永江衣玖は特殊な立ち位置の龍宮の使いの妖怪である。
天界の住人に分類され、普段は天界の有頂天に住む比那名居家に仕えている。
それに加え、龍神の長い話を要約して地上の民に伝える仕事もある。が、他にも地上での仕事もある。
具体的には大きな地震の先触れがそれに当たる。地上の民に地震を予告する。
そんな衣玖は妖怪の山の頂上より上、玄雲海という場所にやってきていた。
「緋色の雲の濃度は基準の三倍。…気になるけど、誤差の範囲だから問題ないわね」
衣玖は玄雲海で『空気を読む程度の能力』を使っていた。
結果、龍宮の使いとしての役目、仕事をするまでには及ばないと判断した。
「龍宮の使いは初めて見ますね。妖怪ではなく深海魚の方なら家の海にもいますが」
空気から声が響いた。人間の声と衣玖は悟った。そして、人間らしき人影があらわになった。
何故か喪服に身を包んだそれは儚く朧げな美しさを感じる中性的な容姿をしていた。
「っ…!誰か居たのですか?」
空気を察する能力を持つ衣玖はそんな誰かの声に反応した。
ついでに気になる戯言があった。有頂天の下の地上に龍宮の使い、妖怪化していない同族はいないはずである。
幻想郷には海にない。…衣玖は妖怪化していない同胞を見たことがなかった。
関係ないが永江衣玖は長身でスタイルが良い。帽子と羽衣、黒いロングスカートで身を包んだ天女である。
衣玖は天界が住まいということもあり、地上の民をよく無視する。他方、無視される経験は少なかった。
「萃香さん、言われていますよ」
衣玖を無視して虚空に話かけている。衣玖は男だと理解したと同時に微妙にガッカリした。
ああ、勿体ない。目の前の男は気が狂っているのだろうと衣玖は思った。
実際、この男は気狂いの類であるので間違っていない。
衣玖は何故、自分が勿体ないと思ったのかを考えそうになるが中断された。
「随分と雑な萃め方だねぇ。殆どの霧が天気となって洩れちゃってるよ」
空気同然と化していた誰かは独り言が漏れた。
空気を読むのに長けた妖怪の感知に引っかかった。
衣玖は異常事態が続き思考を完全に切り替えた。
「って、私か。相変わらず中途半端に来るもんだ」
伊吹萃香は男の呼びかけに反応して感想を言う。
空気と同化している自分を感じ取る。相変わらず滅茶苦茶な感知能力であると感心した。
同時に今更動くのかと尋ねた。遅すぎないかと萃香は思った。
「放置しようと思いましたが、余りに雑な対応なので確認しにきました」
オオスは衣玖を無視して萃香と話を始めた。正直、萃香に出くわすのは面倒であった。
糞みたいな能力で感知するのにも苦労する。萃香の気まぐれで予定がズレたと思った。
オオスはちょっと天界を征服しに来ただけである。萃香がいるとなると日を変えるべきかと思考していた。
「地震は起こるね。そして、もっともっと霧は濃くなる」
萃香はオオスが何か考えていたが自分がいると面倒なので言葉をにごしたと看破した。
なので、オオスを煽りまくっていた。オオスに言葉でマウント取れる機会は早々ない。
オオスを知っているまともな人妖からすれば後が怖いと怯むだろうが、萃香は雑魚相手に気にする必要ないと堂々と煽っていた。
萃香は奇しくもオオスと同じく天界に行くつもりだった。
オオスは萃香の予想通りに苛ついたが、面倒なので萃香をシカトして目の前に広がる緋色の霧を観測していた。
「…龍宮の使いが出てくるなんて何か緊急事態かい?」
萃香はオオスがガチで自分を無視しだしたので矛先を変えた。
萃香は鬼である自分が急に大人気なく感じたので誤魔化しにかかった。
「龍宮の使いであっているんですね。となれば天界がこの上。ちょっと必要なのがありますね」
オオスは適当に話を合わせる事にした。みみっちい小鬼、萃香に合わせる事で大人の対応をした。
萃香はこの野郎とオオスへ内心毒を吐いた。心理的に負い目を感じた瞬間に合わせて来やがった。
オオスは萃香と二人して無駄に高度な、だが馬鹿そのものであるマウント合戦を行っていた。
オオスは衣玖の事を名前すら知らない。推測でしかなかったので龍宮の使いの妖怪と確定した。
「勝手に二人で話を……怪しいですね。確かにこれより上は天界です。行かない方が無難ですが」
衣玖は自分の仕事である地震の感知を勝手に論じる不審者兼無礼者二人に一応警告した。
衣玖は無駄にギスギスした空気を感じ取り、天界近くまで来て喧嘩しに来たのかと思った。
「私は非力なので戦えませんよ」
オオスは衣玖に言い切った。何故、萃香がいる前で手札を見せないといけないのかと思っている。
「私を戦わせようってのか?お前でなんとかしなよ」
萃香はオオスの嘘を見抜いた。見抜いたので戦えるのなら戦えと野次った。
自分の眼の前で戦うことが嫌なのか、この霧の犯人に見せたくないのかどちらかだと判断した。
萃香は後者と考えた。なお、オオスは萃香に見せたくない。
萃香をぶっ殺す為に考えた手札を見せるかもしれない。一応、上にいる天界の天人にも見せたくはない。
オオスは普段は自動で撒き散らしている怪電波を発する特性をコントロールした。
おおよそクソガキみたいな顔しているクソガキを見抜いた。
「面倒臭いのでもう帰ろうかな…帰るか。紙芝居が明日なので帰ります」
オオスは適当な言い訳をして帰ることにした。オオスの言葉に天界にいるクソガキが驚いている。
こちらの電波に気がついていないとオオスは読心術の類は自動で発動しているわけではないと少し安心した。
オオスは天人なら出来るかもと思っていた。ちょっと手口を変えることにしたオオスは今日は勝手に萃香と戦っていろと思った。
そして、本気でそのまま帰っていった。
「おい、帰るのか……本気で帰りやがったぞあの野郎」
萃香は幾らなんでもここまで来て帰ると思わなかったので本当に帰る奴があるかとツッコんだ。
「……天界に行くのが希望なら試させて貰いますが」
衣玖は残った不審者一名をやや排除する気で戦闘を予告した。
尻尾を巻いて逃げる男は考えないことにした。戦えないのならばどうせ天界に行けやしない。
だが、
「帰ったアレならともかく」
萃香は衣玖の天界にありがちな慢心に少し苛ついた。
あの糞ボケは確かに雑魚だが、ああ見えて萃香は評価していた。
「私に龍宮の使いが?アンタなんかじゃ話にならないよ」
萃香はこの苛つきを目の前の龍宮の使いで晴らすことにした。ついでに天界にいる奴もボコしてやろう。
天上の世界の狭間にて鬼と天女の戦いが始まった。ついに始まったと天子は歓喜した。
……天子からすると一応、既に亡霊は来た。
だが、まるで異変に関して興味がなくただ変な挨拶をして帰って行ってしまっていた。
奇しくもこれから来る鬼も亡霊とは性質は違うが、まるで異変自体には興味がないのは同じだった。