雪が降り積もり始めたある日のこと。
オオスは人里にある『鈴奈庵』を訪れていた。
鈴奈庵は人間の里にある貸本屋である。
主に外から来た本、外来本を扱っている。
貸本屋の他に本の販売もしており、印刷や製本も行っている。
オオスの紙芝居を元にした本もここで貸出や販売をしている。
他にも、稗田阿求が執筆している幻想郷縁起はここで印刷、製本されたものである。
今日のオオスは製本を依頼しに来たのではなく貸本屋の客として来ていた。
「海の怪異についての妖魔本を借りる人なんているのかな?」
オオスはそう店番をしている少女、本居小鈴へ話かけた。
今のところ妖魔本等借りるのはオオスくらいだし、幻想郷に海はない。
本居小鈴は鈴奈庵の店主の娘だ。
飴色の髪を鈴がついた髪留めをし、ツインテールで紅色と薄紅色の市松模様の着物に若草色の袴を履いている。
小鈴は幻想郷でも有数の妖魔本と呼ばれる類の本のコレクターである。
広く浅くという多種多様性においては幻想郷一かもしれない。
だが、店の売り上げを勝手に使いこんで妖魔本を買い込んでいる悪い娘でもある。
オオスは前に一度妖魔本を無理やり買い取ってその場で焚書しようとしたことがあった。
小鈴はオオスの本の販売で得た利益で以前よりもっと妖魔本の買い込みをしていた。
鈴奈庵で騒動になったら申し訳ないというオオスの善意からだったのだが、小鈴に泣かれて辞めた。
以降、何度か警告しているのだが、小鈴は辞める気がない。
オオスは小鈴が妖魔本の魔力に当てられて妖怪にでもなったらと思うと心配でならない。
…その時は霊夢と本気で戦う羽目になりそうだと思っている。
できれば避けたい。というか普通に死ぬ。
「オオスさん、借りているじゃないですか」
小鈴はお前が言うなと言わんばかりである。
…全くその通りなのでオオスとしても反論しようがない。
「フフフ。前に海について紙芝居した時、微妙にウケが悪かったからね。ちょっと調べたくなっただけだよ」
オオスは今年の五月に十五少年漂流記を元にした紙芝居を思い出して言った。
どうも漂流だけでは伝わり切らなかったとオオスは思っていた。
…その時は少々、勢いで誤魔化した。オオスは冬になり本として、編纂する過程で妖魔本の記述を元に書き直したかった。
「でも、これ一部読めない文字で書かれていますけど読めるんですか?」
小鈴はその時のオオスの紙芝居を見ていたがそう感じなかった。
だが、下手にツッコむとオオスは面倒臭いので小鈴は話題を変えた。
小鈴はタイトルと中身で海の怪異とわかったが内容は妖怪文字で書かれていた。
最も、小鈴としては妖魔本に怪しい魅力を感じるので読めなくとも十分価値がある。
「読めるようにするんだよ」
オオスは小鈴へ言い切った。さも当たり前のように。
「ええ…。またよくわからないことを」
小鈴はオオスの相変わらずな言動に呆れた。
オオスは慣れて来た相手に対していい加減なところがあった。
「例えば…この本」
オオスはそ小鈴が取り出した妖魔本の中から一冊を取り出した。
海の怪異の妖魔本はすぐにそれだけ渡せたのだが、妖魔本は纏めて保管してある。
だから、鈴奈庵にある全部の妖魔本をオオスの前に出したのだ。
…小鈴の妖魔本を定期的に確認させること。オオスが妖魔本を焚書しない為の約束であった。
小鈴は高価な妖魔本を燃やそうとした時のオオスの目を覚えている。あれはガチだった。
「ああ、古代天狗語で書かれた本ですよね」
小鈴はオオスの目を思い出し身震いを隠しつつ、本について述べた。
古代天狗語は今の天狗では読めない文字で書かれた本だ。
オオスも妖魔本を集めていると聞くがどうかしたのだろうか。
「これは天狗向けの地獄植物について書かれた本だ」
オオスはパラパラと中身を見て本の内容を言った。
「…読めるんですか?」
小鈴は驚いた。もう誰にも読めないはずの本の内容をオオスは言ったからだ。
適当にはぐらかして嘘をつく時のオオスではない。
…小鈴はそれくらいにはオオスのことを知っていると自負していた。
「そんな顔しないでおくれよ。私のは正確には読めた気がするだけだよ」
オオスは小鈴の人外を見るような顔に少々傷ついた。
オオスは古代天狗語を読んだわけではないと言う。小鈴は疑問に思った。
「それは読めないというのでは?」
小鈴はそのまま疑問を言葉に出した。
そして、オオスにそう言うことを聞くと大概面倒臭くなるのを思い出した。
だが、
「…翻訳とは起点言語による文章を、別の目標言語による文章に変換する行為をさす。
例えば、英語なら小鈴ちゃんも読めるだろう?」
この日のオオスは普段とは違い真剣な目で小鈴を見て言った。
…今までの面倒臭いのはわざとだったようだ。小鈴は少しイラッとした。
「ええ、まぁ貸本屋の娘なので」
小鈴は客商売と自分に言い聞かせた。
小鈴はイラッとしたのを表に出さずに答えたつもりだ。
小鈴は鈴奈庵が外来本を扱う関係もあり、英語も多少は読める。…書くのは苦手だが。
「それだけでも人里で大したものだ」
オオスは小鈴を心から褒めているようだ。
オオスが小鈴を子ども扱いせずに素直に褒めるのは珍しい。
オオスの容姿と相まって思わずドキッとしてしまう。
落ち着け小鈴、目の前の男はオオスであると自分に言い聞かせた。
人里での上白沢慧音発行オオス扱いマニュアルの基本である。容姿に騙されてはいけない。
「でも、それは先人が英語から日本語へ変換したからできるようになったのではないかな?」
そんな小鈴の心の内等無視するかのような口調でオオスは尋ねた。
…本当に無神経な男であると小鈴は思った。
「そうですね。私はお祖父ちゃんやお父さん…阿求にも教わったかな」
小鈴は自分が英語を読めるようになったのを思い出して言う。…最後は微妙に感情が出た。
オオスが普通の外来本を借りて読んでいたことがあった。
小鈴も英語で書かれた本であったので読んでみた。…学術書の類であったらしく難読英語で読めなかった。
小鈴が悪戦苦闘していたら、阿求がその場で訳を教えてくれた。…あの時は少し悔しかった。
「あの娘は別枠だからそんなに嫉妬せずとも良いと思うよ」
オオスは阿求への嫉妬を読み取り小鈴に言う。
小鈴の言う阿求、稗田阿求は完全記憶能力者だ。しかも、何代もの前世の記憶つきである。
完全記憶自体はオオスも近いことはできるがあれ程の精度では難しい。
別格として扱うべきであるとオオスは思った。
「いや、嫉妬しているわけでは…」
小鈴は思わずでた感情を否定する。
小鈴は特別な何かになりたいという願望が自身にあることを自覚していた。
…阿求に嫉妬するのは筋違いであることも。
「まぁ、話を戻そうか。…先人が英語を日本語に訳せたのなら、日本語から少し古い天狗語、その天狗語から古代天狗語も可能だとは思わないかい?」
オオスは小鈴へさも当たり前のことのように言い出した。
「そんな簡単にいくわけが…」
小鈴はオオスのいつもの誤魔化しかと呆れて言う。
しかし、
「できるから私はここで今この本の内容を言えた」
オオスは可能と断言した。実際に小鈴に見せてみただろうとでも言うように。
「う…。でも、それって普通の人ができる物ではないと思います」
小鈴はオオスへ言い返す。…それは特別だからできるのではないかと。
「私は小鈴ちゃんが英語を学んだように、色んな言語を学んできた。
英語を始めラテン語等の人の文字。河童語や天狗語等の人外の文字。その他にも沢山だ」
オオスは小鈴へ言い聞かせるように語った。
オオスが自身の経歴の一部でも話すのは珍しいと思いつつ、小鈴は聞き入っていた。
「私はそれらを比較して推測しているに過ぎないんだよ。…だから、正確には読めていないかもしれない」
オオスはそう締めくくった。読めているが読めていない。矛盾していると小鈴は思った。
「ごめんなさい。頭がこんがらがってきた…」
小鈴はオオスの言いたいことがわかったような気がしたが、微妙にわからなかった。
なので、混乱していた。
「まぁ、若いうちは勉強しなさいということだ」
オオスは小鈴の混乱の様子を見て苦笑していた。…小鈴としては子ども扱いで少しムッとした。
なので、
「そういうオオスさんは何歳なんですか?」
オオスに八つ当たりのように聞いた。
…そういえば今まで聞いたことなかった話題であったと小鈴は思った。
「16歳」
オオスはあっさりと答えた。
「…えっ!?嘘!」
小鈴は思わず驚きの声を出した。…良く考えたら見たままの年齢である。
何故、誰も気が付かなかったのだろうか。小鈴は短い人生の中で一番驚いたかもしれない。
「…何故驚くのかな?前にも似たような経験があったけど」
オオスは以前同じ反応をされたのかげんなりしていた。
小鈴は人里では半ば公然の事実を思い出した。
「いや、だって皆言っていますよ。オオスは若返りの術でも使っているんだって」
友達が少ない小鈴ですら知っていることをオオスに言った。
だが、
「…良いことを聞いた。ありがとう」
オオスは知らなかったようだ。
小鈴は良く考えたら人里で誰かがオオス本人へ言うわけがないと悟った。
「あ、あー…私が言ったことは秘密に」
小鈴は何といえば良いのかわからずにオオスへ言った。
取り敢えず自分だけでも被害は免れたい。
「大丈夫だよ。無知故の過ちというのは子どもにつきもの。気にしないよ」
オオスはしれっと小鈴を子ども扱いした。しかも、無知とまで言った。
小鈴は激怒した。
「オオスさん、そんなに年違くないじゃないですか!?」
小鈴は思ったより年齢が違わないオオスへ対して叫んだ。
…これからはもっと強気で行こう。小鈴は決意した。
「まぁまぁ…それより私はこれからしばき…用事ができたので失礼するけど」
オオスはオオスが言うような物騒な事を言い出した。
「今、物騒なことを言いませんでしたか?」
小鈴は思わずオオスへ聞き返した。オオスが人里で何を仕出かすのか怖い。
「気のせいだよ」
オオスはしらばっくれた。
「気のせいじゃないですよ」
小鈴は思わず言い返す。
「気のせいだよ」
オオスはしらばっくれた。
「あっ、はい」
小鈴はオオスの言外の圧力に屈した。
オオスが街中を探し回り、噂の出所をしば…話し合いに行く前に鈴奈庵の出入り口前でふと立ち止まった。
そして、オオスは小鈴の目を見つめた。小鈴だけを見ていた。
「…小鈴ちゃんがもしその集めている妖魔本が全部読めるようになったらどうする?」
オオスは小鈴へ問いかけた。それは、極々自然でありながら真剣な面持ちだった。
だから、
「それは勿論、読みますよ」
小鈴はオオスへ正直に答えた。別に隠すことでもない。
「何でかな?」
オオスは更に小鈴へ問い返した。
「何でって…読めない物が読めるんですよ?人とは違うことができるって凄いじゃないですか」
小鈴は何を当たり前の事を聞いているのかわからないという風にオオスへ答え返した。
実際、読めれば凄いと小鈴は思う。…目の前のオオスのように。
「…なるほど。それが理由だと私が止めるのはおかしいか。うーん」
オオスは小鈴の答えを聞き、悩んでいるようだ。
「何かおかしかったですか?」
今度は小鈴がオオスへ聞き返した。
「いや、私が言うのも変だけど危ないから妖魔本の扱いには気をつけてねって話」
オオスはそう言って小鈴へ笑った。…心の底からおかしいようだ。
「また子ども扱いして!もう!」
小鈴はオオスへ怒った。オオスは自分とそんなに変わらない癖に子ども扱いし過ぎである。
「ハハハ。ごめんよごめん」
オオスは小鈴の怒りを宥めるように言った。
そして、
「では、私はこの辺で失礼するよ。…噂の出所に仕置きしないといけないからね」
オオスは物騒なことを言って鈴奈庵を出て行った。
「あ、待って!ああ…行っちゃった」
小鈴はオオスへ声をかける。
だが、オオスが余りに勢いよく飛び出したので止められなかった。
「どこの誰かはわかりませんが…南無南無」
小鈴は噂の出所の人を思い黙祷した。
…オオスは確実に誰かを突き止めるだろう。
オオスが本気になったら人里の者では止められないのは周知の事実だった。
オオスは基本善人だし、善行しかしないが頭と行動がぶっ飛んでいた。…人里の変わり者である。
一時期は普通だったのに紅霧異変後辺りから急におかしくなった。
だから、悪魔に乗っ取られたのではないかという噂もあったりした。
なお、そちらは既にオオスによって粛清された。死人は出ていない。
「そういえば、霊夢さんがオオスさんに気を付けるように言っていたな…。
でも、16歳って話だし、妖怪とかだとは思えないんだけどなぁ…」
小鈴は最近鈴奈庵の常連になってきた博麗の巫女、霊夢の忠告を思い出して言った。
オオスは悪い人ではないのだからそんなに邪見にしなくても良いのにと小鈴は思った。