◆地球連邦軍最高司令部付属医務室
「閣下、安静にしてください」
「安静にしている」
「書類に署名しながら言う台詞ではありません」
軍医の声は冷たかった。
まったく、軍医というものは階級章を見ない。
いや、見てはいるのだろうが、血圧計と心電図の前では、大将も少尉も等しく患者でしかないらしい。
私はベッドの上に半身を起こし、膝の上に書類束を置いていた。
左腕には血圧計。
右手には決裁ペン。
口元には胃薬の苦味。
実に、勝利の味とは程遠い。
「閣下、胃粘膜に対しても作戦計画を立てるべきです」
副官が横で淡々と言った。
「胃粘膜より先に、地球へのコロニー落としを阻止したんだ。少しは労ってくれ」
「ですので、医務室に運びました」
「それは労いなのか?」
「最高級の労いです」
私は溜息を吐いた。
星の屑作戦は失敗した。
コロニーは地球へ届かなかった。
北米穀倉地帯も、ジャブローも、南米の都市も、直撃を免れた。
破片被害は最小限。
救難活動も進んでいる。
だが、これで終わりではない。
観艦式壊滅。
核使用。
コロニー落とし未遂。
ソーラ・システムII未照射判断。
アナハイム関与疑惑。
デラーズ・フリート捕虜の処遇。
シーマ艦隊保護。
アルビオン隊とガンダム開発計画の責任問題。
そして、スペースノイドに対する連邦内強硬派の怒り。
書類は増える。
山のように増える。
今の私の前に積まれている紙束は、戦後処理というより、地球連邦官僚制の実体化した怪物に見えた。
「閣下、次の書類です」
「まだあるのか」
「まだ序盤です」
「敵の残存部隊より手強いな」
「書類は撃墜できませんので」
まったくだ。
私は一枚目の決裁書に目を落とした。
シーマ艦隊の保護措置に関する特別命令。
最高司令部直轄保護対象。
司法取引。
証言保全。
部下の身柄保護。
過去の作戦行為に関する調査協力。
汚れ仕事を押し付けられてきた女と、その部下たちを、今度こそ捨て駒にしないための書類だった。
「これは最優先で通す」
「反発は大きいかと」
「分かっている」
シーマ・ガラハウは旧ジオン軍人だ。
しかも、デラーズ・フリート内部にいた。
コロニー強奪作戦にも参加している。
普通に処理すれば、敵性戦力として収容、査問、裁判。
場合によっては極刑すらあり得る。
だが、彼女がいなければ、コロニーの管制データは得られなかった。
民間作業員の被害も増えていた。
ロンド・ベルの受け入れ回廊も間に合わなかった。
そして、彼女は部下を連れて生き残った。
それは、私との約束を守ったということだ。
ならば、こちらも守る。
「シーマ艦隊は、司法取引と特別恩赦の対象とする。調査協力は必須だ。だが、部下たちを一括して戦犯扱いにはさせない」
「了解しました」
「それと、彼女には直接会う機会を作る」
副官が微妙な顔をした。
「閣下、また殴られるのでは?」
「なぜ私が殴られる前提なんだ」
「前例があります」
「それは別件だ」
「女性関係では前例が多すぎます」
「人聞きが悪い」
軍医が横から咳払いした。
「閣下、血圧が上がります」
「私の尊厳が下がっているんだ」
「尊厳より血圧です」
医務室は、まったく容赦がない。
◆最高司令部保護区画
シーマ・ガラハウは、窓の外を眺めていた。
そこは監房ではない。
だが、自由でもない。
最高司令部直轄の保護区画。
名目上は証人保護。
実態としては、保護と監視の中間だった。
彼女の部下たちは、別区画で治療と事情聴取を受けている。
死者は出た。
損傷艦もある。
だが、多くは生き残った。
それだけで、今回の賭けには意味があった。
「中佐」
副官が入ってくる。
「部下の治療状況です。重傷者はいますが、今のところ脱出できた者は全員、命は取り留めています」
「そうかい」
シーマは短く答えた。
その声には、いつもの皮肉が少なかった。
「連邦の大将から伝言です」
「へえ。胃薬片手に何て?」
「司法取引と特別恩赦の手続きを進める。部下を捨て駒にはしない。約束は守る、とのことです」
シーマはしばらく黙った。
やがて、口元を歪める。
「相変わらず、妙なところで律儀な男だね」
「どう返しますか?」
「請求書を作っておきな。危険手当、情報提供料、裏切り者手当、部下の慰謝料、あと私の精神的苦痛料」
「最後のは通りますかね」
「通させるのさ。あの大将なら、胃を押さえながら判を押すよ」
部下が笑った。
シーマも笑った。
笑えた。
それだけで十分だった。
◆捕虜収容艦 特別区画
アナベル・ガトーは、医療拘束具を付けられたまま、静かに座っていた。
負傷は重い。
だが、命はある。
彼は戦死しなかった。
死ぬことも許されなかった。
捕虜として扱われ、法廷に立つことになる。
それは、ある意味で死より重い処遇だった。
大義を叫んで散るのではない。
生きて、問われる。
何をしたのか。
何をしようとしたのか。
何人を巻き込もうとしたのか。
その全てを、記録と証言の前で問われる。
収容区画の士官が報告書に記す。
アナベル・ガトー、捕虜。
人道上の扱いを保証。
尋問は連邦法令に基づく。
最高司令部命令により、私的制裁を禁止。
ガトーは窓の外を見ていた。
遠くに地球がある。
青く、静かな星。
彼の星の屑は、そこには届かなかった。
◆アルビオン医療区画
コウ・ウラキは、ベッドの上で目を覚ました。
全身が痛い。
頭も重い。
だが、生きている。
「コウ」
ニナ・パープルトンが椅子から立ち上がった。
「ニナ……コロニーは?」
「逸れたわ。地球には落ちなかった」
その言葉を聞いた瞬間、コウは力を抜いた。
天井を見つめる。
涙が出るほどではない。
だが、胸の奥にあった硬いものが、少しだけ溶けた気がした。
「ガトーは?」
「捕虜になったそうよ」
「そうか」
コウは目を閉じた。
追いたかった。
殴りたかった。
問いただしたかった。
だが、あの時、自分は任務を選んだ。
ガトーではなく、コロニーを止めることを選んだ。
それが正しかったのか。
今なら分かる。
正しかった。
「俺、処分されるのかな」
ニナは少しだけ苦笑した。
「最高司令部承認による緊急投入扱い。無断使用ではないそうよ」
「最高司令部が?」
「ええ。正式な作戦参加として扱うって。ただし、心身の検査、再教育、長期報告書提出は確定」
コウは呻いた。
「報告書か……」
「生きてる人の仕事ね」
その言葉に、コウは少し笑った。
「なら、書くよ」
◆ロンド・ベル帰投艦隊
ブライト・ノアは、トロイホースの艦橋で帰投命令を確認していた。
アムロ・レイのアレックスは、格納庫で整備班に囲まれている。
大破寸前。
だが、戻ってきた。
アムロも無事だ。
「ブライト」
通信にアムロの声が入る。
「最高司令部から正式命令だ。ロンド・ベルは今後、最高司令部直轄即応部隊として拡充されるらしい」
「また仕事が増えるな」
「いつものことだ」
アムロは苦笑した。
「だが、今回のようなことが起きるなら、必要だ」
ブライトは頷いた。
ロンド・ベル。
一年戦争の英雄たちを封じ込めるためではなく、必要な時に政治と現場の隙間へ飛び込む部隊。
それは危険な役目だ。
だが、誰かがやらなければならない。
「アムロ、休め」
「ブライトもな」
「私は報告書がある」
「俺も戦闘記録がある」
二人はしばらく黙った。
そして、同時に溜息を吐いた。
◆最高司令部医務室
次の書類は、バスク・オム大佐に関する評価報告だった。
月面施設封鎖。
産業用レーザー施設停止。
作業船団防護。
功績は大きい。
極めて大きい。
だが、危うい。
私は報告書を読みながら、ペンを止めた。
「閣下?」
副官が声をかける。
「バスク大佐は有能だ」
「はい」
「だが、あのまま放置すれば、いつか大義の名で強権を振るう側に立つ」
「排除しますか?」
「できん」
私は首を振った。
「完全に排除すれば、強硬派の不満が爆発する。観艦式壊滅とコロニー落とし未遂で、連邦内の対スペースノイド感情は悪化している。誰かが強硬派の受け皿になる」
「では、登用を?」
「縛る」
私は短く言った。
「制度で縛る。最高司令部の統制下に置く。独自の政治部隊ではなく、即応治安・対テロ部隊として法的制限を明確化する」
「いわゆる、特殊部隊構想ですか」
「強硬派は、もっと強いものを望むだろう。スペースノイドを力で押さえつける部隊をな」
「ティターンズ構想、ですか」
その言葉は、まだ正式名称ではない。
だが、既に一部の強硬派の間では囁かれている。
地球圏の治安維持。
宇宙移民者の監視。
ジオン残党掃討。
耳触りはいい。
だが、無制限な強権を与えれば、必ず腐る。
「原案を潰す」
私は言った。
「完全に潰せないなら、形を変える。最高司令部直轄。議会監査。作戦記録の保存。捕虜取り扱い規定。民間人保護条項。独断作戦禁止。これを全て入れる」
「強硬派は嫌がります」
「嫌がらせるために入れる」
「バスク大佐は?」
「使う。だが、鎖を付ける」
私はペンを置いた。
「刃は鞘に入れてこそ、道具になる」
副官は静かに頷いた。
「了解しました」
次の書類は、アナハイム・エレクトロニクスに関する調査命令だった。
月面推進剤搬出。
産業用レーザー照射施設の不審稼働。
ガンダム開発計画。
ラビアンローズ。
連邦軍にも、ジオン残党にも関わる巨大企業。
簡単には切り込めない。
企業規模も、政治力も、技術力も、あまりに大きい。
だが、放置もできない。
「アナハイム調査委員会を設置する」
「どこまで踏み込みますか?」
「踏み込めるところまで」
「踏み込めないところは?」
「記録を残す」
私は言った。
「今すぐ裁けなくても、記録があれば次に繋がる。闇に沈めるな」
「了解しました」
◆戦後処理会議 最高司令部第1会議室
数日後、私は医務室から半ば強引に退院させられた。
いや、正確には会議室へ護送された。
軍医からは、一日二時間以上の会議禁止を命じられている。
守れるはずがない。
会議室には、将官たちが並んでいた。
観艦式壊滅の損害報告。
デラーズ・フリート残党処理。
捕虜リスト。
作業船団補償。
ロンド・ベル拡充案。
シーマ艦隊保護。
ガンダム開発計画凍結審査。
アナハイム調査。
即応治安・対テロ部隊構想。
議題が多すぎる。
戦争は終わったはずなのに、書類上ではまだ戦争が続いている。
「ソーラ・システムIIを使用しなかった件について、宇宙軍総司令部から正式な抗議が来ています」
「来るだろうな」
「強硬派の一部からも、照射していればより早く解決できたとの意見が」
「味方ごと焼いてな」
会議室が静まる。
私は資料を閉じた。
「結果として、コロニー落としは阻止された。作業船団、ロンド・ベル、バスク艦隊、シーマ艦隊、アルビオン隊の連携により、地球への落着は回避された。ソーラ・システムIIを照射しなかった判断は、最高司令部の責任において妥当だったと記録する」
「宇宙軍総司令部は納得しないでしょう」
「納得させるのが政治の仕事だ」
ああ、嫌だ。
本当に嫌だ。
軍人なのに、政治の仕事ばかりしている気がする。
だが、ここで負ければ、次はもっとひどい兵器が、もっと雑に使われる。
「作業船団への補償は?」
「損傷船、負傷者、遺族補償、全て最高司令部名義で手続き中です。財務局は非常に渋い顔をしています」
「渋い顔で済むなら安い。払え」
「了解」
「ロンド・ベル拡充案は?」
「即応部隊として予算増額。ロンド・ベルの権限拡大。アムロ・レイ少佐の所属継続。旧ホワイトベース系人材の再配置案も含まれています」
「進めろ。ただし、政治的私兵化は避ける。最高司令部直轄でも、監査は置く」
「了解」
「シーマ艦隊は?」
「保護下で事情聴取中。シーマ・ガラハウ中佐は、司法取引条件について大量の要求を出しています」
「内容は?」
「危険手当、情報提供料、艦艇補修、部下の住居、医療支援、給与保証、慰謝料、精神的苦痛料、そして閣下への請求書」
会議室に微妙な沈黙が落ちた。
「最後は私費か?」
「公費を要求しています」
「却下だ」
「では?」
「一部だけ通せ。全部却下すると、彼女は本当に乗り込んでくる」
将官の一人が小さく笑った。
こういう笑いは、悪くない。
重い会議の中で、人間らしさを保つために必要だ。
「アナベル・ガトーは?」
「司法裁判所へ。戦時国際法上の捕虜として扱い、私的制裁は禁止。重罪は免れませんが、公開性を一定程度確保する方針です」
「よろしい」
大義は、法廷で問われるべきだ。
戦場の爆光で美化されるべきではない。
「コウ・ウラキ少尉は?」
「最高司令部承認による試作三号機緊急投入と記録されます。処分ではなく、功労評価。ただし、心理検査、再教育、戦闘報告書、機体運用報告が命じられます」
「それでいい。若者を英雄に祭り上げるな。だが、罪人にもするな」
「ニナ・パープルトン技師は?」
「ガンダム開発計画関係者として調査対象。ただし、コロニー阻止に必要な解析を行った功績も記録されます」
「感情で裁くな。記録で裁け」
「了解」
会議は続く。
ひたすら続く。
胃が痛い。
背中も痛い。
ついでに髪も心配だ。
だが、地球はある。
それだけで、この書類の山にも意味がある。
◆0084年 最高司令部上層部高官執務室
年が明けた。
宇宙世紀0084。
世界は、平和になった訳ではない。
デラーズ・フリートの蜂起は終わった。
コロニー落としは阻止された。
だが、恐怖は残った。
スペースノイドへの不信。
連邦軍内の強硬論。
アナハイムへの疑念。
宇宙軍総司令部と最高司令部の軋轢。
そして、即応治安・対テロ部隊構想。
火種は多い。
ただ、最悪の火は消した。
地球にコロニーは落ちなかった。
それだけは、確かな成果だ。
執務室の端末には、いくつもの報告が届いている。
ロンド・ベル拡充計画、第一次承認。
シーマ艦隊保護プログラム、運用開始。
アナハイム調査委員会、初回聴取予定。
コウ・ウラキ少尉、療養および再教育課程へ。
ニナ・パープルトン技師、技術証言協力。
アムロ・レイ少佐、アレックス修復不能判定に不満。
ブライト・ノア司令、追加人員要求。
バスク・オム大佐、即応治安部隊準備室へ配置。ただし最高司令部監査付き。
どれもこれも頭が痛い。
「閣下、シーマ・ガラハウ中佐から通信です」
副官が言った。
「繋いでくれ」
画面にシーマが映る。
以前より少しだけ、表情が柔らかい。
だが、口調は変わらない。
『やぁ、大将。生きてるかい?』
「かろうじてね」
『請求書、見たかい?』
「見た。見なかったことにしたい」
『それは困るね。こっちは命を張ったんだ。高くつくよ』
「分割払いで頼む」
『連邦軍の大将が値切るんじゃないよ』
私は苦笑した。
「部下たちは?」
『生きてる。文句も言ってる。飯がまずい、寝床が硬い、連邦の制服は趣味が悪いってね』
「元気そうで何よりだ」
シーマは少し黙った。
そして、静かに言った。
『約束、守ったね』
「ああ」
『なら、こっちも守るよ。調査には協力する。あんたが私らを売らない限りはね』
「売らんよ」
『信用してるよ。少しだけね』
通信は切れた。
少しだけ。
彼女にしては最大級の信頼だろう。
副官が横で言う。
「閣下、嬉しそうです」
「気のせいだ」
「女性関係で問題が増えないことを祈ります」
「だから人聞きが悪い」
私は椅子にもたれた。
窓の外には、青い地球が見える。
あの時、コロニーが落ちていれば、この景色も変わっていた。
北米の穀倉地帯が消えていたかもしれない。
ジャブローが潰れていたかもしれない。
地球の政治も、宇宙の歴史も、もっと血なまぐさい方向へ進んでいたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
少なくとも今回は。
「閣下、次の会議です」
副官が資料を差し出す。
「議題は?」
「即応治安・対テロ部隊構想、ロンド・ベル拡充、アナハイム調査、シーマ艦隊処遇、バスク大佐監査規定、作業船団補償の追加予算、コウ少尉の再教育課程、アナベル・ガトー被告の司法裁判手続きです」
「多いな」
「通常運転です」
「戦争は終わったのにな」
私は呟いた。
「戦争は終わった。だが、仕事は終わらない」
副官が少しだけ笑った。
「閣下らしいお言葉です」
「褒めているのか?」
「はい」
「なら、胃薬を返してくれ」
「医務室から制限されています」
「やはり敵は身内にいる」
「閣下の健康のためです」
私は立ち上がった。
体は重い。
胃は痛い。
髪も心配だ。
だが、まだ仕事はある。
ロンド・ベルを拡充しなければならない。
シーマ艦隊を守らなければならない。
アナハイムを調べなければならない。
バスクを縛らなければならない。
スペースノイドへの怒りが、無制限な弾圧に変わらないようにしなければならない。
連邦市民の安寧を守る。
地球の平和を守る。
それが、私の仕事だ。
権力が欲しい訳ではない。
名誉も、銅像も、勲章もいらない。
できれば、まとまった睡眠時間と健康な胃と、抜けない髪が欲しい。
だが、それは贅沢なのだろう。
「行くか」
私は軍服の襟を正した。
副官が資料を抱えて続く。
「閣下」
「何だ」
「次の会議後、医務室です」
「逃げ道は?」
「ありません」
「シーマより厳しいな」
「光栄です」
まったく、良い副官を持ったものだ。
私は執務室の扉を開けた。
その先には、また会議室がある。
書類がある。
政治がある。
火種がある。
だが、地球は今日も青い。
ならば、まだやれる。
地球連邦軍上層部は、いつも多忙です。
次からは番外編です。