嘘つき探偵と幻想郷   作:kohet(旧名コヘヘ)

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信仰しない男の瑕疵

 

オオスは当然だが特定の宗教に属してはいない。特に神を崇めるなど論外である。

 

 

だが、オオスはあらゆる宗教について学んでいた。 それは外での経験や学びが下地になっている。

 

更に幻想郷という現代社会とは異なる摂理である世界でオオスの知識は深まっていた。

 

しかし、根底の部分は変わらぬままである。神は論外だが、人の可能性を信じている。

 

根底では自然を尊び、何よりも『☓☓』を求めていた。

 

 

比喩としての全てを把握できるような神の視点では、オオスは根底の感情の高まりは強く、前者には折り合いをつけているように見えなくもない。

 

だが、オオスは神の敵側、悪魔であるレミリア等には神への呪詛を吐き出していた。

 

里人として振る舞う時すら、農民等の里人が世話になっているような神、紅葉と豊穣の神である秋静葉と秋穣子の姉妹に自分は祈らないとオオスは宣言していた。

 

オオスは弱小でそもそも神社すらない野良神相手を不憫に思ったり、それなりに助力をしつつも自分は神には祈らないと本人達の前で毎回のように言う。

 

ガチで信仰心がないオオスの言葉に対して秋姉妹側は何だかんだで世話になっているので苦笑いするしかなかったりする。

 

 

 

洩矢諏訪子は八百万の神、土地神としてオオスのこの姿勢に疑問を持っていた。

 

オオスは善良な神が相手ならばそれなりに敬意を払っているように見えるが、本当に信仰心の欠片もない人間であった。

 

守矢神社の一件にしてもオオスは持ち前の知識で神社の歴史、歪な関係ともいえる部分まで踏み込んでいた。

 

オオスは神奈子を神と認識しつつ煽るかと思えば、他方で無駄と思いつつ神奈子を心配して自分なりに警告もしていた。

 

嫌悪しているだろう神でも、自分、或いは関係する者が世話になった際の礼や恩はしっかりと弁えていた。

 

 

「難儀な性格というよりは寧ろ…」

諏訪子は湖の氷がなくなりつつある状況を観察しつつ、オオスのことを思い出していた。

 

春となれば妖怪の山だろうが、関係ないと言わんばかりの男である。

 

雪という物理的な妨げがないのなら守矢神社にも寄るかもしれない。天狗や河童等を相手に交渉しつつ、予め考えていた計画とやらに奔走している神奈子は現在も忙しい。

 

神奈子が幻想郷へ勝手に転移した経緯もありまだ諏訪子は他への視点を向ける余裕があった。

 

なお、飽くまで神奈子と比較してである。外にいた頃に比べると滅茶苦茶忙しかったりする。

 

 

「まぁ、今はそれどころでもないんだけどさ」

諏訪子はそう言って神としての力を行使した。

 

諏訪子は表にウケが良く交渉向きな神奈子の権威を高まるように裏方で忙しかった。

 

坤を創造する程度の能力である諏訪子は妖怪の山という場で力を振るっていた。

 

諏訪子の能力は簡単に言うならば大地を創造し、操る能力である。

 

富士山以上の大きさである本来の姿の八ヶ岳、妖怪の山の噴火すらコントロールできる。

 

その力を張り巡らせることで表向き神奈子の信仰心を高め集めつつ、共有し増幅させている。

 

 

「神奈子を見張ってと言われても…無理だなぁ。せめて、あの性格がどうにかなれば…」

諏訪子は雪解けの妖怪の山での災害を神の権威を高めるように調整しながら独り言を溢していた。

 

神奈子も何だかんだで肝が座っているオオスに好印象は持っていた。神嫌いを公言する男を自分の計画に誘うくらいには認めていた。だが、オオスがオオスなので乗らないと思っている。

 

神奈子は実績でオオスの鼻を明かしてやろうとしていた。神の権威を見せつけることで下らないこと言っていないで傘下に入れという感じである。

 

神奈子はそれを無意識で行っているので多分気がついていない。諏訪子は増長させても不味いので黙っている。

 

 

「はぁ…」

仮に神奈子の思い通りに全てが成功してもオオスの露骨に嫌そうな顔しか浮かばなかった。

 

神奈子はそういう奴であるので訂正は多分無理である。諏訪子は思わずため息が出た。

 

早苗とどうにかなってくれれば面白いことになりそうだが、神奈子の計画が実行されない限りそれも無理である。

 

なお、諏訪子は早苗を溺愛している。というか、気立ての良い美少女である早苗相手に断られるとは想像できなかった。早苗は発破をかけるにしても神奈子が障害だとは思っている。

 

諏訪子が知らないところでオオスは守矢神社にヘイトを溜めまくっている。

 

 

オオスは早苗個人と仲良くしても諏訪子が考えているような関係は間違いなく拒否した。

 

…万が一有りえてもまた守矢かとオオスが思うことが続く限りはまあ無理である。

 

 

 

そんなオオスは外では勿論、神に殺意よりも酷い感情を抱いていた。ある意味で全盛期のオオスである。

 

しかし、無知のまま嫌うのも道理としておかしいとも思ってもいた。変なところで律儀な当時のオオスは嫌悪する存在、神を崇める思考とそれらの知識を学んでいた。

 

 

神道や陰陽道は京都のやたら有名な半妖の陰陽師に手習いし、邪教の類は邪教徒から経典等を強奪し場合によっては焼却したり、仙道の薬で過去に精神を飛ばしたりなど様々なことをしている。何でも吸収しており、仙術も道教もキリスト教、ドルイド他多数も学んでいる。

 

 

宗教というのはその存在を類推するのに役立つからという探偵としての知識に必要と感じたから、それらに関する術や知識が深淵の存在に立ち向かう時に役立つからでもあった。

 

…自分に言い訳でもしないとやっていられないという感情、ストレスもあった。

 

オオスの思考模写や変装術も宗教という土台から算出すると極めて精度が高くなっていた。

 

 

現代日本人は無宗教といいつつもクリスマスを祝い、初詣に行く等滅茶苦茶なことを習慣として行っているが、一種の宗教であるので誰でも応用が聞く。

 

他方で岡崎夢見のような完全な未知の場合はオオスも思考が狂い、霊夢に助けられるくらい動揺することもある。

 

夢見が人間でなければオオスは一切動揺しないのだが、下手に理解できる『善人』であるマッドサイエンティストは地味にオオスの虚をつけていた。

 

そんなオオスの芸能は最早常人の域ではない。

 

あらゆる文芸の根源を理解している者が織りなす芸である。

 

芸とは元を辿れば信仰に行き着く物であり、オオスはそれを熟知していた。

 

更には生来の容姿とその所作により見るもの全て魅了するだけの精神的な力が存在した。

 

それは決して本人が望むものではないが、天賦の才であらゆる根源を理解し行う芸である。

 

月の都へ潜入した際にオオスが披露したその舞は傲慢不遜ともいえる審美眼を持つ月の神々すら魅了した。

 

その後、舞を称賛しつつもそれに出てくる地上の民や鬼を愚弄するような感想を述べた神は磔になったが。潜入任務中なので矯正できないのがオオスの心残りである。

 

多少の行為で大げさだと未だにオオスは根に持っている。

 

…綿月姉妹がオオスの考えを知れば、本来はこちらの神々が根に持つ側なのではないかとツッコみを入れるだろう。

 

 

 

そんなオオスだが当初の霊夢からは何と仏教の手先だと思われていた。信じられないことだが、列挙すればそう考えられなくもない。

 

雲居一輪は地底でオオスに会った際、そう錯覚していた程でもある。ちなみに今でも仏教徒でないかと思っている。

 

当時の霊夢は仏教徒オオスが博麗神社を敵視し、敵対行為を働いていると解釈していた。

 

実際、その方がわかりやすかった。というか、それならば簡単でもあった。

 

今は霊夢もオオスと関わり、理解したので知識だけはやたらある癖に神も仏も信じないし、喧嘩を売るような罰当たりの極みだと知っている。

 

博麗霊夢は天賦の才の持ち主である。そもそも努力をしても根本的には意味が薄いと思っている。

 

博麗神社の御神籤には努力を進めるような籤である末吉を入れていないほどだ。

 

オオスの知識は正しく努力が意味をなさない典型だと思っているが、何故か霊夢としてはそれが腹ただしかった。

 

 

 

話はスペルカードルール制定後に起こった初の異変である『紅霧異変』まで遡る。

 

紅霧異変で紅魔館にいたオオスは霊夢に救助を求めたことがあった。

 

善良なる里人としては一応、オオスは拉致されていた。霊夢に対しては一被害者、そのように振る舞うべきと思っていた。

 

…ついでに倒れていた咲夜を治療の許可をもらうつもりだった。

 

当時のオオスからすれば咲夜は当初の計画を狂わせるような滅茶苦茶な拉致してきたメイドである。

 

しかし、それなりに紅魔館に馴染んでいたのもあり、オオスとしても咲夜へ手当くらいはするつもりだった。

 

だが、オオスは何故か霊夢から封魔針の投擲を受けた。

 

余りにも理不尽極まりなくオオスは咄嗟に使う気がなかった『術』を使用してしまった。

 

その後は開き直って異変の首謀者を詐称しレミリアに蹴りを入れられたりもした。

 

当時のオオスの心情はひっそり進めていくはずの計画が滅茶苦茶になっていた。

 

最早、この防御だけでも目立ち過ぎた。元々狂いまくっていたオオスは半分ヤケクソ半分八つ当たりで霊夢やレミリアに喧嘩を売っていた。

 

 

当然だが、オオスの霊夢への扱いはここでほぼ確定していたりする。

 

霊夢に関しては幻想郷の秩序を守る博麗の巫女ではなく、神の下僕たる巫女として扱っている。

 

 

 

霊夢視点ではオオスは何か怪しいので封魔針を投擲しただけである。

 

こんなところにいる奴が悪いというのもあるが、当時のオオスは本能的に『畏れ』を感じさせるような印象を受けるものがあった。

 

死と生に対する執着が皆無であり、霊夢のような勘の鋭い者ほどそれが余計に感じ取れた。

 

そして、その男は霊夢の封魔針を防いだ。もう黒に等しいと霊夢は扱うことにしていた。

 

…オオスの呪文には一切のブレがなく、本職であると霊夢が錯覚するほどの物だった。

 

紙吹雪と化したお札が宙を舞い、それ以上の封魔針の投擲が意味をなさないと霊夢は勘で理解した。

 

 

その際に、それが仏教の念仏の類だと霊夢が理解したというのが大きかった。

 

仏教徒の術であり、全てを丸め込む力というのだろう。少なくとも霊夢はその様に受け取っていた。

 

その後も宴会芸の類だがオオスが博麗神社に喧嘩を売るような宗教ネタは踊り念仏などしていた。

 

しかし、神も仏も祈らないというオオスの態度がドンドン露骨になっていった。 喧嘩を売りたい放題である。

 

 

霊夢のオオスへの誤解が解けていたが、霊夢はそれはそれでムカついていた。 …理由は不明であるし、霊夢も深く考えたことはない。

 

 

 

オオスは仏教徒ではないが、多少仏教よりの思想であることは否定できない程度には感化されていた。

 

射命丸文は天狗の本能が仏教への妨げであるとオオスを通して理解した気になっていたが、もうそうではなくオオス本人が悪いとして、開き直って色んな意味で襲いかかろうとしている。

 

天狗は仏門に行く者を妨げるという根源が作用するかとオオスは自身の根源に悩んでいたが、そんなの関係なかったと文を通して理解していた。

 

とはいえ、地獄の業火へ向かう入り口への宣誓に仏教の文言を基礎としてあらゆる要素を加えているので根源的に仏教的な素養が高いと理解していた。

 

 

 

摩多羅隠岐奈はオオスに親近感を抱く程度には似た性質を有していると解釈していた。

 

オオスが季節の堺が狂う60年に一度の日に更に狂わせるような品々で自分の元へ訪れた際はどうやったらこのような人間になるのか、人間を辞めかけている男に対して問いかけていたりする。

 

神も仏も崇めないのが惜しい程には聖人としてオオスと名乗り、名を伏せる存在はほぼ完成していた。

 

歴史上の偉人を聖人と称することもあるが、それとは違う本物と隠岐奈は評価していた。

 

 

 

四季映姫からすれば真実を改竄し、諧謔する能力を有する人間は存在そのものが大罪であった。

 

…神にも仏にもすがらない、決してそれらになろうしない人間は四季映姫ですら地獄へ落とすしかなかった。傲慢と強欲に塗れた人間の罪を悲しみつつもその在り方を賛美しながら突き進むの行為はオオス・ナルガイという『名』を得てからも男は変わろうとはしなかった。

 

かつてない偉業を成し、数多の人を救い、それら全てのその罪を背負おう覚悟があろうとも、決して許してはならない大罪をその男は背負っていた。

 

 

 

 

そんなオオスだが、何も信仰はしないがたった一つだけ仏教の知識と知恵を有する者として許せないことが存在していた。

 

パーリ仏典、上座部仏教の大般涅槃経におけるブッダの人間的な姿にかつてのオオスは感銘を受けた。

 

 

そこには老い果てた人間の姿があり、病に苦しむ人間の姿があり、疲れ果てて水を求める人間の姿があり、長年の世話を弟子に感謝する人間の姿があり、静かに最後の教訓を述べる人間の姿があった。

 

伝説に彩られた後世の仏陀ではないブッダその人を感じていた。

 

 

オオスは聖徳太子が書いたとされる仏教典の注釈書である維摩経義疏などで日本で広まった初期の大乗仏教を学んでいたし、その有り様に影響を受けてもいる。何なら術も聖徳太子の本によるところの構成が基礎である。だが、オオスは決して聖徳太子を尊敬しない。

 

 

オオスは西洋人の視点で研究した初期仏教に見て取れる人間ブッダの有り様を見てある疑念を抱いた。

 

 

本当に聖徳太子は仏教を広める気があったのかである。事あるごとに比喩として持ち出す程度にはオオスは無意識に嫌悪していた。

 

 

皆を救うという思想形式である大乗仏教というのは中国経由だから仕方がないところもあろう。

 

古代の初期仏教にあるような個人個人の悟りを目指す有り様は本当に孤独すら覚悟しなければならないだろう。

 

だが、オオスからすれば聖徳太子死後に大災害ともいうべき厄災が降り注いだから仏教が広がったと確信していた。

 

どう反証を求めても、それをすればするほどオオスは偉大な前任者ともいうべきはずである聖徳太子を信じられなかった。

 

 

本当に広めるつもりがあるのならば聖徳太子は別な行動がいくらでもできたはずである。そもそも宗教対立などという形で戦争まで起こしている。

 

このような文章を後世に残せる存在ならば間違いなく他の手段があったし、後々まで響くことになる遺恨を残さないだろう。

 

…明治の初めに起こった阿鼻叫喚の廃仏毀釈はオオスにとって聖徳太子が起こした災厄そのものであった。

 

 

オオスから見れば聖徳太子のやり方は衆愚を纏める為のその場しのぎの策略にしか見えなかった。

 

 

故に、オオスは聖徳太子という幻想となりそうな偉人へ一つだけ問いたかった。

 

回答次第では絶対に許さない。オオスの根源を為す部分で喧嘩を売る所業である。

 

 

知らないとか知ったことではないなどの言い訳は関係なく、限りなく黒の存在の到来をオオスという人間は漆黒の感情で待っていた。

 

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