下水道の獣   作:あらほしねこ

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暗闇の向こう側

「はい、じゃあこれ、先生の朝ご飯ね」

「いつもありがとうございます」

「こちらこそ、どういたしまして」

 早朝の酒場、そのカウンターで、半闇狩人は退役軍人の朝食を受け取る。魔女の一撃で腰を痛めた退役軍人は、巡礼尼僧による治癒の奇跡を施されてもなお芳しくなく、療養を余儀なくされる状態となった。当然、地下下水道の探索も延期となった。

「それじゃ、お大事にって、伝えておいてね?」

「はい、いつも、ありがとうございます」

 獣人女給に一礼して、朝食を乗せたトレイを両手に持って歩きだした半闇狩人の前に、背の高い人影が現れる。それが誰かを認識する前に、半闇狩人の金色の目が鋭く切れ上がった。

「……なにか、御用ですか」

 銀等級の槍使い、半闇狩人は、初対面の経緯上、心情的に折り合いのつかない相手を前に、表情も言葉も最低限の礼儀をわきまえはするが硬く、冷たくなる。

「随分嫌われちまったもんだな」

 槍使いは、自分に対する警戒心を剥き出しにして隠そうともしない半闇狩人の様子に苦笑いを浮かべながら、手にしていた小袋を彼女に差し出す。

「……なんですか、これ」

「うちの相方から預かってきたんだよ、痛み止めによく効く薬草だとさ。アイツに渡してくれって、預かってきたんだよ」

「……そうですか」

 半闇狩人は、毒餌を差し向けられた狼の仔のような表情で、槍使いの顔と薬草の小袋を警戒するようにその金色の瞳を動かす。と、その時、視界の隅に、槍使いの背後、少し離れた場所で優雅に煙管をくゆらせている魔女と目が合った。

「………?」

 半闇狩人の視線に気づき、たおやかな笑顔を返す魔女の姿に、半闇狩人はおおよその事情を察したように、小さなため息をついた。

「わかりました」

 半闇狩人は、トレイをいったん傍のテーブルに置くと、槍使いから小袋を受け取り、小さく一礼する。

「どうもありがとうございます、お師匠様に伝えます」

「ああ、よろしく頼むぜ」

 朝食と小袋を載せたトレイを持ち上げ、半闇狩人は槍使いにもう一度小さく頭を下げ、慎重な足取りで歩き出す。そして、魔女の前で丁寧に頭を下げた後、退役軍人の居室がある二階への階段を登っていった。

「あん……まり、人……を、ダシ……に、しない……でね?」

 口にした煙管から唇を放し、美味そうに紫煙を吹きつつからかうような魔女の言葉と表情に、槍使いは、諦めたような溜息まじりにそっぽを向いた。

 

 

「お師匠様、朝ごはん持ってきました!」

「やあ、ありがとう」

 半闇狩人の声に、退役軍人は、あいたたた、とぼやきつつ、苦労しながらベッドの上で身を起こす。こういう時だけは、自分の無駄に大きな図体が恨めしい。

「だいじょうぶですか、起きれますか?」

 半闇狩人にかいがいしく支え起こされながら、退役軍人はほろ苦く笑いつつ感謝の言葉を彼女に向ける。こうして、朝も夜もなく、世話を焼いてくれる彼女には、本当に感謝しかない。

「いつもすまないねぇ、君」

「それは言わない約束ですよ、お師匠様」

 仕方ない状況とは言え、弱気な退役軍人の言葉に、半闇狩人は慈愛に満ちた表情を浮かべつつ、洗いたての手ぬぐいで退役軍人の額に残る寝汗を拭きとった後、朝食を載せたトレイを注意深くその膝の上に置いた。

「どうぞ、お師匠様」

 まずはジョッキの牛乳を一口、師匠のとる食事の流れが頭に入っている半闇狩人は、新鮮な牛乳で満たされたジョッキを退役軍人に慎重に手渡す。

「うん、ありがとう」

「お師匠様、まだ痛みますか?」

「いや、だいぶ楽にはなったよ。ただ、まだ装具の着装は厳しそうだねぇ」

「お坊様の奇跡でも治せないなんて……」

「いやいや、そうじゃないよ。単純な外傷ならともかく、私の場合は、背骨の軟骨が歪んで、背中の筋肉や神経が捻挫してしまったわけだからねぇ。これで痛みがなくなるまで治癒させてしまったら、最悪、背骨が歪んだままになってしまいかねないよ」

「え……そう……なんですか?」

「うん、それで、経験の少ない術者が骨や筋の怪我を慌てて直そうとして、形が歪んだまま傷を完全にふさいでしまってね、後々不自由なことになってしまうことがあるんだよ」

 また、知らずに余計な事を言ってしまった。そう表情を曇らせる半闇狩人に、退役軍人は努めて明るく話しかけながら、大盛りのパスタを口に運ぶ。

「尼僧殿も、それをわかっているから、痛みを和らげる程度で加減してくれたんだよ。さすが、銅等級といったところだね。それに、君が看病してくれるのが、私には一番のお薬だよ」

 半闇狩人が剥いてくれたゆで卵を受け取りながら、退役軍人は彼女を安心させるように笑いながら話しかける。

「私は本当に幸せものだよ。こうして、看病してくれる人が傍にいてくれるんだから」

「あ……ありがとうございます……」

 思いもしなかった師匠の感謝の言葉に、半闇狩人はもじもじとうつむきながら、熱くなった頬の中でもごもごと応える。それでも、その耳はまるでステップのように踊り動く。

「……あ、そういえば、お師匠様。銀等級の魔女様から、お薬を頂いたんですよ」

「彼女が?そうか、それはありがたいことだねぇ」

 食事を中断し、半闇狩人から受け取った小袋の中身を改めた退役軍人は、かすかに驚きの声を漏らす。

「これはこれは、こんな貴重なものをどうして……」

「え、そうなんですか?」

「そうとも、この薬草ひと袋で、馬が1頭買えてしまうよ」

「そうだったんですか……」

 思いがけない師匠の説明に、半闇狩人は興味深そうに乾燥させた薬草を観察する。そして、退役軍人も、この小袋の中にある、乾燥させた茶葉のような薬草を見る。本当に、どこで手に入れてきたのか。現役時代、邪教徒の制圧任務でたびたび目にしたそれ。とはいえ、成分を精製、調合していない素材のままであるから、まあ、過剰な心配はいらないだろう。

「あんまり、見たことない薬草ですね……」

「それはそうかもしれないねぇ、なかなか人の足では踏み込みづらい所にあるものだからねぇ」

 退役軍人は、苦笑交じりに紅眼鏡をかけ直しながら、押し頂くように小袋を両手で持ち上げ、槍使いの青年に感謝を捧げる。

「もっとも、猟師として活動する場所とはあまり関係ない場所にあったりするものだからね。目にする機会がなかったのも無理はないよ、ともあれ、君も私も、珍しい物が見れてよかったじゃないか」

 退役軍人は、丁寧に袋の口紐を結わえ直し、ベッド脇の小卓の上に置く。そして、あの若さ故の見栄と自信の奥に隠された、自身が振るう槍の如く真っ直ぐな心持ちの青年の顔を思い出し、ふっと淡い笑みを浮かべる。

「後で、煎じて飲むことにしよう。そうすれば、だいぶ動けるようにはなるはずだよ」

「そんなに効き目があるんですか?」

「うん、まあ、強い薬草だから、あまり常用は出来ないけどねぇ。ともあれ、これを食べたら、彼らにお礼を言いに行こう」

「はい、お師匠様」

 

 

「あっ、先生、おはようございます!」

「やあ、おはよう。遅くなって申し訳ない、ちょっと準備に手間取ったものでね」

 半闇狩人に付き添われて階段を下りてきた退役軍人に、さっそく若い戦士が駆け寄ってくる。さすがに、いつもの黒い鎧兜ではなく、黒染めのアーミングジャケットに乗馬ズボン、そして革長靴といった軽装。あの紅い眼鏡と、まるで実の娘か幼な妻のようにかいがいしく付き添っている半闇狩人が横にいなければ、あの鎧兜の印象が強すぎて気付かない所だった。

「ところで、君。すまないけど、槍使いの彼を見なかったかい?」

「え?ああ、彼なら、相方の魔女と一緒に依頼の仕事にでかけましたよ」

「そうだったのかい……ちょっとのんびりし過ぎたねぇ」

 残念そうな退役軍人の様子に、若い戦士は気遣うように声をかける。

「どうしたんです、なにかあったんですか?」

「ああ、いやね、彼から、薬草の差し入れをもらったものだから、ひとことお礼を言いたかったんだよ。でも、仕方ないね。彼らが帰って来たら、改めて挨拶に伺うとするよ」

 気持ちを切り替えるような表情の退役軍人の言葉、そして、若い戦士は、初めて見る退役軍人の素顔に納得するような表情を浮かべる。

 これは、白磁の顔なんかじゃない。

 普段の立ち居振る舞いもさることながら、およそ初心者や駆け出しと言う言葉から縁遠い雰囲気。それは、その顔に刻まれた歴戦の痕を前に、確信めいたものを感じ取る。

 にもかかわらず、未だに地下下水道での仕事にこだわる理由。それは恐らく、何か無視できないものの存在を感じ取っているからではないか。

「ん?どうしたんだい」

「あっ、いえ、すみません。先生の顔、こんなに早く見れると思わなかったもんですから……」

「ハハハハハ、いやいや、別に秘密にして格好をつけようとしている訳じゃないからねぇ。傷だらけでみっともないけど、そこは大目に見てくれるとありがたいよ」

「そんなことないですよ、今までだって、それだけ頑張ってきたんでしょう」

「ハハハ、そう言ってくれると嬉しいよ」

「それよりも先生、怪我の方は大丈夫なんですか?」

「うん、それが、槍使いの彼がくれた薬草を煎じて飲んでみたんだよ。お陰で、あまり無理は出来ないけど、こうして動き回る分には大丈夫だよ」

「そうなんですか、けど、くれぐれも大事にしてくださいよ?」

「ありがとう、あ、そうだ。少なくて申し訳ないけど、君にも少しおすそ分けしておこう。何かあった時、きっと役に立つと思うからね」

「い、いえ!そんな、悪いですよ」

「いいからいいから、君だってもう大事な仲間なんだからね」

 そう言って楽しそうに笑いながら、退役軍人は若い戦士の手に小さな包みを置いた。

 

 

「本当にこの量を、ひとりで持っていこうとしてたんですね……」

 若い戦士は、それぞれに分担された量の毒団子に、呆れた表情を浮かべながらも、大きな麻袋に分けられた荷物の重量を確認するように、実際に背負った背負子を揺する。

「いや、まあ、なんというか、行けると思ったんだけれどねぇ」

 毒団子の運搬について一党の4人で再度話し合い、最終的に、1回で配置する量を麻袋に分け、それぞれの役割に応じて分担することになった。

「でも、ひとり分知恵が増えるだけでも変わるものだね。やはり、みんなで相談するのはいいことだよ。これで、本当になんとかなりそうだ」

 最初よりもさらに効率的になった探索計画に、退役軍人も背負子の重さを確認しながら、満足そうにうなずく。鼠の習性を利用して、事前に検討した場所にひとまとめにして配置するという、作戦内容の修正。一個ずつ散らばせてまくよりも、一か所にまとまった大きな餌の方により集まりやすいという習性は、大鼠にも言えること。

 そのため、配置を簡単にするため、一か所分の量を麻袋に詰め、袋ごと置いていくという方法に変えた。ある程度怪我が回復した退役軍人と、協力のため一時的に一党に参加した若い戦士で半分ずつ請け負い、半闇狩人は言うに及ばず、巡礼尼僧にしても、

「この程度なら、問題はございませんよ」

 と、快く分担を申し出た女性陣の意見を確認し、行動に無理の出ない範囲での運搬を任せることになった。これで、最初のように負担が退役軍人に集中することもなくなった。

「いやぁ、みんな本当にありがとう、ありがとう」

 かなり目方の軽くなった背負子を担ぎながら、退役軍人は言葉を弾ませる。

「なんだか、楽しそうでございますね、黒騎士様」

「え?ああ、そうだね、みんなとこうしていると、昔家族で出かけた時のことを思い出すからね」

「ご家族……でございますか?」

 そんな退役軍人と巡礼尼僧の会話を耳にして、半闇狩人の顔色は雨雲に覆われた空のように重く曇り始める。それはそうだろう、師ほどの人間なら、妻や子がいてもおかしくない。どうしてそんなこと、今まで考え付かなかったのか。

 どうしてか、大事なものを取り上げられたような、そんな思いが全身を鉛のように重くし、砂利の味じみたため息を吐きかけたその時、懐かしむような師の言葉に、吐き出しかけたため息が肺に逆流する。

「あの頃は、妻も元気だったし、子供達もまだ小さかったから、かわいい盛りだったよ」

「あ……も、申し訳ございません、黒騎士様……!」

 退役軍人の言葉の裏側の意味を察し、巡礼尼僧は自分の失言を慌てて詫びる。しかし、退役軍人は穏やかな言葉でそれを受け止めた。

「いいよいいよ、もうだいぶ昔のことだからねぇ。とっくの昔に、折り合いはつけているさ。それに、子供達も今じゃ立派に私の跡をついでくれている。なにも問題なんてないよ」

 穏やかな退役軍人の言葉を聞きながら、若い戦士は、彼の過去に想いを馳せる。彼に、どんな生活があり、苦難があり、幸せがあったのか。

 そして、かつて共に冒険をしていた――――――ごく短い時間ではあったが、それでも、心を通わせていた半森人の少女を思い出していた。が、しかし、視界の隅に映った半闇狩人の悲壮な気配に気づき、両手でその両頬をぎりぎりとつねり上げている手を慌てておさえにかかる。

「ちょ、何やってるんだいっ!?」

「う……うぅ……」

 若い戦士に止められ、半闇狩人は涙目でうつむく。師の妻である女性に対し、嫉妬の炎を燃やした自分が情けない。そんな良心の呵責が、自分自身の頬をひねり上げていた。半闇狩人は、まだひりひりと痛む両頬の熱を感じながら、心の中で師とその妻に詫びる。そして、それを知ってか知らずか、穏やかな退役軍人の言葉が向けられる。

「でも、昔は昔。いくら懐かしがったって、それは綺麗な絵のようなものだからねぇ。大切なものには違いないけど、今こうしてみんなといるこの時間が、今の私にとって一番大事だよ」

 そして、退役軍人は集まった一同に向き直ると、改めて一礼する。

「みんな、力を貸してくれて、本当にありがとう」

「黒騎士様、お礼を申し上げるのは、むしろ私めの方でございます。一党に加えて欲しいという不躾なお願いを、こうして聞き入れてくださったのですから」

 巡礼尼僧は、退役軍人に対し恭しく合掌する。しかし、打って変わり、真剣な表情で提案を持ちかけた。

「ですが、あと一週間ほどは大事をとって静養なされた方がよろしいかと存じます。言うまでもなく、この一党の要は黒騎士様でございます。ですから、黒騎士様の体調を、出来る限り万全に整えていただいた方がよろしいかと」

「そうですね……俺も、お坊さんの意見に賛成です」

「狩人様は、どう思われますか?」

「え、わたし……ですか?」

 意見を振られ、半闇狩人は戸惑うように目を泳がせる。

「わ、わたしも……お怪我を治してからの方が、いいと……思います」

 一党の面々から静養の意見を挙げられ、退役軍人はどこか名残惜しそうにしながらも、諦めた様子でうなずいた。

「そうだねぇ……また、みんなに迷惑をかけるわけにもいかないし。ここは、みんなの言う通りにするよ」

「はい、どうか、そのようにしていただければ幸いでございます」

「そうだね、それじゃあ、ギルドにも報告と説明をしなければならないし、今日はこれで解散としようか。みんな、お疲れ様」

 一党の面々に解散を告げた退役軍人は、それぞれ酒場を後にする仲間を見送る。その時、ひとりその場に残っている半闇狩人に気付き、穏やかにうなずく。

「君も、いい機会だから町でも散歩してきなさい。私は、大丈夫だから」

「はい……」

 小さく、しかし、素直にうなずいた半闇狩人は、退役軍人にぺこりと一礼すると、とぼとぼとその場を立ち去って行った。

「ふぅむ……」

 半闇狩人の背中を見送りながら、退役軍人はテーブル席に腰を下ろす。そして、その様子を見ていた獣人女給が、いつものように明るく声をかけてくる。

「先生、なにか軽くいただきますかぁ?」

「うん、そうだね」

 獣人女給、器量よし、気立てよし、まさに非の打ちどころのない、ギルド酒場の看板娘。こうして、化け物じみた醜い顔を晒しているのに、その笑顔は相変わらず人懐っこく、暖かい。

「それより君、すこし相談したいことがあるんだけれど、いいかな?」

「あいあーい、なんでしょー?」

「おっと、その前に注文だったね、失敬、失敬」

 

 

 ギルドの新人訓練所、その一角にある射的場でひとり、半闇狩人は一心不乱に矢を射かけ続ける。しかし、今日は、思ったように矢が飛んでくれない。的場からため息交じりに矢を回収し、そして、ため息混じりに矢を抱え、とぼとぼと射場へ戻ることの繰り返し。

 そして、もそもそと沓巻の緩みを確認し、矢羽根の傷み具合を確認して選り分ける。これもやはり、ため息交じりに。

「どうしたの、調子悪そうじゃない?」

 もう、弓はこの辺にして、投石紐の練習をしよう。そう思った矢先に、肩越しにかけられた声。半闇狩人は、腰に巻いた投石紐をほどきかけた手を止めて振り向くが、その表情は驚愕で凍り付いた。

「なんだったら、お手本見せてあげよっか?」

 気さくな声と共にそこにいたのは、森人の弓手。それも、銀等級。それくらいなら別に驚きはしない。しかし、今目の前にいるのは、永遠の命を持つと謳われた、上森人の妖精弓手。

「なんか見てたらさ、筋はいいみたいだから」

 そして、猫のような笑顔で近寄ってくる妖精弓手、しかし、半闇狩人は、反射的に謝罪の言葉を口に出していた。

「すっ……すみませんでしたっ!」

「え?あ!ちょっと!?」

 妖精弓手の声を背中に聞きながら、半闇狩人は疾風のように駆け出すと、あっという間に妖精弓手の視界から姿を消していた。そして、釈然としない様子の妖精弓手に、彼女の一党の面子のひとりである鉱人道士が、愛用の酒瓶片手にからかうように声をかけてくる。

「なんじゃ、耳長の。また若いのにちょっかいかけて遊んどるんか」

「ちょっと、なによその言い方。あの子が調子悪そうだったから、お手本を見せてあげようとしただけじゃない」

「お前さん、それ本気で言うちょるんか」

 一応、一部始終を見ていた鉱人道士は、妖精弓手の反論に呆れたように鼻を鳴らす。彼女の言葉に悪気はないのは理解できる、しかし、いくらなんでも無邪気に過ぎた。あの黒っ子の様子は、どう見ても気楽なものではない。まあ、何があったかは知らないが。

 確か、あの真っ黒いのの弟子よな。鉱人道士は、最近、ギルドに登録した新人冒険者を思い出す。いや、アレを新人と呼ぶには、些か無理が過ぎる。あの真っ黒な偉丈夫、以前、挨拶がてらに酒に誘い、杯を酌み交わしたこともある。その時、色々話を交わした覚えがあるが、邪教団の将軍のような見かけに反して、なかなか愉快で、しかもいける口だったという事は覚えている。

 いつの間にか一党の面子が増えたらしく、あまり飲む機会も少なくなってしまったが、それでも、彼の弟子と言う半闇人の少女については、まんざら知らないわけでもない。もちろん、個人の事情について詳しくは聞くはずもなかったが、だからこそ。

「ただでさえ壁にぶちあたって悩んどるときに、お前さんみたいな天上人が手本を見せるとか言うても、怖がらせるだけじゃい」

「なんでよ、ってか、天上人ってなによ。関係ないじゃない、そんなの」

「あのな、何度も言うがお前さん、本気で言うちょるんか」

 本当にわからない、と言う表情で軽く頬を膨らませる妖精弓手に、鉱人道士は小さくため息をついた。こいつら上森人にとって、時間っちゅうんは一体何のためにあるんじゃろな。と、心の中で嘆息しつつ。

「そんなら聞くがの、耳長の。もしお前さんが弓の稽古で調子が思うように出んと本気で悩んどる時に、姉上とかが手本を見せてやるとか言っていきなり現れたら、お前さん、どうする?」

「……う」

 妖精弓手の中で、ありとあらゆる可能性と状況がシチューのように煮込まれ、一つの結論が浮かび上がる。

「それは……厳しい、かも」

「そう言うこっちゃ」

 鉱人道士は、小さく鼻を鳴らしながら腰の酒瓶の中身を確認する。

「ものにはの、それぞれちょうどいい役割、っちゅうもんがあるんじゃ」

「ちょうどいい役割って、なによ」

「そうじゃの……」

 鉱人道士は、顎髭をしごきながら思案を巡らす。そして、ふと視界の隅をてこてこと横切っていく、見知った顔。

「たとえば、アレじゃい」

 

 

 訓練所の片隅、見渡せば、自分と同じ駆け出し冒険者が剣や槍の稽古に励んでいる。それをぼんやりと眺めつつ、半闇狩人は膝を抱えて座り込みながら、鉛のようなため息を吐き出した。いつもは風と共に万の音を拾わんと立つ耳も、今は地面に落ちそうなくらいに伏せている。

 今日、上森人に初めて声をかけられた。しかし、神にも等しい弓の技量を持つ存在と、自分のような山村の猟師では、どうあっても話にならない。自分の弓に自信がないわけではない、けれども上森人に対して闇人と只人の血が混じる自分。

 そんな天上人とお山の大将では端から勝負になる訳がないし、手本と言われても、自分には到底無理な神業をみせつけられて終わりになりそうな予感がした。

 矢が飛ばない理由、それは自分でもよくわかっていた。しかし、それをあの上森人に話せるかと言えば、それは違う話。だから、これ以上話かけられる前に、彼女の前から逃げ出していた。

 それが、とても情けなく、悔しい。

 じわり、と浮かび上がる涙、もう何度目かもわからないため息。今日の、一党の打ち合わせの時もそうだった。熟練者の意見に対し、当たり障りのない賛意しか示せなかった自分。体を傷めた師に静養してもらいたいというのは本心であるにしても、あれでは、自分はいてもいなくても変わらなかったのではないか。

 そのくせ、一度命を助けられたくらいで、勝手に師匠と呼び、彼の元に押しかけた自分が、今から思えばどうしようもなくみっともなく、恥ずかしい。それに、師の亡き妻に対し、知らなかったとはいえ、嫉妬の感情を燃やしてしまったこと。どれにしても、それらは半闇狩人の心とため息を重くする。

 そして、再び吐き出された、鉛のため息。

「あ、ここにいた」

 不意に聞こえた声、しかし、日向の匂いがするような、どこか暖かく、心地よい雰囲気。

「お弟子ちゃん、お弟子ちゃん」

「え……あ、はい……?」

 素早く涙を拭い、顔を上げると、そこには見知った顔。半闇狩人は、ほっとしたように表情を緩める。

「ちょっと配達でコッチ来たんだけどさ、給食っていうか、そんなカンジの」

「あ……そうなんですね、お疲れ様です」

「うんうん、それでさ、お弟子ちゃん、ちょっとコレ、食べてみない?」

「え?」

 獣人女給が肩に下げていた帆布のバッグから取り出した包み。半闇人の鋭敏な感覚は、それがパンケーキであることに気付き、小さく喉が鳴る。

「だっしょ?おいしそうでしょ、けっこうこれ、人気あるんだよ」

 獣人女給は、嬉しそうに包みを解くと、半闇狩人の膝に乗せた。

「だからさ、お弟子ちゃんも食べて、食べて」

「え、あの……いいんですか……?」

「いいよいいよー、なんなら、蜂蜜もかけてあげちゃう」

「えっ、ええっ……!」

 獣人女給が、エプロンのポケットから得意げに取り出した硝子の小瓶。蜂蜜が苦手な訳ではない、むしろ、大好物。村にいた時は、重要な外貨の調達資源だった蜂蜜。何度も目にしたし、父と共に蜂箱の世話もした。

 しかし、蜜の出来を確認する味見と、誕生日の時にしか口にしたことはない。それが、小瓶から惜しげもなく、目の前のパンケーキにふりかけられた。

 たちまち漂う、ふくいくたる甘い香り、健やかに咲いた花々から集められたと分かるそれは、半闇狩人の曇った顔をたちまち蕩けさせた。

「んっふっふー、ほら、遠慮しないで、食べて食べて」

 獣人女給は、満足そうな笑顔で大きくうなずく。

「お弟子ちゃんにも、食べて欲しいって思ってたからさ」

「あ、ありがとうございますっ……!」

 半闇狩人は、花が咲き開いたような笑顔を浮かべながら、受け取った包みを大事そうに両手で支え持つ。そして、蜂蜜がたっぷり乗ったパンケーキを、先に獣人女給に差し出した。

「え?あたし?いいよいいよー、気を遣わなくてもさぁ」

「あの……お姉さんも、いっしょに食べませんか?」

「えっ?」

「一緒に食べたら、きっと、もっとおいしいと思うんです」

 かわいい

 そう思うよりも先に、獣人女給は、隣の半闇狩人を抱きしめていた。

「えっ、あっ、ちょっと!蜂蜜がこぼれちゃいますっ!」

 慌てる半闇狩人の声を胸に聞きながら、獣人女給は、ふわりと腕をほどきつつ、そのおろしたての銀糸のようなさらさらの髪をなでる。こんなに健気で、こんなに純粋で。先生が、いつも気にかける理由もわかろうというもの。

「それじゃ、お言葉に甘えていただきまーす」

 獣人女給は、半闇狩人の手にあったパンケーキにぱくりとくいついた。手ずから直接、そんな無作法な食べ方も、花開いた親愛の表れ。こんなに雑で、こんなに暖かく、そして懐かしい、友達というものの匂い。半闇狩人は、いつかどこかで無くしてしまったものをやっと見つけたように、晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 

 

「そうだったんだ……それは、ちょっとくやしいよね」

 半闇狩人の話を聞きながら、獣人女給は優しくうなずく。かたや冒険者、かたや酒場の女給。やっている仕事は違うけれども、この子の気持ちは痛いほど良くわかる。自分だって、そうだった、そんな時があった。

「でもさ、慌てることなんて、ないんじゃないかな」

「え……?」

「だって、先生が一番大事にしてるのって、お弟子ちゃんだもん」

「そ、そうでしょう……か……」

「そうだよ、見ててわかるもん」

 獣人女給は、明るく笑いながら半闇狩人の顔を見る。

「お弟子ちゃんはさ、今はしっかりみんなを見て、いいと思ったことをどんどん覚えて行けばいいんじゃないのかな」

 そう、自分が、これまで厨房でそうしてきたように。

「できないことやわからないことがあって当たり前じゃん、いきなりなんでもできちゃったら、先生やみんなの立場がないじゃん」

 獣人女給は、味付けひとつ満足にできなかった頃の自分を思い出しながら、懐かしそうにつぶやく。いや、ある程度はできていた。それでも、料理長の腕前にはとても敵わず、どれだけ自分自身を思い知らされたことか。

「みんな、そうやってひとつひとつ、教えてもらってきたものを積み上げて、できるようになってきたんだからさ」

 そう言った後、獣人女給は、にしし、と笑うと、不意に悪戯っぽい表情を浮かべた。

「それに、お弟子ちゃん。もう少ししたら、絶対に美人になるから、心配しなくてもいーよ」

「えっ……!?」

 急に切り替わった話に、半闇狩人は思わず目を丸くする。

「だって、ならないわけないじゃん。だからさ、諦めたりしないでさ、絶対、先生のそばからいなくなっちゃダメだよ」

「え……あの……?」

「だって、それじゃ先生だって、さびしいよ」

 自分のことよりも、先に他人を思いやるまっすぐな心根。確かに、もう少しわがままを言ってもいいんじゃないか、とは思うけれど。

 でも、それができるから、お弟子ちゃんなんだよね。

 獣人女給は、包みからそっとパンケーキを手に取ると、小瓶に残った蜂蜜をかけ直したそれを半闇狩人の口元に差し出した。

「はい、どーぞ」

 そんな子供同士の戯れのようなやりとりに、半闇狩人は、少しためらうように目を泳がせる。それでも、日向のような獣人女給の笑顔を前に、すぅっと気持ちが軽くなり、ふわりと表情が明るくなった。

「はい、いただきます!」

 さっきの獣人女給の真似をするように、ぱくりとパンケーキにかみつく半闇狩人。ようやく見せてくれた、年相応の屈託ない仕草。そんな半闇狩人に、獣人女給は心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

「おい、お前、そこでなにをしている」

 いつか聞いたような言葉に、退役軍人は物陰からうかがっていた姿勢のまま振り返り、思い出したかのような腰の痛みに顔をしかめる。

「やあ、君か。ひさしぶりだね」

「ひさしぶりもなにも、ギルドでいつも顔を合わせているだろう」

「ああ、そういえばそうだったねぇ」

 いつもの調子で応える黒ずくめに、女騎士は小さく鼻を鳴らす。年の功というのもあるだろうが、この男の前では等級など全く意に介するものではないようだ。本当に、あいつと言いこの黒ずくめといい、面白くない連中だ。いや、それはいい。なにがあったから、こいつは壁の影に隠れて何を覗き見ていたのか。

「で、ここでなにをしていた?」

「ああ、うん、ちょっとね」

「怪我をしているのだろう、あまりうろちょろせずに、部屋で大人しくしていたらどうだ」

「そうだね、君の言う通りだよ」

 女騎士の言葉に、退役軍人は申し訳なさそうに肩をすくめると、建物の壁から離れてマントの襟を正す。腰を痛めているくせに、完全装備のいでたち。以前手合わせをした時、その装備が生半可な体力では扱えないものであることは、あの時十分に思い知らされた。

「どうする、少し中で休んでいったらどうだ?」

「いや、もう大丈夫みたいだし、用事は済んだからね。これで失礼するよ」

「そうか、だが、あまり無理はするなよ」

「うん、ありがとう。それじゃあ、また」

 そんなつっけんどんな言葉の裏に滲む思いやり、退役軍人は、この若い女騎士に一礼し、辞去の意を伝える。そして、町へ帰る道を、晴れ晴れとした表情で歩き出した。

「そうだね、もう、大丈夫さ」

 退役軍人は、そう呟きながら心からの感謝を捧げる。彼女も忙しかろうに、自分の無理な相談を快く引き受けてくれた。そして、彼女が動くための時間を分け与えてくれた圃人の料理長にも。

 あの子が、自分を頼りにし、拠り所としていることは理解していた。あの子の身の上を思い返せば、自分のしたことはそうなっても仕方のない事。しかし、このままでは、いつか動かせない現実をあの子に突きつけることになる。

 自分は、いつまでもあの子の傍にいることはできない。これから先、運命の骰子の気まぐれで無事でいられ続けたとしても、只人と半闇人。それぞれの種族に与えられた命の灯が、無慈悲な現実を思い知らせに来る日は、そう遠くはない。

 それなのに、その時、心を許せる友のひとりもいないとなれば、あまりにも寂しすぎるではないか。年寄りの余計なおせっかいだということは十分承知している、それでも。

「いつまでも暗い場所にいることなんてないさ」

 退役軍人は、こりがちな背中と腰を伸ばすようにのびのびと両手を広げる。そして、少年のように笑い、愛すべき弟子に言葉を贈る。

「その向こう側も、けっこういいものだよ」

 


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