下水道の獣   作:あらほしねこ

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巡礼尼僧

 ギルドの裏庭のその一角に、敷いた麻布の上に並べられ天日で干されている大量の白い団子。そして、その傍らに立つ、やり遂げたという様子の防毒面の大小二人組。その、鴉人間の親子のような姿は、傍目から見れば、相当怪しく異様な絵面。

「まずはこのくらいで試してみよう、しかし、こうも事がうまく運んだのも、彼のおかげだねぇ」

 退役軍人が作り上げたのは、槍使いの青年が入手してくれた黄燐を用い、雑穀の粉や干し雑魚を練り上げた一撃必殺の猫いらず。しかし、それは人の握り拳ほどの大きさがある。

「後は、誰かが触ったり鳥に持っていかれてしまわないよう、乾くまで見張っていようか。黄燐が入っているから素手で触るのは危ないし、鳥や野良猫が食べてしまったら、その死骸も危ないからね」

 ギルドの受付嬢と相談し、今日一日は裏庭を借り切らせてもらえるよう頼み込んだ。もちろん、理由は口頭だけでなく、文書に起こして起案文の署名と共に提出もしてある。

「一時はどうなることかと思ったけれど、彼だけじゃなく、受付のお嬢さんにも感謝だよ。おかげで、準備の方も上手くできたしね」

 前回のような大規模な群れに遭遇した時、ただ撤退するのではなく、置き土産を残してやろうという退役軍人の作戦。一度二度程度ではともかくも、地下下水道に赴くたびに繰り返せば、そこに跋扈する群れに多少なりと痛痒を与えられるだろうという考え。

 彼が幼少時、屋敷の女中長が鼠や害虫除けに作っていた毒餌を、記憶を頼りに再現したもの。しかし、大きさだけは、大鼠や黒蟲に合わせてそれなりの量にした。

「さて、それじゃあ一休みしよう。あと、念のため解毒剤も飲んでおこうか」

 ここでまた貴重な水薬が出てきたことに、半闇狩人の目が戸惑うように泳ぐ。

「これは必要経費だよ、なにしろ劇薬を使ったんだ、万一のことがあったら大変だからねぇ。いいから、飲んでおきなさい」

「は、はい、お師匠様」

 なにしろ、物が物だけに念を入れておくに越したことはない。ようやく息苦しい防毒面から解放された退役軍人と半闇狩人のふたりは、汗だくの顔を拭いながら水薬の小瓶をあおる。

「いやはや、今すぐ川にでも飛び込みたい気分だよ」

「わたしもです、お師匠様」

 そう答えて、自分が師とふたりで川で水遊びをしている光景を思い描く。川で泳いだり、釣りをしたり、魚の串焼きをしたり、それから、それから――――――

 とめどなく頭の中にあふれる楽しげな光景に、思わず耳が躍る。そして我に返った半闇狩人は、真っ赤になった顔と自分の妄想を振り払うように激しく顔を左右に振る。

「大丈夫かい?もう作業は終わったから、涼しい所で休むといいよ」

「は、はいっ!」

 やや声を裏返らせながら応えた半闇狩人は、そそくさと木陰に逃げるように座り込むと、ちょんと膝を抱える。

「いやいや、こんな暑い中、一緒に頑張ってもらってありがとう。本当に助かったよ」

 感謝の言葉を述べながら、同じ木陰に腰を下ろした師の気配に、半闇狩人は再び耳まで赤くなる。これじゃ、木陰に隠れた意味がない。でも、ここしか日陰がないからしょうがないけれど。

「まあ、今日一日はこれでおしまいのようなものだし、君が聞いた声というのが気になるけれど、準備が整わないうちは、闇雲に突っ込んで行っても自殺行為だからねぇ」

 しかし、そんな彼女の感情も、師の言葉で現実に引き戻される。そうだった、浮かれている場合じゃ、なかったのに。

「はい・・・・・・」

「本当に申し訳ないとは思うけど、祈るしかできないなんてねぇ」

 まったく、人ひとりの力なんて、無力なものだよ。退役軍人は、そんな呟きを飲み込む。見栄を張るつもりはないが、こんな自分を師匠と呼び、慕ってくれる少女の前で、あまり愚痴をもらすような所は見せたくはない。

「ああ、そうだ。危険な作業は終わったからと、受付のお嬢さんに伝えてきてくれないかい。ついでに、手を洗ってから、追加の飲み水を買ってきてくれると助かるよ」

「わかりました、お師匠様」

 渡りに舟とばかりに立ち上がり、師からいくらかの銅貨を預かった後、小走りでギルドの庁舎へ入っていった。それから程なくして、大きな水差しを抱えて戻ってきた半闇狩人は、ひとりの女性を伴っていた。

「おや、そちらの方は?」

「はい、お師匠様にご用件があると言ってるのですが・・・・・・」

「私に?」

 兜や面頬を着装し直し、すでにいつもの格好に戻っていた退役軍人は、来客の女性に向かって丁寧に一礼する。そして、照りつけるような日差しの下にもかかわらず、黒ずくめの鎧兜とその下に光る紅い眼鏡という姿を見て、女性は一瞬ぎょっとした表情を浮かべるが、気を取り直すような合掌と共に一礼する。

「お忙しい所、大変恐れ入ります。是非ともお話をさせて頂ければと思い、お伺いいたしました」

 その身なりと立ち居振る舞いから見て、巡礼の神官か僧侶か。退役軍人は居住まいを正すと、その思いがけない来客を出迎えた。

「これはこれは、でも、せっかくご足労いただいて申し訳ないけれど、ご覧の通り、訳あってここを離れるわけにはいかないものだからね。それでもよろしいかな?」

「はい、お仕事の準備をされているとお聞きしております。こちらが無理を言ってお時間をいただいているのですから、どうかお気になさらないでくださいませ」

 巡礼尼僧は、礼儀正しく退役軍人と半闇狩人に一礼すると、若草のような緑色の瞳に柔らかい笑みを浮かべる。

「それじゃあ、立ち話もなんだから、涼しい所で座って話そうじゃないか」

「はい、よろしくお願いいたします」

 退役軍人にすすめられ、尼僧は木陰の芝の上へ落ち着いた仕草で腰を下ろす。そして、向かい合うように、退役軍人と半闇狩人もそれぞれ腰を下ろした。そして、改めてお互いの紹介を済ませた後、退役軍人から話を切り出した。

「それで?ご用件を聞かせてもらっても、よろしいかな?」

「はい、実は、この街の噂で地下下水道の探索を続けられているという、冒険者様のお話をお伺いしました。こちらのギルドにいらっしゃるとのことで、是非ともお会いした上で、ご相談をさせていただけないかと思い、お伺いした次第でございます」

「うん、確かに私と彼女のふたりで、地下下水道の掃除の依頼を受けていたのは確かだけどね。ただ、こう言っては何だけど、特にお話できるようなことがあるとも思えないんだけどねぇ」

「そのことなのですが・・・・・・いえ、単刀直入に申し上げます。私めを、黒騎士様の一党に加えていただけないでしょうか」

 思いもよらない申し出に戸惑いながらも、退役軍人は巡礼尼僧に水を勧めながら聞き返した。

「貴女を?・・・・・・しかし、理由を聞いてもいいかな。見ての通り、私たちふたりは白磁等級の駆け出しなんだよ。そして、見たところ貴女は銅等級。私たちが貴女のご期待に沿えるかどうかは、なんとも言えないところだというのが、正直なところだよ」

「おっしゃりたいことはご理解いたします、ですが、お二方ほど、地下下水道に詳しい一党はいないと、ギルドの方よりお聞き及びした次第なのでございます」

「うーん・・・・・・まあ、詳しいと言えなくもないけれど・・・・・・いや、それはいいとして、立ち入ったことを聞くようで失礼だけど、貴女にも、何か事情がおありのようだね?」

「はい・・・・・・実は、冒険者をしていた私めの弟が、この町の地下下水道で行方が分からなくなっているのです。最後の便りから、もう、ふた月ほどになりましょうか・・・・・・」

 巡礼尼僧の言葉に、半闇狩人は小さく息をのみ、退役軍人は、その言葉の先を待つように静かにその先を待つ。

「もちろん、もうこの世の者でなくなっているであろうことは覚悟いたしております。ですが、せめて骨のひとかけらだけでも見つけて、故郷の土に帰してやりたいと思っておりました。

 しかし、銅等級を拝命しているとはいえ、そのほとんどは僧侶としての務めによるもの。見ての通り、かような女の細腕では出来ることにも限りがございます。ですから、お二方のお噂を耳にしたとき、まことに勝手ながら、お力添えをたまわれないかと考えた次第なのでございます」

 切々と訴える巡礼尼僧の言葉に、退役軍人は、ふぅむ、と小さく息をつきながら、腕組みつつ考えをまとめ始める。銅等級といえば、在野の冒険者としてはそれなりに完成された技量を持っていると聞く。そんな彼女が、何ゆえ自分達のような、一山いくらの白磁等級に声などかけたのか。

 ただ、案内役が欲しいというだけの話なら、それはそれで事は単純だから特に問題はない。ともあれ、荒事の実績だけではなく人格的面や社会に対する貢献も合わせて評価、審査された上での身分であるのだから、信用はしていいのだろう。 

 そも、彼女は、僧侶という神職を生業にしているわけであり、気を揉み過ぎだと自分を納得させる。いやはや、何事も疑ってかかる悪い癖は、軍を辞めても治らないねぇ。そんな自分に苦笑しながら、退役軍人は巡礼尼僧の話に耳を傾ける。

「なにぶん、急なお話です。無理にお願いできる立場でないのは、重々承知しております。ですので、依頼の指名と言う形でお願いさせて頂ければと・・・・・・」

「うーん・・・・・・そうだねぇ、事情はだいたい理解したよ」

 退役軍人は、腕組みをとくと、紅眼鏡の位置を整えながら答えた。

「とはいえ、私たちふたりは白磁等級、それよりはるかに等級の高い冒険者から依頼の指名を受けるというのも、あまりいい流れとは言えないと思うんだよ」

 至極もっともな退役軍人の言葉に、巡礼尼僧は微かに目を伏せ、半闇狩人は何か言いたそうな表情を浮かべ、その耳が気遣わしげに揺れている。

「けれども、貴女は弟さんを探したい、私たちは地下を調べたい。行き先も目的も、ほぼ同じというわけだからね。そのことについては、特に問題はないと考えているよ」

 そう言うと、退役軍人は傍らの半闇狩人に顔を向ける。そして、彼女も、師の意図を理解したようにうなずき返した。

「私たちでよければ、そのお話、お受けしようと思っているのだけどね。こちらとしても、銅等級の方に仲間になってもらえるのは、正直心強いからねぇ」

 どうだろう、と振り返る退役軍人に、改めて了解の意思を示してうなずき返す半闇狩人の耳が、その真っ直ぐな意思を示すようにぴっと立ち上がる。

「ということだよ、それじゃあ君、是非ともお願いするよ」

「ああ・・・・・・感謝いたします、黒騎士様・・・・・・!」

「黒騎士なんて御大層なものじゃないんだけどねぇ、私は・・・・・・まあ、いいか」

 感謝と歓喜の表情が入り混じる合掌を向けてくる巡礼尼僧を前に、退役軍人は再び腕を組みながら、困った様に首をかしげて見せた。

 

 

 一度支度を整えるため宿坊に戻るという巡礼尼僧を見送った後、退役軍人と半闇狩人は裏庭の片づけを済ませると、ギルドの酒場で一日の疲れを癒さんと、それぞれがひいきの飲み物を注いだジョッキ片手にくつろいでいた。

「でも、良かったですね、お師匠様。銅等級の冒険者様が仲間になってくれれば、怖いものなしです、とても心強いです」

「確かにそうだねぇ、ただ、彼女の事情を考えると、そうそう浮かれてもいられないんだけどねぇ」

 地下下水道で行方不明になった弟を探したい、その生死に拘わらず。退役軍人は、冒険者となってからの数か月、自分が手ずから骨を拾い、地上に連れ帰った冒険者だったものを思い出し、小さくため息をついた。

「そう・・・・・・ですよね、でも、わたしももっとお師匠様のお役に立てるよう、頑張りますから!」

「君は、十分私を助けてくれているよ。だから、慌てることはないさ。スープだって、とろ火で時間をかけて煮込んだ方が美味しいんだからね」

 いつもの、いまひとつわかりづらい例え話を出した退役軍人は、ジョッキになみなみ注いだ牛乳を口にしながら、この見た目によらず健気な半闇人の少女を見る。

 気性も言葉遣いも至って純朴そのもの。口数自体はそう多くはないが、それでも一緒にいて落ち着くし、なによりも心が安らぐ。それに、衣食住がある程度確保された今、彼女の健康状態はだいぶ改善に向かっていると実感できる。

 褐色の肌は磨き上げた黒檀のようだし、金色の瞳は角度によっては黄玉のように多彩な輝きを放つ。銀色の髪も、最近は本来の艶を取り戻してきたのか、おろしたての銀糸のように深く艶やかに光る。三角に尖った耳も、主の感情のまま豊かに動くさまは、なかなかに愛嬌があって微笑ましい。

 確かに、初めて会った時は、生傷だらけの上、垢や埃ですすけきった肌や髪はすっかり脂が抜け落ちてしまったような有様だったが、これが彼女の本来の姿なのだろう。

 しかし、祈らぬものの側とされる闇人の血を引くが故に、これまでいろいろと辛い思いをしてきたであろうことは想像がついたし、それは彼女が話してくれたことから十分に理解しているつもりだった。

 だからと言って、ことさらに同情や哀れみを向ける理由もない。これまでの人生の中で、様々な理由で孤児になった子供たちは幾らでも見てきた。それらに全てに対して手を差し伸べ続けていれば、いずれ自分の腕がもげ落ちるだろう。

 不思議なものだねぇ

 退役軍人は、今まで自分のしてきたことを思い返しながら、自嘲するようなほろ苦い笑いを漏らす。

 いままで散々奪ってきたじゃないか

 なら、その逆をしたっていいはずだ。それでも、いつか自分は、間違いなく過去の報いを受ける日がくるだろう。ならば、せめてその時が来るまでは、自分が為すべきだと思う心に従って生きてみたい。そう思いながら、退役軍人は様々な思いと一緒にジョッキの牛乳を飲みこんだ。

「黒騎士様、狩人様、遅くなってしまい申し訳ございません」

 酒場の喧騒の中でも、その涼やかさを失わない声にふと振り返ると、宿坊から戻ってきた巡礼尼僧がテーブルの傍に立ち、こちらに丁寧な一礼を向けていた。

「やあ、君か!よく来てくれたね、待っていたよ」

 防具を兼ねた、簡素かつ厚めの法衣を羽織り、自分の身の丈ほどもある錫杖を手にしている姿は、昼間に会った時の線の細さは薄れ、世界中にある聖地を訪ね旅する巡礼僧にふさわしいたたずまいを漂わせる。

「さすが、熟練者の風格だね。その様子だと、いろいろな所を旅してきたようだね」

「はい、ですが、修行中の身ゆえ未だ道半ば。まだ、未熟者もいいところでございます」

「それは私達ふたりも同じだよ、尼僧殿には、これから先達として色々教えてもらえると嬉しいねぇ」

「もちろん、私めでお役に立てることでしたら、なんなりと」

「ともあれ、立ち話もなんだから、みんながそろったところで食事にしようじゃないか」

「はい、では、ご一緒させていただきます」

 巡礼尼僧は、退役軍人の言葉にうなずき、半闇狩人の隣に静かに腰を下ろす。そして、頭にかけた頭巾を下ろした時、ふわりと明るい栗色の髪が零れ落ちる。特に香油で装っているわけでもないが、それでもごく自然に漂う柔らかい香りに、半闇狩人は思わず心を引き寄せられるように、そのやや波を打つような柔らかで豊かな髪を見つめる。

 故郷の山村、秋を迎えた穀物畑を、色づき始めた山々を、狩りの帰り道に父と共に眺めた光景が瞼の裏に蘇る。そんな秋の夕暮れのように、懐かしい、そしてどこか寂しげな空気の匂い。

 半闇狩人は、思わず、ほぅとため息をつきながら、隣に腰掛ける巡礼尼僧の姿に見惚れていたが、そんな彼女に気付いた巡礼尼僧に穏やかな表情で微笑まれ、ばつが悪そうに耳と顔を伏せる。

「もし」

「あ、は・・・・・・はい」

 無作法を咎められる、そう思いさらにうつむく半闇狩人の耳に、鈴が転がるような優しい声が届く。

「狩人様、これから共に行くもの同士、どうかよろしくお願いいたしますね」

「わ、わたしこそ・・・・・・よろしく、お願いします・・・・・・」

 他人からの友好的な対応に未だ慣れていない半闇狩人は、思いがけない言葉に、やや緊張気味に肩をすくめて視線を泳がせるが、それでもきちんと向き直って丁寧な一礼を返し、巡礼尼僧を微笑ませた。

「お昼にお会いした時もそうでしたが、まことに良き眼をお持ちのお弟子様でございますね」

「そうだろう、そうだろう?私の自慢の仲間だよ」

「そうでございましょうね、彼女の眼は、実に曇りひとつなき眼をしておられます」

 巡礼尼僧の穏やかな言葉に、人から褒められることに慣れていない半闇狩人は、再びもじもじと肩をすくめる。そんな彼女の様子に、退役軍人は紅眼鏡の奥で目を細める。

「さて、一通り顔合わせも済んだところだしね、ああ、君、君、すまないけど注文を頼みたいのだけどね」

「あいあーい、どうぞー!」

 臨時とは言え、新たに巡礼尼僧が一党に加わり、無事顔合わせも済んだことで、退役軍人は安堵したようにうなずきながら、獣人女給を呼び止めた。

 

 

「それで、私は思ったんだけれどね、この中で一番高い等級は貴女なのだから、頭目は貴女に引き受けてもらった方がいいのかなと思っているのだけどね」

「望外のお言葉でございますが、私めは黒騎士様にお力添えを請う身でございます。ですから、頭目は黒騎士様のままでおられた方がよろしいかと存じあげます」

「そうかい?しかし、白磁等級では信用やらなにやら、いろいろと不便が多いものだからね。それに、よその目もあるわけだからねぇ」

 退役軍人の言葉に、巡礼尼僧は豆入りの麦粥を口に運ぶ手を止め、居住まいを正しながら答えた。

「それは、この際お気になさらずともよろしいかと存じます。信用ということであれば、必要な時はいつでも私めにお申し付けくださいませ」

「いやいや、いくらなんでも、ちょっとそれはやりづらいよ」

 巡礼尼僧の思いがけない提案に、退役軍人は慌てたように手を振るが、そんな彼を前に、巡礼尼僧は丁寧な合掌と共に応える。

「黒騎士様、今や私めも一党のひとりでございます。助け合い補い合うのは当然と思いこそすれ、迷惑などとは決して考えたりなどいたしません。それに、私めのような者でも、こうして銅等級を拝命出来ているのですから、黒騎士様もいずれは銅、いえ、銀等級をお授かりになる日も遠くはないかと存じあげます」

「どうだろう、そのあたりについては、少し見当がつかないけどねぇ」

 照れくさそうに謙遜する退役軍人に、巡礼尼僧は苦笑交じりにうなずき返す。立ち居振る舞いを見ればわかる、単に日が浅く、衆目の知らぬところであるだけで、その黒い鎧兜の下に隠されたものは。

「ですが、私めも、拙いなれど奇跡を授かった身でございます。荒事でお役に立てぬ以上、おふたりの手助けをすることが本分と考えておりますゆえ、この銅の板切れも含めて、うまく使っていただければと存じます」

「そうなのかい?そう言われてしまうと恐縮してしまうねぇ・・・・・・ところで、その奇跡というのは、どういったことができるのかな?」

「なにぶん、神にお仕えする身ゆえ、荒事に向いたものはございませんが、治癒や解毒などを、日に5度ほどでございましょうか」

「いやいや、それでも大したものだよ、君」

「お師匠様、その・・・・・・奇跡というのは、どんなものなんですか?」

 感心するようにうなずく退役軍人に、半闇狩人はその聞き慣れない言葉に首と耳を傾げる。

「うん、奇跡というのは、神職にある方が神様にその信心を認められて授かる力・・・・・・というか、信仰の証、とでもいうのかなぁ」

「魔法・・・・・・とは違うんですか?」

「そうだねぇ、魔法は自身の研鑽や、然るべき魔導具によって使えるようになるけれど、奇跡に関しては、信仰心と功徳の積み重ねによるものだから、魔法とは違うものと言っていいんじゃないかな・・・・・・と解釈しているんだけれどね、どうかな」

「はい、黒騎士様のおっしゃる通りでございます」

「まだ見たことがなかったものなので、知りませんでした・・・・・・」

 きまり悪そうにうつむく半闇狩人に気付き、巡礼尼僧は穏やかな笑みを向ける。

「それについては、見ずに済めばそれに越したことはありませんよ、狩人様。誰かが傷ついたり、病に倒れたりしているということでもありますからね」

「そ、そう・・・・・・ですよね・・・・・・」

 巡礼尼僧の言葉に、半闇狩人は興味本位で不用意なことを言ってしまったかと、さらに表情を曇らせる。そんな彼女の様子を前にして、巡礼尼僧は、この純朴な少女を励ますように柔和な笑顔と言葉をかけた。

「狩人様、未だ見ぬものに対する興味を持つことは、とても大切な心掛けでございますよ。それが、学びというものなのですから。ですから、なんでもお尋ねくださいませ。私めの知る限りではございますが、狩人様の学びのお役に立てれば幸いでございますよ」

 ふわりと包み込まれるような優しく温かい言葉に、半闇狩人の表情が、ぽわりと明るくなる。

「確かに、怪我や病に苛まれること、真に遺憾の極みにございます。ですが、奇跡とは、その苦しみを救い和らげるためのものでもございます。ですから、どうか頼りにしていただければ幸いでございますよ、狩人様」

「は・・・・・・はい!」

 まだぎこちないけれど、こんなものかな。

 退役軍人は、もともと少ない口数がさらに目減りする半闇狩人の様子に、小さく息をつく。その出自ゆえ、あまり人と関わることなく生きてきたことは、これまで彼女と接してきて十分察しているつもりではある。そして、新たに迎えた仲間との距離感を測り兼ねているようにも見える。

 話の行きがかり上、臨時とは言え、巡礼尼僧を一党に迎えることになったが、半闇狩人の意見を十分に聞いたとは言い難い。急な話の動きは、彼女にしてもさぞかし驚いたことだろう。さりとて、巡礼尼僧の事情を聞いた上で、それを無碍にすることなどできようはずもなく。

 半闇狩人自身の猟師としての腕前や技術は申し分なし、身体能力にしても、半闇人とはいえそれでも只人にくらべれば十分敏捷かつ健脚であるし、暗闇をものともしない視力はこの上なく頼もしい。そして、どんな雑用であっても骨惜しみをせず取り組む姿は、村でも相当の働き者であったことの証左。しかし、その容姿や能力はともかく、その人となりは純朴な村娘そのものと言ってもいい。

 ついこの間まで、山村の片隅に居を構え、野山を駆け巡り狩猟を生業としていた彼女。父親が健在であった頃は、まだ他の村人との関係性は、危ういながらも均衡を保っていたという。

 しかし、父親が亡くなり、彼女を守れる存在がいなくなってしまったことで、さらに孤立を深め村を出ていかざるを得ない状況を生み出してしまった。

 都のように、ありとあらゆる種族が生活している場所ならともかく、とかく迷信深い山奥の村では、もともと祈らぬものの眷族とされている闇人に対して、本能的な忌避感があるのはやむを得ないにしても。

 理不尽な扱いを受けた挙句に、身一つで村を出て行けと言われれば、こうもなろう。

 他人に対する不信感。あまりに低すぎる自己評価。これについては、もはや想像の必要すらない。しかし、地下下水道で消息不明となっている肉親を捜しているという、巡礼尼僧の境遇について何かしら思うところが見られること、そして、彼女に対して心を開きつつある様子が見受けられることが、安心材料というべきか。

「ところで、黒騎士様、失礼ではございますが、いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「え?うん、いいとも。なんでも聞いてくれたまえよ」

「その・・・・・・何故に、お食事中でも、そのように鎧兜をお召しになられているのでしょうか?」

 他愛もない、と言ってしまえばそれまでだが、以前、半闇狩人にも尋ねられた事を聞かれ、退役軍人は、やはりあの時と同じように、自信満々で答えた。

「だって、この方が冒険者らしくていいじゃないか」

「そうなのですか・・・・・・?」

 黒ずくめの厳つい風体からは考えもつかない、子供じみた答えに、巡礼尼僧は戸惑いの表情を浮かべながら、つい周囲を見渡してしまう。

 確かに、革鎧、鎖帷子、板金鎧に板冊鎧等、冒険者たちがめいめいの装備を着装したままで飲食している酒場の光景は、まあ、当たり前ともいえる風景だったが、さすがに、鉄兜と面頬で顔を覆ったままで食事をしている冒険者は、今のところさすがに見当たらない。

 いや、居るにはいた。巡礼尼僧の記憶に浮かんだ、とある冒険者の姿。しかし、彼とその一党は、依頼をこなしに出かけているのか、今はその姿は見当たらない。

「その・・・・・・申し上げにくいのですが、ご不便ではございませんか?」

「そりゃあ食べにくいよ?でも、それが楽しいんじゃあないか」

「あ・・・・・・そ、そうでございましたか」

「そうとも、なにしろここでは、行儀が悪いからと叱られることはないからねぇ」

(いえ、流石に場所をわきまえていただく必要はございますが)

 そんな言葉を飲み下して、巡礼尼僧は小さく苦笑する。そも、心底楽しそうに答える退役軍人の言葉に、一切の裏表は感じられない。それに、そういった遊び心は嫌いではない。

「とまあ、そう言えれば格好いいかとも思ったんだけれどねぇ」

 しかし、不意に影を落とすような退役軍人の言葉に、巡礼尼僧だけでなく、半闇狩人の食事の手が止まった。

「正直言うとね、怖いんだよ」

「お、お師匠様・・・・・・?」

「仲間に隠し事をするのは良くないからねぇ、まあ、いい機会でもあるし、年寄りの繰り言と思って聞いてもらってかまわないよ」

 退役軍人は、ジョッキの牛乳を一口飲んでから、軽く息を吐く。

「私が今までしでかしてきたことを思うとね、軍人を辞めた今でも、鎧兜を脱いで中身を晒すのが怖いのさ。まあ、自業自得、と言ってしまえばそれまでなんだけどねぇ」

 怖い。

 おおよそ、この男には似つかわしくない言葉に、半闇狩人と巡礼尼僧はしばし言葉を失う。しかし、軍を辞したとはいえ、見えない不安に駆られる彼の言葉は理解できなくもない。明日をも知れぬ状況で任期を勤め上げ、望み通り退役したにもかかわらず、無条件の平穏に心を切り替えきれず、その葛藤に悩む者はごまんといる。

 価値観の歯車が狂い、平凡な市井の生活に疎外感を抱く者。過去の所業と復讐者の影に怯える者。闘争の世界に心を置いてきてしまった者。馬車置場の下男の仕事すら得られず困窮にあえぐ者。そんな、心に影や闇を抱えた者が、傭兵や冒険者となって、再び修羅の世界に還っていく。

 では、彼は?

「お、お師匠様・・・・・・!」

「ん、なんだい?」

 意を決したように声を上げた半闇狩人に、退役軍人は穏やかに応える。

「お師匠様を狙う奴がいても、わたしが命にかえても近づけさません、絶対に!」

 半闇狩人の脳裏に、洗濯の時に見た師匠の顔の傷が思い浮かぶ。そして、その傷を刻んだものに対する、激しい怒りも。そんな、幼いが、純真な覚悟を秘めた言葉。退役軍人は、紅眼鏡の奥の目を優しく細めながら、穏やかにうなずく。

「ありがとう。でも、私の背中は、とっくに君に預けているんだよ。だけど、そう言ってもらえると、本当に嬉しいよ」

「は・・・・・・はい!」

 思いがけない退役軍人の言葉に、半闇狩人は赤みがさした三角形の耳を揺らしながら、先ほどの気迫はなりをひそめ、もじもじとうつむいて顔を隠す。

「でもね、私は君の命を対価にしてまで生き延びるつもりはないよ。私だって、君や尼僧殿に何かあれば、いつだってこの命を張るつもりだからね」

 大きな体を揺すりながら明るく笑う退役軍人と、恋する村娘の如く純真な半闇狩人のふたりを前に、巡礼尼僧は、実直で、暖かな血の通った信頼で結ばれた彼らに、慈愛に満ちた瞳を向ける。

「そうでございますね、人の生き様はそれこそ千差万別、容易く整理できないからこそ、補い合って積み重ねていくものなのでございましょう。だからこそ、今生を生きる意味であるのかと存じます」

「いやぁ、尼僧殿にそう言ってもらえると有り難いねぇ。まあ、そういうわけだから、これからみんなで一緒に頑張っていけたらと、そう思っているんだよ」

 退役軍人の言葉に、巡礼尼僧は彼女の神に捧げる合掌を組み、祈念するように優しく微笑んだ。

「感謝を、黒騎士様、狩人様。此度の良き出会い、私めにとっても、至上の喜びでございます」

 

 


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