八雲紫が綿月豊姫から捕まる直前にオオスが乱入してきた満月の夜のことである。
八雲紫と藍は自宅に戻り、外での汚れを払いつつ会話をしていた。
「紫様があの方を味方にできれば、月に確実に勝てると仰っていた意味がわかりました」
藍はオオスの八面六臂の暗躍を実際に見た感想を紫へ言った。
「…あの綿月姉妹すら翻弄し、月の都に恐怖を植え付けた」
藍は圧倒的格上であった月の民綿月豊姫を思い出す。
月の兵器は一振りで幻想郷を滅ぼしかねない恐ろしいものだった。
そして、それすら選択の余地なく撤退を決断させたオオスの策謀を見た。
「誰にも知られずに行動し、我々の計画すら利用した。…恐ろしい謀略家です」
藍はオオスを自分達すら利用した謀略家だと思った。
『何かミスがあればフォローは手伝います』
藍はオオスの言葉を思い出す。…それは自分達の過ちすら利用し切った謀略の極みだった。
だが、
「…藍もまだまだね」
紫は藍の言葉を聞いて呆れたように言った。
外側だけ見て本質を理解していない。…式神だから仕方がないかもしれないと紫は思った。
「はい?」
藍は困惑するように紫へ返事をした。…オオスは月を完全に翻弄し、手玉に取っていた。
藍は何か自分がおかしいことを言ったのかと思案していた。
「…彼は月の都へ挨拶をしただけよ」
紫は物分かりの悪い、否、式神としては正しい藍へ教えてあげることにした。
彼は月の都へ挨拶をしただけである。…それが常人とは異なるだけであり、善意であった。
「それこそ私達の月面戦争とは関係ないわ」
紫は藍に改めて断言した。オオスは全く関係ないのだ。
利用ではなく、互いにそれを尊重していた。
オオスも紫も互いの策に干渉することなく自分の在り方を示そうと暗躍していた。
だからこそ、紫と豊姫の間に入ってしまったことをオオスは気にしていたのだ。
紫はそれを気にしていない。…寧ろ嬉しかったのだが。
「それに…地上の民では月の民に敵わないのよ」
紫は藍へ断言した。…残酷な現実を突きつけた。
オオスが幾ら策を練ろうとも本当の意味で地上の民では月の民には勝てない。
「それは彼であろうとも変わらないわ」
紫は事実を述べた。
それはオオス自身が一番わかっているであろうことだった。
だからこそ彼は今回、自分の意思で個人で月面戦争を起こしていた。
「ですが…」
藍が紫にオオスは勝ったではないかと思い、反論しようとした。
「進んだ科学力、強靭な生命力、妖怪をも超える未知の力」
紫は藍を遮るように淡々と事実を列挙するように言った。
それはオオスが欲する幻想郷に足りない『力』であった。
オオスに取って、神奈子の言うエネルギー不足は二の次であった。
…勝てないからこそ、負けないようにする。オオスの基本方針だった。
紫は神奈子とオオスの会話は知らない。
だが、今回のオオスの月面戦争は月への挨拶と力が目当てだと確信していた。
オオスは玉兎達の部隊を引き抜いたことに関して紫に負い目を感じているようであった。
幻想郷は全てを受け入れる。紫はそれをオオスへかつて宣言した。…前言は翻さない。
オオスの狙いを知っていてもそれを受け入れる度量は紫にはあった。
「…それらを有する月の都には敵わない」
紫は藍が言う勝利は、オオスの目指すものではないし、勝利ではないと言い切った。
「彼は示したのよ。月の民に自らの在り方を」
紫は藍の目を見て話す。オオスの在り方を示しただけで勝ち負けは関係なかった。
紫は知らないが、成功は、結果であって目的ではないとオオスは魔理沙へ伝えていた。
オオスの目的は紫の想像と合致していた。
「…そしてそれは勝ち負けではない」
紫はそう言って話を締めくくった。
…彼の人生を見ていた紫だからこそ言い切れる彼の月面戦争の在り方だった。
オオスが月の民へ『人』の意思を示しただけだと確信していた。
彼はどこまで行っても人の味方なのだ。
…それは月の民すらも変わらないのだろうと紫は豊姫と彼との会話の中で確信した。
「紫様は月の罠も気づいてらっしゃいました。…経験済みだったと伺いました」
藍は紫の話を聞いて言葉を漏らした。…勝ち負けでないなら主人である紫も同じだった。
藍は紫が月から幻想郷に戻る罠を既に経験していたと話していたのを思い出した。
「…そういう返しができるのならば、後一歩ということかしらね」
紫は自分の命令を聞くしかできない式神の返しにそう呟いた。
そう、紫も勝ち負けではないのだ。
…彼が藍へ紫の月面戦争を税金の取立と評したように。
「何がでしょうか?」
藍は聞き返していた。紫の意図がよくわからない。
「…風情というものの在り方よ」
紫は彼ならそういうだろうと思いつつ、藍へ教えてあげた。
それは誰しもが持つ在り方であり、全てが満たされた月の民に欠けているものであった。
霊夢が月で神降ろしをし、オオスが玉兎に変装して依姫に直接会って話をした日まで飛ぶ。
オオスは月での拠点にて、その一帯に住む玉兎達から『王』として崇められていた。
「兄貴、また差し入れですぜ!」
若い玉兎はオオス(玉兎)に言う。…兄貴はついにあの綿月依姫にすら啖呵を切った。
それはここに住む荒っぽい…言うならば不良玉兎達に取って凄まじい偉業だった。
若き玉兎は兄貴の偉業の数々を思い出す。
神にすら勝負を挑み戦利品を巻き上げ、情けない玉兎達へ活を入れた。
…偉大な我らが王の在り方を自分は直に見て来たのだ。
それが玉兎には誇らしくてたまらなかった。
「ありがとう」
オオス(玉兎)は若き玉兎へ礼を言いつつ、神から巻き上げた戦利品の仙果を齧っていた。
オオスはここ数日、月へ潜伏し、仙果やその他諸々の物品を大量に確保していた。
オオスはそれを自分の夢の世界に放り込み、幻想郷に持って行けるようにしていた。
…月は物で満たされ、永久的なエネルギーが存在していた。
なので、オオスが多少貰ったところで全く問題なかった。
「しかし、私もそろそろ行かねばならない…」
オオス(玉兎)はそう呟いた。心残りがあるが、目的の霊夢も見られた。
霊夢が奴隷のようにこき使われているわけではないとキチンと確認した。
…そろそろ潮時だった。
「あ、兄貴がいなくなるんですか!」
玉兎は兄貴と慕う相手がいなくなると聞き、衝撃を受けた。
たった数日でこの一帯の頂点にまで上り詰めた偉大な王がいなくなる。
…少なくともこの玉兎に取っては短い兎生の中で一番の衝撃だった。
「…礼を返せないのが悪いが、綿月殿のことだ。ここに私が留まれば皆に害が及ぶだろう」
オオス(玉兎)は本心からそう言った。依姫は簡単に誤魔化せるが豊姫は誤魔化せない。
…ここから去る潮時だった。中々見どころのある玉兎にも会えた。良い思い出だ。
「あ、兄貴…」
玉兎は涙した。兄貴はここに住む玉兎達を心配して、自ら他の危険地帯へ行こうと言うのだ。
…ここ以外ならば兄貴は綿月家の権力によって見つけ出され、やがて捕らえられるだろう。
それを承知で兄貴は行くのだ。あの邪悪な綿月家にたった一人で立ち向かうつもりなのだ。
「世話になったな。…達者でな」
オオス(玉兎)はそう言って若き玉兎へ背を向けて去って行った。
…無粋な言葉は不要と言うように。
「あ、アニキー!!」
若き玉兎は兄貴と慕う玉兎の背を見送った。
その生き様を心に焼き付けた。
…その玉兎が後にこの一帯の、月の治外法権を支配する玉兎になるとはまだ誰も知らない。
その心の中にはいつも、過ごした日々は数日なれど、兄貴と慕った玉兎の偉大な姿があった。