妖怪の山は麓の妖怪や人間達とは別の社会を築いている言わば別天地だ。
山の妖怪は仲間意識が強いと同時に排他的であり、人間にとって危険極まりないところである。
秋も中頃を過ぎたその日、オオスは山伏の恰好をし、杖をついて妖怪の山を登っていた。
オオスが危険極まりない妖怪の山へ赴く理由は、ただ単に文屋に文句を言うためであった。
異変でも何でもなく危険地帯に行く行為は一般里人的にはよろしくない。
だが、オオスには妖怪の山をやり過ごせる技術があった。故に問題ない。
「天蓬、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英…」
オオスはブツブツと呟きながら妖怪の山へ歩を進める。
二丈一尺の長さにわたって九つの足跡が北斗九星描き出す。
オオスの歩方は『禹歩』と呼ばれるものだった。
聖人「禹」を模倣したとされるその歩方は鬼神や猛獣ですら傷つけることができないとされる。
古代天狗語で記された、忘れ去られた技術をも組み合わせたオオスのそれはオオス以外には不可能な完全なる禹歩であった。
そのお陰もあり、オオスはここまで妖怪の山に住む邪な気を持つ存在を避けて通って来た。
だが、
「さも名高き修行者と見受けられる。だが、ここは妖怪の山。
人間の入るところではない。すぐに立ち去れ」
天狗の目は流石に誤魔化せなかった。
白髪の短髪に頭襟を乗せている犬耳の少女。
オオスは自身の知識から少女が白狼天狗だとわかった。
手には剣と紅葉が描かれた盾を持っており、上半身は明るい白色、下半身は裾に赤白の飾りのついた黒い袴姿の気高さを感じる美しい天狗だった。
その白狼天狗の名は犬走椛。千里先まで見通す天狗達の住処の番人であり下っ端だった。
「これは失礼した。しかし、私は貴殿らの仲間である鴉天狗に用があって参った」
オオスは予め作った『山伏』の人格を元に椛に会話を試みた。
「…鴉天狗?理由があろうとも、ここは通させない」
椛は訝し気ながらも侵入者を許すことはできないと告げる。
椛はどこぞのいい加減な烏天狗とは違い仕事は全うすると自負していた。
千里先まで見通す能力で見つけた時、思わず時を忘れて見惚れてしまった存在だとしても、だ。
「もし、行くとあらば死ぬ覚悟をせよ」
椛はそう言って剣を抜く。山伏に対して退かないのであれば斬ると宣言した。
だが、
「入八無暇不得有暇 同諸雑染離於清浄」
山伏が何かを唱え、突如として紙吹雪が椛の周りを覆った。
「こんな紙切れなど無意味!ただ斬るのみ!!」
椛はどこにこんな紙があったのか驚きつつも天狗風を剣に纏い吹き飛ばした。
しかし、
「…消えた!?」
山伏はそこには既にいなかった。
すると、椛の上から声が聞こえて来た。
「全ての煩悩とともに平等となり、完全な清浄をもよく悟る。…貴女は修行が足りぬよ」
柳の細枝に乗りそう言った山伏は、突如風となり消えていった。
椛は悟った。これは天狗の術である。
それも椛が記憶する限り天狗の頂点である天魔が使用するところを一度見たきりの術だった。
鬼の四天王である伊吹萃香が木枯らしと称して自らの能力で強引に再現可能な天狗の術だ。
自分を風そのものと同化し、森羅万象そのものになる天狗の秘奥の術だった。
人間には使えないはずの最高位の天狗の術。椛はことの大きさを悟った。
「…これは私の手に負える相手ではないな。上に報告せねば」
椛はそう言って即座に撤退し、上に報告へ行った。
下っ端である自分には恐れ多いが、これは大天狗に直接報告しなければならない事案であった。
一方、オオスは椛が去ったのを確認し、すぐそばの草叢から風から元の姿となり出てきた。
「今の天狗は躱せたが、次は難しいだろう」
オオスはそう言って紅葉した落ち葉を体から払った。
天狗の術を使う山伏にも限度がある。
基礎体力の低いオオスでは天狗の術は何度も使えない。
「だが、問題ない」
オオスは想定通りことが運んだことを嗤った。
全てはオオスの計画通りだった。これで誰もオオスを捕らえることはできない。
「…これからの私を捕らえられる者はいない」
オオスは何かを唱えた。そしてそれを自らに被せた。
オオスはその場にいても『不自然ではない存在』へ変化した。
それは平凡な見せかけという魔法をオオスが改良したものであった。
オオスの技術の物真似芸、思考模写を加えたオリジナルの術だ。
これこそ宴会芸ではない、オオス本来の使い方だった。
「これで私はモブ天狗A。『山伏』を探して右往左往では見つけられんよ」
オオスはそう言って歩を進める。
初めに人間の侵入者として見つかることで敢えてそちらに気を取らせる。
天狗である今の自分を山伏とは思わない。
オオスは文屋に文句を言うためだけに自らの持つ技術を総動員していた。
ふと、オオスは外の世界でお米の国の情報機関とやり合った記憶を思い出した。
自分になりすましての破壊工作活動にレッテル張り等々。
最初は厄介だったが、それの技術を模倣、応用して開発した技術だ。
最後の方は相手の方が泣いていたことを思い出す。
…やられたらやり返す。倍返しである。
第一印象で相手を拘束し、別の人物になりすます。
オオスの成りすましは自身が研究した天狗の『文献』と相まって完璧だった。
古風な振舞いや所作、品のある気配。そこには全天狗が理想とする天狗がいた。
…端的に言ってオオスは完璧過ぎた。
「おかしい。何故、周りはざわついているのだ…」
オオスは言うならば人気絶頂のアイドルが街中に来たようなことになっていた。
だが、遠巻きに天狗たちに見られていた。
古風な気品溢れる天狗は格の高い天狗だと周囲から思われ、縦社会の天狗にオオスは近寄り難かった。
オオスは日頃の言動と行動で忘れられがちだが、天性の美貌の持ち主である。
それが古代天狗語を習得し天狗を学んだ結果、絶滅危惧種な理想の『天狗』がいた。
…そして、そこにスクープを嗅ぎつけて来るのは記者として当然であった。
「最速で用意してきて正解でしたね…」
最速の烏天狗、射命丸文は取材道具を取り揃えて本気で飛んできた。
誰よりも早く。上役である大天狗すら押しのけてである。後で問題になりそうだ。
「しかし、困りました。ちょっと話しかけづらい空気…」
文でも流石に空気というものは読む。
縦社会のサラリーマン染みた中々見られない射命丸文がそこにはいた。
だが、
「ああ、いた。そこの三流記者。記者活動について注意しにきた。ちょっと来い」
オオスにはそんな空気等気にしない。
オオスは躊躇っている射命丸の腕を掴み強引に引っ張っていった。
「ええ!?ちょっと待って!…その声、まさか!!」
文は聞き覚えのある声でその天狗の正体を看破した。
人を避ける場所がなく、オオスは仕方がなく文の家に転がり込んだ。
文の家は意外ときちんと整っていた。
本棚には参考文献と思わしきものと机にはネタになりそうな人物の写真が数多くあった。
だが、整然とし過ぎており、記者活動の結果と思わしきもの以外は長生きした老人の家と言っても差し支えないとオオスは思った。
「あのー…」
文は勝手に上がり込んだオオスに普段の様子とは打って変わって神妙な様子であった。
「何か?」
オオスは文に尋ねた。誰に聞かれているかもわからないので術は解かない。
「…天狗だったんですか?」
文はオオスに本気で問いかけているようだ。
「そんなわけない。今魔法を解くと面倒だからこのままにしている」
オオスは正直に答えた。
だが、文の言うことも一理あるとも思った。
オオスは一般里人だが色々努力した結果、魔法使いか仙人、そして天狗へと成れる条件が整っていた。
ゲームで言えばクラスチェンジ条件をクリアしている感じだ。
里人の誇りとしてそんなものになる気はないが、なるとすれば後は基礎体力だけである。
「ですよねー…って!ちょっと困るんですけど!!私明日から大変なことになりそう!」
文はがっかりしながらも冷静になり、自らの状況を嘆いた。
オオスは完全に目立っていた。
…連れ去られた自分のことで妖怪の山はしばらく持ち切りになるであろう。
「ゴシップを書いた罰だと思うと良い」
オオスは自分には関係ないことと思い、文へ吐き捨てた。
「…いつもと話し方違くありませんか?何かこう」
文はオオスの見事なまでの古風な品格を感じさせる天狗の姿を改めて見て言った。
「天狗に成り切っている。思考までも変えているので戻すのは少し難しい」
オオスは文に以前見せた物真似芸だと説明する。思考まで変えているので戻しにくい。
「古すぎて逆に目立っていますよ!!」
文は思わずオオスに指摘した。
「…なるほど、少し失敗か。でもまぁ問題ない」
オオスは自らの失策をようやく悟った。参考文献が古すぎた。
「先程、天狗の技を使う人間が妖怪の山に入ったことで持ち切りなのですが」
文はオオスがそちらにも関係してそうだと思い尋ねた。
「如何にも。そちらに気を取らせて別の手段で参った次第」
オオスは古風な天狗の口調で押し通すことにした。次回から気を付ける。
「なるほど…私の真似ですか?この間の」
文は違うとわかりながらも男装してオオス宅へ突撃取材したのを思い出して聞いた。
「違う。それよりも最近の記事について物申しに来た。何だアレは」
オオスは強引にここへ来た本題を尋ねた。
咲夜の珍品泥棒の記事もそうだが、最近は輪をかけて酷かった。
…そして、何故か文を見かけないので仕方がなく来た。
どうも、オオスがいないタイミングで新聞を届けているようだった。
「…私の新聞ってあまり天狗の間では読まれないんですよね。だから、鞍馬諧報を少し真似てみたんです」
文は思わずと言った感じで溢した。大天狗の書いている人気№1の新聞『鞍馬諧報』を真似た。
…実際、その結果として天狗内では売れ行きが良くなっていた。
文はその事実に何となくオオスに顔を合わせづらくなり、避けていた。
文の覇気のない様子を見れば、普通であれば励ましの言葉をかけるだろう。
実際、同じ鴉天狗の姫海棠はたては文に対し、そうした。
だが、
「よりにもよってあのイエロージャーナリズムの権化をか…」
オオスは怒り狂っていた。ガチギレである。
オオスは鞍馬諧報を読んだことがある。
アレはあることないこと面白おかしく書かれている事実とはかけ離れた紙屑だ。
オオスはああいう類は新聞と認めていない。
鞍馬諧報は焚火の火種以外の使い道のないものだと思っていた。
それを自身が購読している新聞が真似たという。
文は図らずもオオスの逆鱗に触れた。
「い、イエロー?何ですかそれ?」
文はオオスの人間とは思えない怒り具合に気をされつつも外の概念であろう言葉を尋ねた。
文のそれは記者としての習性みたいなものであった。
その姿を見てオオスは怒気を無くし、思わずため息をつき顔を手で覆った。
手を顔から外し、オオスは敢えて『自分』に戻った。
「良いか一度しか言わないから良く聞け」
オオスはそう言って文の目を見た。
「私はありのままの文の新聞が好きだ。だから、購読している」
オオスは自分自身の言葉を正直に文へ言った。
それはオオスが妖怪の山という危険地帯にまで足を運んでまで伝えたかった言葉であった。
「しかし、あのような事実よりも扇情的である事を売り物とするような物には…」
そして、オオスは先ほどの怒りを火種に文へ説教をしようとした。
だが、
「こ、これは…」
文の様子がおかしい。
オオスはこれと似た記憶を思い出し、懐に手を入れた。
「これはもう襲ってくださいって言っているような…」
オオスは即座に懐から奥の手を取り出した。
オオスは黄金の蜂蜜酒を飲んだ。後先考えず一気飲みした。
そして、オオスはその場から完全に消えた。
「毎回、持ち上げて落とすって酷くないですか!?」
文は虚空に向かって叫んだ。
オオスの奥の手は前に見た。
その経験上、オオスを追うのは不可能とわかったからだ。
だが、射命丸文の、その顔には先ほどまでの悩みはもうなかった。