オオスは東風谷早苗と別れた後、職業である紙芝居屋を再開していた。
早苗は知らずに夕飯の支度の為に帰宅したが、オオスも誘う理由がないのでそのままだ。
再開後初公開というわけでもないし、妖怪の山の頂上付近にある守矢神社まで帰るのは一苦労どころではない。
どう考えても夕飯の支度の方が大事だとオオスは思っている。紙芝居では腹は膨れない。
「この阿呆が!わしゃ、忠告したぞ」
オオスは子ども達や暇な大人達相手に紙芝居を行っている。妖怪が混じっているが気の所為である。
普段のオオスからは想像もできないしわがれた老婆の声が発せられている。
思考模写して登場人物になりきりながら、持ち前の演技力を最大限に活かしていた。
「その足が立つ限り、財産を譲るとは間抜けか意気地なしのすることだと!」
オオス、老婆は土地財産を息子達へ譲って世話になるという老人へ説教していた。
オオスのそれは昔話にしては苛烈な内容であった。
まぁ、大幅に改変されているし、根本的な悪役に人間を欲深くさせた妖怪を添えていた。
なお、一部の妖怪がどうやって人間を唆せば良いのかメモしている。
多々良小傘は物語に登場する妖怪の余りの邪悪さに怯えていた。
おい、付喪神とはいえ妖怪だろ貴様とオオスは小傘に対して思った。
妖怪達のメモも詐欺師が防犯対策講座に現れるような物なので想定内であり、許容範囲である。
人里の外でやられる分にはオオスも構わないのでスルーしていた。 そして、そもそもその辺はきちんと弁えている妖怪しか来ていない。
今回の話は1887年に出版されたエミール・ゾラの『大地』が元ネタであった。
貧しい農民たちが遺産の土地を奪い合い、土地に対する異様なほどの執着を見せあう物語といえば良いのだろうか。人によっては醜悪で猥雑とも評する者もいる。
オオスは大地含めた『ルーゴン=マッカール叢書』全20巻を読んでいたが、人の業とも言える描写と時代の過渡期を描いた作品群として評価している。
オオス的には人間はそういう面もあるよなという感想である。
当時の人々からは下級階層の人々を露悪的に描写し過ぎていると非難されていたが、オオスとしては方向性が違うだけで非難している側も同等程度であると思っている。
「その時、初めて彼らは気がついた。否、最初からそこにあったのだ」
オオスは話のまとめに入っていた。
散々滅茶苦茶な様相になりつつも全員酷い目に遭ったという中で、唯一変わらぬ美しさを保っていた物が一つだけあった。
オオスが今回伝えたい教訓である。争いの元になる『物』は人によって狂気に陥れるが果たしてそれが悪であるのかという課題である。
「人がどれだけ荒れようとその伏せた土地は変わらなかった」
オオスは争いに疲弊し、皆が倒れる中で美しく夕日に照らされた『土地』を描いていた。
紙芝居を見ていた観客に丁度よいタイミングで光が刺した。
同じように美しい夕焼けである。どう合っても変わらぬ美しさに闇を感じさせていた物語に光が差し込んだように感じられた。
魔が差して妖怪に散々漬け込まれ、何もかも失ったように見えた物語。
根本的には何も失っていないというオオスなりのメッセージである。
「その後の彼らはどうするのか、その後の未来はまだ誰も知らない」
オオスはそう言って締めくくった。暗く身近な物語は光によって打ち消されて終わった。
改変が多いが、争う前にその物について考えろという教訓を今回追加していた。
人里でも揉め事はだいたい妖怪のせいにして畏れていろという感じでもある。
原作のように凄惨な描写にすると子どもが泣くか人間不信になるので仕方がない。
そんな感じで終了したオオスの紙芝居は週二回夕方頃に開かれる。
紙芝居は毎日でもやれなくはないが、オオスの場合は内容が毎回異なり、妖怪への畏れや教訓を含ませるものだ。
話の吟味と取捨選択で時間を割いてしまう。それとオオスはそれ以外にも動いているので妥当でもあった。
紙芝居屋と名乗ると『あっ…そうですね』という反応が気に食わないが皆納得しているので問題ない。
病気等で来られなかった子どもの為に前回の紙芝居の内容を纏めた冊子が置いてある。
一冊5厘(外の換算100円)で販売しているが、売れても儲けにはならない。
子どもたちがギリギリ出せるラインで何とか抑えている。
売れば赤字なので最初の頃は10冊程度しか置いていない。
なお、バックナンバーとしてオオスの家の地下室にはこれまでの全てが保管されている。
毎週2回違う話で10冊限定というので収集家も発生していた。オオスはそういう相手には採算が取れる価格で売っている。
どうしても紙芝居の時に売っていた物が欲しいという輩が出ないか不安でもあった。
人は何でも価値を見出して欲深くなるものである。
オオスはそういう面も含めて人間を尊重している。実際、当時の資料でしか気がつけないことというものも存在する。コレクターは時に歴史家でもあったりする。
だが、その対象が自分となるとうんざりするものであった。
紙芝居の内容が戒めも兼ねているので流石に問題有りだと考えている。
実際に欲望を増長させる妖怪が人間に取り憑いた際、オオスの紙芝居の冊子が対象となったことがあった。
その妖怪は人里で悪事を働いていたこともあり、研究材料として務めを果たした。
勿論だが、取り憑かれた商人の息子は生きている。以降はオオスに頭が上がらない。
自分と会う度に怯えるのは辞めてほしいとオオスは思っている。
自分に取り憑いた妖怪がどういう目に遭ったのかを深層心理で共有してしまった商人の息子は理性でわかっていても本能で怖くなっていた。
なお、酒屋の森岡も似たような境遇の里人である。森岡は仕事熱心なのに漬け込まれて取り憑かれていた。どちらもオオスへ感謝しているが怖いものは怖いのだ。
オオスも被害者の日常生活に支障が出そうなものは催眠術で取り除くことはある。
だが、再度取り憑かれても困るので基本は放置していた。
根本的には妖怪の畏れを知る者達である。幻想郷的にその方が益が大きかった。
大体の出来事は人里に住む退治屋に任せている。
だが、オオスの眼の前でやられるとイラっとして研究材料行きにしてしまうこともある。
オオスでも流石に人間の里内でやらかした妖怪には容赦しない。
慧音が最初に警告したようにオオスは影響力が有りすぎた。
節度を弁えない知能妖精以下の妖怪が畏れ確保の目的でオオスを襲うこともあった。
それらには悪意しかないのでオオスにより死よりも恐ろしい目に逢い続けている。
多々良小傘等は大したことはしていないので警告で済んでいる。
飽くまでオオスの逆鱗に触れるような行為を働いた妖怪が対象である。
そして、オオスの前での盗みは人殺しでも人喰いでもやらない大罪である。
なお、盗みを働いてもそこまで悪意がなければ金払えで済むのだが、それを知る者は古明地さとりくらいだった。
無事な場合もある魔理沙でもオオスにバレそうになったら逃げる。
具体的な判断基準まで把握しているのは心の読めるさとりくらいであった。
古明地こいしは名と顔こそ認知されていないが、人里ではオオスに地獄まで追いかけられたと話題の妖怪である。蛮勇にも程がある妖怪だったと語り継がれている。
こいしは無意識で動いているので基本的に誰にも認知されていない。
罪人或いは里で罪を犯した妖怪がオオスを相手にして生きていると知られれば妖怪としての格が上がる。
人里でのオオスへの畏れは溜まっていた。オオスは憤激しているが、当たり前であった。
妖力がついたのは妖怪からの信仰と人喰い朝顔等の異常食が原因だが、里人の一部から畏れられているオオスそのものの開花でもあった。
なお、こいしの妖怪としての進化、覚醒の為にはまず第三の目を開かなくてはならない。このままだと起こることはまずない。
そんなことになっているとは知らないオオスは残った菓子等を安値で販売していた。
紙芝居の見学代金として菓子を買わせている。大量に作っているので端数が出るようにしているが、余る数は少なかった。
だが、残っても困るのでこっそり見に来ている子に…というのがいつもの流れなのだが、今回は勝手が違っていた。
「……貴方には不要でしょうが、物語を紡ぐ者もまた引き起こした事件の罪も全て被る覚悟が必要です」
四季映姫・ヤマザナドゥは紙芝居屋として働く男に向けてそう言った。
「…『真実を変える力は何よりも大きな力だからなのです』という感じですか?」
オオスは映姫から連想される言葉を紡いだ。
残った子らには退散するように急かした。面倒なので残った菓子は一人一個で無料配布である。
「法律は人間が決めた約束、法で裁けない罪を私は裁くのですよ」
映姫は呆れたように素でため息を吐いた。職務外の休憩時間なので問題はない。
大嘘憑きにして真実を変える力を乱用する権化に自分の職務を宣言した。
今の映姫にはオオスを裁く権限はないが、個人的な説教なら山程あった。
オオス的には会いたいと思っていたが、人里に来ないで欲しかった。
ある意味で映姫はオオスに説教以上のダメージを与えていた。
映姫はそれを悟っていたが、それでは意味がないので人気のないところへオオスを案内させた。
なお、某烏天狗はスクープを見つけてはしゃいでいた。閻魔が男と秘密の密会だ。
ゴシップにしても良し、推測だけでも良し、スクープ以外の何物でもない。
だが、それをスクープにするとまるで自分が敗北者である。
文はそう感じてしまったのでそれを記事にするのを辞めた。
…閻魔の醜態としてある事無い事を書けば地獄行き確定である。文の選択は正解だった。
射命丸文の利己的な理由から事件は起こらなかった。
だが、写真は残っていた。…誰にも見つからなければ問題ないが。