下水道の獣   作:あらほしねこ

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地下に潜むもの

「ですが、これは少しおかしいと思います」

 始業前のカウンターの奥で、受付嬢は先輩職員に納得しかねるような表情と言葉を向ける。ここ最近は鳴りを潜めていた意見の衝突、とでも言うのだろうか。そして、その横では、同僚の監督官が、久しぶりに始まった、といった表情で推移を見守っている。

「貴女の言いたいこともわかるけどね、経験の足りない新人冒険者が未帰還になるのはそう珍しいことじゃないわ、少なくとも、世間的にはね」

 彼女とて、後輩の言いたいことはわかる。初心者向けであるはずの依頼が、ここ最近は初心者殺しになりかねない勢いで依頼未達成の件数が増えている。大怪我をして帰ってきたというのは、まだいい方。音信不通になっているのは、途中で諦めて投げ出したか、それとも――――――。

 前者であれば、それはそれでいい。一言、無理だ。と伝えてくれれば言うことはないが、命を懸けてやり遂げろ、なんてことはとてもじゃないけれど言えない。なにしろ、最近冒険者登録をした、あの黒ずくめの大男からは、

”ここの下水道には、沼竜でもいるのかい?”

 と、冗談じみた苦言を呈される始末。いや、そう言われても仕方ない。実際、彼には地下下水道で命を落とした冒険者達の遺骸を、一体どのくらい運び上げてもらったのか。

「未帰還者の捜索と、大規模な調査及び討伐。確かに、そういう依頼内容を起案した前例はあるわ。でも、そういったのは大体、翠玉や紅玉階級の冒険者に未帰還事案が続いた場合よ。白磁階級に未帰還が続発したとしても、それは、資質の問題と言われてお終いね」

「それは、そう―――ですけど」

 先輩職員の言うことはわかる、事実、以前にも似たような問題で意見を衝突させたことがある。

「ゴブリン禍は、状況次第によっては想定される被害が無視できない場合もある。でも、それよりさらに難易度が低いとされている下水道掃除で、どれだけ上を納得させられる根拠があるのか、それが示せない以上はどうにもならないわ」

 正論、まさに、正論。地下下水道で遭遇する怪物と言えば、大鼠や黒蟲が相場、そして、限度。そして、その対処に失敗するという事は、害獣に毛が生えた程度の相手に不覚を取る程度の技量と判断力しか持っていなかったのだ。と、言われてしまえば、もうそれ以上の議論の余地は無くなる。

 しかし、それでも。

“自分の足元を常に知っておかなければならない、日の差さぬ場所は祈らぬものの絶好の隠れ家、故にいつ何時その足元を掬われるかわからない”

 受付嬢の記憶の中に、いつかの退役軍人の言葉が浮かび上がり、そしてそれは、なかなか消えてくれない。それに、最近、町の中で流れ始めた噂。地下下水道で、何か起こり始めているのではないか。そして、いつか大鼠や黒蟲が町に溢れ出すのではないか。

 今は、そんな冗談交じりの与太話で済んでいる。しかし、いつそれが、深刻さを増していくかわからない。そして、そう言った話は、往々にして益体もない尾ひれがついて異形化する。だから、そうなる前に手を打ちたい。だが、それには上を納得させる根拠が必要。

「冒険者ギルドは、慈善事業でも恤救事業でもないわ。その本分は、一歩間違えれば、ならず者や風来坊になりかねない荒くれもの達を取りまとめ、最低限の社会的地位を保証すること。彼らの身の安全や救済まで請け負う必要はないし、そもそも業務の管轄外よ」

 いつになく辛辣な先輩職員の言葉に、受付嬢は、小さく唇をかむ。そんなことはわかっている、わかってはいるけれど、でも――――――

「そんなことより、先生が来たみたいよ」

「えっ?」

「相変わらず、あの人が歩いてくると、軍楽隊の演奏が聞こえてきそうよね」

 苦笑交じりの視線の先には、いつも通りに悠然と、貸し部屋のある二階から階段を下りてくる退役軍人の姿。黒塗りのサレットヘルムに面頬、黒染めの革で鋼板を覆ったブリガンダイン・アーマー。そして、肩から羽織った、裏地すらも漆黒に染めたマント。

 そんな、つま先から頭の天辺まで黒で統一された中、ひときわ目立つ、紅い色眼鏡と白磁の認識票。そして、媚びず、奢らず、へつらわず、自然体にして威風堂々とした歩みを刻むその姿は、白磁等級のそれからはおよそかけ離れたもの。そして、

「やあ!おはよう、みんな!今日もいい天気だねぇ」

 気さくで、陽気ないつもの朝の挨拶。

「はい、おはようございます!今日はどうされますか?」

「え?ああ、いやいや、まだ始業前じゃないか。私は大丈夫だよ。みんなと朝ご飯を食べてから、また改めて来ることにするよ」

「はい!わかりました」

 この、まるで気のいい親戚のおじさんと話しているような、肩肘張らないやりとりは、先ほどまでの鬱々とした気分が吹き消されていくよう。と、その時、先輩職員がそれとなく目配せをしていることに気付く。

「――――あ」

 彼女の意図に気付いた受付嬢は、酒場に向かおうとする退役軍人を呼び止めた。

「あ、あの!少しだけ、お時間、よろしいでしょうか?」

「うん?いいとも、何か連絡事項かな?」

「はい、その、実は―――」

 

 

「ふぅむ、なるほどねぇ……」

 カウンター横の待合席で、受付嬢が淹れてくれたお茶を味わいながら、退役軍人は彼女が持ちかけた相談の内容を吟味するように唸る。

「地下下水道における依頼未達成案件の増加、そしてその原因の調査。ふむふむ、なるほどねぇ」

 退役軍人は、受付嬢がもちかけた相談の内容に、興味深そうに何度もうなずく。一般的には、町機能の維持管理の範疇に入る地下下水道の掃除。額面通りの意味ではなく、地下下水道に棲息する大鼠や黒蟲が、町の中を徘徊し始める前に駆除する、衛生管理と害獣対策を兼ねたもの。

 およそ、冒険とは程遠い仕事だけに、これらを引き受けるのは駆け出しの冒険者が、自身の手慣らしを兼ねて行う程度。もちろん、完璧に安全が保障されているわけではない。装備が足りない、技量が足りない、そして、構内で迷う。

 それらの理由で、不幸にして命を落とした駆け出し冒険者の存在は珍しくはない。しかし、そのことを問題視する者も殆どいないと言っていい。だがそれは、至極当然の話。その程度の仕事もこなせないようなら、それ以上の仕事など到底無理な話。

 だから、下水道掃除で命を落としても、それはそもそも冒険者に向いていなかった、の一言で片づけられてお終いになる話。だが、にもかかわらず、一職員の案とは言え、当のギルド側からこのような形で問題提起されたことが、退役軍人の興味を引いた。

「実は、この件が町の住民の間でも、噂になり始めているんです」

「ふむ、満足に管理もできていない下水道から、いつか大鼠や黒蟲が町に溢れ出てくるんじゃないか、といったところかな」

 退役軍人の言葉に、受付嬢は肯定するようにうなずく。

「それで、君は地下下水道の再調査の立案を考えている、と」

「はい、それでこの案件について、先生のご協力をお願いできないかと思っているんです」

「そうだねぇ、君の心配もよくわかるよ。報告にも上げた通り、地下下水道の状況は、どこか少し変だからねぇ」

「はい……」

「現に、あの子も、危うく食べられかけていたわけだしねぇ。あの状況は、おそらく黒曜や鋼鉄階級でもちょっと危ないんじゃないかと思うよ」

 退役軍人は、面頬の下から器用に茶をすすりながら、初めて半闇狩人と邂逅した時の状況を思い出しながら小さく唸る。そして、ふと思い出したように、受付嬢に先日の報告について尋ねる。

「先日、うちの子が提出した、黒曜階級の冒険者の遺品。あの件について、上の方はなんと?」

 退役軍人の問いかけに、受付嬢は気まずそうな表情を浮かべながら答えた。

「はい……それが、一般的な事故、ということで、通常処理されました」

「そうだろうねぇ、いや、それが当然の対応だと、私も思うよ」

 退役軍人は、落胆も憤慨もせず、予想通りとでもいうかのように何度もうなずく。黒曜等級の冒険者と言えば、白磁に比べればある程度の経験と評価を認められた存在とは言え、それでも、全体的に見れば、決してその実力は高いものとはみなされていない。

 つまり、地下下水道掃除程度の依頼でも、状況次第によっては失敗してもなんら不思議ではないと判断されても不自然な話ではない。

 しかし、彼女はそうは思わなかった。蟻の小さな巣穴が、いつか堤防を崩壊させることがあるように。ほんの小さな違和感を見逃さず、あらゆる事態を想定して、その対策について知恵を絞っている。

(なんとも頼もしい話じゃぁないか、こんな田舎の片隅にいるのがもったいないくらいだよ)

 退役軍人は、何故か嬉しそうにうなずきながら、ティーカップに残った茶を飲み干した。

「うん、君の考えはよくわかったよ。私でよければ、いつでも協力させてもらうよ」

 明朗な返答に、隣に座る退役軍人を思わず見上げた受付嬢の表情が明るくなる。

「私もこのギルド、そして君にもいろいろ助けられているからね。方針が固まったら、いつでも声をかけてくれたまえ。私も、実際に見てきたものの立場として、一党の意見をもう一度報告書に起こして意見具申をしてみるよ」

「えっ……その、本当によろしいんですか、先生?」

「もちろんだよ、むしろ、私からもお願いするよ」

 

 

「……と、言う訳なんだけれどね、どうだろう」

 早朝の自主稽古から帰ってきた半闇狩人と、寺院の宿坊から登庁した巡礼尼僧がそろった朝食の席で、経緯を説明し終えた退役軍人は、なぜかどこか遠慮がちに彼女らにお伺いを立てる。

 そして、そんな退役軍人を前に、半闇狩人と巡礼尼僧はその思いがけない話の内容と、なぜか低姿勢なその様子に思わずお互いの顔を見合わせる。

 退役軍人にしても、一応この一党の頭目を任されているとはいえ、彼女たちに何の相談もなく話を進めてしまったことは、どうにも引け目を感じてしまう。なにしろ、ひとりで気ままに行動していた時ならともかく、今は一党の仲間たちがいるし責任もある。

 この辺りは、若い頃、所帯を持った時の感じに似ているなとは思いつつも、きちんと彼女たちにも説明をしておかなければなるまい。そう思ったからこそ、退役軍人は、事の一部始終を説明し、その上での彼女たちの考えや意見を求めることにしたわけなのだが。

「そうでございましたか……ギルドの方で、そのような動きが……」

 退役軍人の言葉を咀嚼するように、小さくうなずく巡礼尼僧。そんな彼女の様子に、半闇狩人は、彼女が次の言葉を発する前に声をあげた。

「わ……わたしは、お師匠様と一緒に行きます!」

 まるで、他の機先を制するかのような半闇狩人の言葉。そして、彼女は、隣に座る巡礼尼僧の反応をうかがうようにおずおずと視線をめぐらせる。そんな彼女の様子に、巡礼尼僧も穏やかに微笑みながら、退役軍人に自分の考えを伝える。

「もちろん、私めも狩人様と同じ意見でございます。それに、黒騎士様が地下下水道の詳細な調査をギルドから依頼されたこと、真に名誉なことと存じ上げますし、私めといたしましても、地下下水道の念入りな探索は、正に渡りに舟でございますから」

「そ、そうかい?それじゃふたりとも、この話、お受けして本当にいいんだね?」

 ふたりの顔をかわるがわる覗き込みながら、なおも彼女たちの了解を確認しようとするその様子は、まるで、どうしても欲しい自分の趣味の物を購入するため、妻子に許しを請う父親のそれ。

「もちろんでございますよ、それよりも、そろそろ朝餉にいたしませんか?私めはともかく、狩人様がお辛そうでございますよ?」

「そ、そうだね!うん、そうしよう、そうしよう!」

 そんな巡礼尼僧の言葉に励まされるように、退役軍人は手を振りながら、もはや顔馴染みとなった獣人女給を呼び止めた。

 

 

「これは……黒騎士様がお作りになられたのですか?」

 朝食を取り終え、各々が落ち着いた頃合いを見計らい、作戦会議に必要だから、見て欲しいものがある。と、いったん居室に戻った退役軍人が、両手で抱えるように慎重に運んできたもの。

 それは、大きな板の上に作られた、地下下水道を模した情景模型。控えめに言っても、力作といって差し支えないそれを前に、巡礼尼僧は驚きの表情を浮かべ、半闇狩人もその精巧な造形に目を輝かせる。

「わぁ……すごく細かいですね……あっ、ここって、お師匠様に助けてもらった場所ですか?」

 模型の一画を指さしながら尋ねてくる半闇狩人に、退役軍人は彼女の記憶力に内心で感心しつつうなずき返す。

「うん?ああ、そうだねぇ。いやいや、よくわかったね」

「はい、この壁や水路の配置には覚えがあります。あ、大鼠や黒蟲もちゃんと作ってあるんですね」

「うんうん、そうだろう、そうだろう?ちょっとした自信作だよ」

 彼女たちの、特に半闇狩人の悪くない反応に気を良くした退役軍人は、嬉しそうに声を弾ませながら、年甲斐もなくどこか得意げな様子で、地図と合わせた地下下水道の説明をし始めた。

 退役軍人が、自分の足と目で確認し記録した地図を元に、切り出した木片とにかわでこつこつと作り上げた地下下水道の模型。しかし、板全体に対して、建造物の形になっているのは、全体の半分弱。まだ彼自身が足を運んでいない場所は、板の目地のまま。

 それでも、今まで娯楽らしい娯楽に触れる機会もなかった半闇狩人は、その精巧な模型を前に、小さく尖った三角の耳を動かしながら食い入るように覗き込み、小さな木片で組み上げた石積み、塗り固めた泥で表した水路、そして、粘土で作られた大鼠や黒蟲たち地下の住人を楽しそうに眺めている。あの時は、本当に死を覚悟したが、こうして見る分には、楽しいし可愛らしいとさえ思えてしまう。

「地図だけじゃ味気ないし、構造を知っておいた方がいいだろう?私が軍にいた時は、斥候の報告を元に敵陣や合戦場の地形を模型にして、部隊の配置や進攻の段取りを確認したんだよ」

「なるほど、軍人様ならではの手法といったところでございますね」

 巡礼尼僧は、退役軍人の説明と地下下水道の模型を前に、緑色の目がすっと細くなる。

「ですが、失礼を承知の上で申し上げれば、まだ未到達の場所が多いようでございますが」

「そうだねぇ、というのも、ここから先は、大鼠や黒蟲の大群が凄くてね。それなりの備えをしなければ危険なんだ、それで私たちも何度追い返されたことか」

「なるほど、そうでございましたか……」

「この子にも話したことはあるんだけれどね、まるで番犬のように、この先に行くことを阻んでいるようにも思えるんだよ。それにこの印、あまりいいものではないんだけど……ああ、そう言ったら失礼だね。ともあれ、ここは御遺体を見つけた場所なんだ」

 さきほどまでの饒舌さが不意に途切れ、退役軍人は盤上に記した墓標めいた印の数々を指で示す。それも、発見した時の状態で色を変えている念の入りよう。

「尼僧殿が言った未到達の領域付近で、特に多くなっている。この先に、何かあるんじゃないか、それは間違いないと私は思うんだよ」

「そう……で、ございますね」

 地図と模型を見比べながら、何かを思案するような表情で、巡礼尼僧はしばし押し黙る。退役軍人が、自らの目と足で確認し描き直した地図と言い、この精巧な模型と言い、なまなかな情熱では作れない。

 本人は、趣味でやっているというが、ここまでのものを作り上げるという事自体、趣味の範疇を越えているように思える。この男は、何かを掴んでいるのではないだろうか、何かを追っているのではないだろうか。そんな思考が、彼女の中で小さく頭を持ち上げる。

「黒騎士様、これだけ精巧な地図や模型をご用意されているという事は、地下下水道の奥に、何かがあるとお考えなのでございましょうか?」

「え?ああ、いやいや、そう言う訳じゃあないよ。なにか冒険者らしいことをしようと手を動かしていたら、これが出来上がっていたってわけさ。まあ、地図にしても模型にしても、昔取った杵柄のようなものだからね、こういうのは得意なのさ」

「なるほど、そういうことでございましたか」

「それにね」

 退役軍人は、その紅眼鏡越しの視線を巡礼尼僧に向けながら、独り言めいた言葉を放つ。

「根拠のない憶測は、いらぬ混乱の元だからねぇ。そういったものは、聞くだけ無駄どころか、有害だよ」

「え――――――?」

 退役軍人の、静かだが鋭い言葉に、巡礼尼僧は不意を突かれたように言葉を詰まらせる。

「うん、まあ、そういうことだから。みんなと共有する情報は、裏の取れた精度の高いものだけにしたいんだよ。ともあれ、これで段取りの確認をしようじゃないか。いきなり突っ込んでいくよりも、多少は足しになるはずだからねぇ」

 そんな退役軍人の言葉で、一同はその場を仕切り直すように、今後の方針についての話し合いを始めていた。

 

 

「お疲れ様です、先生!」

「やあ、君か。今日も、無事に戻ってきてくれてなによりだよ」

 一党の方針を文書にまとめ、意見具申と言う形で受付嬢に提出をし終えた退役軍人は、事務所の扉を出たその時、すっかり顔見知りになった若い戦士に声をかけられ、声を弾ませながら挨拶を返す。好青年、という呼び方が本当にしっくりくる彼とは、話していて本当に楽しい。

「いや、まあ、遺跡調査の簡単な依頼だったんで、それほどでもなかったんですよ」

「いやいや、どんな任務であれ、ちゃんと帰ってきて状況を報告する、これに勝る功績はないんだよ。それに、君の持ち帰った報告が次につながるんだからね。まあ、偉そうなことを言ってしまったけれど、年寄のお節介と思ってくれたまえよ、ハハハ」

 元軍人らしい言葉に苦笑しながらも、若い戦士はその言葉にうなずいた。

「それより先生、お弟子さんの子に見せてもらいましたよ。あれ、地下下水道ですよね?本当に良くできでるって、話題になってますよ」

「え、そうかい?いやぁ、なんだか嬉しいねぇ、ハハハハハ」

「ええ、それより先生、地下下水道の討伐に行かれるんですか?」

「うん?いやいや、討伐と言うほど大袈裟なものじゃないんだけどねぇ。最近、地下下水道の様子がおかしいということで、坑内の状況を確認する必要があるんじゃないかって話なんだよ」

「それって、最近、依頼未達成が増えてきているって話ですか?」

「そうなんだよ、そりゃあ、私のように冒険者の流儀に明るくない者が下手を踏んだところで、それは別に不思議な話じゃない。でも、前と違って、今は初心者向けの訓練所があるわけじゃないか。そこで、技術だけじゃなく冒険者として仕事をする上での基本的な知識も学べるわけだよね」

 そう言いながら、退役軍人は、自分と同じ白磁等級の、しかし、はるかに年若い冒険者の初々しい一党に視線を向ける。彼らは、自分達が達成した仕事の余韻のまま、あれやこれやと言葉を交わしている。そんな彼らにしても、この若い戦士が上手く手綱を握ってくれたからこそ、今この瞬間があるのだろう。

「それだけ条件がそろっているのに、単に新規登録者の質の不作続きだと片付けてしまっては、せっかく興した事業の否定になってしまう。となれば、実際に状況を確認した方がいいんじゃないかと、そういう流れなんだよ」

「なるほど……それで、先生に指名が入ったってわけですか?」

「まあ、そんなところかな。私みたいな駆け出しが、なんとも恐れ多いことだとは思うけどねぇ」

「だけど、先生。これって、昇格のチャンスじゃないかって思うんですよ。ギルドから、直接相談を受けたわけなんでしょう?それだけ、先生が評価され始めてるってことですよ」

「そうかい?いやはや、だとしたら、嬉しいんだけどねぇ」

 そんな若い戦士の望外の言葉に、退役軍人は率直な言葉と共に、大きな肩を揺らしながら楽しそうに笑った。

 

 

「しかし、夢中になって作ってみたのはいいんだけど、これは結構な量だねぇ」

「お師匠様……これ、本当に全部持っていくんですか?」

「そうだねぇ……一応、地図で確認した範囲にいる大鼠や黒蟲の数を見積もった上で試算した訳なんだけどねぇ」

「ですが黒騎士様?これをおひとりで背負われるのは、いささかご無理が過ぎるのではないでしょうか」

 毒団子を詰め込んだ大籠を前に、3人はそれぞれ微妙な表情を浮かべる。その大籠は小柄な半闇狩人が中に隠れて昼寝ができるほど大きく、そして、その縁からはみ出すほどに毒団子が詰め込まれている。

 昨日、半闇狩人や巡礼尼僧と共に地図と模型を囲み、練りに練った段取り。侵入経路、毒餌の設置、そして退路。当然、突発事案に備え、何重もの案を議論し最適解ともいえる方針も共有した。

 許された時間と装備資器材の範囲内で、可能な限りの方策を組み上げた。しかし、いざ出発という段になって、事は実に単純で、そして現実的な問題を提示して見せた。

 余りにも過大に過ぎる資材、その運搬をどうするのか。半闇狩人にしても、巡礼尼僧にしても、退役軍人の力量は信頼しているとはいえ、さすがに懸念の表情を隠さない。

「そうはいうけどねぇ、君に余計な荷物を持たせては、弓や投石紐の扱いの邪魔になるし、尼僧殿だってそうだよ。大丈夫、こう見えてもまだ馬力には自信があるんだ。任せてくれたまえよ」

 いつもの調子でそういうと、まだ、なにか言いたげに呟く巡礼尼僧に笑顔を返し、退役軍人は大籠の背負い紐を体に通して立ち上がろうとしたその瞬間、想定外の重量と、電撃のような激痛が退役軍人の腰を打ち据えた。

「ぬあ゛っ!?」

 魔女の一撃。

 声にならない悲鳴を上げて、退役軍人は、糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちる。しかし、最後の気力を振り絞り、大籠の中身を辺りにぶちまけることだけはどうにか回避した。

「お師匠様っ!?」

「だから申し上げましたのに!」

「あいたたた……め、面目ない……」

 血相を変えて駆け寄った半闇狩人と巡礼尼僧によって、背負い紐をほどかれた退役軍人は、ゆっくりと横向きの姿勢で寝かされる。しかし、上半身と下半身を切り離してしまいそうな激痛に、退役軍人は情けないうめき声をあげる。

「ここ何年かは発作もなかったから、すっかり油断してしまったよ……痛たたたっ!」

「黒騎士様、今はお静かになさっていてください。今、お手当てをいたします。それと狩人様、申し訳ございませんが、受付で担架をお借りして来ていただけますか」

「は、はいっ!」

 駆け出していく後ろ姿に一礼しながら、巡礼尼僧は治癒の奇跡を詠唱し、退役軍人を苛む激烈な腰痛を打ち消していく。

「本当に申し訳ない、こんなことで奇跡を使わせてしまって……」

「何をおっしゃられますか黒騎士様、これは、こういう時のためのものでございます」

「返す返すも面目ない……」

 心地よい暖かさをともなった奇跡の光で患部を癒されながらも、退役軍人は意気消沈した様子で巡礼尼僧に詫びる。

「担架借りてきました、お師匠様!」

「先生!大丈夫ですか!?」

 そして、担架を抱えて戻ってきた半闇狩人と、退役軍人の容態を案ずる冒険者たちの声が、慌ただしく駆け寄ってきた。

 

 

「やはり、あの量は無理でございます。せめて、数を減らすか、私共に分散していただくかしないと、そう容易くは持ち運べるような量ではございません、黒騎士様」

「だけどねぇ……中途半端な量をばらまいたところで、駆除できる数はしれているし、何より罠を覚えられてしまうかもしれないよ。そうなったら、今までの苦労が水の泡になってしまうよ……いたたたたっ」

 担架で自室まで運ばれた退役軍人は、鎧兜を外す暇もそこそこに、ベッドの上に寝かされる。そして、この中で唯一、彼の鎧の構造に明るい半闇狩人が、余計な痛みを与えないように、兜や篭手から慎重に解いて外し、胴鎧や足鎧の止め紐やベルトを緩めていく。

 なにしろ、一個一個が冗談のように重い。半闇狩人は、師匠はいつもこんなものをつけて、あれだけ動き回っていたのかと驚きつつも、慎重な手つきでそれらを扱う。

「それは重々理解いたします、ですが、それでお身体を痛めてしまっては、元も子もないではございませんか」

「お師匠様、わたしは大丈夫です。わたしにも、分けて持たせてください」

「狩人様のおっしゃる通りでございます、私とて、体力には多少自信がございます。それと……毒団子ですが、やはりもう少し乾燥させてからの方がよろしいのではないでしょうか。それだけでも、十分目方が軽くなると思われますが……」

「だけどねぇ……材料に大麦の粉を使っているから、半生の方が食いつきがいいんだよ。昔、ばあやが作っていたのも、そうだったんだからねぇ」

 よほど、その“ばあや”なる女性を信頼していたのか。低姿勢ながらもこだわりを譲らない、妙な頑固さを見せる退役軍人を前に、巡礼尼僧は呆れたように、それでも、そんな実直さを慈しむような目で苦笑を浮かべる。

「そこは、質より量で補うしかないかと存じます。お屋敷のお庭にまくのと、地下下水道の要所にまくのとでは、手間が違い過ぎでございますよ」

「そうですよ、お師匠様。お坊様の言うとおりです、わたしたちにも手伝わせてください」

「うーん……」

 真剣な表情の半闇狩人と巡礼尼僧の説得を前に、退役軍人は困ったように唸る。なにも、彼女たちをあてにしていないわけではない。だが、半闇狩人にしても、巡礼尼僧にしても、その役割を考えた上で、身軽でいて欲しい理由があるからだ。

 それでも、あの荷物の重量は想定外だったのみならず、こうして怪我を誘発したのは、詰めが甘いとのそしりを受けても言い訳のしようがない。

「あの……横からすみません」

 その時、今まで黙ってその場のやりとりを聞いていた若い戦士が、遠慮がちに会話に入ってくる。彼は、他の冒険者たちと協力して退役軍人を居室まで運んだ後も、ひとりその場に残って手当ての手伝いをしていた。

「それって、俺にも手伝わせてもらえませんか、先生」

「いいのかい?そうしてもらえると有り難いけど……多分、君にとって何のうまみもない仕事だよ?」

「この間言ったじゃないですか、なんかあったら声をかけてくださいって」

「そ、そうだったね……しかし……」

 若い戦士の真っ直ぐな目に、退役軍人は迷うように言葉をくぐもらせる。

「それに、一度初心に帰ってみるのも、悪くはないですからね。やらせてください、先生」

「そ、そうかい?……ありがとう、君。そう言ってもらえると、本当に嬉しいよ」

「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 若い戦士の熱意と厚意に、退役軍人も根負けしたようにうなずく。臨時に一党に加入した、若い戦士。退役軍人は、半闇狩人と巡礼尼僧の顔にかわるがわる視線を向けながら、彼女たちの同意を求める。

「そういうわけなんだけれどね、構わないかな・・・・・・?」

 そんな、相変わらずと言えば相変わらずな退役軍人の様子に、半闇狩人と巡礼尼僧は、思わずお互いの顔を見合わせて苦笑いを交換していた。

 


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