「たっだいまぁ〜〜!!!」
機嫌のよさそうな声とともに玄関の扉が開く音がした。
私はモモ先輩に誘われてモモ先輩の自宅で宅飲みをしていた。そして、今帰ってきたのは
「おかえり。八花ももう来てるぞ」
「あちゃ、間に合わなかったか。これでも急いで帰ってきたんだよ?」
「元々お前の帰りが遅くなる事を見越した上で早く来てたんだ。気に病むことはないぞ」
「それでもね?待たせるってだけで先輩の威厳がね?」
その本性を晒された身としては人間性の部分で後輩に威厳を見せようとしている事自体無理な気がするんですけどね。そんな脳内ツッコミをリビングの扉の向こう側に向かって念じてみると、その扉が勢いよく開いた。
「ハロー!エイトちゃん!君の尊敬して止まない先輩が帰ってきたゾ!!」
扉から姿を表したその人は、私の……
……それにしても、トワ先輩とモモ先輩が一緒に住み始めたって本当だったんだなぁ。
同居、いや、同棲の話は前に耳にしていた。高校時代から男っ気のなかった二人だが、そういう浮足立った話に巻き込まれるとよく互いを巻き込み、犠牲にしながら笑い話へと変えていったという話もよく聞いた。そして、その二人の関係性がついに『本物』になったから。そう本人に聞かされて「……また私の事騙して揶揄おうとしてます?」なんて返したのも割と前の話。その時にちょっと照れながらも律儀に説明してくれたトワ先輩の顔は未だに忘れられない。
「いやー、それにしてもエイトちゃんはよく
「そんなこと無いですよ!!」
会ってそうそうなんてことを言うんだこの先輩は。せっかくマネージャーさんが頑張って休みにしてくれたというのに。
「だって今日世間では、バレンタインデーなんだよ!!アイドルがこのイベントを率先して盛り上げないでどうするのさ!!」
バレンタインデー。
世のティーンが一斉に色めく日。お菓子業界、アパレル、飲食店、あらゆる業界がこのイベントを盛り上げようと躍起になって日本中がチョコレートの香りに包まれる。もちろんアイドルだって例外ではない。むしろテレビやらで積極的に盛り上げるべきポジションだ。
「今日放送の特番はもう全部収録終わってますし。それに……」
「それに?」
「去年は生放送の仕事あったんですけど、私や他の演者さんにチョコを押し付けて回ろうとする厄介スタッフが複数いて番組破綻寸前まで追い込まれたんですよ。今年はあんなのは勘弁です」
「……アイドルも大変なんだね。ドンマイ」
「……永遠には言われたくないだろ」
「……トワ先輩には言われたくないです」
この先輩去年チョコに怯えてビクビクしてたの忘れてないですからね?あんな状態の先輩はそこそこ長い付き合いの中でも初めて見ましたよ!
「ちなみに、そう言うモモちゃんはどうだったの?今日も昼間は仕事だったんでしょ?」
「私か?私は同僚の女の子と割り勘で部署に袋詰めチョコ菓子を買ってそれで終わりだったな」
「……そういえば、バレンタインって女の子がチョコをあげる側のイベントだったね。忘れてたよ」
「トワ先輩……」
駄目だ。この先輩重症すぎる。一体毎年どんなバレンタインを過ごしてきたらそんな事も忘れられるんだ。……まぁ、そんな凄いバレンタインを毎年引き起こしてしまう辺り流石はトワ先輩と言ったところか。
「とりあえず、永遠は荷物を自分の部屋に置いてきたらどうだ?ついでに酒も持ってこい。私達はもう飲んでるぞ」
「うん、そうする」
モモ先輩の一言で立ち話を終えたトワ先輩が踵を返して自室へと向かう。
「……よっしゃ、今日は飲むぞーー!!」
今日は騒がしい会になるだろうな。
そんな気がした。
◇
「っぷは〜〜!!今日は飲んだね〜〜!!!」
夜も更け、もうすぐ私も帰らないと明日の仕事に支障が出てしまうような、そんな時間。最初は去年までのバレンタインを思い返して少し青くなっていたトワ先輩の顔ももう既に朱く染まっていた。
「そうですね!モモ先輩も料理ごちそうさまでした!」
「あぁ。お粗末様でした」
時計を見ると思ってたよりも30分くらい経っていて、本当に楽しい時間を過ごしたなぁ……なんて考えながら帰宅のために手荷物をまとめる。
その時、私の後ろでこれまた何かゴソゴソしていたトワ先輩から声が掛かった。
「エイトちゃん、ハッピーバレンタイン!」
「……??」
振り向けば、差し出されたのはきれいにラッピングされた小さな箱。これってもしかして……
「おめでとう!!私の友チョコを貰えるなんてエイトちゃんだけなんだゾ!!」
「あの天音永遠の……チョコ……?」
これ、ひょっとして他人に知られたら犯罪に巻き込まれるレベルの代物なんじゃ…………絶対に誰にも言わないようにしないと。
「ありがとうございます。これ、私からお二人にです」
そう言って私がかばんから取り出したのはちょっと大きめの箱。いささか大袈裟な気もするが、二人分ならちょうどいいだろう。
「おぉ!!ありが……」
「じゃあ、これは私からだ。永遠、八花、受け取ってくれ」
「ありがとうモモちゃん!!!」
「ありがとうございます!」
「モモちゃんにはこれね!もちろん本命だから!」
「知ってるよ……ありがとう、永遠」
流れでモモ先輩からもチョコを貰った。ありがたい。
モモ先輩との交換の流れであまり見れなかったトワ先輩の反応ももうちょっと見たかったなぁ……とも思ったけど、幸せそうな二人の空間が瞬時に形成されて、あ”、このモモ先輩の笑顔、やばい……
そんな二人の絵面を堪能していると、ふと、モモ先輩と視線があった。その視線には何か意味が……
…………?
…………ってまさか!?モモ先輩、自分以外のチョコで喜ぶトワ先輩を見るのが複雑だったから、わざとあのタイミングでチョコを!?
えぇ……なにそれ……チョコよりもずっと甘々かよこの二人……
「そういえば、お前からの『本命チョコ』は高校の時以来かもな」
「高校のとき?……!?あ、あれはそういう勝負だっただけじゃん!!」
「あぁ。あの時は散々な目にあったな。誰かさんの名演技のおかげで」
そういえば私がまだ高1の時、3年の有名人に
「……先輩方、変わんないんですね」
「八花、それ褒めてるのか……?」
「まぁ、私達がまだまだ若いっていうのはそのとおりだけどね……っていうかあの話後輩の間でもそんなに有名だったの?」
「当たり前ですよ。一つの伝説みたいな扱いでしたから」
「そっかぁ……でも、当時の同級生たちも、まさか
「……だろうな」
私は学年も違ったから当時の先輩たちを見てきたわけじゃない。その事がたまらなく惜しい。今でこそこうして仲良くしてもらっているけれど、二人には私の知らない積み上げてきた時間がある訳で、それがどこか寂しいと感じてしまえた。
「当時の先輩たちを一度見てみたいですね」
「え”……そんなこと考えるもんじゃないよエイトちゃん……」
「私もそう思うぞ八花……」
……昔先輩たちに何があったんだろう。
「……でも……」
先輩たちの過去を訝しんでいると、急に合った二人の目が優しく光った。
「昔の私たちはともかくとして、少なくとも今の私達は八花がちゃんと見てくれている。私は、そのことの方がずっと嬉しい」
「そうそう。今私とモモちゃんの隣にいるのがエイトちゃんで良かったっていうのは本心だからね」
その一言はいきなりで。
いくら笑顔が綺麗でも口を開けば体外
「え、待って、急に、どうしたんですか……??」
「八花相手だと私達は外面も取繕わずにバカをやってしまいがちだからな。今日ぐらい素直に伝えてみたらどうだって永遠と話していたんだ」
「そーいうこと!だからエイトちゃん、ありがとう」
優しい言葉が耳を抜け、優しい視線が体を包み、そして、頭に手が載せられた。
もう、急に何なんだこの先輩たちは……
私はもう何がなんだかわからなくて。
涙が、溢れた。
「なんだ八花、泣くほど嬉しかったのか」
茶化さないでくださいよモモ先輩!私は、別にそんなんじゃ……
「ちが、これは、お酒のせいで……」
「うんうん。エイトちゃんは泣き上戸だもんね…………ほら、お酒のせいにしちゃっていいからさ、エイトちゃんも思ってること言ってみ?今日世間はどうやら『自分の気持ちに素直になって想いを伝える日』らしいよ?」
今までこの人たちと一緒にいて割と散々な目にもあったけれど、それでもいろんな物を得た。
やっぱり私はこの人たちと一緒にいたくて。
さっきは二人がやっぱり遠いように感じてしまっていたけど、それでもこうして近くに、私が感じていたよりもずっと近くにいてくれる。それがたまらなく嬉しかった。
「トワ先輩、モモ先輩、私は……」
素直になろうとして、素直になって。
二人に私が抱いていた感情は、言葉にできなかった。
言葉で言い表せてしまうほどちっぽけで単純なものじゃなかった。
そんな想いを再確認させられた私は、涙を拭って今日の二人のこの顔をしっかりと目に焼き付けた。
少なくとも今日の事は、二度と忘れることはない。
きっと彼女らが互いに向けている好きとは違うけれど、それでも私は二人のことがきっと“好き”で。
そんな誰も理解できない感情に埋もれていきつつも尊い永百に浄化されてなんだかんだ幸せな日々を送ってしまうエイトちゃん。
その心の内は、友愛、憧憬、そして………