「あったかいもの、どうぞ」
「あったかいもの、どうも」
ユディが少女へとカップを渡し、少女はそれを受け取る。そんな変哲もない光景を彼女の座るベッドの横から眺めつつ、僕は溜息を吐いた。
ユディがいつものコーヒーミルクを入れてくれたので、一口飲み少し心を落ち着ける。ミルク多めの甘めで、実質カフェオレみたいなものだ。まだブラックのおいしさはわからない。
ユディから少女が目を覚ましたと報告を聞いた後、僕はおじいちゃんからユディと一緒に少女の面倒を見るように言われた。理由としてはごく単純、一番年が近く話しやすいだろうからということだった。多分それだけでなく、僕が見つけたからってことや、言われてないほかの理由もある気がするけど。
「初めまして、ユーノ・スクライアです。一応、君が倒れているのを見つけたのは僕です。えっと、僕らのこととかはユディから簡単に話は聞いたんだよね?」
極力落ち着いて、丁寧に話しかける。冷静さは装えていただろうけど、彼女の見えないところ……、椅子に座り地面から浮いた足は、無意識にぶらぶらと揺れていた。
起きている少女と相対するのはこれが初めてだ。寝顔を見ていた時とは、少し印象が違うような気がする。なんというか、瞳に力強さがあって、知らなければ男の子のように見えなくもない。
『少なくとも、マイスターよりは男らしさがありますね』
『ほっといてくれ』
レイジングハートがわざわざ念話で茶々を入れてくる。リラックスさせようとして気を使ってくれたのか、ちょっかい出したかっただけなのか……多分、言いたかっただけのような気がするけれど。
「助けてもらってありがとうございました。私は立花響です!……多分ですけど。何分、ほかの記憶が全くないもので」
たはは……と、少女――立花響は困ったようなを浮かべる。
そこには、深刻は欠片も感じられず、純粋に、困ったなぁと思っているだけとしか思えない反応だった。
正直、名前以外の記憶が全くないというのに、本当にこの程度の反応なのかとこっちが困惑するくらいだ。実際に記憶を失ったことなんてないから想像でしかないけれど、もっと取り乱したり混乱したり、最悪発狂してもおかしくないんじゃないかと思う。
考えられるとすれば、嘘をついているのか、まだ理解が追い付いていないのか、もとから記憶なんてないのか……。彼女が元からあまり深刻に考えない性格だって可能性もあるけど、それはさすがにないんじゃなかろうか。どんなのんきな性格の人でも記憶が全くないとなるとさすがに取り乱すものだろうし。
『一番考えられるのは嘘をついている可能性でしょうね。ただ、マイスターの仕事はそれを警戒することでなく、同じ子どもとして話し相手になることです。無駄に頭でっかちなせいでいらないことまでいろいろ考えているようですけれど、そのあたりは周りの方々に任せてしまって問題ありません』
『それはわかってるけど、もうちょっと言い方なかったの?頭でっかちとか同じ子どもとか強調してるところに悪意を感じるんだけど』
『でも、レイジングハートの言う通りよ。頭は良くてもユーノはまだ子どもなんだから、面倒事は大人に任せておけばいいのよ。何かあれば周りの大人が責任とってくれるし、その子への対応は好きなようにしても大丈夫よ。まあ、後で叱られることはあるかもしれないけどね』
レイジングハートとユディ、二人とも言っていることは同じだけれど、言い方によってここまで印象が変わるものかと思う。レイジングハートの言い方なんてほとんどけなされているようにしか聞こえないのに。――って、そんなことはどうでもよくて。
結局、二人とも好きなようにしてもいいと言ってくれているのだけど、じゃあはいそうですかというわけにもいかないだろうと思ってしまう。どうしても、いいのかなと躊躇ってしまうし行動する前には必ず考え込んでしまうのが常だ。そういうところが、レイジングハートに頭でっかちだと言われる所以なのだろう。
二人がそこまで言ってくれているんだから、考えずには無理にしてもそれなりに気負わず話そうとは思う。
「それじゃあ、えーと、タチバナさん……でいいかな?」
「響でいいですよ。こっちこそユーノ君でいいのかな?」
「というか、あなた達同い年くらいなのに、なんで敬語なの?」
呼び方を確認している僕らを微笑ましく思ったのか、微笑を浮かべながらユディは言う。
確かに子供二人で敬語で話している光景というのは、大人側から見たら変に見えるのかもしれない。かと言って、いきなり呼び捨てにするのも、友達感覚で話すのもなんか違うような感じがしてむず痒い。
「いや、まあ……」
「同い年……?」
照れていた僕に対して、しかし彼女は全く違うところに反応していた。
「どうしたの?」
「えと、なんか違和感が……」
聞き返してみるも、帰ってくる反応は芳しくない。というか、本人もよくわかっていないようで、困惑しているようだ。
実は僕と年齢は結構違うとか?でも、見た目的にはそんなに変わらないもんなぁ。
「まっいいか。じゃあ、私はユーノ君で!」
さっきまでの表情が嘘のように笑みを浮かべる。
「う、うん。じゃあ僕は響って呼ぶことにするよ」
「どうぞどうぞ、好きに呼んじゃってください!あ、でも男の子に名前で呼ばれるって少し照れくさいかも」
本当、どうしてこの子はこの状況で笑えるのか不思議だ。
「それで、響は記憶がほとんどないってことだけど……、日常生活とか一般常識的なことはわかるんだよね?言葉も普通に話せてるみたいだし」
「おお、そういえば!確認してみないとだけど、普通に生活したりは大丈夫かな」
でも、と響は続ける。
「さっき、ユディさんが話してた魔法とか魔導師とかそういうのはわからないかも」
「言葉の意味としてじゃなくて?」
「意味は何となくわかるけど、想像の存在とかそんな感じのような気がするんだ。……多分だけど」
さっきというのは目覚めてすぐの時のことだろう。そうなると、響は記憶がなくなる以前は魔法の存在しない世界で暮らしていたってことになるのかな。僕らの常識としては魔法は当たり前に存在するものだけど、世界によっては魔法の発達していないところもあるし、ないわけではないと思う。
ただ、その場合問題なのは、響がいたあの場所は魔法の存在が当然のものとされた施設だってことだ。つまり、全く違う世界から連れてこられたということになる。
もともと、施設の状態から考えて響があの場で作られた存在だという可能性も考慮に入れていたけれど、この会話してる感じからするとそれはないと感じ始めている。記憶の埋め込みの可能性も考えたけれど、それにしては中途半端だし、現状としては単純に攫われてきたと考えた方がしっくりくる。
それに、造られた可能性を否定する最大の理由として、響の体にリンカーコアがないというのがある。気分の悪い話、失敗して捨てられた可能性もあるけれど、その場合もっと早い段階で下されているはずだと思う。
「うーん、どちらにしても今考えててもわからないか。今度、響を見つけた場所にも案内するし、いろいろ見たり話したりして少しずつ記憶の手掛かりを見つけていこう」
「うん!……あ、でもいいのかな?助けてもらって、記憶を取り戻す手助けまでしてもらうなんて……。そうなると、ほかの生活に関してもいろいろ迷惑かけちゃったり……しますよね?」
響は僕を見ながら――そして、ユディを見ながら言う。
「まあ、確かにそうだけど、僕ら自身が遺跡発掘にいろんなとこに放浪したりしてるからね。その先で遭難した誰かを保護することも少なくないし、気にしなくても大丈夫だよ」
「ユーノ、それフォローになってないわ」
ユディは、ベッドを挟んで僕の反対側にしゃがみ、響と目を合わせながら言う。
慰めたつもりだったんだけど、ユディからダメ出しを食らう。そんなこと言われても、これ以上僕にどう言えばいいっていうのさ。
「そんなことに気を遣わなくても大丈夫よ。あなた一人の面倒を見るくらいなんとでもなることなんだから。今は、大人に頼りなさい」
優しく微笑みかけるユディからは、横で見ている僕でも安心感が感じられた。……でも、その言い方は卑怯じゃないかな。僕には言えない言葉だし。
「……はいっ!全力で頼らせてもらいます!」
少し逡巡した後、響は力強く頷いた。
同じことを言われても、僕だとこんなに素直に言えないだろう。そんな彼女の性格が、少し羨ましい。
最初こそ、管理局に引き渡すかスクライアで保護するかなんて考えていたけれど、そんなことは途中から頭から消えていた。そして、多分それはユディも同じなんだろう。
「それじゃあ、そういうことでみんなには話はしておくわね。と言っても、おじいちゃんに報告するのはユーノの仕事だけど」
もともと記憶喪失だった場合を想定していない話だったし、前提が変わってる時点で質問する必要性がないとも言えるけれど。
「では、報告をここで済ませてしまいましょう。立花響とグランドファザーの顔合わせも必要でしょうし」
話がひと段落したと判断したのか、今まで全く話さなかったレイジングハートが急に声を上げた。
「あれ、今の声どこから?」
「初めまして、レイジングハートと申します」
「うわっ!?宝石がしゃべってる!?」
響は魔法を知らないって話だったし、当然インテリジェントデバイスも知らないようで驚いている。知らなければただの赤い宝石が光りながら話しているようにみえるだろうし、無理もない。
「宝石ではありません。インテリジェントデバイスという魔導師支援ユニットです。もっとも、私は少々特殊ですが」
「えーと?よくわかりませんけどよろしくお願いします!レイジングハートさん!」
「よくわからないのによろしくお願いしないでください。記憶がないからなのか元からなのかは知りませんが、どちらにせよあなたとは激しく相性が悪そうですね」
珍しくレイジングハートが困惑しているように見える。響のようなタイプの人はスクライアにはいなかったし、本当に相性が悪いのかもしれない。
「レイジングハート、ここで話済ませるって言っても、通信機を持ってくるか向こうに行くかしないと繋がらないんじゃ……」
スクライアの村と、発掘に来ているこの場所はとても距離が離れていて、さらには通常一般の人や管理局が移動する航路からも離れているため、長距離用の特殊な通信機を用いないとまともに通信ができないようになっているはずだ。
「問題ありません。先ほどの通信時に通信機と接続しておきましたので、私から通信機を介してグランドファザーと通信ができます」
いつのまにそんなことを……。しかも僕に何も言わず勝手に。優秀なのは助かるけれど、毎度のごとくなんか納得いかない。
横では響が理解できずはてなマークを出していて、そのさらに横ではユディがさすがレイジングハートねなんてほめている。うん、まあ通信できるならそれでいいや。
「それじゃ、レイジングハートお願い」
と言うが早いか、レイジングハートから光が差し、テントの壁に画面が映し出される。そこにいるのはつい先ほど話をしていたおじいちゃんの姿があった。
「話はついたようじゃの」
「はい、結果としては……」
「わかっておる。わしらで保護しようというのじゃろ?それで構わんよ」
「え……?」
いや、たった今決まった話なのにどうしてもうおじいちゃんが知っているのだろう。……と思いながらも、その理由と思わしき赤い宝石へと目を向ける。
「中継していましたから」
うん、やっぱりか。
「初めまして響ちゃんや、わしはこやつらスクライア一族の長をやっておるものじゃ」
「はい!初めまして長老さん!立花響です!」
長老とは言ってないんだけど……まあ、間違いというわけでもないしいいか。おじいちゃんも別に気にしている風でもないし。
「いろいろ話すことはあるのじゃが、それに関してはユーノやユディ、それにほかのものに任せようと思う。ただ、わしから一つだけ聞いておきたいことがあるのじゃが、よいかの?」
響は少し緊張しているのか、おじいちゃんの言葉に黙って頷く。
僕が感じるのは、そういうおじいちゃんがいつもより少し、真面目で真剣な空気を出しているということだった。おじいちゃんがこういう雰囲気になるのは、僕の知る限りではあまり多くはない。
「話通り、君のことはスクライアで保護しようと思う。話していた通りわしらのことを存分に頼ってもらっても構わん。記憶に関しても、できる限り取り戻す協力をしていくつもりじゃ」
ただの――と、おじいちゃんは続ける。
「おぬしとしてはどう考えておるのかと思っての。名前以外の記憶もない状態で、言ってしまえばおぬしとしては、わしらが本当のことを言っているのかの判断もつかんじゃろう。もしかしたら、実はわしらが悪者で、都合のいいことを言っておぬしを何か利用しようとしているのかもしれんぞ?」
そういうおじいちゃんの顔は、それが本当かもしれないと思わせるような悪い笑みを浮かべていた。
響からすればそういう可能性もあるのは確かだ。不安なのは間違いないのだろう。それなのに、さっきまでの僕やユディと響との会話では、そのような雰囲気は全くなかった。それこそ、不思議なほどに。
それは、本当に響がそういう性格だからなのか、それとも、ほかに何か理由があるものなのか――。
「……確かに、不安がないと言えば嘘になります。自分の名前以外の記憶がなくて、何をどうしたらいいかもわからなくて、怖くて仕方がありません!」
でも――と、響は自分の右手を胸の前にもっていき握り拳を作る。
「私のここが、感じているんです。記憶がないから、私は私がどんな人間だったのかもだったかわからないけど、でも、“その私”が信じれると感じてるから、大丈夫です!だから、ユーノ君のことも、ユディさんのことも信じています!」
そう言い切った響は、格好いいとさえ感じるような笑みを浮かべていた。
正直、さっぱり意味がわからない。
理解ができない。
でも、それが立花響なんだと思わせられる言葉だった。
「ふむ……」
その言葉を聞き、おじいちゃんは響の顔をじっと見詰めながら考え込み――、
「ならよろしい」
と、何か納得したのか、空気を一変させて優しい笑みを浮かべた。
「そういうことならもう何も言わん。怖がらせるようなことを言ってすまんの」
「そうですよ、女の子にそんな厳しいことを言って……後でみんなに言いふらしておきますからね」
改めて謝るおじいちゃんに、ユディが非難するような目を向ける。ユディも、もちろん質問した意図は理解しているだろうけど、言い過ぎだと思ったのかもしれない。少なくとも、ユディが響のことを気に入ったのは確かだと思う。
「そう怖いこと言わんでくれユディ。わしとしては唯一確認しておきたかったことなんじゃ、許しとくれ」
あと、おじいちゃんはユディに弱いんだよね。前にユディにすねられたときにはおじいちゃんが謝り倒すというほとんど見ることのできない光景をスクライアのみんなで見たこともある。
「それはともかく、ユーノは響ちゃんくらいの芯の強さや、単純さを学ばないとね」
とか考えていると、なぜか僕に矛先が向いた。
「確かにの。響ちゃんのもっておるものは、ユーノに足りないところじゃ。一緒にいて参考にするんじゃな」
「すべきですね。マイスターはいかんせん頭でっかちすぎます」
「確かにそうかもしれないけど、みんなして言わなくてもいいじゃないか……」
普段から散々言われてるし、自分でもわかってるさ。
少し話しただけでもわかる、響の単純さは確かに僕に足りないところなんだろう。でも、わかってるからと言ってすぐ直るものでもないし、自分でも頑張ってるつもりなんだと言い訳したい。
……まあ、みんなも本気できつく言っているわけじゃないのはわかってるけど。でもレイジングハートの言葉は悪意がある気がするけど。
そんなやり取りが面白かったのか――僕としては面白くないけど――
「あははははははは!」
と、響が突然笑い声をあげた。
「やっぱり、みんなあったかくていい人です!」
それが、立花響と僕たちの出会いだった。