オオスはこの日、正装にて人里でも有数の財力を誇る塩問屋、塩屋敷の主人に会いに来ていた。
主人は馬好きで有名であり、飼っている馬をこよなく可愛がっていた。
そして、屋敷の下働きの者にも優しいと評判の近年台頭してきた長者だった。
…幻想郷には海がない。そして、その人柄の良い主人が最近引き籠るようになってきた。
オオスは最初、塩屋敷の旦那が妖怪と取引をして塩を手に入れているのかと思った。
善人でも交渉自体は可能だろう。最も、その対価は重い物となると思っていた。
岩塩でも海でも、この幻想郷では妖怪の力がないと塩の確保は難しい。
しかし、その気配がなく塩屋敷の主人は財をなしていた。
善人のままで綺麗な身の上であった。
…オオスは昔話のアレが幻想郷に入り込んでいることを悟った。
過ぎたる欲は身を滅ぼす。オオスは人の欲望を利用することにした。
オオスは塩屋敷の主人に面会ができた。
オオスは主人へ人払いを願い出たがあっさり了承された。
まだ余裕はあるとオオスは確信した。
客間に招かれたオオスは対面で屋敷の主人と会話していた。
…芸にも理解のある主人とオオスは程なく打ち解けた。
馬を褒めたたえ、庭に植えられたアセビについても語った。
馬酔木と漢字で書く庭に植えられた物は魔除けや動物除けのために役立つ。
だが、それよりもこちらの意味であろう。
「馬酔木なす栄えし君、というところですか」
オオスは万葉集の一節を読み上げ、塩屋敷の主人を褒めたたえる。
塩屋敷の主人も馬酔木の真意を読み取ったオオスの知識に関心していたようだった。
「幻想郷において希少な塩に目をつけた慧眼素晴らしく思います」
オオスは塩屋敷の主人を再度褒めた。
だが、その言葉を聞いた塩屋敷の主人の様子は優れなかった。
何かに取りつかれているようだとオオスは思った。
…まだ、正気で理性もある。しかし、数年後にはそれも危うい。オオスは今までの経験から推測した。
なので、
「…貴方はひょっとしてあの『臼』をお持ちなのではないですか?」
オオスは単刀直入に本題を切り出した。
何故それを、と主人が言う前にオオスは言葉を続けた。
「しかし、止め方がわからないのですよね?」
オオスは塩屋敷の主人に尋ねた。オオスはそうであると確信して聞いた。
…止め方の分からない神秘を手に入れた人間が正気を保つのは難しい。
そして、塩屋敷の主人は身の丈に合わぬ程の財を貯めこむしかなかった。
オオスは善人だからこそ狂う現実を知っていた。
最初は人里へ安価に塩を供給する善意だったのだろう。
だからこそ、塩屋敷の主人は金持ちだろうと妬みがない。
…皆から親しまれている善人なのだ。
それが、段々止められない状況になった。
塩屋敷の主人は恐怖と狂気に飲まれつつあると推理した。
「もし、止め方がわからないのなら悪いことは言いません。…壊すか私に渡してください」
オオスは塩屋敷の主人に提案した。
だが、これはオオスの想像通り拒否された。
「私に仕えている者達の生活はどうなるのか!馬達は!」
塩屋敷の主人は叫んだ。狂気に蝕まれながらも理性的に宝を手放さない理由を述べた。
…事前に人払いをしていたので誰も出てこない。
塩屋敷の主人は本能的にオオスの行為を察していたのかも知れない。
無意識の自己防衛本能だったとオオスは改めて察した。
塩屋敷の主人は、アレは自分が手にしてはいけない物だったと悟っているのだ。
「…人の欲望は限りがない」
オオスはその塩屋敷の主人の様子を見て呟いた。だが、その感情には呆れはなかった。
まず、塩屋敷の主人は真っ先に『自分』を上げなかった。…立派な人格者である。
「では、こういうのはどうでしょう?冬に塩を無尽蔵に取る別の方法を貴方に与えます」
オオスは塩屋敷の主人ならば怪しまれない方法で塩が取れた。
その知識も方法もオオスは善人へ与えると断言した。
「それは人手が入ります。…そして何よりも勝手に沸く物ではありません」
オオスは善意ある『欲望』をコントロールする術を提案した。
…冬までならまだ時間がかかるが、それまで塩屋敷の主人は持つだろう。
オオスは狂気の進行具合を観察していた。
「…貴方は何者でしょうか」
塩屋敷の主人は声を落として敬いの姿勢を持って尋ねた。
そこにはもはや目下の人間への振舞いはなかった。人ではない何かを見る目があった。
…塩屋敷の主人には目の前の男が、狂気から自らを救ってくれる神に見えた。
「私が何者かって?欲深き人間ですよ。…臼が欲しいだけのね」
オオスは塩屋敷の主人の疑問に答えた。
塩屋敷の主人はこの言葉は嘘だと思った。オオスは臼を壊せとも提案していた。
…これは自分を救うための提案だと確信できた。
「取引内容は後日稗田家から回って来ると思います。何が起こるかは冬のお楽しみに」
オオスは淡々と塩屋敷の主人へ告げた。
「…誰かに漏れるようなことがあれば、もう貴方を救う術はない」
オオスは塩屋敷の主人に忠告した。
オオスは欲深き人間が善意とはいえ浅知恵でアレに手を出したこと事実は重い。
「ちなみにあれは海の底の臼という名の物です。人が手を出して破滅した例は数知れない」
オオスは塩屋敷の主人に敢えて教えることにした。
自らを破滅へと導きつつある物の正体を、だ。
「この幻想郷には海はない。…私にしか貴方を救うことはできない」
オオスは念を押して付け加えた。
幻想郷で、塩屋敷の主人が解決策を調べても何も出てこないことを暗に伝える。
幻想郷に海の資料は紅魔館くらいのものだろうが、そこから探し出すのは不可能に近い。
オオスしかこの善人は救えないのだ。…霊夢だろうが誰だろうが不可能なのだった。
塩屋敷の主人は頭を下げたまま無言でオオスを見送った。
無言が答えであり、誠意だと示す。
オオスは塩屋敷の主人の姿勢を見て、今度こそ塩屋敷を後にした。
帰りの屋敷の前でオオスは塩屋敷の主人自慢の馬を見かけた。
馬はヒヒンと鳴いた。それはオオスに礼を言うようであった。
「…人の欲望を利用させてもらっただけだよ」
オオスは馬へそう返した。