龍宮の使いの妖怪である永江衣玖が天界に所属するように諜報組織は存在した。
天帝の傍に仕えるのは似つかわしくないと低く扱われ、それでいて引き抜かれないように見張られていた。
幻想郷は異界の中でも扱いは危険度も優先度も低くされていた。近隣の天界を管理している比那名居家もやる気がなかった。
それでも天帝の名の下に恥じないように志能便は動いていた。構成員名は志能便、古来より続く忍者の語源である。
幻想郷、麓の妖怪と言われる勢力の幹部から話を聞いていた。
一方の話を鵜呑みにするように見えるがそうではない。
大まかな調査は別口で行っていた。寧ろ数十年前の資料でもおかしくないので偏りがあれどそれなりの人物から見た幻想郷の調書があるだけ凄かった。
……八雲紫はこのスパイ活動を止めれば不自然であるとして黙認していた。
「幻想郷にてオオスと名乗る不審者が容認されているのは保守派も急進派も認めざるを得ない結果を出しているからよ」
妖怪猿の幹部は最近の話題としてオオスという不審者を挙げた。
麓の妖怪のハグレ者達から住処の一部をぶんどられた人間らしい。詳しくは知らないが生意気そうな奴だと聞いていた。
「幻想郷には保守派も急進派もそこまで形になっているものではないが」
妖怪猿は天界の志能便が与えた仙果を頬張りながら念を押した。
どこぞの組織の名前を挙げてそちらに移られると妖怪猿としても困った。
人間を食えば妖力は増すがその術が乏しい現状、報酬の仙果は妖怪猿にとって喉から手が出る程欲しいものだった。
独り占めできるとは考えないが出来る限り情報は温存しておきたい。それでも多少は明かさないと不味い難しい難しいと頭を振った。
「保守派は余所者が自分達の資金、資材、社会の仕組みそれらすべてが自分達のものと考えておる。だからそれを奪う輩は許せない。
……ただし、幻想郷に恩恵をもたらす者ならば今度は自分達の財産として考えておる」
妖怪猿は保守派の要点を語るこれは大筋間違っていない。妖怪猿は志能便に正確な情報を伝えていた。
「なるほど。で、急進派とは?」
志能便はメモを取り、妖怪猿の話に相槌を打った。メモというが脳内に全て暗記しており、形だけの文字列を書いただけだった。万が一、この妖怪猿の記憶などから痕跡を再現しても得る物は全くない。
志能便が読んだ50年前の報告書によれば幻想郷はそのような魔道具の少ない環境だと知ってはいた。
それでも彼は外の世界から流れ着く外来人等を警戒していた。天界の想定よりも技術革新が速かった。
地獄の連中は機械でなく自前の能力がインチキ過ぎるのでそれはそれで警戒していた。故に妖怪猿の記憶からの情報の盗難も対策していた。
「急進派は現状をよしとしない者達だ。基本的に幻想郷が成立して生まれた者達と恩恵が無い負け犬達。
最近できた……林なんちゃらが組織といえば組織だ」
妖怪猿は自分らの不始末で出来た麓の妖怪達のハグレ者集団に関して言い淀みそうになった。それでも何とか誤魔化した。
癲狂櫟林を林なんちゃらという事で志能便が再調査した時に麓の妖怪が敵対した誰かではない可能性を警戒して妖怪猿へ調書に来るだろう。
妖怪猿はそこまで予測して情報戦のプロ相手に仕込んでいた。
「林なんちゃら……まぁ、今はいい」
志能便はどうせ後で調べるからと一旦は全部聞くことにした。……妖怪猿の仕込みは成立した。
志能便側もこの発言が『妙に不明瞭だった』という注意書きは報告書に記載していた。
妖怪猿がわざとらしいという意味である。しかし、不明瞭なのは妖怪側の態度ではなく記憶であると誤読できてしまった。
警戒していたのだが幻想郷の情報として後任者へ引継ぎした場合、顔も知らぬ同僚へ伝わるかというと微妙だった。
「保守派の代表格が天狗と言えよう。あそこは上下の身分がガチガチの社会でハグレ者は排除するが恩恵があるのなら、守矢神社のように全面的に受け入れる」
妖怪猿は肝心な事は真面目に伝えていた。
それでもどう取り繕っても間違えましたと言えないビッグニュースである。しっかりと言わなければならないと気を引き締めていた。
「…………守矢神社?ああ、あの神社か」
天界の志能便は一瞬言葉が詰まった。外の世界の強大な神社の一つ、それが来たのは一大事だった。
しかし、幻想郷のたかが猿に気取られてはならないので何でもないように取り繕って頷いた。
「守矢神社の出現によりそれまでの力関係が良くも悪くも崩れた。
……正直、全員死ぬと思っていたら生き残って組織化したのは私としても意外だった。あの、林なんちゃら」
妖怪猿はブラフか否か悩みつつも正直に話した。
動揺を隠す為とはいえ癲狂櫟林の名前を適当にしたのを後悔した。
守矢神社を語るとあの中指立てた組織名を語らないのも不自然な気がした。もう遅いので押し通すしかないのだが。
妖怪猿は志能便が驚いて一瞬黙ったのか、思い出そうと一瞬黙ったのか或いは両方かの区別が付かなかった。だから守矢神社の説明を多くした。癲狂櫟林とか言う名前はイカレている。
諏訪からの爪弾き者の集まり、酷く言えばキ〇ガイ守矢である。余りに、本当に酷いと妖怪猿は正気を疑っていた。
妖怪猿としてはこんなのに関わりたくないが守矢神社の神は笑い飛ばしたという。実に豪快な神だなと妖怪猿はドン引きしていた。
「良く分からんが、天狗はオオスというのを排除する気は表向きはなく、林の方は取り込んでいるように見える」
妖怪猿は癲狂櫟林についてもう考えたくないというか関わりたくないので話を元に戻した。
ある意味忌み嫌う名で麓の妖怪を遠ざけたのだろうかと妖怪猿は疑っていた。……にしてもあまりに酷い。
「オオス……ね」
志能便は正直、オオスという個人に興味がなかったが守矢神社に関して聞き出せそうにないのでこれ以上は諦めた。
語らせるというのは一番楽な情報の引き出し方だった。こちらが想定していない話題を相手から勝手に喋ってくれる。
それ故に要点をまとめる能力が試されるが志能便ならば取捨選択を迷わず報告書の体裁に整えられると自負していた。
「このまま睨み合いで収まれば幻想郷の総力は増大するだろう。オオスという個人はそれだけの事をしている。おそらく私だけだろう、見抜いたのは」
妖怪猿は自分の手柄を強調する為にオオスを過大に評価して語った。
全く意図していないがオオスというのは隠された重大な要素だと無理やり騙ろうとしていた。
どうせ人間である下手な事を騙っても報復は大したことない。……オオスの神社みたいな馬鹿げた話も聞こえてこない麓の妖怪の認識ではそうなっていた。
「つまり、保守派の要求を満たしつつ、急進派の望む変革をも満たしている。という事か」
志能便は訝しみつつ妖怪猿へ聞き返した。そうなると脅威度を訂正しなければならない。オオスについての調査も必要となるだろう。
……だが、妙に騙っている気配を志能便は察していた。これは要注意だぞと脳内のメモ帳にしっかりと念押しした。
「これを図面引いて描いた黒幕は愉快だろうよ。オオスというのはよく分からないが人間な以上は百年足らずで影響は消える。……だから、我らにも隙があるってもんだ」
妖怪猿は志能便の姿勢に我が意を得たりと語って聞かせた。自分の情報によりオオスとかいうのに迷惑がかかったとして妖怪猿に不利益はない。そう思っていた。
それよりもあのイカれた癲狂櫟林と関わらずに友好関係にダメージを与えられるだろうと歓喜した。
妖怪猿は自分達から脱退した癲狂櫟林の連中を不快に思っていた。どう考えてもイカレているので直接関わりたくないだけだった。
このようにして出来た報告書、『幻想郷聞取一 オオス何某に関して』は提出された。
永江衣玖は妖怪ではない龍宮の使いを知るというオオスの情報をこの報告書などから断片的に仕入れていた。……幻想郷への優先度の低さからまだあまり読まれてはいなかった。
オオスが天候を操れる云々は最近の天候異常で話題に上っていたので知った。
オオスは永江衣玖と別れた後、天界の住民である衣玖が自身の想定より自分に関して些か詳し過ぎたので探りを入れた。
結果、天界の報告書からオオスは妖怪猿の存在にたどり着いた。糞面倒な事をし腐りやがったとオオスは深いため息を吐いた。