいろ気を遣わずにすんだわけだが。

 しかし、彼女がぽつぽつと語る身の上話に、退役軍人はその紅眼鏡の奥で眉をひそめていく。最初からある程度想定していたこととはいえ、実際に耳にして心情的に平気でいられるかと言えば、また別の話。

 この街からさらに離れた山岳地方の、とある山奥の村で生まれた半闇狩人。彼女の父親は、その山村の出身で、猟師として生計を立てていたが、魔神王との戦争が始まると同時に徴兵された。

 その後、運よく戦争を生き延びた彼の父親は、戦地で結ばれた身重の妻を伴い、村へ帰ってきた。と、そこまではよくある話。しかし、他と少し違ったことは、彼の妻は闇人だったということ。

 だが、弓兵として戦功を挙げ、戦場から帰還した青年の妻に対して、村としても表立った拒否感は表さなかった。しかし、彼の妻は、子を産んで間もなく病に倒れ、闘病むなしく息を引き取った。それでも、残された父子は、猟師として山野を駆け続け、日々の糧を村にもたらし続けた。

 しかし、ある日遭遇した赤毛の大熊。娘をかばいながら奮闘した父は重傷を負い、どうにか村まで帰り着いたものの、娘の必死の看病の甲斐なく、妻の元へと旅立ってしまった。

 そこからは、退役軍人の想像した通りの話。未だ迷信深く、他種族に対する知識も理解も欠けていた村人達からの、畏怖と嫌悪の目に耐えきれず、身一つで村を出奔した彼女は、日々の糧を得るため冒険者となり、今に至る。

 半闇狩人の身の上話に、退役軍人は、その色眼鏡を外し思わず目元をおさえる。今この場でもしも、を論じても仕方のないこと。しかし、もし、彼女の父が都の住人であれば、こうはならなかったであろう。そんなことを今更論じようと考えようと、もはやどうにもならないことなのはわかっているのだが。

「君……今まで、ひとりで良く頑張ったね」

 退役軍人は、色眼鏡をかけなおしながら、声の震えをなんとか隠しつつ、半闇狩人に言葉をかける。

「でも、大丈夫。これからは私がいるよ。だから、もう何も心配はいらないよ」

 小さく鼻をすすり上げながら、まっすぐに自分を見る退役軍人に、半闇狩人は、思いもしなかった師の様子に戸惑いながらも、はにかむような笑顔でうなずき返していた。

 

 

 ギルドの冒険者訓練所。その敷地の一角にある射的場で、短弓から放たれた矢が小気味よい音を立てて正鵠に突き刺さる。続いてその指一本隣り、そして、その少し斜め上。一度放った矢に当てないように、位置をずらして命中させていくその様子に、退役軍人はその腕前に素直に感心する。

「これは凄い、投石紐の扱いもそうだけれど、さすが猟師だけあって見事な腕前だねぇ」

「あ、ありがとうございます、お師匠様」

 相変わらず、常に一歩引くような彼女の反応に、退役軍人は面頬の奥で苦笑する。彼女はそう言うが、あの時、回収しておいた彼女の装備。特に、その短弓は、見かけのわりに弦や弓柄の予想外の強さに驚いたことを思い出す。

 彼女は謙遜しているが、質実剛健を形にしたようなその弓を、自在に使いこなしているだけでも大したものだ。

「いやいや、これじゃ、私が教えることなんて何もないんじゃないかな」

「そっ……そんなことないです、お師匠様」

 村にいた頃は、猟師だった父と野山を駆け巡り、獣や野鳥を仕留め、生計を立てていた。投石紐の礫一個、弓から放つ矢一本が、自分の命と生活をつなぐもの。外れても仕方ないなどと、いい加減に放ったことは一度もない。

 弓にしても投石にしても、絶対の自信を持っていた。しかし、そこに慢心がなかったとは言えない。現に、それで命を落としかけたのだから。久しぶりに握る短弓を胸にかき抱きながら、半闇狩人は師の称賛にもじもじとうつむいた。

 あの時、地下下水道で落としたと思っていた弓も小刀も、師が回収してくれていた。その上で、新しい装備を勧められもしたが、彼女は修理を選んだ。

 確かに、師が言う通り、射程も威力も数段上の弓は、ギルドの武器屋にまぶしい姿をみせて並んでいた。しかし、彼女の中には、亡き父の教えが今でも強く息づいている。

 遠くから的当てをしたければ、バリスタで象でも撃て。

 はるか遠くから神経をすり減らし、苦労して的を狙い当てる技術よりも、相手に悟られず、必中の間合いまで接近し、確実に急所を射抜け。そんな狩人としての父の教え。

 そしてそれ以上に、この弓は幼い頃、父と共に仕立てた弓。弓柄についた傷ひとつ、しみひとつに至るまで、どんなに金貨を積まれても代えられない思い出がつまっている。

「か、狩りと冒険は違います……それを教えてくれたのは、お師匠様です」

「そうかもしれないね、それでも、君の技は本物だよ。戦だって、二度目、三度目があってこそ、次につなげることができるんだからね。私はね、その手伝いができればと思っているよ」

「はい、よろしくお願いします、お師匠様!」

 だから、そんな柄じゃあ無いんだけどねぇ。退役軍人は、このどこまでもひたむきな半闇人の少女を前に、マントの下で困ったように身を揺する。

 その生まれにかかわらず、御両親に愛されて育てられたのだな。退役軍人は、このまっすぐな心持ちの半闇人の少女を感慨深く見つめる。

「ともあれ、飛び道具の方は、問題はまったくないね。しいて言うなら、取っ組み合いの喧嘩の仕方かな」

「はい、お願いします!」

 半闇狩人は、腰に下げた小刀を取り出す。後でよく聞けば、この小刀、狩人の装備として伝わるもので、山刀として振るうだけでなく、柄が管状になっているため、手ごろな棒切れを差し込むだけで短槍としても使える機能的なものだった。

 しかし、退役軍人は、やんわりとそれを制して鞘にしまわせた。

「そうだね、でも、その前に受け身の練習をしなければいけないねぇ」

「受け身……ですか?」

「そうとも、殴る蹴るを覚えるよりも大事なことだよ。酔っ払い同士が喧嘩をして、たまに酷いことになるだろう?素人の喧嘩ほど、命に係わる危険なものはないんだよ。それはどうしてだと思うかな?」

「力加減がわからないから……ですか?」

「それもあるけどね、他にも何かあるんじゃあないかな?」

 更なる退役軍人の問いかけに、半闇狩人は形のいい小さな顎に手を当てながら、うんうんとしばし考えを巡らせる。そして、退役軍人も、急かすことなく辛抱強く彼女の答えを待つ。

 思考を巡らせる半闇狩人の記憶の中に、村であった酔っ払い同士のいざこざの一部始終を思い出した。あの時は、父が止めに入ったが、その時は―――

「……転んで、頭を打つから……だと思います」

「そう、そのとおりだよ」

 半闇狩人の答えに、退役軍人は満足そうにうなずき、彼女も、そんな師の反応に表情が明るくなり、三角形の耳が躍るように揺れる。

「相手の攻撃を受けた時、運悪く足元を滑らせた時、そんな時は、無理して踏みとどまるより、場合によっては素直に転んだ方がいい時もあるんだ。

 でも、転び方を知らないと、自分の体重と同じ衝撃がまともに伝わる。それだけじゃないよ、転んだ先に石や堅いものがあったとしたら、そりゃあもう、頭や背骨がどうなるか、言うまでもないだろうねぇ」

 退役軍人の答え合わせを、半闇狩人は真剣な面持ちで耳を傾ける。その様子に、退役軍人は安心したように言葉をつづけた。

「素手の取っ組み合いにしろ、武器を使った大立ち回りにしろ、まずはきちんとした基礎あってのものだからね。大樹は、なぜ大樹たり得るか、わかるかい?」

 謎かけじみた師の問いかけに、半闇狩人は、今度も真剣になって考える。師は、自分が全く知らないことは、まず、聞かない。答えはおそらく、自分の記憶の中にある。さっきの問いもそうだったように。探そう、素早く、そして、正確に。

 大樹、なぜ、大樹が大樹たり得るか。

 父と共に、村人総出での開墾に参加した時のこと。幹を切り倒されてなお、深く、広く根を張り、その場から動かすことすらできなかった切り株。

「根っこが……大きいからだと、思います」

「そう、そのとおりだよ。大樹を大樹たらしめるのは、幹の太さでも枝葉の広がりでもないんだよ。根の浅い大木は風雪の前に容易く打ち倒されてしまう。でも、太く強く根を張った木は、いかなる困難にも耐えて、さらに枝葉を茂らせるんだ。

 大事なのは土台だよ、それを疎かにしていたら、いくら技や体を鍛えても何かの拍子で簡単に打ち倒されてしまう。地味で目立たないものにこそ、大事なことがたくさん詰まっているものなのさ。

 というわけで、しばらくは受け身の練習をして、文字通り体が覚えてくれるようにしようじゃないか」

「はい!」

「じゃあ、お手本を見せるから、ちょっとこれを持っててもらえるかい」

 退役軍人は、羽織っていたマントを外して適当に丸めると、半闇狩人に手渡した。しかし、予想に反してずしりと重いそれに、半闇狩人は一瞬目を丸くする。

「なにせ、マントをつけたままじゃ体の動きが分からない。それじゃ、意味ないからね」

 そう言って、退役軍人は、しゃがんだ姿勢から地面に転がる動作を数回繰り返す。はた目から見れば、ただ地面を転げまわっているようにしか見えない滑稽な動作に、周囲で彼らの様子を興味半分でうかがっていた新人冒険者たちの中には、思わず吹き出すものも現れる。

『プッ……なにあれ』

『おっさん、どうかしちまったのかな』

 純粋な森人ほどではないにしろ、半闇狩人の耳はその失笑を聞き逃す筈もなく、彼女は眉を吊り上げて憤怒の形相で振り向くと、声の主に向かって威嚇的な視線を撃ち放った。

「君、君、よそ見なんかしちゃあダメだよ、ちゃんと見て覚えなきゃね」

 地面の上を転がりながら呼びかけてくる師の声に、半闇狩人は、今朝も槍使いの冒険者に対して敵意をむき出しにした態度をたしなめられたことを思い出し、不承不承ながらにも怒りを呑み込むと、再び真剣な表情で師の動きを目で追う。

「さて、お手本はこのくらいでいいかな」

 やはり、装備を着装したままだと、腰にくるねぇ。などと呟きつつ、退役軍人は、よっこらしょ、と呑気な掛け声と一緒に、寝転んだ姿勢からばね仕掛けの玩具のように跳ね起きると、その装備に似合わぬ身軽さで立ち上がった。

「さ、それじゃあ、君もやってごらん?」

「はい、お師匠様!」

 半闇狩人は、退役軍人がして見せたように、しゃがみこんだ姿勢から地面に転がった。しかし、慣れていない、という事を差し引いてもぎこちなく危なっかしい動き。一旦中断し、もう一度説明とお手本を、と退役軍人が思った次の瞬間、

「うあっ!?」

「ちょ!?大丈夫かい!!」

「ぅああぁあぁぁぁぁっっ………!」

 地面に紛れるように埋まっていた小石で後頭部を痛打し、声にならない悲鳴を上げて悶絶する半闇狩人は、先ほどの師の言葉の意味を、身をもって理解することになった。

 

 

 夕方、というには少し早い時間。ギルドに戻った退役軍人と半闇狩人のふたりは、酒場の端にあるいつもの席に落ち着くと、一日の疲れを吐き出すように一息つく。

 半闇狩人が後頭部に小さなこぶを作ってしまい、大丈夫という彼女の言葉を却下した退役軍人は、大事をとって今日の稽古をとりやめた。

「じゃあ、食事の前に湿布を取り換えようか」

「お、お師匠様、もう大丈夫ですから………」

「いけないよ、女の子なんだから、ハゲができたら大変じゃあないか」

「は、はい………」

 髪を伸ばしているとはいえ、銅貨ハゲはいやだな、と思いながら、半闇狩人は、退役軍人の隣に席を移すと、後ろを向いて銀灰色の髪をすき上げる。

「ちょっと痛むかもしれないけれど、我慢しておくれ」

 退役軍人は、半闇狩人の頭に巻いた包帯を丁寧にほどくと、薬を染み込ませた小さな布切れを慎重な手つきで取り除く。

「いいかい?吐き気がしたりとかあくびが止まらないようなら、すぐに私に言うんだよ?必ずだからね?」

「はい………」

 退役軍人の言葉に、半闇狩人は、恥ずかしさと申し訳なさでぎゅっと肩をすくませる。自分の失敗のせいで、貴重な治癒の水薬を使わせてしまった。水薬一本とは言え、それがどれだけ高価なものかは知っている。

 冒険のさなか、怪物に噛まれたとかならともかく、こんなみっともない失敗で、余計な負担を師にかけてしまった自分が情けない。朝には弓や礫の腕前を師に披露して、得意げになっていた自分を張り倒したい気持ちで一杯だった。

「やはり、革の防具一式くらいは必要だねぇ。君は、着たことがないからいいとはいうけれど、万一の備えを考えるとやっぱりあったほうがいいね」

 新しい湿布のひやりとした感触と、優しく、しかし、丁寧に巻かれていく包帯の感触に、半闇狩人の目からじわりと涙があふれ出す。

「ああ、ごめんよ?痛かったかい………?」

 気配を察した退役軍人の声に、半闇狩人は力なく顔を振る。子供ではないのだから、このくらいの痛みは我慢できる。けれども、今はただ、心が痛くて仕方なかった。恩人に対して、なにも報いることができない情けない自分。

 そんな、塩を振りかけた青菜のように力なくしおれる彼女の姿に、退役軍人は小さく、優しい溜息をついた。

「私はね、若い頃から、数え切れないくらい失敗して、恥をかいて、いつも隠れて泣いていたものさ」

 肩越しに聞こえる、退役軍人の穏やかな声。半闇狩人は、その言葉の意味をはかりかね、思わず目を泳がせる。

「たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人に笑われて、そりゃあもう、どこかへ逃げ出したいなんてもんじゃなかったよ。実際、本当に一度逃げ出したからね」

 かつてを懐かしむかのような退役軍人の声を聞きながら、半闇狩人は膝の上に落ちた涙を固く握った拳で払う。

「それでも、逃げたからと言って、その先でも上手くいく筈はなかったんだけどね。でも、こんな私にも、手を差し伸べてくれた人がいたんだよ。相変わらず、迷惑のかけっぱなしだったけどね」

 自分を思いやってくれているのであろう師の言葉、しかし、その優しさが、今はとても辛く、痛い。

「だから、私が今、こうしてここにいるのは、自分の力だけではないんだよ。そりゃもちろん、自分なりに何とかしようと努力もしたよ。でも、運もあったかもしれないけれど、やはり、たくさんの人に助けてもらって、ここまでこれたんだ」

 退役軍人の言葉がいったん途切れ、代わりに、きゅっと包帯を止める微かな感触。

「だからかなぁ」

 退役軍人の両手の平が、固くすくめられた半闇狩人の、痩せた両肩をゆっくりと解きほぐすかのように添えられる。

「私もね、そういう人たちみたいになりたいんだよ。まあ、説教臭い話はこの辺にして、ちょっと早いけれどご飯にしようじゃないか。お腹がすくから、考え方が悲観的になってしまうんだよ」

 ぽんぽんと穏やかに両肩をたたく師の言葉、これ以上この優しい師に心配をかけたくない。しかし、それ以上に、師が自分を励まそうとしていることがよくわかったし、それがとても嬉しかった。

「……はい!ありがとうございます、お師匠様!」

 振り返り、ようやく笑顔を見せてくれた彼女に、退役軍人もようやく安堵するかのように、穏やかにうなずいた。

 

 

「それで、さっきの話なんだけどね。やはり、いろいろ足りないかなと思っているんだよ」

「装備とか……ですか?」

「そうだね、さっきも話したけど、君にも最低限の備えはあった方がいい。これからのことを考えると、やはり、防具は必要だよ。特に、頭はね。後は、出来れば治癒の術や奇跡が使える仲間が欲しい所だけど、それはこれから次第といったところだねぇ」

「そう……ですよね」

 新しい面子が欲しい、そんな師の言葉に、半闇狩人の胸がちくりと痛む。味方が増えれば、冒険や依頼が成功する確率は上がるし、生き残れる確率も上がる。それはもちろん理解できたし、望むべきことだった。

 それなのに、なぜこんな気持ちになるのか。そんなとりとめのない感情に、食事の手が止まる。

「ただ、お互い白磁だからねぇ。信用なんてあって無きがごとし、当分は私達ふたりで地道にやっていくしかないねぇ。君さえかまわなければ、また地下下水道に行きたいんだよ。実は、まだやり残していることもあるんだ」

「わ……わたしは、どこだってお師匠様のお供をします!いえ、させてください!」

 ひたむきな半闇狩人の言葉に、退役軍人はやや驚いたように食事の手を止めるが、すぐに嬉しそうな声を彼女に向けた。

「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいよ。それに、ちょっと気になる噂をきいたものだからねぇ」

「噂―――ですか?」

「うん、そうなんだ。なんでも、ここ最近、地下下水道掃除の依頼なんだけど、未達成が多いんじゃないか、ってことなんだよ」

「―――そんなことが?」

「そうなんだ、大怪我をしてやっとの思いで帰ってきたりは良い方で、未だに消息が分かっていない若い子たちもちらほらいるらしいんだ」

「でも、それが騒ぎになっているという話は、聞いたことなかったです」

「そりゃあならないよ、君。こう言っちゃ乱暴だけど、大鼠や黒蟲を甘く見た新米冒険者が運命の骰子に見放された、ただそれだけの話なんだからね」

 退役軍人の言葉に、半闇狩人はまさに自分自身がそうであったことを思い出し、ぞくりと肩を震わせる。

「1匹2匹程度の大鼠なら、新人の手慣らしに丁度いいかもしれないよ。でも、これが10匹近くの群れに一斉にたかられたら、素人に毛が生えた程度の腕前じゃお手上げだ。けど、問題はそこじゃない。

 地下下水道のそこかしこで、そういった群れにぶつかりやすくなっている。これじゃ、新人が経験を積むどころじゃないよ」

 退役軍人は、ずらした面頬の隙間から器用に牛肉入りシチューをすすりながらぼやく。

「あの……そう言えば、お師匠様は、地下下水道の地図を描き直してるって言ってましたよね」

「うん、そうだね」

「お師匠様が、今まで誰もいかなかったような場所まで足を延ばしたから、大きな群れを見つけたということはないですか……?」

「それも考えたよ、でも聞いていた話と違う気がしたから、余計気になるんだよ」

「初心者向けの場所……なのにですか?」

「そうだね、確かに、冒険者がよく通る場所の大鼠が狩りつくされて場所が空き、そこへ奥からあぶれ出した群れが代わりに居つき始めた、とも思ったんだけどねぇ……」

 退役軍人は、牛乳のジョッキをぐびりとやりながらため息をつく。

「あれじゃ、まるで番犬かなにかみたいだよ」

 半闇狩人は、師がこうも悩むのを目の当たりにして、自分が思っていたよりも深刻な事態が起こっているのではないかと思い始める。

 少なくとも、初めて師と会ったあの日。ひとりで10匹以上もいた大鼠の群れを、文字通り鎧袖一触の勢いで鏖殺したあの戦いぶりに、苦境を感じさせるような様子はどこにも見当たらなかった。

 その師が、状況を憂いている。だからこそ、一党に戦力を追加する必要があるのだ。そして、未熟な自分のなんと不甲斐ないことか。半闇狩人は、次々と頭の中に浮かぶ思考に引きずられ、食事の手が止まる。

「ねえ、君。また、自分を責めるようなことを考えているね?よくないなぁ、それは、よくないよ?」

 退役軍人の明るい口調に、半闇狩人はおずおずと顔を上げて、やや上目遣い気味に師を見る。およそ、闇人の血を引いているとは思えない、その只人の村娘のようなその仕草に、退役軍人は肩を揺すりながら笑う。

「君の猟師としての腕は本物だよ、これは自信をもっていいからね。私が、保証するよ。君はね、言ってみれば、冒険者という宝石の原石なんだよ。

 宝石っていうのはね、石くれ同然の原石を、時間をかけてやすりで丹念に削り磨いて、光り輝く宝物に仕上げるんだ。やすりが何本駄目になったっていいじゃないか、最後に君が輝くなら、それはとても素敵なことだよ」

 退役軍人は、そういって楽しそうに笑いながら、通りかかった獣人女給に、牛肉シチューのおかわりを注文した。

「君も、遠慮しないでたくさん食べなさい。ここのシチューは、本当に美味しいねぇ」

 

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