「さあ、真剣にやらないと、大変なことになるよ」
「は、はい!」
新人冒険者の訓練所で、退役軍人と半闇狩人が大立ち回りを演じている。といっても、別に喧嘩が始まったわけではなく、半闇狩人たっての願いによる、白兵戦の稽古。
「相手の手や足ばかり見てちゃダメだよ、遠くの山を眺めるように、相手の姿全体を視界に入れるんだ」
両手の拳に緩衝材代わりの布を分厚く巻いた退役軍人は、流れるような足さばきで半闇狩人を追い詰めていく。一方、半闇狩人も、鏃を外した矢を握り、退役軍人の拳や蹴りをかわしながら、一撃を見舞う隙を懸命に探す。いつもの黒い鎧兜姿で、それでもこの動き、この速さ。そして、生半可な突きは篭手に弾かれ、呻りを上げて鉄拳が飛んでくる。
耳元をかすめる拳を冷や汗混じりにかわし、膝を狙ってくる蹴りから逃げるように跳びはねる。しかし、そのたびに彼女の腕の届く間合いから遠のき、逆に、退役軍人は獲物を狙う大熊のごとく一瞬で眼前に迫ってくる。
「ほら、手や足しか見てないから、次がわからない。私は君がどこを見ているのか、よくわかるよ」
そんな言葉と共に目の前に迫る大きな拳、しかし、それは半闇狩人の鼻先で急停止する。が、状況を理解する暇もなく足元を蹴り払われ、視界が回転し、青空が見えたと同時に背中から地面に叩きつけられた。
「大丈夫かい?」
受け身をとって地面を転がり、再び立ち上がった半闇狩人に声をかけつつも、小刻みにステップを踏みながら、右へ、左へ、空を切る音と共に横殴りの素振りをしながら、どうにも攻めあぐねている様子の半闇狩人にもう一度声をかける。
「君の素早さとバネをもっとあてにしてごらん?君なら、教えたとおりにできるんだ。それと、何があっても最後まで目を閉じなかったのは良かったよ」
「は……はい!」
「じゃあ、もう一度いくよ」
再び迫り来る黒い暴風、そして、半闇狩人は今までより半歩間合いを広げながら、懸命に退役軍人の全身を視界をに入れつつ、こちらに向かって拳が伸びきった瞬間、地を蹴る。しかし、これは誘導、次に来るのは――――――
鞭のような蹴りが迫る、しかしかわさない。むしろ、それの内側に向かって飛び込むように加速する。しかし、すかさず反対側の拳が迎撃に上がるが、さらにその下をかいくぐるように、拳より速く、ひたすらその巨体に向かって再び加速。
そして、組みつくように退役軍人の懐に飛び込んだと同時に、指の間に握った矢を拳ごと叩きつける、そして、鏃の無い矢は胴鎧の隙間から脇下に突き立てられた。もし、これに鏃がついていたら、退役軍人は肺から鎖骨辺りまで斜めに貫かれていた。
たった二呼吸ほどの間でなされたこの動き、多少手加減はしてみたとは言え、ここまで出来れば大したもの。
「うん、よくできたね」
まさに黒い疾風、二段、三段の加速、そして、視界の集中と拡散の瞬時の切り替え、闇人の血ならではの身体能力。只人なら、教えてここまでできるようになるまで、よほどの才に恵まれなければ倍の月日が必要だっただろう。
「でも、最後まで油断しちゃいけないよ」
「えっ……んっ!んあああああああっっ!?」
いつまでも懐に留まっていた半闇狩人は、突然抱きすくめられ足が宙に浮く。その瞬間、ものすごい圧力で締めあげられ、背骨が軋み肺の空気が全て絞りだされた。
「最後の力を振り絞って反撃してくるかもしれないからね、だから、一撃入れたらさっさと離れないと危ないよ」
詰めの甘さを指摘する退役軍人の言葉を、半闇狩人はどこか恍惚の表情を浮かべながら聞いていた。それが、酸欠手前だからなのか、他の理由なのかは、わからない。
「お師匠様!お昼ごはんもってきました!」
「うん、ありがとう」
最後の最後で意地悪いことをしてしまったにもかかわらず、何故か上機嫌な半闇狩人は、パンやハム、チーズの包みと、慎重に運んできた牛乳のジョッキを退役軍人に手渡した。
青空の下で食べる昼食は楽しい、そして、師から習っている、矢を刺突武器として白兵戦に使う打根術も、ようやく今日初めて一本取れた。それと――――――
「最後の最後で申し訳なかったね、背中は大丈夫かい?」
「はい!大丈夫です!」
「そ、そうかい?ともあれ、いただこうじゃないか」
半闇狩人の明るい表情と返事に面くらいながらも、なにはさておき、昼食を頂くことにする。そして、青空の下での食事をとりながら、退役軍人は隣に座る半闇狩人に話しかける。
「最後に組み付かれた時なんだけどね、相手の頭に抱きついても特に効果はないから、とにかく頭のてっぺんに思いっきり肘を打ち下ろすといいよ。矢を取ることができたら、それを首に刺すのもいいだろうね」
「はい!」
今日はものすごくご機嫌、よほど、一本取れたことが嬉しかったんだねぇ。と思いながら、退役軍人は腰の雑嚢を探り、銅貨を数枚つまみだした。
「今日はよく頑張ったからね、これで、君の食べたいものを追加で買ってきていいよ」
とたんに輝き出す表情、半闇狩人は、退役軍人に一礼すると建屋に向かって駆け出していった。そんな彼女の成長ぶりに、退役軍人は感慨深げにジョッキの牛乳を飲む。とかく、彼女は呑み込みが早い。読み書き計算にしても、戦技にしても。まるで、知識に飢えているかのように、乾いた砂に水が染み込むように、彼女は教えたことを余さず吸収していった。
この分だと、あと1年もしたら、軍団員の若手くらいはやっつけてしまうかもしれないねぇ。そんなことを思いながら、すぐにそれを打ち消す。別に、自分はあの子を人狼にしたい訳ではない。そして、軽やかな足音と共に、半闇狩人が戻ってきた。
「いってきました、お師匠様!」
ほどなくして戻ってきた半闇狩人が買ってきたものをみて、退役軍人は思わず目を細める。
「蜂蜜パンケーキかい、こういうのもあったんだねぇ」
これが彼女のお気に入り、ということなら次から食事の献立に追加しようか。そう考えていると、退役軍人の前に蜂蜜をふりかけたパンケーキが差し出される。
「お師匠様も、どうぞ!」
「え、いいのかい?私のことは気にしなくていいから、遠慮せず食べなさい」
「一緒に食べたほうが、おいしいですから」
屈託のない笑顔、この子は、あの日からずいぶん明るくなった。退役軍人は、ギルド酒場の獣人女給に、心の中で感謝の言葉を送る。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、いただこうかな」
「はい!」
久しぶりに食べる甘味、なんでもかんでも歳のせいにはしたくないが、この所甘いものにあまり興味がなくなっていた。こうして彼女からすすめられなければ、こうして口にすることもなかっただろう。
だけど、こうして久しぶりに食べてみるのも、いいものだねぇ。そんなことを思いながら、退役軍人は、ふくいくたる香り漂う蜂蜜とパンケーキの味を堪能していた。
「先生!お疲れ様です!」
「やあ、君、お疲れ様。尼僧殿には会えたかい?」
昼食も終わり、帰り支度を始めていた師弟の元に、宿坊を訪ねていた若い戦士が戻ってきた。
「それが……所用で出かけていると言って留守だったんです」
「そうだったのかい、尼僧殿も、なかなか忙しそうだからねぇ」
若い戦士の報告に、退役軍人は自分を納得させるように頷く。冒険者とは言え、僧侶。神職である以上は、本業の方もおろそかには出来まい。それにしてもこの青年、お弟子さんの稽古が大事ですから、と、使いっ走りのような仕事を進んで引き受けてくれた。なんとも心持ちのいいことか。
「それより先生、怪我の方は大丈夫なんですか?」
気遣わしげに尋ねる若い戦士、あれから調査の出発を延期して以来、退役軍人は半闇狩人の稽古のため訓練所に通い続けていた。できるだけ安静にしていた方が、と話もしたが、退役軍人曰く、この程度なら大丈夫だよ。との返事。
「ああ、それならもう大丈夫。薬の方も効いているし、尼僧殿が治癒の奇跡でなんとかしてくれているからね。この調子なら、近いうちに復帰できそうだよ」
「そうでしたか、ならよかったです」
「それはそうと、君の方は大丈夫なのかい?面倒を見てあげている新人たちもいるんだろう?」
「ええ、まあ。でも、俺がいなくても、とりあえずは大丈夫そうですよ。彼らも、自分ができることとできないことの見極めがついたようですし」
「そうかい、まあ、それがわかるなら、とりあえず大丈夫だろうね」
そう答えてから、退役軍人は、なにかいいたげな若い戦士に声をかける。
「そうだ、せっかくだから、君の剣も見せてくれないかい」
「えっ、いいんですか……!」
一瞬明るくなる表情、それでも、やはり気を使うような表情に戻る。
「でも、お昼を食べたあとじゃないんですか?それに、怪我の方だって……」
「大丈夫だよ、ちょっと待っててくれるかい?」
「あ、はい」
そういうと、退役軍人はてくてくと倉庫の方へと歩いていく。そして、しばらくして戻ってきた退役軍人の手に握られていたのは、格闘家が鍛錬に使うような三尺棒。
「ちょうどいい剣の代わりがあったからね、これでやろうか。君は、自分の剣を使っていいからね」
「え……?」
「大丈夫だよ、棍棒は結構丈夫でね。却って、木剣より安全だし稽古向きなんだよ」
確かに、長さだけなら剣とさほど変わりはない。そんな楽しそうに応える退役軍人の様子に、彼がそう言うなら、と若い戦士は納得したように頷く。
「わかりました、それじゃ、よろしくお願いします」
「うん、じゃあ、お互い気をつけてやろうか。ああ、それと、君も、私達の稽古をよく見ておくんだよ」
「はい!」
「うん、自分がそこで戦っているつもりになって、自分だったらどうするか。そういうことを考えながら見ていてごらん、結構、面白いし勉強になるからね」
半闇狩人に見学を命じ、退役軍人は三尺棒を右手に携え、若い戦士は愛用の剣を携え、お互いに対峙すると儀礼に則って一礼する。
若い戦士は、割と我流が入ってはいたが、それでも、今までの経験を反映させた実戦的な構え。一方、退役軍人は、右手に握った三尺棒をほぼ自然体のまま提げている。
(なるほど、なるほど)
退役軍人は、若い戦士の構え方を見て、彼自身の等級に相応である技量にうなずく。
「うん、じゃあこっちは装具もつけていることだし、遠慮無く打ってきていいよ」
「……はい!」
様子見、という配慮じみた最初の打ち込み。しかし、それは片手で軽やかに振るわれる三尺棒にことごとく受け流された。
「遠慮してたら私も君も稽古にならないよ?じゃあ、私からも行くからね」
そう言った途端、退役軍人の握る三尺棒がスズメバチの羽音のような唸りを上げて襲い掛かってくる。そのくせ、その主はどこにも力みはなく、まるで牛追い杖を振るう牛飼いのような気楽さで、一撃必殺の疑いもない打ち込みを繰り出してくる。
「相手の勢いにのまれちゃ駄目だよ、ちゃんと間合いをはかって、相手の姿全体を視界に入れるんだ」
ついさっき、自分に言われたことと同じ言葉。踊り翻るような三尺棒の襲撃に、若い戦士は必死にそれを迎撃し、打ち返す。その様子は、まるで剣だけを狙っているような打ち込み。半闇狩人は、初めて見る師の剣技に、瞬きも忘れて見入っていた。
「もっと手首を意識して使って、肩や肘ばかりに頼ってちゃ駄目だよ」
ほぼ素立ちに近い体勢からつかつかと歩み寄りつつ、旋風さながらの連撃が空気を振動させるような唸りを上げて飛んでくる。一方、若い戦士は、足運びは言うに及ばず、全身を総動員して懸命に防御、反撃を繰り返すが、ことごとく三尺棒の迎撃に払いのけられる。
「だから、相手の勢いに飲まれちゃ駄目だよ。君の手首をもっと頼りにしてごらん、大丈夫、君ならできるんだから」
激励の言葉をかけながらも、その勢いはまったく緩まない。そして、左の肩口を狙う打ち込みに、若い戦士は、咄嗟に手首を軸にして柄を梃子のように押す。その途端、剣は軽やかに旋回し三尺棒の打撃を受け流した。そして、そのまま翻るように切っ先を旋回させ、反対側から襲い掛かる打ち込みも辛うじて受け流すことができた。
急に、剣が軽くなった。そう思う間もなく、次々と打ち込まれてくる三尺棒の切っ先。それでも、先ほどとは全く違う剣の感触を実感しつつも、懸命に打ち込みを防ぐ。
「そうそう、剣の重心を意識してね、剣は盾にもなるからね」
嬉しそうな退役軍人の声、そして、彼が振るう三尺棒の勢いが増した。
(そんな……これ以上もたないっ……!)
「慌てること無いよ、さっきとやることは一緒だからね」
剣の重心、それを意識しつつ手首を返し、打ち込みが来るであろう方向を意識した途端、自分の剣が、退役軍人の振るう三尺棒に吸い寄せられるようにその打ち込みを阻止する。続いて、右、左、正面、そして、大腿を狙う低い打ち込み。
それを受け止めると同時に、三尺棒を押しのけるように剣を滑らせながら地を蹴り、一気に間合いを詰めると同時に体当たり。そして、ほんの一瞬体勢が揺らいだその刹那、若い戦士の剣は、逆袈裟懸けに退役軍人を薙ぎ払った。
「おお怖い怖い、今のは危なかったねぇ。でも、君の一本だ」
鎧に当たる前に体を退き、その切っ先の直撃をかわしたもの、退役軍人は、本気で肝を冷やした様子で三尺棒を収め、投了の意を示した。
「さすがだねぇ、なかなかやるじゃないか。お見事、お見事」
「は……はい、ありがとうございました……!」
嬉しそうな退役軍人の声に、若い戦士も肩で息をしながら、どうにか笑顔でうなずいた。
「今の流れはとてもいいよ、こういう時は、脇の下や腕の付け根を狙うといいよ」
退役軍人は、上機嫌で若い戦士に歩みよると、その肩に手を置いて何度も頷く。
「せっかくの決め技なんだ、最後の瞬間こそ相手をよく見て、確実に仕留められる一撃を見極めようじゃないか」
「いやぁ、なんか今日は楽しかったねぇ」
ギルドの酒場、少し早いが、退役軍人の一党は一角に席を構え、それぞれ贔屓の飲み物や料理を注文していた。そして、今日は余程楽しかったのか、彼の持つジョッキには珍しく、牛乳ではなくエールがなみなみと注がれている。
「こんな毎日なら、ずっと続けばいいのに」
とても上機嫌、まるで、娘や息子の成長を喜ぶ父親のごとし。
「ほらほら、君たちも遠慮しないで、好きなものを頼みなさい」
「それより先生、教えてほしいことがあるんですけど」
「うん?なんだい?」
「その……先生は、どうして剣を使わないんですか」
「場所塞ぎだし、手入れも大変だからねぇ。今のところ、使うつもりはないよ」
いつもの調子の、本気なのか冗談なのかわからない言葉。しかし、彼が愛用するフランジメイスとて馬鹿には出来ない。あの破壊力の権化のような得物が、あの勢いのまま襲い掛かってくるとしたら、鎧や盾の上からでも骨身を砕かれるであろうことは間違いない。
「お師匠様、もしよかったら、わたしにお手入れをさせてください!村にいた時は、父と村共同の武器の管理とかもしてましたから、剣や槍のお手入れだってできます」
半闇狩人の言葉に、退役軍人は目を細めながらうなずく。そして、村でも相当の働き者であったのだろう、と思うと同時に、彼女の父が、娘を単なる労働力としてではなく、生るための術を教え、与えようとしていたのではないか、という思いが浮かぶ。
「そうなのかい?それは頼もしいねぇ。もし機会があったら、その時はお願いするよ」
「はい!」
「でも、今はこれが気に入っているからねぇ」
そう言いながら、退役軍人はフランジメイスの柄を確かめるように手を置く。
「それに、私には奥の手があるからね」
「奥の手……?」
「うん、これだよ」
楽しそうに答えながら、退役軍人は、左手の小盾の裏から見慣れぬ武器を取り出す。それは、この辺境では話半分にしか伝わっていない武器、鉄砲。火縄や火打石で撃発し、鍛造した鋼の銃身から鉛の弾丸を撃ち出す。そしてそれは、50歩先の重装騎士を一撃で打ち倒すとも言われた、錬金術師の呪法・化学の知識と鉱人の冶金・工作技術の融合とも言える武器。
「お師匠様、それは……?」
「うん、これは、なんでも撃ち抜く魔法の鉄砲さ」
「てっ……ぽう……?」
「うん、火薬の力で金属の礫を飛ばす武器だよ」
未だにピンとこない表情の半闇狩人、そして、若い戦士は驚きに満ちた目でフリントロックピストルを凝視する。
「先生、それにしてもこんな珍しいものをどうやって……」
「うん、退職金代わりにもらってきたんだよ」
「そ、そうなんですか……」
これもまた、嘘か真か、なにぶん、いつもがいつもだけに、どうにも判断つきにくい。
「まあそうだね、でも、これの売りは、悪魔の呪いを鋳込んだ弾丸なんだよ」
「悪魔……ですか……?」
悪魔、というただならぬ言葉に、半闇狩人に戸惑いの色が浮かぶ。
「そう、この弾丸を使えば、弾の届くところにいるなら必ず命中するよ。ただし、射手の命を引き換えにしてね」
「へぇ……えっ!ええっっ!?」
退役軍人の言葉が浸透しきった時、半闇狩人は文字通り目の色を変えて彼に詰め寄った。
「駄目です!そんなの使ったら駄目です!お師匠様!!」
「いやいやいや、そんなに怒らなくても。冗談だよ、冗談」
「もっと悪いですっ!絶対嫌ですからね!約束してください!絶対使わないって!!」
「わかったわかった、私が悪かったよ、絶対に使わないから、安心しなさい」
「本当に、絶対に、絶対ですからねっ!?」
血相を変えて抗議する半闇狩人の様子に、退役軍人は内心喜びにうなずく。以前なら、言いたいことがあってもただ黙ってうつむいてばかりだったこの子が、こうして感情を真っ直ぐにぶつけてくれるようになった。
少しずつ、ほんの少しずつではあるが、ゆっくりと、しかし確実に、彼女は無くしたものを拾い集め直している。そして、いつか自分の足で立ち、そして歩んでくれれば、それは自分にとって、なにものにも代えられない喜びと誇りになるだろう。
「うん、約束するよ。すまなかったね、心配させてしまって」
「は、はい……」
やや納得がいかなさそうではあるが、とりあえず矛を収めた半闇狩人の様子に、退役軍人は、今のは迂闊だったねぇ、と、酔いと浮かれ過ぎでつい口をすべらせてしまった事を反省しつつ、ふと、まだこの場にいない面子を思い出す。
「それはそうと、尼僧殿はまだこないのかな?」
「そういえば……」
一同は、まだこの場に巡礼尼僧の姿がないことに気付く。
「宿坊には、ちゃんと言伝てをお願いしたんだけどな……」
若い戦士は、なんとも気まずそうな様子で周囲に視線を向ける。そんな彼に、退役軍人は気遣うように声をかけた。
「いいよいいよ、尼僧殿もいろいろすることがあるんだろうしね。まあ、ここは慌てず待とうじゃないか」
お坊さんと言うのも、大変だねぇ。そう気楽に呟きながら、退役軍人は、久方ぶりに口にするエールの味を堪能する。あいかわらず、兜も面頬もつけたまま、器用なことに。
「そう言えば先生、食事中でも兜や面頬って、食べづらくないんですか」
もう何度目の質問だろうか、誰もが一度は必ず聞く質問に半闇狩人が苦笑するそばで、退役軍人はいつもの答えを返してよこす。
「そりゃ、この方が冒険者らしくてカッコいいじゃないか。それに、酒場とはいっても、子供達も食事に来るんだ。若い子が私の顔を見て、食欲がなくなったらかわいそうじゃないか」
「そんなに悪いものじゃないと思いますけど……なんていうか、俺の知り合いにもそう言うのがいますけどね」
「ああ、ゴブリンスレイヤー君のことかい?」
「え?知ってるんですか?」
「うん、まだ会ったことはないけどねぇ」
そう答えながら、退役軍人は酒場を見渡してみるが、食事中に兜や面頬で顔を覆っている冒険者はいない。もっとも、聞くところによれば、仕事が終わったらさっさと家に帰ってしまう性分らしかったが。
「一度、会っていろいろ話を聞いてみたいとは思っているんだけどね」
「いや、多分、あんまり会話にならないと思いますよ。聞かれたこと以外は、あまりしゃべらない奴ですから」
「そうなのかい?」
「まあ、ゴブリンの話を振ったら、食いついてくるというより、聞いてもいないことまでいろいろとしゃべりだしますけどね」
「そうなのかい、ゴブリン退治に詳しいというわけなんだね」
「っていうか、ゴブリン専門ですよ。でも、それでも助けられた村や人はかなりの数になるんです、それで、銀等級にまでなったわけですからね」
「なるほど、それは頼もしい話じゃないか。でも、実を言うとね。私は、ゴブリンは苦手なんだよ」
「え、そうなんですか?」
「そうとも、あれほどやりにくい相手は、そうそういないよ」
かつて、地下迷宮に根城を構えた邪教の一団に対し討伐を仕掛けた時のこと。その時尖兵に使われていたのは、無数のゴブリン。確かに、一匹一匹は物の数ではない。しかし、徒党を組んで襲い掛かるだけならまだしも、人間が言う所の『良心』というものが全く存在しない連中。
考えもつかない、いや、普通考えついても実行をためらうような悪辣な行動を、臆面もなくやってのけるそれは、言い換えれば、悪意の塊。あれなら、まだ山賊の方が可愛げがある。
彼らを見ていると、人の醜い面だけを練り固めたような存在に、まるで自分の内面の闇を見せつけられるような思いになる。ゴブリンと言う怪物に対して感じる嫌悪感は、すなわち、自分自身に対する嫌悪感といっても過言ではないのだろう。
「本当に、嫌なものだからねぇ」
ぼやくような退役軍人の様子に、半闇狩人は、かつて、亡き父が強く戒めた言葉を思い出す。
“逃げるゴブリンは殺せ、逃げないゴブリンは訓練されたゴブリンだから、殺せ”
ゴブリンの4、5匹程度の徒党が村に現れた時、自警団のひとりとして討伐に出た父は、それこそ、一匹残らず射殺した。逃げようが背を向けようがおかまいなしに。その時、普段は温厚だった父が、厳しい表情で自分に言い聞かせた言葉。
あれは、人からすべてを奪い取る。財産も、家族も、命も、尊厳も。
自分の欲望や情動を見逃すものが、ついには膨れ上がったそれに狂わされ破滅するように。あれを見逃せば、次にまみえる時は手の付けられない猛毒となって現れる。兵役時代、戦場で何度も相手にしたとは聞いていた。それでも、あまり多くは語ろうとしなかった。しかし、普段の父からはまず出てこない言葉と表情は、いまでもはっきりと記憶に焼き付いている。
「けど、そういう若者がいるのは、本当に頼もしいことだよ」
退役軍人は、静かにうなずきながら、ジョッキのエールをぐびりと飲み込む。
「大したことはないから、と甘やかしたり、放っておいたりしてしまうのが人の性さ。でも、それをしない、できない、というのは、簡単なようで難しいからねぇ」
独り言めいた言葉の後、退役軍人は気を取り直すような口調で、半闇狩人や若い戦士に食事をすすめる。
「まあ、そんなつまらない話はこのくらいにしようか。それに、彼にもそのうち会う機会もあるだろうしねぇ」
と、その時。
「黒騎士様、皆様、遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした」
穏やかで涼やかな、喧騒の中にあってもなお澄んだ声。巡礼尼僧は、会席に遅れたことを一堂に詫びるように一礼する。
「やあ、尼僧殿。待っていたんだよ、さあ、座って座って」
「はい、ありがとうございます」
頭巾の下からこぼれた栗色の髪がふわりと揺れ、あの心地良い空気が広がる。それはまるで、晩秋の夕暮れ時、収穫を待つ穀物畑に佇んでいるような。はっきり言葉に出すのは恥ずかしいから言わないが、半闇狩人は、一緒にいてどこか心安らぐような、そんな巡礼尼僧が好きだった。
「お坊様、どうぞ、こちらへ」
「ありがどうございますね、狩人様」
席をすすめる半闇狩人に笑顔を向けながら、静かに腰を下ろした巡礼尼僧は、今日も相変わらずな退役軍人の様子に苦笑する。
「今日も、兜をお召しになっているのですね」
言葉とは裏腹に、巡礼尼僧はくすくすと笑みをこぼす。
「まあ、わざわざ見せるほどの顔じゃあないしねぇ」
「なにをおっしゃいますやら、黒騎士様のお顔はご立派でございますよ。誇りこそすれ、恥じるものなどございません」
「そ、そうかい?」
「ですが、黒騎士様。高位の術師なら、傷跡を癒やし消し去ることも可能でございます。お気になさるようでしたら、どうして治療をなさらないのでございますか?」
「うん?まあ、そうだねぇ……」
巡礼尼僧の問いかけに、退役軍人はしばらく考えこむ素振りを見せた後、いつもの調子で答える。
「だって、この方が格好いいじゃないか。歴戦の戦士みたいでね」
そんな退役軍人の言葉に、巡礼尼僧はころころと鈴を転がすような声で笑う。
「おっしゃるとおりでございますね」
どこか困ったように、しかし、柔和な笑みを浮かべる巡礼尼僧の顔を見上げ、半闇狩人は、ほぅと小さくため息をつく。
会ってそう間もないが、僧侶にふさわしい穏やかな人柄は、心地よい安らぎさえ感じる。綺麗な人だ。同性の目から見ても、どこか惹かれるものがある。僧侶として、冒険者として、これまで様々な積み重ねがあって今の彼女があるのだろう。
亡き父からもある程度習っていたが、退役軍人も読み書き計算を教えてくれたおかげで、大抵の文字には目を通すことができたし理解もできた。その上で特に、巡礼尼僧が読み聞かせてくれる神々の逸話。自分で読むのは勿論のこと、信仰や教義抜きで純粋に物語として彼女が語ってくれる時間は、半闇狩人のささやかな楽しみの一つになっていた。
「どうなされましたか、狩人様」
にっこりと笑いかける巡礼尼僧に、半闇狩人はもじもじとうつむきながらも、意を決したように彼女に問いかけた。僧侶である以前に、どうしたら、そういう風に人として美しくあれるのか、聡明であれるのか。今はまだこんなだけど、いつかは、貴女のようになりたい――――――
「私めも、狩人様のことを、美しいと思っておりますよ」
巡礼尼僧は、半闇狩人へにこりと笑いかける。
「姿形が良いから、美しいのではございません。美醜など、時の移ろいによっていくらでも変わるものでございます。本質が美しいからこそ、愛され、外側も美しくあるのでございます。狩人様、ゆめお忘れなきよう。姿とは心の映し鏡。願わくば、その曇りなき心、いつまでも大切になさってくださいませ」
「は……はい!ありがとうございます、お坊様……!」
巡礼尼僧の言葉に、半闇狩人は笑顔で頷く。しかし、何かを思い出したように眉根を寄せると、母親にとりすがる娘のような勢いで訴えかけた。
「あっ!それより聞いてください、お坊様!!」
「いかがなされましたか、狩人様?」
「お師匠様ったら、ひどいんです!」
やはり、稽古の時、鯖折りをかけてしまった事を怒っているのだろうか。半闇狩人の切実な声に、退役軍人はひやりとしながら身を固くする。
「お師匠様、撃ったら自分が死んでしまうって鉄砲を使うって言うんです!」
「まあ」
「いや、そっちなのかい!?」
「……そっち、とはどういうことでございますか、黒騎士様?」
「え?ああ、いや、それはだね・・・・・・」
うろたえる退役軍人をよそに、巡礼尼僧は半闇狩人の必死の訴えに静かに耳を傾ける。そして、半闇狩人の話を聞き終えた彼女は、静かにうなずきながら合掌する。
「なるほど、さしずめ、魔弾の射手……で、ございますね」
巡礼尼僧は、言葉の意味をかみしめるように小さく呟く。そして、合掌を解くと、静かに退役軍人に向き直った。
「黒騎士様、狩人様の御心配、ごもっともでございますよ」
「いや、本当に申し訳ない」
「黒騎士様、私めは責めているわけではございませんよ。私めも、このように楽しい席で、雰囲気を壊すようなことはいたしたくありません」
穏やかな言葉と共に合掌しつつ、巡礼尼僧は退役軍人に一礼する。
「冗句であれ真であれ、私めも、黒騎士様のお命に係るような事は望みませぬゆえ、どうかそのような寂しいことはおっしゃらないで頂ければ、幸いでございますよ」
「うん、私も軽率なことを言ってしまって、本当に申し訳なかったと思ってるよ」
「はい、ですけれど、もうお気になさらないでくださいませ、黒騎士様」
巡礼尼僧は、穏やかに笑いながら、退役軍人の謝罪をやんわりと制止する。
「それはそうと、黒騎士様?ここの酒場、チーズと茸の米雑炊が大層美味しいと聞き及んでおりますよ?」
「おや、そうなのかい?それじゃ、ひとつ注文してみようか!」
「ええ、よろしくお願い申し上げます」
ようやく戻ってきた穏やかで温かい晩餐の空気、退役軍人は、安堵の気持ちとともに、獣人女給を呼び止めた。