伊吹萃香は比那名居天子の手下か世話係か関係なく天界の天女達から巻き上げた仙果を肴に酒を飲んでいた。
萃香が勝手に来ているだけなのだが、天子が粗暴な鬼を招いたとして比那名居家にクレームが入るのは近い。オオスが喝采すること待ったなしな展開である。
酒は一昨日、オオスから巻き上げていた。スタウトという大麦を焙煎した、黒いビールの一種をいう。
天界の果実、仙果は美味いのだが萃香からすると甘ったるいったらありゃしなかった。
そこにオオスの黒焦げ麦の酒だかしらんスタウトがこれ以上なく合っていた。
オオスからすれば萃香に奪われたのはかなり不本意ではあった。
一昨日のオオスは今度の妖精達との集まりで使おうと思っていた分まで巻き上げられていた。
チルノに牛乳を程よく冷やしてバニラアイスにしてもらい、そこへほろ苦いスタウトをかける。甘さとほろ苦さで奥深いアイスを振る舞おうと考えていた。
過程で酒気に酔った妖精が大量発生するが人里から離れたところで開催するつもりだった。
……ついでに風雨の権能で農業の神として振舞っている八坂神奈子とは全く関係ない作物の生育を発生させてやろうとか癲狂櫟林の代表としてみみっちい事を企んでいた。
八坂神奈子は意図せぬことすら利用して神意を高めようとするだろう。
しかし、この間妖精と酒盛りしたのが原因ですとオオスが謝罪すれば一気に神奈子の面子は潰れる。
守矢神社の権能は本物なのでオオスの悪戯があったとしても余裕で誤魔化されるだろう。諏訪子が土を弄ればオオスの悪戯も消し飛ぶレベルの奇跡で神奈子の失態は余裕で掻き消せる。
それでも神奈子だけは内心気恥ずかしさに身もだえするだろう。
その一瞬の為にもオオスは一生懸命頑張ってスタウトや妖精の宴会の場所を事前に用意していた。……本当にカスみたいな行動力の塊である。
オオスは萃香にカスみたいな悪戯をしたいから全部持っていくなと言おうとした。
正直にカスみたいな事を聞いたら萃香は正直が良いってわけでもないかもしれないと正直が基本の鬼らしからぬ感想を溢しただろう。オオスは言わなかったが。
しかし、酒飲みの下に適した酒が行くことを喜ぶ酒屋の森岡の姿を思い出した。
オオスは森岡の酒造りへの姿勢には尊敬の念すら抱いていた。そうだ彼に免じて許してやろう。
オオスは寛大な心を取り戻した気になっていた。
「……ここは私と同じ善良なる里人である酒屋の森岡さんの面子を立てて。その酒、スタウトは貴方にあげましょう」
オオスは寛大な心を得たがムカつくので森岡に感謝しろと萃香に吐き捨て萃香の下から去っていった。
「森岡だぁ……?お前が言うくらいなら美味い酒があるんだろうなぁ」
鬼の四天王伊吹萃香は脳内に森岡の名をメモした。オオスが念押しする酒屋だと記憶した。
こうして本当に善良な里人である森岡は知らないうちに鬼の世界に名を広められることになった。
森岡は酒造りを真摯に取り組んでいるだけの幻想郷在住の一般人である。
後日、伊吹萃香と対面した森岡はその圧倒的な妖力を感じ取り、部屋の隅で震えていた。
……森岡はオオスを思う存分ぶん殴って良い。
だが悲しいかな森岡は鬼の酒に興味があった。……自らの命より。
オオスから認められている酒屋森岡は輝かしい未来が確定された。代償として森岡の胃は死ぬが些細な事である。
一連の経緯全てにおいて善行した気になって満足しているオオスは森岡に一回殴られろ。
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萃香はそのような事を酒に酔いながら思い出していた。
萃香が天界に来たきっかけである比那名居天子はオオスから無視されていた。
萃香から見るに天子は何故かオオスを評価していた。期待していたと言い換えるべきか。
そいつから無視されて気分が良くないのだろうか。萃香はまぁ面白くないのは確実だろうと踏んでいた。
萃香は茶化し半分慰め半分で絡み酒をしに天子の下へやって来ていた。
「残念だったな。お前の望み通りに動かんらしいぞ」
萃香は最初くらい慰めるつもりだったが酒に酔っていたので最初から煽るような口調になっていた。
萃香は喧嘩になってもそれで気が晴れるだろうときにしないでいた。
だが、
「至人は何をか思い何をか慮らん、愚人は不識不知なり」
天子は萃香を一瞥し、髪を弄りながら溢した。
あの男は別に本命の博麗神社の前に何かあるかもと期待した程度だ。
だから萃香の煽りも気にしない。だが、気にしてはいたので沈黙も選べなかった。
天子は過去に学んだ賢者の言葉を引用していた。反射で答えたがつまらない答えだと自嘲した。
「あっ?喧嘩売ってんのか……って売っているんだったなそういえば」
萃香は天子の言葉にイラっときていた。売り言葉に買い言葉で喧嘩を買おうとした。
だが、萃香がキレると天子の言葉どおりになってしまうと察した。
オオスを評した言葉は前者、愚者云々は萃香として中々冴えていると思い手をひっこめた。
解説すると、萃香への言葉、『不識不知』は本来『無意識にする事』という意味だが今回の場合、『愚かな奴は知識を働かせない』という罵倒になる。
知識を使わず暴力に働く萃香という未来図への罵倒だ。萃香は感心して手を止めた。
「億度猜疑多く、事々与に手を下し難し。貴方は変わり者なのね」
天子は萃香の思わぬ教養の高さに評価を改めた。
天子は喧嘩で憂さ晴らしをするのも悪くないと考えていた。だが、目の前の酔っぱらいが言葉の裏まで読み取ったのならそれはそれで興味深かった。
ちなみに天子は中途半端な才人なら猜疑心で何をつけても着手しづらいだろうとしている。
中途半端の理解力ならば萃香が殴るのを辞めたとしても、納まらない苛つきを天子へぶつけてきただろうと評価していた。
傲慢な上から目線も含まれている。だが天子から地上の妖怪への褒め言葉だった。
萃香は天子の下へ来ないオオスへの当てつけが無意識に含まれていると察したが酒に酔ってすぐに忘れた。
あと、何か眠い。萃香からすれば天子の言葉を聞いても褒められた気がしない。酔いが冷める程でもなかった。
取り合えず萃香はいくつか理解した。天子はオオスが中途半端な心構えだから自分の下へ来ないのだと思っている。
萃香は心のメモ帳に記載した。オオスが聞いたらどういう反応をするのか気になった。なお、酩酊しているので判別不能であり、すぐに忘れる。
それでも天子の褒め言葉よりオオスの揶揄いの方が覚える努力をしていた。
……萃香にとって天子はその程度の評価だった。多少面白いが他に面白そうなのがあればそちらを優先していた。
「天界に良くいる人種ね。憤りに食を忘れ、楽しみに憂いを忘れる。そんな気質に見えたのだけど」
天子は萃香の沈黙を見て地頭は良くても会話を楽しめる人種じゃないと理解して溢した。
天子は今いない相手、言う必要はない自分視点のオオスの評価を萃香へ溢してみた。
天子は萃香に聞いて欲しかったのかもしれない。だが天子にはその判別が付かなかった。
「要するにお前の好みでなかったんだな」
萃香はケラケラと笑って天子へ言った。このままいけば紫も喜ぶのではないだろうか。
絶対そうならない気がする。べろんべろんになっていた萃香は未来の自分の面倒より面白さが勝っていた。
「仙人の素養はありそうだけど何もかも半端なんでしょうね。つまらない」
天子は萃香の馬鹿にした笑いにムスッとして結論づけた。聞くんじゃなかった。
「…………へぇ」
萃香は天子の本質を見た。伊吹萃香は体躯こそ小さく見えるが強大な鬼である。
「意を了せずして心を明らかにせんことを求むるか、求むるか」
萃香は博麗神社へ視線を向けた比那名居天子を背にそう問いかけた。
自身の心を知らず相手に心を求めるのか、そうかお前はそれを求めるのか。
萃香はそういって酒をあおり忘れる事にした。……若い者達に任せよう。これはとても面倒臭い。
もし、オオスがこの場にいればこう返しただろう。
『鏡を索めて塵を増すが如し』
比那名居天子は鏡の中の自分を探し求め、塵を積もらせて見えなくしていた。