地球連邦軍上層部はいつも多忙です。   作:はにわはにわ

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番外編 腐った組織の中の盾

 

-- 宇宙世紀0084年 --

◆サイド6 民間報道ネットワーク編集室

 

「連邦軍上層部は腐っている」

 

その言葉は、もはや珍しくなかった。

 

一年戦争。

 

戦後処理。

 

残党狩り。

 

企業癒着。

 

そして、デラーズ紛争。

 

コンペイトウ宙域での観艦式壊滅と、コロニー落とし未遂事件は、地球連邦政府と連邦軍に対する不信を決定的に深めていた。

 

無論、報道で確認できる情報は限られている。

 

軍は詳細を伏せる。

 

政府は責任を曖昧にする。

 

企業は関与を否定する。

 

その隙間を、噂と憎悪と推測が埋めていく。

 

サイド6の民間報道ネットワークに所属する若い記者も、その一人だった。

 

彼はスペースノイドだった。

 

一年戦争で親族を失い、戦後は連邦軍の治安強化によって知人が拘束された経験もあった。

 

だから、彼の連邦批判には実感があった。

 

「彼らは安全な会議室に座り、現場と市民に死ねと命じる。腐敗した連邦軍上層部こそが、デラーズ紛争を招いた」

 

配信番組でそう語った時、視聴者の反応は二つに割れた。

 

同意。

 

反発。

 

罵倒。

 

賞賛。

 

そして、短い投稿が一つ。

 

> 連邦が腐っていることは否定しない。

> だが、全てが腐っているわけではない。

> 私は、ある連邦軍人に命を救われた。

 

記者は、その投稿に目を留めた。

 

ありふれた擁護に見えた。

 

だが、文体が妙に静かだった。

 

怒りでもなく、盲信でもない。

 

まるで、長い時間をかけて飲み込んだ記憶を、ようやく文字にしたような文章だった。

 

記者は返信した。

 

数日後、彼は地球に降りた。

 

 

◆地球 旧不安定地域跡地 地方都市郊外

 

投稿者は、三十代前半の男性だった。

 

農園を営んでいるという。

 

彼は連邦政府の熱心な支持者には見えなかった。

 

むしろ、地方自治政府の役人に対する愚痴を、取材前の雑談で淡々と漏らしていた。

 

「あなたは、連邦軍を擁護するつもりですか」

 

記者が問うと、男性は首を振った。

 

「そんなつもりはありません。連邦にも、軍にも、腐ったところは山ほどあります」

 

「では、なぜ投稿を?」

 

「あなたが、全部同じに見ていたからです」

 

記者は少し眉をひそめた。

 

男性は古い箱を持ってきた。

 

中には、色褪せた避難証明書、古い写真、そして軍の感謝状の写しが入っていた。

 

宇宙世紀0063年。

 

まだモビルスーツが存在しない時代。

 

地球連邦軍が宇宙軍拡を本格化させ始めた頃、地上の一部地域では、なお不安定な武装衝突が続いていた。

 

男性は当時、子供だった。

 

「私たちの町は、武装勢力に包囲されました。連邦軍の平和維持部隊が避難を支援していましたが、敵の数が多すぎた」

 

「その時、救われたと?」

 

「ええ。最後の避難機が飛ぶまで、防衛線を維持した部隊がありました」

 

男性は古い写真を差し出した。

 

陸軍の軍装を着た将兵たちの集合写真だった。

 

そして、その中央には、ありふれた顔の中年の男が写っていた。

 

「この人が、部隊を指揮していました。名前は知りません。私たちは、ただ“中佐殿”と呼んでいました」

 

記者は写真を見た。

 

今から二十年前、住民救助に動いた連邦軍部隊がいた。

 

私が知っている連邦軍とは思えない行動だ。

 

そして、この写真に写る中佐がそれを成したのだと言う。

 

だが、それが今の地球連邦軍上層部の人間と繋がっているとは思えない。

 

「この人物が、今の連邦軍上層部と関係あるのですか」

 

「分かりません」

 

男性は正直に答えた。

 

「私は、彼がその後どうなったか知りません。生きているのか、死んだのかも。ただ、あなたが“連邦軍人は安全な場所から市民を死なせるだけだ”と言った時、思い出したんです」

 

男性の声が少し震えた。

 

「あの人は、安全な場所にはいなかった。最後の飛行機が離陸するまで、部下と一緒に残った。私たち子供を乗せた避難機が飛び立つ時、窓から見えたんです。連邦兵たちが、銃剣を付けたライフルを構えて、前に出ていくのが」

 

記者は黙った。

 

男性は続けた。

 

「私は、あの人の名前を知りません。でも、あの人がいなければ、私はここにいない。私の子供も生まれていない」

 

「連邦を許せるのですか」

 

「許すとか、許さないとかではありません」

 

男性は静かに言った。

 

「ただ、腐った組織の中にも、盾になった人間はいた。それを忘れたくないだけです」

 

取材後、記者はその写真を複写した。

 

そして、軍の古い作戦記録を調べ始めた。

 

だが、U.C.0063年の当該作戦記録は黒塗りが多く、指揮官名も簡単には出てこなかった。

 

分かったのは、平和維持部隊が壊滅寸前になりながら市民避難を完遂したこと。

 

指揮官が重傷を負い、後に救出されたこと。

 

そして、その指揮官は後年、高級軍政部門へ異動していたこと。

 

記者はこの軍人に興味を抱いた。

 

しかし、名前は出てこない。

 

連邦軍が詳細を公表しないのは、いつもの事だった。

 

この件について、これ以上調べても何も出ないだろう。

 

それでも、彼の中に諦めきれない何かが小さな引っかかりとして残った。

 

連邦軍人は全て同じではない。

 

彼の言ったことが、何故か頭から離れなかった。

 

 

◆サイド6 民間作業船組合事務所

 

次に記者が会ったのは、デラーズ紛争時に作業船団へ参加した元船長だった。

 

彼は片腕を義手にしていた。

 

コロニー落とし未遂事件の最終段階で、作業船が損傷したという。

 

「軍に使い潰されたと思っていますか」

 

記者が尋ねると、元船長は鼻で笑った。

 

「最初はな」

 

「最初は?」

 

「コロニーが落ちるってんで、軍から協力要請が来た。民間作業船にも出ろってな。ふざけるなと思ったよ。こっちは軍人じゃない」

 

「それでも参加した」

 

「地球に落ちれば、地球だけの問題じゃない。物流も食料も、全部おかしくなる。結局、俺たちの仕事場も壊れる」

 

元船長は机の引き出しから、一枚の書類を出した。

 

「だが、これを見て少し考えが変わった」

 

それは、最高司令部名義の補償命令書の写しだった。

 

危険手当。

 

損傷補償。

 

死亡時の遺族補償。

 

民間船員の救助優先順位。

 

作業船団を軍の消耗品として扱わないこと。

 

細かい条項が並んでいる。

 

「普通、こういうのは後で揉める。だが、これは作戦前に来た」

 

「誰が出したのですか」

 

「最高司令部の大将名義だ。名前は伏せられていたが、署名欄と認証コードは本物だった」

 

「支払われたのですか」

 

「支払われた」

 

元船長は短く答えた。

 

「船を失った仲間の家族にも出た。遅れはしたが、出た。軍にしては珍しくな」

 

「だから、その大将を評価している?」

 

「連邦軍全部を信用しているわけじゃない。今でもな」

 

元船長は義手を叩いた。

 

「だが、あの補償書に判を押した奴だけは、俺たちを捨て駒にしなかった。少なくとも、捨て駒として使うなら金も責任も払うと先に書いた」

 

「それは美談ですか」

 

「美談じゃない。契約だ」

 

元船長は記者を真っ直ぐ見た。

 

「だが、契約を守る大将は珍しい。そこだけは認める」

 

記者は書類の写しを見た。

 

また、名前はない。

 

最高司令部高官。

 

大将。

 

それだけだ。

 

U.C.0063年の中佐についても、まだ何も繋がらない。

 

ただ、記者は少しだけ黙った。

 

連邦軍上層部は、現場を使い潰すだけの存在だ。

 

彼はそう書き、そう語ってきた。

 

だが、目の前の命令書は、その単純な断定をわずかに邪魔していた。

 

民間作業船を動員する。

 

危険な任務に就かせる。

 

その事実だけを見れば、確かに軍が民間を利用した構図に見える。

 

しかし、この命令書には、危険手当、損傷補償、遺族補償、救助優先順位が、作戦前の段階で明記されていた。

 

つまり、少なくともこの命令を書いた誰かは、民間船員をただの道具として扱うことを避けようとしていた。

 

それは連邦軍全体を免罪するものではない。

 

デラーズ紛争の責任を消すものでもない。

 

だが、記者が信じていた「上層部は安全な場所から現場に死ねと命じるだけだ」という見方に、小さな傷を入れるには十分だった。

 

彼は書類の写しをしまった。

 

まだ答えではない。

 

ただ、次に調べる理由にはなった。

 

 

◆サイド6 法律事務所

 

次に記者が訪ねたのは、サイド6で活動する民間弁護士だった。

 

彼女は、連邦軍に批判的な人物として知られていた。

 

一年戦争後、旧ジオン兵捕虜、戦後拘束者、スペースノイド被疑者の弁護を担当し、連邦軍の強権捜査や長期拘束を何度も告発してきた人物である。

 

記者にとっては、むしろ味方に近い相手だった。

 

「あなたが連邦軍の大将を評価していると聞きました」

 

記者がそう切り出すと、弁護士は不愉快そうに眉を寄せた。

 

「評価している、という言い方はやめてください。私は今でも連邦軍が嫌いです」

 

「では、なぜ証言を?」

 

「嫌いだからこそ、区別しなければならないからです」

 

彼女は端末に古い命令書の写しを表示した。

 

大部分は黒塗りだった。

 

だが、いくつかの文言は読めた。

 

捕虜処遇の記録義務。

 

拘束理由の文書化。

 

証人保護対象の安全確保。

 

弁護人接見の妨害禁止。

 

非公式尋問の禁止。

 

「これは?」

 

「一年戦争後からデラーズ紛争前後にかけて、最高司令部から出された複数の通達です。名義は最高司令部高官。階級は大将」

 

「その人物が、何をしたのですか」

 

「軍が一番嫌がることを、軍に命じました」

 

弁護士は皮肉げに笑った。

 

「捕虜を消すな。証人を使い捨てるな。拘束理由を残せ。弁護人を入れろ。記録を残せ。責任者名を明記しろ」

 

「当然のことでは?」

 

「その当然が、戦後の混乱では簡単に消えるのです」

 

彼女の声は冷たかった。

 

「特に、旧ジオン関係者やスペースノイド被疑者の場合はね。残党協力者の疑いがある、という一言で何週間も拘束される。記録が残らない。尋問担当者が分からない。弁護人が会えない。そういうことが起きる」

 

記者は黙った。

 

彼女は続けた。

 

「私は連邦軍を信用していません。今でもしていない。ですが、あの大将の命令書が出てから、少なくとも一部の拘束施設では記録が残るようになった。接見を拒まれた時、こちらはその命令書を盾にできた」

 

「盾、ですか」

 

「ええ。皮肉でしょう」

 

弁護士は端末を閉じた。

 

「私たちが連邦軍から人を守るために、連邦軍大将の命令書を使ったのです」

 

「その大将に会ったことは?」

 

「ありません。名前も知りません。知っているのは、黒塗りの命令書と、そこに押された最高司令部の認証だけです」

 

「それでも、証言するのですか」

 

「ええ」

 

彼女は記者を真っ直ぐ見た。

 

「連邦軍は腐っています。私はその認識を変えるつもりはありません。ですが、腐敗の中で法を残そうとした者まで同じ腐敗として扱えば、私たちは使える盾を自分で捨てることになる」

 

その言葉は、記者の胸に深く残った。

 

連邦軍を嫌う者が、連邦軍大将の命令書を盾と呼んだ。

 

それは、彼にとって予想外の証言だった。

 

記者が席を立とうと手元の手帳を閉じようとした時、弁護士が手帳に挟まった古い写真に目を留めた。

 

「その写真、少し見せてください」

 

「これですか?」

 

記者は写真を差し出した。

 

U.C.0063年、地上の不安定地域で撮られた連邦陸軍部隊の集合写真。

 

中央には、名も知らぬ中佐。

 

記者にとっては、今の連邦軍上層部とは繋がらなかった、古い時代の断片だった。

 

弁護士は中央の中佐ではなく、その後ろに立つ若い士官を指差した。

 

「この人……見覚えがあります」

 

「中央の中佐ではなく?」

 

「ええ。後ろの若い士官です。断定はしませんが、現在のロンド・ベル司令に似ています」

 

「なぜ、あなたがロンド・ベルの司令を?」

 

「捕虜処遇通達と証人保護の運用照会で、一度だけ会ったことがあるからです。私は連邦軍人の顔を覚える趣味はありませんが、法務照会でこちらの邪魔をしなかった将官の顔は覚えています」

 

彼女は皮肉げに言った。

 

「珍しいですからね。邪魔をしない連邦軍高官は」

 

「その少将に接触できますか」

 

「正面から取材を申し込んでも難しいでしょうね。ですが、捕虜処遇通達の運用確認という名目なら、質問状くらいは送れるかもしれません」

 

「協力してくれるのですか」

 

「勘違いしないでください。私は連邦軍を擁護するために協力するのではありません」

 

弁護士は冷たく言った。

 

「ただ、記録を曖昧なままにしたくないだけです。腐敗を裁くにも、事実が必要ですから」

 

記者は頷いた。

 

その時、0063年の古い写真が、初めて現在へ細い糸を伸ばした。

 

 

◆ルナツー 最高司令部直轄保護区画周辺

 

次の証言者は、意外な人物だった。

 

旧シーマ艦隊の元兵士。

 

現在は司法取引に基づき、最高司令部直轄保護下で再教育を受けているという。

 

面会は厳重な監視付きだった。

 

記者は、相手を見て警戒した。

 

旧ジオン残党。

 

デラーズ側だった者。

 

普通なら、彼の言葉は連邦批判に使いやすいはずだった。

 

だが、元兵士は別のことを言った。

 

「あの大将がいなければ、俺たちは死んでいた」

 

「連邦軍の大将が?」

 

「そうだ。俺たちがデラーズから離反した時、宇宙軍の一部は俺たちを敵として撃とうとした。裏切り者は信用できないってな」

 

「当然では?」

 

「当然だ。俺だって、逆ならそう思う」

 

元兵士は苦く笑った。

 

「だが、あの大将は止めた。最高司令部直轄保護対象として扱え、と命令した。捕虜として扱え、証人として保護しろ、と」

 

「なぜ、あなたがその大将のことを知っているのですか」

 

記者はそこを確認した。

 

元兵士は肩をすくめた。

 

「保護区画で服務規程と法令を叩き込まれた時、説明された。俺たちが今ここで生きているのは、最高司令部の保護命令があったからだと。命令書の写しも見せられた。名前は伏せられていたが、階級と職位は分かった」

 

「直接会ったのですか」

 

「俺はない。中佐は会った」

 

「シーマ・ガラハウが?」

 

「ああ。あの人は、連邦は信用しないと言っていた。だが、あの大将の約束だけは別だとも言っていた」

 

記者は黙った。

 

元兵士は続けた。

 

「俺たちは綺麗な人間じゃない。人に胸を張れることばかりしてきたわけじゃない。だが、あの時、あの大将が命令しなければ、俺たちは宇宙で撃たれて終わりだった」

 

「あなたは連邦を信じるのですか」

 

「信じない」

 

元兵士は即答した。

 

「だが、全員同じだとは思わなくなった」

 

その言葉は、記者の胸に引っかかった。

 

全員同じだとは思わなくなった。

 

それは、彼自身がまだ言えない言葉だった。

 

 

◆ルナツー ロンド・ベル整備区画

 

次に記者が会ったのは、ロンド・ベルの整備士だった。

 

若いが、デラーズ紛争時の最終阻止戦に従事していたという。

 

「最高司令部の大将について?」

 

整備士は少し困った顔をした。

 

「自分たちは直接会ったことはありません。名前も知りません。ただ、艦長たちは“あの方”と呼んでいました」

 

「なぜ、そこまで評価されているのですか」

 

「評価というより……現場が動けるようにしてくれる人だったんだと思います」

 

「どういう意味です?」

 

「命令が曖昧だと、現場は迷います。責任を押し付けられるのが分かっている命令だと、誰も無茶はできない。でも、あの時は違った」

 

整備士は、当時の通信記録の一部を思い出すように言った。

 

「作業船団を守れ。シーマ艦隊を撃つな。敵味方問わず救える者は救え。ソーラ・システムIIは待機。そういう命令が、最高司令部名義で来た」

 

「危険な命令ですね」

 

「はい。でも、責任の所在がはっきりしていました。現場に丸投げじゃない。誰かが上で責任を持っていると分かった」

 

整備士は少し笑った。

 

「艦長は、あの方はまた胃を痛めているだろうな、と言っていました」

 

「胃?」

 

「ええ。最高司令部では有名らしいです。過労と胃薬の大将だって」

 

記者は、また一つ証言を得た。

 

それは0063年の中佐と繋がる話ではない。

 

だが、0083年の最高司令部大将像のほうは、少しずつ輪郭を持ち始めていた。

 

民間作業船を捨て駒にしない大将。

 

捕虜や証人の記録を残させる大将。

 

離反した旧ジオン兵を撃たせなかった大将。

 

現場に責任の所在を示した大将。

 

一つ一つは、別々の話だった。

 

それだけでは何も証明しない。

 

だが、積み重なると、記者が信じていた単純な図式を崩し始めた。

 

連邦軍上層部は腐っている。

 

それは今も変わらない。

 

だが、その中に、少なくとも一人、腐敗の側に流されまいとした人間がいたのではないか。

 

その疑問が、記者の足を止めさせなかった。

 

 

◆ルナツー ロンド・ベル司令部 応接室

 

弁護士の紹介状と、捕虜処遇通達の運用確認という名目で送った質問状。

 

それが効いたのかどうかは分からない。

 

数日後、記者は短時間の面談許可を得た。

 

相手は、ロンド・ベル司令の少将。

 

ブライト・ノア中佐が率いる旧ロンド・ベルを中核とする第1機動群を含む、部隊全体を統括する立場の人物だった。

 

応接室に現れた少将は、長身だった。

 

年齢は五十に届くか届かないか。

 

軍服の着こなしは隙がなく、物腰は穏やかだった。

 

だが、声には長く現場を見てきた者の硬さがあった。

 

「写真を見せていただけるか」

 

記者は写真を差し出した。

 

少将はしばらく写真を見ていた。

 

最初に見たのは、自分の若い姿ではなかった。

 

中央の中佐だった。

 

その表情が、ほんのわずかに緩む。

 

懐かしさ。

 

悔恨。

 

そして、尊敬。

 

それらが入り混じったような顔だった。

 

「この中央の中佐をご存じですか」

 

記者が問うと、少将は写真を返した。

 

「知っている」

 

「その後どうなったかも?」

 

「知っている」

 

記者は思わず身を乗り出した。

 

「では、この中佐は、今はどこにいるのか知っていますか」

 

少将はすぐには答えなかった。

 

部屋の隅に立つ広報担当官が、無言でこちらを見ている。

 

名前を出すな。

 

そういう空気だった。

 

少将は、慎重に言葉を選んだ。

 

「君が追っている最高司令部の大将と、この写真の中佐は同一人物と見てよい」

 

記者は息を止めた。

 

ようやく繋がった。

 

二十年前、市民避難のために防衛線に残った中佐。

 

デラーズ紛争で作業船団を使い捨てにしない命令を出した大将。

 

捕虜や証人の記録を残させ、離反した旧ジオン兵を撃たせなかった最高司令部高官。

 

それらが、同じ人物だった。

 

「なぜ、彼は生き残ったのですか」

 

記者の問いに、少将は苦い笑みを浮かべた。

 

「我々が殴って気絶させたからだ」

 

「殴った?」

 

「あの方は、最後まで部下と残るつもりだった。市民の最後の避難機が離陸するまで、退く気がなかった。いや、離陸した後も退く気がなかった」

 

少将の声がわずかに低くなった。

 

「だから、隊員たちで決めた。この人をここで死なせてはいけない、と」

 

「なぜです?」

 

「その時は、理屈ではなかった。だが、今なら分かる」

 

少将は写真に視線を落とした。

 

「我々は、あの人の中に、連邦軍が本来そうあるべき姿を見た。市民の前に立ち、責任を部下に押し付けず、それでも命令を出す軍人の姿だ」

 

「だから、逃がした」

 

「そうだ。本人は怒っただろうな。目を覚ました後も、しばらく我々を許していなかったと思う」

 

「今は?」

 

「今も、許しているかは分からん」

 

少将は少しだけ笑った。

 

「だが、あの方が生きていたから、救われた者はいる。私も、その一人だ」

 

記者は沈黙した。

 

「あなたは、彼が現在の地位に就いた理由を知っていますか」

 

「全ては知らない。だが、一つだけ言える」

 

少将は静かに言った。

 

「あの方は、一人で大将になったわけではない。あの人を上に押し上げるべきだと考えた者たちが、確かにいた。今の連邦の中で、あのような人間を中枢に置かなければならないと考えた者たちがな」

 

「それは、連邦中枢にも腐っていない者がいる、という意味ですか」

 

少将は即答しなかった。

 

だが、その声には願いがあった。

 

「そう信じたい」

 

少将は静かに続けた。

 

「少なくとも、私はそう信じて、今も軍服を着ている」

 

記者は手帳を閉じた。

 

この証言は、決定的だった。

 

避難民は中佐のその後を知らなかった。

 

作業船団の船長は、大将の名を知らなかった。

 

弁護士は命令書しか知らなかった。

 

旧シーマ艦隊の兵士は、保護命令しか知らなかった。

 

整備士は、艦長たちが「あの方」と呼ぶ人物しか知らなかった。

 

だが、この少将だけは、二つの時代を知っていた。

 

0063年の中佐。

 

0084年の最高司令部大将。

 

その間に流れた二十一年を、彼は一本の線として見ていた。

 

記者の中で、ようやく別々だった証言が、ひとつの輪郭を持ち始めた。

 

少将の証言だけでも、記者の中ではほとんど答えは出ていた。

 

だが、記事にするには、もう一つ必要だった。

 

軍人の記憶だけでは足りない。

 

証言には、記録を添えなければならない。

 

記者はさらに調べ続けた。

 

そして、一部開示資料の中に、一枚の人事経歴断片を見つけた。

 

黒塗りだらけの資料。

 

そこに残っていた数行。

 

U.C.0063年、不安定地域平和維持任務にて市民避難作戦を指揮。

 

重傷。

 

生存。

 

以後、軍政・戦後処理・統合作戦部門へ異動。

 

U.C.0080年に大将昇任。

 

U.C.0083年、デラーズ紛争時、最高司令部危機対応中枢。

 

名前は黒塗りだった。

 

だが、少将の証言と合わせれば十分だった。

 

あの避難民が覚えていた中佐と、デラーズ紛争で作業船団やシーマ艦隊を守った最高司令部大将は、同一人物である可能性が極めて高い。

 

記者は、ようやくそう書けるだけの根拠を得た。

 

記者は、一度、最高司令部への取材申請を出していた。

 

対象は、デラーズ紛争時に民間作業船団への補償命令、捕虜・証人保護通達、離反部隊への攻撃停止命令を出したとされる最高司令部大将。

 

だが、返答は予想通りだった。

 

該当する大将の個人名は非公開。

 

デラーズ紛争に関する作戦指揮、捕虜処遇、証人保護、旧ジオン関係者の司法取引は、現在も軍事・法務上の管理対象であり、個別取材には応じられない。

 

要するに、門前払いだった。

 

それでも記事を書くことにしたのは、本人を英雄として描くためではなかった。

 

むしろ逆だ。

 

本人に会えないからこそ、記者は証言と公開資料だけで、どこまで確認できるのかを検証するつもりだった。

 

連邦軍上層部は本当に一枚岩の腐敗なのか。

 

それとも、黒塗りの命令書の向こうに、別の何かがあるのか。

 

その問いに、少なくとも取材で得た証言は、一つの方向を示していた。

 

 

◆記者の手記

 

記事を書く前夜、記者は改めて地球連邦軍の階級制度を調べ直した。

 

地球連邦軍最高位の階級である大将。

 

その二文字を、彼はこれまで単なる「偉い軍人」という程度にしか見ていなかった。

 

だが、調べれば調べるほど、それがどれほど異常な地位であるかが分かってきた。

 

地球圏全域に展開する地球連邦軍。

 

宇宙軍、陸軍、海軍、空軍、各種特殊部隊、後方支援部門、軍政部門。

 

数百万規模の兵力と、無数の基地、艦隊、補給網、研究機関を抱える巨大軍事組織。

 

その頂点近くに立つ大将は、全軍を見渡しても三十数名しか存在しない。

 

軍内では、ほとんど神に等しい地位と言ってよかった。

 

もちろん、神などという言葉を、記者は好きではなかった。

 

軍人を神格化する思想ほど危険なものはない。

 

だが、それほどの権限を持つ地位であることは否定できなかった。

 

さらに驚いたのは、その任命過程だった。

 

地球連邦軍大将に昇るには、単に戦功や年功だけでは足りない。

 

戦歴。

 

軍政能力。

 

指揮能力。

 

政治的信頼性。

 

思想信条。

 

過去の命令履歴。

 

対外関係。

 

部下からの評価。

 

民間統制への姿勢。

 

それらが徹底的に調査される。

 

その上で、先任の現役大将三名、連邦国防総省局長級以上の行政官三名、連邦議会国防委員会委員三名の推薦が必要とされる。

 

しかも、その推薦は単なる署名ではない。

 

推薦者は、自分が推薦した人物が大将として行った判断について、政治的・軍事的責任の一端を負う。

 

つまり、あの最高司令部大将は、ある日突然、勝手に大将になったわけではない。

 

誰かが彼を見ていた。

 

誰かが彼の思想を調べた。

 

誰かが彼の命令履歴を読み、彼の市民保護への執着を知った。

 

その上で、それでも大将に押し上げた者たちがいた。

 

記者は端末の前で、しばらく黙った。

 

連邦は腐っている。

 

その考えは、まだ変わらない。

 

だが、もしあの大将が本当に、証言者たちが語るような人物なら。

 

そして、その人物を大将に推薦した現役大将、国防総省の高官、議会委員たちがいたのなら。

 

腐敗しきった連邦中枢の中にも、少なくとも彼を必要だと判断した者たちがいたことになる。

 

それは、連邦を許す理由にはならない。

 

腐敗を見逃す理由にもならない。

 

だが、記者の胸の奥にあった重いものを、ほんの少しだけ揺らした。

 

あの大将だけが、例外として孤独に立っているわけではないのかもしれない。

 

腐った柱ばかりに見える巨大な建物の中にも、まだ折れていない梁がいくつか残っているのかもしれない。

 

そう思えたことが、悔しいほどに、少しだけ救いだった。

 

 

◆腐った組織の中の盾

 

記者は、その夜、何度も原稿を書き直した。

 

連邦軍を擁護する記事など書きたくなかった。

 

それは今も同じだった。

 

連邦の腐敗は事実だ。

 

アナハイムとの癒着疑惑も、宇宙軍の派閥争いも、戦後処理の不透明さも、否定できない。

 

だが、全てを腐敗として切り捨てた時、見落とすものがある。

 

それを認めるのが、記者としての敗北なのか。

 

それとも、事実に近づくということなのか。

 

彼は朝まで悩み、一本の記事を書いた。

 

記事は、連邦礼賛ではなかった。

 

冒頭には、こう書いた。

 

> 地球連邦軍上層部は腐敗している。

> その批判には、多くの根拠がある。

> 一年戦争後の不透明な戦後処理、軍需企業との癒着疑惑、旧ジオン残党対策における強権的手法。

> それらは検証され続けなければならない。

 

だが、その後に続けた。

 

> しかし、全てを腐敗として一括りにした時、私たちはそこにいた個人の責任、抵抗、努力、そして守られた命を見落とす。

> デラーズ紛争の裏には、名を伏せられたまま、命令書に責任を刻み、市民と現場を守ろうとした一人の最高司令部大将がいた可能性が高い。

 

記事には、六つの証言が載せられた。

 

U.C.0063年に救われた避難民。

 

デラーズ紛争で作業船団に参加した船長。

 

反連邦系の民間弁護士。

 

保護された旧シーマ艦隊の兵士。

 

ロンド・ベル整備士。

 

そして、0063年の中佐と0084年の最高司令部大将を繋いだロンド・ベル増強司令少将。

 

名前は多くが伏せられた。

 

軍事機密に触れる部分は避けた。

 

作戦の詳細も書かなかった。

 

ただ、公開可能な範囲で、命令書の存在と、証言の一致を書いた。

 

最後に、記者はこう結んだ。

 

> 連邦は腐っている。

> だが、全てが腐っているわけではない。

> 腐った組織の中にも、市民の前に立とうとした盾はあった。

> そして、その盾を大将の地位へ押し上げた者たちも、連邦中枢のどこかにいた。

> その事実を認めることは、連邦を免罪することではない。

> むしろ、腐敗を正しく裁くためにこそ、腐っていなかったものを見分けなければならない。

 

記事は大きな反響を呼んだ。

 

連邦擁護だと叩かれた。

 

よく書いたと称賛もされた。

 

軍の宣伝だと疑われた。

 

一方で、似たような証言が少しずつ集まり始めた。

 

「あの時、避難を優先させた連邦軍人がいた」

 

「補償命令が実際に履行された」

 

「接見を拒まれた時、最高司令部の通達が役に立った」

 

「捕虜として扱われた」

 

「救助命令が出ていた」

 

それらは、大きな歴史の中では小さな声だった。

 

だが、小さな声が積もると、時に記録になる。

 

 

記事の公開から数週間後、最高司令部から返信が届いた。

 

以前は拒否された取材申請への、追加回答だった。

 

内容は簡潔だった。

 

デラーズ紛争後の捕虜・証人保護、民間協力者補償、救助命令に関する一般的見解について、軍事機密に触れない範囲で限定取材を認める。

 

個人名、作戦詳細、現在進行中の調査案件には回答しない。

 

記者は、その条件を読んで眉をひそめた。

 

なぜ今になって許可が下りたのか。

 

記事が反響を呼んだからか。

 

それとも、最高司令部側が内容を修正したがっているのか。

 

どちらにせよ、彼は行くことにした。

 

本人に会えるとは思っていなかった。

 

そもそも、相手の名前すら知らない。

 

だが、黒塗りの向こう側にいた人物が、もし本当に存在するのなら。

 

一度だけでも、直接問いをぶつけてみたかった。

 

 

◆地球連邦軍最高司令部 広報管理区画 取材室

 

記者は地球連邦軍最高司令部の取材室にいた。

 

副官らしき大佐が先に入り、淡々と告げた。

 

「本日の取材は三十分。軍事機密、作戦詳細、個人名、現行調査案件には回答できません」

 

「承知しています」

 

記者は頷いた。

 

「それと、相手は多忙です。体調も万全ではありません。質問は簡潔に」

 

その言い方に、記者は引っかかった。

 

体調。

 

多忙。

 

胃薬。

 

ロンド・ベル整備士の言葉が頭をよぎった。

 

やがて、扉が開いた。

 

入ってきたのは、記者が想像していた英雄とは違った。

 

背筋は伸びている。

 

軍服も整っている。

 

階級章は大将。

 

だが、顔には疲労が刻まれていた。

 

目元には深い影があり、片手には資料端末、もう片方の手には薬包が握られている。

 

副官が即座にそれを見咎めた。

 

「閣下、空腹時の服用は避けるよう医官から指示が出ています」

 

「取材前に胃が痛くなった」

 

「取材後にしてください」

 

「取材中に倒れたらどうする」

 

「その場合、医務室へ搬送します」

 

「君はいつも容赦がないな」

 

「職務です」

 

記者は言葉を失った。

 

目の前にいるのは、軍事史に名を残す英雄ではない。

 

疲れ切った壮年の男だった。

 

それでも、部屋に入った瞬間、空気が変わった。

 

威圧ではない。

 

虚勢でもない。

 

ただ、責任を背負うことに慣れすぎた人間の重さがあった。

 

「待たせたね」

 

大将は椅子に座った。

 

「君の記事は読んだ」

 

記者は身構えた。

 

「抗議ですか」

 

「いや。困った」

 

「困った、ですか」

 

「私は、褒められるのに慣れていない」

 

副官が横から静かに言った。

 

「貶されても胃痛を起こされます」

 

「余計なことは言わなくていい」

 

記者は思わず息を漏らした。

 

笑いそうになったのか、呆れたのか、自分でも分からなかった。

 

しばらく沈黙が落ちた。

 

記者は、用意していた質問を見た。

 

軍の責任。

 

アナハイム疑惑。

 

デラーズ紛争。

 

捕虜処遇。

 

民間協力者保護。

 

だが、最初に口から出たのは、別の問いだった。

 

「なぜ、そこまでしたのですか」

 

大将は、わずかに眉を動かした。

 

「何をだね」

 

「民間作業船団の補償。捕虜や証人の保護。離反した旧ジオン兵への攻撃停止。敵味方問わず救助せよという命令。あなた自身、連邦が腐っていることは知っていたはずです」

 

副官が一歩前に出ようとした。

 

だが、大将は手で制した。

 

「知っている」

 

その返答は、あまりにも早かった。

 

記者は息を呑んだ。

 

そして大将は、静かに続けた。

 

「腐っている部分はある。多すぎるほどある。派閥、責任逃れ、企業との癒着、現場の切り捨て、戦後処理の歪み。私は、その中枢にいる。見えていないはずがない」

 

「なら、なぜ連邦軍に残るのですか」

 

「私が辞めれば、連邦が清らかになるのかね」

 

記者は答えられなかった。

 

「腐った組織だからといって、市民を守る責任まで腐らせていい理由にはならん」

 

その声は大きくなかった。

 

だが、逃げ場がなかった。

 

「私は連邦を美化するつもりはない。連邦軍を正義の軍隊だと語るつもりもない。だが、私は連邦軍人だ。連邦軍人である以上、連邦市民を守る。それだけだ」

 

「スペースノイドは、連邦市民に含まれますか」

 

記者は思わず尋ねていた。

 

大将は、少しだけ目を伏せた。

 

「含まれる」

 

「本当に、そう思っているのですか」

 

「思っていなければ、シーマ艦隊を保護対象にはしない。旧ジオン関係者の接見記録を残せとも命じない。サイド出身者を一括りに残党扱いするなとも言わない」

 

記者は黙った。

 

「ただし、私一人がそう思ったところで、組織全体がすぐに変わるわけではない」

 

大将は苦く笑った。

 

「だから、命令書を書く。通達を出す。補償条件を明文化する。記録を残させる。責任者名を書かせる。綺麗な演説では組織は動かん。だが、決裁印と命令番号と監査対象は、時に人を守る盾になる」

 

反連邦系弁護士の言葉を、記者は思い出した。

 

私たちが連邦軍から人を守るために、連邦軍大将の命令書を使ったのです。

 

「あなたは、自分が盾だと思っているのですか」

 

記者が問うと、大将は少しだけ困った顔をした。

 

「そんな立派なものではないよ」

 

「では、何だと?」

 

「せいぜい、腐った柱に打ち込む楔だ」

 

副官が小さく咳払いした。

 

「閣下、その表現は記録に残ります」

 

「今のはオフレコにしてくれ」

 

記者は初めて、少し笑った。

 

「検討します」

 

「そこは了承してほしいのだが」

 

大将は、本当に困った顔をした。

 

だが、すぐに表情を戻した。

 

「君の記事は、連邦を免罪していなかった。だから会うことにした」

 

「免罪する気はありません」

 

「それでいい」

 

大将は頷いた。

 

「腐敗は裁かれなければならない。だが、全てを腐敗として塗り潰せば、腐敗に抗った者も、守られた命も、次に使える制度も見えなくなる」

 

記者はペンを止めた。

 

「私は、あなたを英雄として書くべきですか」

 

「やめてくれ」

 

即答だった。

 

「では、何と書けば?」

 

「書きたいように書けばいい。ただし、事実だけは曲げるな」

 

「それは、記者への命令ですか」

 

「いや」

 

大将は、疲れた顔で少しだけ笑った。

 

「願いだ」

 

取材時間は、そこで終わった。

 

副官が立ち上がる。

 

「閣下、医務室です」

 

「まだ書類が」

 

「医務室です」

 

「せめて執務室に」

 

「医務室です」

 

記者の目の前で、地球連邦軍最高司令部の大将は、副官にほとんど連行されるように部屋を出て行った。

 

その背中は、英雄のものではなかった。

 

疲れていた。

 

くたびれていた。

 

それでも、逃げてはいなかった。

 

記者は手帳を閉じた。

 

彼は連邦を好きになったわけではない。

 

連邦軍を許したわけでもない。

 

だが、腐った組織の中に立つ人間を、全て同じ色で塗り潰すことは、もうできなかった。

 

 

◆最高司令部上層部高官執務室

 

数日後。

 

「閣下、例の記事の続報が出ています」

 

副官が端末を差し出した。

 

私は嫌な予感がした。

 

最近、記事という言葉に良い思い出がない。

 

「また私か?」

 

「はい」

 

「最悪だ」

 

私は端末を受け取り、記事を読んだ。

 

続報の題は、やはり大仰だった。

 

腐った組織の中の盾、その後。

 

読み進めるうちに、胃が痛くなってきた。

 

いや、これは普段の胃痛とは少し違う。

 

U.C.0063年の避難民。

 

作業船団の船長。

 

反連邦系の弁護士。

 

シーマ艦隊の元兵士。

 

ロンド・ベルの整備士。

 

ロンド・ベル司令の少将。

 

そして、先日の取材室でのやり取り。

 

どれも、私が忘れたわけではない。

 

だが、自分から語るつもりもなかったものだ。

 

「……困った記事だな」

 

「珍しく褒められていますね」

 

副官が淡々と言う。

 

「褒められると胃が痛い」

 

「貶されても痛いではありませんか」

 

「つまり、何をされても痛い」

 

「医務室に報告します」

 

「それはやめろ」

 

「もう共有済みです」

 

本当に容赦がない。

 

私は記事の末尾を見た。

 

> 腐った組織の中にも、市民の前に立とうとした盾はあった。

> そして、その盾を大将の地位へ押し上げた者たちも、連邦中枢のどこかにいた。

> 連邦を許す理由にはならない。

> だが、腐敗を裁くためにも、腐っていなかったものまで見落としてはならない。

 

私はしばらく、その一文を見ていた。

 

盾。

 

かつて私は、部下たちにそう叫んだことがある。

 

連邦市民を守れ。

 

我らが最後の盾なのだ、と。

 

その時、私は多くの部下を死なせた。

 

救えた市民もいた。

 

救えなかった兵もいた。

 

あの日からずっと、私は自分が何を守り、何を失ったのかを考え続けている。

 

 

そして、あの記事が出てから更に数日が過ぎた。

 

「閣下」

 

副官が、もう一通の封書を机に置いた。

 

「例の記事を見たという民間人から、最高司令部宛てに届いています。検閲済みです」

 

「また苦情か?」

 

「いえ」

 

私は封を切った。

 

中には、短い手紙と写真が入っていた。

 

写真には、若い夫婦と、小さな子供が写っていた。

 

その隣に立つ男性には、旧不安定地域跡地で会った避難民の面影があった。

 

手紙には、丁寧な文字でこう書かれていた。

 

> あなたが守った子供は、いま父になりました。

> 私は、あなたに救われた命を、次の命へ繋げています。

> あの日、最後の飛行機から見たあなたの背中を、私は忘れていません。

> お名前は今も存じません。

> ですが、あなたがまだどこかで市民を守る仕事をしているのなら、どうか少しだけでも、ご自身の命も守ってください。

 

私は何も言えなかった。

 

執務室の音が、遠くなった。

 

あの時の煙。

 

銃声。

 

離陸する輸送機。

 

残っていった部下たちの顔。

 

それらが、一瞬だけ戻ってきた。

 

私は手紙を畳み、机の上に置いた。

 

「……仕事に戻ろう」

 

声が少し掠れていた。

 

副官は何も言わなかった。

 

ただ、温かい茶を机に置いた。

 

「五分だけ、休憩です」

 

「休憩か」

 

「はい」

 

私は反論しなかった。

 

その日だけは、五分の休憩を取った。

 

地球連邦軍は腐っている。

 

腐っている部分は多い。

 

多すぎるほどある。

 

だが、腐った組織だからといって、市民を守る責任まで腐らせていい理由にはならない。

 

地球連邦市民を守る。

 

それだけは、まだ手放してはならない。

 

地球連邦軍上層部は、今日も多忙です。

 

だが、その日だけは、積まれた書類の重さが、ほんの少しだけ軽く感じられた。

 




ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
本作ではシーマとシナプス、そして、連邦市民を救うことに主眼を置いていました。
特に宇宙世紀では、連邦市民の命は紙風船より軽い扱いで、それに比例して、宇宙世紀のどの組織も住民軽視甚だしい行動をしています。
そこで、主人公のような存在を作ることで、少しでもマシな流れにしたかった次第です。
ただし、主人公はあくまで既存制度の内側でやれることをやり、最善を尽くすというスタンスです。
そのため、地球連邦軍や地球連邦そのものを変えることは出来ませんので、救える人々には限りがあります。
その限界の中で、どう動けばマシな流れになるのか、試行錯誤する過程は楽しかったです。

また、続編や違う作品を作る機会がありましたら、是非、またご覧いただければ幸いです。
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