オオスと鈴瑚は塩屋敷の主人に案内されて隅にある小屋に案内されていた。
その日、塩屋敷は人払いがされていた。…いるのはオオスとその関係者のみであった。
鈴瑚は妖怪兎に見えるが、塩屋敷の主人は気にせず丁重に持て成していた。
何せあの方の部下という話である。非礼があってはならない。塩屋敷の主人はそう思った。
その小屋は、一見何でもないように見えるが、何かを封印しようとした痕跡が見られた。
…オオスは自らの想像より酷い状況を察した。
これを耐えきっていた塩屋敷の主人の精神力に敬意を評した。
塩屋敷の主人は最終的に正気を失い、自らの愛馬すら殺すようになるだろう。
これは呪殺が何らかの形で成功すれば他者へ移るタイプの怪異であった。
世界中に似た寓話があるのもそういうことだろう。オオスは確信した。
「これは…確か地上では瘴気というのでしたか?」
鈴瑚はオオスに確かめるように言った。…顔を強張らせている。
玉兎としての本能が逃げようとしているのだろう。
鈴瑚はよく耐えているなと思いつつ、オオスは鈴瑚に下がるように手で合図した。
怪異に関わる以上、二人の間で元々決めていた合図であった。所謂ハンドシグナルである。
「…申し訳ありません」
鈴瑚は本当に申し訳ないという面持ちで下がって行った。
鈴瑚もいても邪魔になるだけだと確信していた。兵士としての合理性から来た判断だった。
「…最初は右にまわせば塩が出て、左にまわせば止まる便利な道具だと思っていました」
塩屋敷の主人は狂気に犯されそうになりながらも説明し出した。
…自らの責任を取るようオオスへ説明する。
鈴瑚はその光景を神に懺悔する罪人のようであると思った。
「…ある時、塩の取引が間に合わずに何度も回しました」
塩屋敷の主人はその時のことを思い出していた。…それが悲劇の始まりだった。
「左に回そうとしたのですが気力を失うのです。…退魔師も止められないと断言しました」
塩屋敷の主人は臼を左に回せなくなった。…退魔師も呼んだが無理だった。
「博麗の巫女に頼もうとしたのですが…ついには依頼する気が起きなくなってしまったのです」
塩屋敷の主人はそう言った。…自分では依頼できなくなってしまった。
だからこそ、現状を看破して自らを尋ねて来たオオスが救いの神に見えたのだ。
「…外の世界で、この臼は欲深き者を罰するような結末を迎えるようになっています」
オオスは淡々と海の底の臼という世界規模の怪異について説明する。
悪意を持って、欲望を持って回すとこの臼は止まらなくなる。…使用者が死ぬまで。
「それで止める者を罰するまで思考が捻じ曲がる瘴気を出している」
オオスは死ぬまで止まらないと言わない。罰するまでに留めた。
「…本当にこれを止められるのですか?」
鈴瑚は後方から声をかけて来た。
禍々しいこの臼を持って帰ってオオスに被害がないのか心配だった。
「私は瘴気を無効化できますが…仕方がない」
オオスは自分だけなら無力化できる。
…だが、部下の、鈴瑚達の為に無力化することにした。
「…ご主人。今から見ることはどうか内密にしてくださいね」
オオスはそう言って奥の手の一つを解禁した。
オオス式の退魔術であり、諧謔である権能だった。
現実欺き、自らの力を神の力と誤認させる。…オオスの許容値ギリギリの技だった。
元となるは英国の狂える修道士クリタヌスが最後に残した告白録に記載された封印の呪文。
…オオスは懐から旧き印が書かれた金属板を取り出した。
オオスはあの女神が大嫌いだった。邪悪を倒すためならば周囲の被害等躊躇しない。
…それに祈る奴らも気が知れない。だから、オオスは祈らない。命じるのだ。
「Negotia pelham est sublimating in tenebris…」
オオスは旧き印を起動させた。これは本来、糞忌々しい女神への合図だ。
オオスは起動するだけに留めている。あの神には頼らない。
「呪われた邪悪のものどもよ、海底の名状しがたい国に疾くもどれ」
オオスは淡々と命じる。海の底の臼に取り憑かれた怨念の、海底の狂気に命じる。
「汝らの行いを憎む旧神により強力にされた五芒星形の力により汝らの国へ帰るが良い」
本来は神へ祈る祝詞を述べず、ただ帰るように命令する。
そして、
「我が狂気の名の下に命ずる!…諧謔し、結末を捻じ曲げよ!」
オオスは自分の権能を行使した。…世界の寓話に諧謔を持って結末を変えた。
塩屋敷の隅にある小屋は瘴気渦巻く空間から清浄なる空間へと変貌していた。
「…これは」
塩屋敷の主人は絶句した。…自分の、内なる狂気が完全に消えていた。
「瘴気が無くなった…?」
鈴瑚は完全に瘴気がなくなったので驚いた。慌ててオオスに近づいた。
「鈴瑚は…まあいいや」
オオスは部下達にはいつかバレるだろうと思っていた。
ふらつくが許容値である。今回は西行妖程ではない。
世界的な怪異とは言え、個人への呪いだった。
オオス自身の為ではなく、部下達の為に使用したこと自体は後悔していない。
「鈴瑚も仲間内以外には今見たのを言わないでくださいね?」
オオスは部下を信用していた。…鈴瑚達にはオオスのやったことを言うことを許可した。
「簡潔に言えば、貴方と臼との関わりを完全に断ち切りました」
オオスは塩屋敷の主人に安心するように言った。
…完全に塩屋敷の主人に臼の呪いは効かない。
「そして、私が扱えばこの臼は絶対に暴走しない」
オオスは言い切った。欲望をコントロールできる者にはこの怪異は効力がない。
塩屋敷の主人のように商業で利用すれば欲望が増幅することは有りえたがオオスにはない。
「海という塩を採れる場を用意しました。…詳しくは鈴瑚と話合っていただけますか?」
オオスはふらふらと外に出て行った。…これ以上神の真似事をしたくなかった。
「気分が優れないので帰ります。申し訳ありませんが、鈴瑚」
オオスは鈴瑚の目を見て呼びかけた。
「はっ!」
鈴瑚はオオスに応じた。何を言われようとも応じるつもりである。
「…後は頼みました。塩屋敷の主人との取引は全権委任します」
オオスは鈴瑚に全権委任することにした。…思ったより世界の寓話は凶悪だった。
「私の非礼をお許しください。…また後日伺います」
オオスは塩屋敷の主人に向かって優雅な礼をもって返し、そのまま帰って行った。
オオスが帰り、塩屋敷の主人と鈴瑚の二人きりになった。
「あの方は…」
塩屋敷の主人はオオスを完全に神と確信していた。
…身を偽るのには理由があるのであろう。
しかし、どうすれば良いかわからないことが一つだけあった。
「…閣下に対し、神と拝んでも崇めてもいけません。あのお方はそう扱われることを嫌います」
鈴瑚は塩屋敷の主人に完全に同意する。…もう鈴瑚達もオオスが神にしか見えない。
…だが、神として扱うとオオスはブチキレる。
「…わかりました。ですが、この信仰は何処に捧げれば良いのでしょうか」
塩屋敷の主人は鈴瑚に、否、神の使いに問うた。
自分も商売人である。表面上は隠せるだろう。
だが、この身に有り余る信仰を全て隠すのは難しい。
「…あのお方は自らに祈らない代わりに、信仰の自由を許されています」
鈴瑚は自分達がオオスへ祈っている方法を塩屋敷の主人へ伝授することにした。
オオスは信仰の自由を権利として認めていた。そして神が嫌いである。
…だから、それはオオスの気が付けない抜け穴だった。
オオスは玉兎達が祈っている神は信仰の自由として見逃していた。…聞いてすらいない。
…神に祈らない男は自らに信仰が集まっていることに気が付かない。
オオスには客観視が欠けていた。