地球連邦軍上層部はいつも多忙です。   作:はにわはにわ

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星の屑作戦は阻止された。

だが、それで地球連邦の腐敗や混乱が消えたわけではない。

コロニー落としが防がれたことで、連邦軍、連邦政府、議会、宇宙軍総司令部、アナハイム、ジオン残党、アクシス、スペースノイド社会に残っていた火種は、別の形で噴き出していく。

そんな中にあって、地球連邦軍最高司令部大将の戦場は、華々しい前線でも大衆を熱狂させる演台でもなく、ただただ地味な会議室。

だが、綺羅星の如く輝く英雄たちが活躍する戦場や、大衆を熱狂させる政治家が蠢く議会よりも、この会議室こそが地球圏の最前線であり最後の砦だった。

本章では、U.C.0083年11月10日のコロニー落とし阻止直後から、U.C.0087年のグリーン・ノア事件前夜までを描きます。



地球連邦軍上層部は、まだ多忙です――機動戦士Zガンダム前夜――
第一話 勝利報告ではない


 

◆地球連邦軍最高司令部第1会議室

 

U.C.0083年11月中旬。

 

赤い落着予測線は、地球圏図から消えていた。

 

数日前まで、南米大陸へ向かって伸びていた線である。会議卓の投影画面には、もうその軌跡は残っていない。

 

代わりに、未処理案件の一覧が並んでいた。

 

・民間作業船団補償

・救難状況

・デラーズ残存部隊分類

・デラーズ座乗艦追跡

・アクシズ艦隊警告後反応

・アナベル・ガトー捕虜処遇

・シーマ艦隊保護区画

・アナハイム監査命令

・宇宙軍総司令部検証

・ガンダム開発計画関連資料

・ソーラ・システムⅡ不使用判断記録

・即応治安・対テロ部隊構想

・バスク大佐監査規定

・U.C.0080年以降退役者推移

・地球圏治安維持強化照会

 

勝利報告書の表紙は、まだ空欄だった。

 

書くべき言葉が見つからないわけではない。むしろ、書くべきことが多すぎた。

 

コロニー落としは阻止された。

 

だが、民間船は壊れ、人は死に、捕虜は残り、企業は資料を隠し、残党は逃げ、政治は次の恐怖を探している。

 

私は、会議卓の端に置かれたカップを見た。

 

湯気はなかった。

 

「副官」

 

「はい」

 

「これは何時のコーヒーだ」

 

副官は端末から目を離さずに答えた。

 

「前会議のものです」

 

「前会議とは」

 

「昨日です」

 

私はカップから手を離した。

 

副官は、何も言わずに新しいカップを置いた。

 

「医務室からも、胃薬の服用間隔について確認が来ています」

 

「医務室は戦後処理に詳しくなったな」

 

「閣下の胃を通じて、最高司令部の情勢を把握しています」

 

会議卓の向こうで、作戦局の将校が資料に視線を落とした。

 

笑うわけにもいかない顔だった。

 

「始める」

 

「記録を開始します」

 

副官の入力音が、会議室に響いた。

 

出席者は、最高司令部、作戦局、監察部、法務局、情報局、技術監査部、財務局、国防総省の官僚、宇宙軍総司令部連絡官、人事局。

 

ジャブローの会議室に並ぶ顔は、どれも疲れている。

 

戦闘が終わった後に、軍人が休めるとは限らない。

 

むしろ、戦闘が終わってからの方が、書類は増える。

 

 

◆同会議室 民間作業船団補償

 

「最初は民間作業船団だ」

 

会議卓に、作業船団の損害一覧が表示された。

 

・全損船

・航行不能船

・中破船

・死傷者

・行方不明者

・救難継続中の区画

 

船名の横に、船籍、船長名、乗員数、作戦時の割当、曳航索接続時刻、損傷推定時刻が並んでいる。

 

民間船の名前が、軍の損害一覧に混ざっていた。

 

混ざっている以上、軍の責任から外せない。

 

財務局の官僚が資料を一つ進めた。

 

「国防総省財務局としては、民間協力への特別謝礼金および損害見舞金として処理する案を検討しています。軍事協力の性格が特殊であり、通常の作戦損失補償に組み込むと、今後の前例として大きくなりすぎる懸念があります」

 

「却下だ」

 

財務局の官僚が、資料から顔を上げた。

 

「閣下、予算上の整理としては――」

 

「謝礼金ではない。作戦損失として扱え」

 

会議卓に、作業船団の曳航記録を出させる。

 

・コロニーに接続された索

・推進剤残量

・連邦軍からの指示時刻。

・各作業船の針路修正ログ

 

「彼らは善意で見物に来たのではない。連邦軍の作戦に組み込まれ、コロニーを引いた。その損害を、礼金で済ませるな」

 

財務局の官僚は、返答を選んでいた。

 

国防総省の官僚が、横から慎重に口を挟む。

 

「作戦損失として処理した場合、船主組合、保険組合、宇宙港管理側との調整が必要になります。民間側からも、補償基準の提示を求められるでしょう」

 

「求めさせろ」

 

私は答えた。

 

「こちらから基準を出す。船主組合、民間物流、宇宙港管理、保険組合には、国防総省経由で説明の場を設ける。被害を受けた者が、軍の窓口を探して回る形にするな」

 

監察部長が、補償処理記録に注釈を入れた。

 

法務局も頷いている。

 

「民間船団に協力を求めるなら、責任も一緒に引き受ける。それができない軍に、次は誰も船を出さん」

 

「財務局の懸念は、補償予算上の意見として記録します」

 

副官が言った。

 

「そうしろ。誰が、どの予算上の理由で、どの処理に難色を示したか。後で分かるようにしておけ」

 

財務局の官僚は、不満を飲み込んだ顔をした。

 

だが、それ以上は押さなかった。

 

金を出さずに済ませるには、今回は人が死にすぎていた。

 

 

◆同会議室 救難・残敵整理

 

次に、救難状況が開かれた。

 

宇宙軍総司令部からの進捗報告である。

 

コロニー落下阻止作戦後、救難と残敵整理の実務指揮は宇宙軍総司令部へ戻している。

 

最高司令部が救難艇一隻ずつを動かす状態を続ければ、指揮系統そのものが歪む。

 

現場の仕事は、現場へ戻す。

 

ただし、戻した後の記録は見る。

 

「宇宙軍総司令部連絡官」

 

「はい」

 

「救難順序の報告を」

 

連絡官が資料を読み上げた。

 

「第一優先、民間作業船団。第二優先、負傷者および救難信号発信者。第三優先、降伏信号を出した漂流者。第四優先、武装解除済み艦艇。第五優先、通信途絶艦艇です」

 

「所属による差別は」

 

「最高司令部命令に基づき、連邦軍、シーマ艦隊、デラーズ残存兵を問わず、救難信号または降伏信号を出した者は救難対象です」

 

「照会は来たか」

 

連絡官は一拍置いた。

 

「一部艦艇より、デラーズ兵の回収優先度を下げたいとの照会がありました」

 

「回答は」

 

「宇宙軍総司令部にて却下しました。最高司令部命令に基づく救難順序を維持しています」

 

「照会元の艦名と指揮官名は」

 

「記録済みです」

 

「提出させろ」

 

「了解しました」

 

救難は、人道だけで成り立つものではない。

 

降伏者を救うことは、敵兵の殉死を減らす。残敵の抵抗意思を削る。捕虜として証言を得る。戦場を早く閉じる。こちらの軍紀を保つ。

 

その全てが、次の被害を減らす。

 

私は会議卓の表示を、残存部隊分類へ切り替えた。

 

宇宙軍総司令部は、デラーズ残存部隊を三群に分けていた。

 

・第一群

 降伏または武装解除に応じた艦艇。

 

・第二群

 通信途絶または漂流中の艦艇。

 

・第三群

 戦闘継続または逃走を図る艦艇。

 

「第三群の処理は」

 

宇宙軍総司令部連絡官が答える。

 

「通常交戦規則に基づき制圧中です。退避勧告後も砲撃を継続した残存艦二隻は、宇宙軍総司令部麾下艦隊が撃沈しました」

 

撃たれれば撃つ。

 

救難艇を撃つ者を放置すれば、救える者まで死ぬ。

 

「方針を確認する」

 

私は言った。

 

「降伏者は捕虜として扱え。救難信号を出す者は救助しろ。救難艇を撃つ艦は制圧しろ。アクシズ方向へ逃走して再結集を図る艦は見逃すな」

 

作戦局の将校が、交戦規則確認欄へ印を付ける。

 

「必要なら撃沈も認める。ただし、交戦前の警告、相手の応答、こちらの判断、撃沈後の救難可否は記録しろ」

 

「了解しました」

 

「デラーズ本人は」

 

情報局の将校が、追跡資料を表示した。

 

「デラーズ座乗艦と推定される艦は、アクシズ方向へ退避を図った可能性があります。宇宙軍総司令部が追跡中です。通信応答は不安定。降伏勧告には明確な返答がありません」

 

デラーズ。

 

この戦争の火を掲げた男。

 

だが、今の彼は象徴である前に、所在を確定すべき対象だった。

 

「逃がすな」

 

私は言った。

 

「捕獲可能なら捕獲。降伏するなら捕虜。抗戦または逃走継続なら艦ごと制圧。撃沈も認める。生死を問わず、所在を確定しろ」

 

情報局の将校が頷く。

 

「行方不明扱いは残すな。生きて演説されても困る。死んで神格化されても困る。分からないまま残るのが最悪だ」

 

副官が、私の言葉を少しだけ整えて議事録に落とした。

 

「『生死不明による政治的利用を防ぐため、所在確定を最優先』としておきます」

 

「助かる」

 

「閣下の発言をそのまま残すと、後で法務局が頭を抱えます」

 

法務局の将校が、否定しなかった。

 

 

◆同会議室 アクシズ警告とガトー捕虜処遇

 

次に、アクシズ艦隊の資料が開かれた。

 

直接交戦の兆候はない。

 

だが、デラーズ残存艦の一部は、明らかにアクシズ方向へ進んでいる。

 

・救難名目で拾われる可能性

・通信中継の可能性

・補給、修理、護衛

 

いずれか一つでも確認されれば、戦争の火種は外縁へ運ばれる。

 

「警告文は」

 

作戦局が答える。

 

「発信済みです。内容は、デラーズ残存部隊の収容、補給、修理、護衛、通信中継を確認した場合、敵対軍事支援と見なし、宇宙軍総司令部が阻止行動を取る、というものです」

 

「反応は」

 

「沈黙しています」

 

「沈黙は許容する。接触は許容しない」

 

私は、外縁宙域の推定航路を見た。

 

「こちらから戦争を広げるつもりはない。だが、向こうが戦争の火種を拾って持ち帰るなら話は別だ」

 

作戦局が、宇宙軍総司令部への追跡指示を確認する。

 

「シーマ艦隊からの外縁宙域情報は」

 

情報局が別資料を開いた。

 

「提出が始まっています。航路、残党艦の退避癖、アクシズ側との過去接触候補。ただし、裏取り前の情報を含みます」

 

「信用するな。使え」

 

「了解しました」

 

シーマ艦隊。

 

今は最高司令部直轄の保護・監察下にある。

 

ロンド・ベルへは編入しない。

 

・武装行動は承認制

・身元確認、戦争犯罪関与調査、証言聴取

・重大嫌疑のない者は、段階的に特務協力部隊へ再編する

・シーマ・ガラハウ本人は中佐待遇

・拘束ではなく、保護下協力者

・取引相手であり、味方ではない

 

副官が、シーマ艦隊保護区画の報告を開いた。

 

「シーマ艦隊より、保護区画の補給配分について苦情が来ています」

 

「内容は」

 

副官は、わずかに読み上げをためらった。

 

「『胃薬大将は、こっちを飼い殺しにするつもりか』とのことです」

 

会議室の何人かが、微妙な顔をした。

 

私は額を押さえなかった。

 

押さえたら負けだ。

 

「補給配分は承認制の範囲で調整しろ。苦情文も保存だ」

 

「保存しますか」

 

「もちろんだ。後で本人に読ませる」

 

「承知しました」

 

副官は淡々と入力した。

 

次に、アナベル・ガトーの資料が表示された。

 

・回収時刻

・回収艇

・脱出ポッド識別番号

・負傷部位

・治療記録

・拘束記録

・移送先

・ロンド・ベル救難艇による回収

・捕虜収容艦特別区画へ移送済み

・生命反応は安定

・意識は断続的

 

「即時処刑を求める意見が、強硬派から複数出ています」

 

法務局の将校が言った。

 

「却下だ」

 

私は資料を閉じさせなかった。

 

「ガトーは復讐対象ではない。捕虜として治療し、拘束し、証言させる。私的制裁、特別処分、尋問前の処刑は認めない」

 

「捕虜としての保護を明記します」

 

「治療記録、拘束記録、回収時映像、移送記録を提出対象にしろ。途中で何かあれば、誰が何をしたか分かるようにする」

 

ガトーには聞くべきことが山ほどある。

 

・デラーズ艦隊の指揮系統

・アクシズとの接触

・アナハイムとの間接的な関係

・二号機奪取

・星の屑作戦の全容

 

怒りで撃ち殺して済む相手ではない。

 

 

◆同会議室 ガンダム開発計画に関する確認

 

続いて、ガンダム開発計画関連資料が開かれた。

 

その項目だけで、会議卓の表示量が増えた。

 

・試作一号機

・試作二号機

・試作三号機

・アナハイム・エレクトロニクス

・コーウェン中将

・アルビオン隊

・シナプス大佐

・コウ・ウラキ少尉

・ニナ・パープルトン

 

黒歴史という言葉は、公式文書には使わない。

 

だが、誰もが似たことを考えている顔をしていた。

 

「アルビオン隊は処分対象ではない」

 

私は先に言った。

 

宇宙軍総司令部連絡官が、少しだけ姿勢を正す。

 

「試作三号機投入は最高司令部承認事項だ。二号機追撃はコーウェン中将の命令。アルビオン隊を宇宙軍総司令部の責任逃れに使うな」

 

「了解しました」

 

「問題は、アルビオン隊が動いたことではない。ガンダム開発計画を、連邦軍の枠組みでどう管理するかだ」

 

技術監査部が、アナハイム提出予定資料を表示した。

 

・ガンダム開発計画関連資料

・試作機運用記録

・推進剤供給経路

・レーザー関連部材の取引履歴

・月面下請け企業経由の部材供給

・技術者派遣記録

 

「アナハイムには監査命令を出せ」

 

「対象範囲は、表示の通りでよろしいですか」

 

「足りない」

 

私は資料に項目を追加させた。

 

「契約変更履歴、下請け再委託先、部材ロット番号、技術者の派遣命令、現場での指示系統も加えろ」

 

国防総省の官僚が難色を示す。

 

「アナハイム側は、企業秘密を理由に抵抗する可能性があります」

 

「抵抗するだろうな」

 

私は答えた。

 

「アナハイムを潰すことはできない。だが、資料を出させることはできる。出せない資料には、出せない理由を付けさせろ」

 

技術監査部が頷く。

 

「提出不能理由も監査対象にします」

 

「よろしい」

 

次に、ソーラ・システムⅡ関連の記録が表示された。

 

・照射準備完了時刻

・照射可能範囲

・コロニー姿勢制御部への想定効果

・作業船団の曳航成立予測

・バスク艦隊の作業船団防護記録

・ロンド・ベルの救難・阻止行動

・シーマ艦隊の側面支援

・アルビオン隊の試作三号機運用

 

最終的に、ソーラ・システムⅡは照射されなかった。

 

「この判断は、最高司令部責任として記録する」

 

私は言った。

 

「現場の誰かに押し付けるな。作業船団の曳航、試作三号機による姿勢制御部への干渉、ロンド・ベルの阻止行動、バスク艦隊の防護、シーマ艦隊の支援。それらが成立したため、照射を保留した」

 

作戦局の将校が、記録欄へ書き込む。

 

「バスク大佐の艦隊については、作業船団防護命令に従った実績として扱いますか」

 

「扱え」

 

会議室の空気が、少しだけ硬くなった。

 

バスク・オム。

 

危険な男だ。

 

その危険性は、私も承知している。

 

だが、今回、彼は作業船団を守れという命令に従った。

 

敵撃滅よりも、防護を優先した。

 

その事実まで消せば、監査は復讐になる。

 

「バスク大佐は危険だ。だから監査規定が要る。だが、命令に従った記録は消すな」

 

監察部長が頷く。

 

「即応治安・対テロ部隊構想関連資料に、バスク大佐監査規定案を添付します」

 

「そうしろ。危険な人間を使うなら、使う側の規律を先に書け」

 

副官が、次の予定表を表示した。

 

「閣下、その規定案の確認は本日中です」

 

「今日中か」

 

「閣下が前回会議でそう指定されています」

 

「過去の私が敵に回っている」

 

「現在の閣下も増援を送っています」

 

私は、反論を諦めた。

 

 

◆同会議室 戦後人材流出と治安維持強化照会

 

人事局の資料が会議卓の端に表示された。

 

U.C.0080年以降、戦時体制解除に伴う退役者推移。

 

・兵科別

・階級別

・専門技能別

・再就職先別

・技術

・補給

・航法

・医務

・法務

・行政

 

数字だけを見れば、戦後軍縮の当然の結果だった。

 

一年戦争が終わり、戦時動員は解かれた。

 

膨れ上がった軍を、そのまま維持できるほど、連邦政府にも予算の余裕はない。

 

だが、数字の内訳は楽観できるものではなかった。

 

技術将校は、月面企業や工廠系企業へ流れた。

 

補給・輸送系の人材は、民間物流や宇宙港管理へ移った。

 

医務、法務、行政の実務派は、自治体、公社、企業の危機管理部門へ迎えられた。

 

戦争に疲れた良識派の士官たちも、軍服を脱いでいった。

 

民間でも通用する者ほど、先に軍を去る。

 

それは、終戦直後から見えていた流れだった。

 

私は、U.C.0080年春に作らせた退役者追跡資料を思い出した。

 

あの時点で、人事局の一部はすでに警告していた。

 

軍縮で人は減る。

 

だが、減り方を誤れば、軍の中身が変わる。

 

残った者すべてが悪いわけではない。

 

だが、比率は変わる。

 

地球勤務に固執する者。

 

スペースノイドを敵視する者。

 

退役後の行き場を持たない者。

 

戦時中の暴力性を、平時に持ち越した者。

 

そうした人材が、軍の底に沈殿し始めている。

 

「人事局」

 

「はい」

 

「八〇年以降の退役者台帳を更新しろ。予備役登録者、嘱託顧問、危機対応協力者、再就職先別の連絡先。すべて最新化する」

 

人事局の将校が頷いた。

 

「対象は、既存の登録者に加え、今回の作戦関連で再照会が必要な者まで広げます」

 

「そうしろ。特に、月面企業、宇宙港管理、民間物流、コロニー公社、工廠下請けへ移った元技術・補給・管制系の人材だ」

 

「了解しました」

 

「機密を求めるな。民間企業の守秘義務も侵すな。こちらが確認するのは、公開契約、物流遅延、異常な部材発注、宇宙港の不自然な混雑、民間船団の保険料上昇。危機管理上の兆候に限る」

 

情報局長が資料へ注釈を入れた。

 

「官民危機管理連絡の範囲で整理します」

 

「法務局も確認しろ。退役者の立場を壊すな。協力者を潰せば、次から誰も口を開かなくなる」

 

法務局の将校が頷いた。

 

「取得可能な情報範囲、連絡手順、守秘義務の扱いを整理します」

 

「よろしい」

 

この仕組みで、全てが見えるわけではない。

 

アナハイムの中枢は見えない。

 

月面都市の密談も読めない。

 

コロニー公社内部の政治に、軍が勝手に踏み込めるわけでもない。

 

だが、異常な部材発注は見えることがある。

 

宇宙港の混雑は数字に出る。

 

民間船団の保険料は、危険を先に織り込む。

 

軍が動くには足りない情報でも、最高司令部が警戒線を引く理由にはなる。

 

私は、人事局資料の最後の頁を見た。

 

退役を止められなかった者たちの名前が並んでいる。

 

惜しい名前も多い。

 

引き止められた者は、ロンド・ベル、監察部、作戦局、法務局、教導隊、ルナツー要塞工廠へ回した。

 

それでも、全員は残せなかった。

 

戦争が終われば、人は生活へ戻る。

 

それを責めることはできない。

 

問題は、去った者ではない。

 

去った後に、軍の中へ何が残るかだった。

 

「この人事資料は、治安維持強化照会の参考資料に添付しろ」

 

私は言った。

 

「治安部隊を作るなら、人を選ぶ。人を選ぶなら、戦後の軍縮で軍の人材構成がどう変わったかを見なければならん」

 

人事局の将校が答えた。

 

「関連資料として整理します」

 

「よろしい」

 

国防総省の官僚が、別の資料を表示した。

 

「閣下、議会側から治安維持強化に関する照会が複数入っています。観艦式被害、コロニー落とし未遂、ジオン残党再結集への不安を受けたものです」

 

「経路は」

 

「国防委員会、治安委員会、数名の議員秘書官、議会事務局政策調査部門。いずれも正式照会または事前照会です」

 

「回答は国防総省経由で整理しろ。最高司令部は軍事的所見を出す」

 

「了解しました」

 

「治安強化そのものは否定しない。ただし、恐怖で作った部隊は、恐怖を食って大きくなる」

 

国防総省の官僚は、その言葉を資料へ書き込まなかった。

 

それでいい。

 

公式文書には向かない言葉だ。

 

最後に、地球圏治安維持強化照会の詳細が開かれた。

 

・議会筋

・国防総省

・宇宙軍総司令部軍政系統

 

複数の経路から、同じような言葉が上がってきている。

 

・ジオン残党対策

・コロニー暴動予防

・スペースノイド治安監視

・地球圏防衛強化

・反連邦運動監視

 

資料名は、まだ正式な上申書ではない。

 

だが、その下書きに近いものが混じっていた。

 

地球圏治安維持特別部隊構想。

 

作成補佐欄に、宇宙軍総司令部総務局次長の名がある。

 

ジャミトフ・ハイマン准将。

 

私は、その名前を見た。

 

准将。

 

将官ではある。

 

だが、最高司令部へ大規模な軍制改革案を単独で上げるには軽い。

 

今はまだ、資料の下に名を置いている段階だ。

 

だが、資料の作りは実務を知る者のものだった。

 

・費用

・人員

・配備候補

・情報収集手順

・研究機関利用の余白

 

怒りだけで作った紙ではない。

 

「ジャミトフ准将か」

 

副官が小さく答える。

 

「宇宙軍総司令部総務局次長です」

 

「知っている。有能で、清廉で、厄介な男だ」

 

「警戒しますか」

 

「警戒はする。ただし、今は資料段階だ。過剰に叩けば、こちらが治安強化を妨害しているように見える」

 

私は会議卓の未処理一覧を見た。

 

・作業船団補償

・救難

・捕虜

・残党追跡

・アクシズ警告

・シーマ艦隊

・アナハイム監査

・宇宙軍総司令部検証

・ソーラ・システムⅡ不使用判断

・バスク大佐監査規定

・戦後人材流出

・治安部隊構想

 

どれも、今日だけで片づくものではない。

 

「次回、ロンド・ベル拡充会議を設定しろ」

 

副官がすぐに入力する。

 

「ルナツー要塞ロンド・ベル駐留基地との調整も行います」

 

「ロンド・ベルを大きくしすぎるな。宇宙軍総司令部の代替にするつもりはない。コロニー駐留軍の代替でもない」

 

「任務範囲は、初動即応、救難初動、監察支援、限定軍事行動」

 

「それでよい」

 

私は、会議卓に表示された治安部隊構想の資料を閉じさせた。

 

「こちらが正規軍内に、記録と監察に縛られた手足を持たなければ、別の者が、より危険な部隊を求める」

 

副官は、少しだけ手を止めた。

 

「ジャミトフ准将ですか」

 

「彼だけではない」

 

私は答えた。

 

「恐怖を利用したい者は、いくらでも出てくる」

 

会議卓から赤い落着予測線は消えている。

 

だが、別の線が増えていた。

 

・補償の線

・救難の線

・残党追跡の線

・監査の線

・人事の線

・治安の線

・民間船団、宇宙港、コロニー公社、国防総省、議会事務局

 

軍の外側にも、細い線は伸びている。

 

どれも強くはない。

 

引けば切れるものもある。

 

だが、何も結ばなければ、危機の前兆は軍の会議室へ届かない。

 

「勝利報告書は、まだ作るな」

 

私は言った。

 

「先に、未処理一覧を片づける」

 

副官が頷く。

 

「了解しました」

 

 

◆同会議室 副官席

 

副官は、議事録の保存処理を終えたあと、会議卓に残った未処理一覧をもう一度見た。

 

・民間作業船団補償

・捕虜処遇

・アナハイム監査

・宇宙軍総司令部検証

・退役者台帳

・治安部隊構想

・バスク大佐監査規定

・ロンド・ベル拡充会議

 

一つ一つが、本来なら数週間、場合によっては数か月を費やす案件だった。

 

それを、この人は一日の会議で方向づけていく。

 

判断は速い。

言葉は硬い。

時々、胃に悪い冗談を言う。

そして、自分の疲労については、いつも一番後回しにする。

 

副官は、空になったカップを片づけながら思った。

 

この人は、連邦軍を美化していない。

 

むしろ、誰よりも連邦軍の腐敗と弱さを知っている。

 

だからこそ、記録を求める。

 

補償を命じる。

捕虜を守る。

危険な人間には監査規定を付ける。

去っていく人材の名前を、まだ資料から消さない。

 

凄い人だとは思う。

 

ただし、近くで支える者の胃にも悪い。

 

副官は、端末に短い連絡文を打った。

 

宛先は、医務室。

件名は、最高司令部大将の勤務状況について。

 

本文は、最低限にした。

 

最低限にしても、十分に多かった。

 

コロニーは落ちなかった。

 

けれど、落ちなかった後の世界を支える者たちは、まだ誰一人、休めていなかった。

 




マトモな人材が地球連邦軍上層部にいた場合、本編からどれだけマシな世界を作れるかを描いていこうと思っています。
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