◆地球連邦軍最高司令部監査会議室
U.C.0083年末。
ジャブローの監査会議室には、戦闘の匂いはなかった。
あるのは、記録である。
・アルビオン戦闘行動記録
・通信ログ
・損傷一覧
・弾薬消費表
・試作三号機運用資料
・コーウェン中将命令記録
・最高司令部承認記録
・アナハイム・エレクトロニクス提出資料
・宇宙軍総司令部意見書
・ガンダム開発計画関連資料
そして、ロンド・ベル第2機動群候補欄。
まだ空欄のままのその欄が、会議卓の端で妙に目立っていた。
私は、資料の量を見てから副官を見た。
「これは監査資料か」
「はい」
「壁かと思った」
「紙ではなく電子資料ですので、倒れてくる心配はありません」
「私が倒れる心配は」
「医務室には、まだ連絡していません」
「まだ、とは何だ」
副官は答えず、監査開始時刻を表示した。
有能な沈黙だった。
監査会議室には、最高司令部、作戦局、監察部、法務局、技術監査部、情報局、宇宙軍総司令部連絡官、国防総省の官僚が出席している。
ロンド・ベル司令もいた。
第2機動群候補を評価する以上、彼を外す理由はない。
一方で、アルビオン隊はジャブローにはいない。
シナプス大佐、コウ・ウラキ少尉、ニナ・パープルトンは、ルナツー要塞側の監査室から、暗号化された正式回線で出席していた。
地球と宇宙は遠い。
だが、記録は距離を越えて届く。
届いた以上、確認しなければならない。
「始める」
副官が記録を開始した。
私は、会議卓に表示されたアルビオンの艦影を見た。
「本日の監査は、アルビオン隊の処分を前提としたものではない」
法務局が、その一文を記録に入れる。
「試作三号機投入は、最高司令部承認事項。二号機追撃は、コーウェン中将の命令。アルビオン隊を、宇宙軍総司令部やガンダム開発計画の責任整理に使うことは認めない」
宇宙軍総司令部連絡官の表情が、わずかに動いた。
釘を刺された顔だった。
「ただし、功績だけで記録を閉じることもしない」
私は続けた。
「命令系統、技術支援、試作三号機運用、アナハイムとの関係、若い兵の運用、帰投判断。必要なものは全て確認する」
ルナツー側の画面で、エイパー・シナプス大佐が敬礼した。
「アルビオン艦長、エイパー・シナプス大佐。監査を受けます」
老練な艦長の声だった。
疲労はある。
だが、崩れてはいない。
その姿勢だけで、少なくとも艦長として艦を帰してきた男だと分かる。
◆同会議室 命令系統と試作三号機運用
最初に確認したのは、命令系統だった。
・コーウェン中将による二号機追撃命令
・ガンダム開発計画の承認範囲
・宇宙軍総司令部の指揮遅延
・最高司令部による試作三号機投入承認
・アルビオンの戦闘行動
それらは、綺麗に一直線で繋がってはいなかった。
むしろ、ところどころで線が切れ、別の線が継ぎ足されている。
だからこそ、現場は動いた。
そして、だからこそ、監査が必要になる。
技術監査部の将校が、試作三号機運用記録を表示した。
「試作三号機は、連邦軍の通常装備としては極めて特殊です。兵装規模、推進剤消費、管制負荷、運用支援のいずれも、通常のMSとは別物です」
「その認識でよい」
私は頷いた。
「ただし、今日確認するのは、コウ・ウラキ少尉を乗せたこと自体の是非ではない」
コウが、画面の向こうでわずかに顔を上げた。
若い。
その若さは、戦闘を経ても消えていない。
だが、以前の資料写真より、目の奥に重さがあった。
「試作三号機投入は最高司令部も承認している。コウ・ウラキ少尉が搭乗する可能性も、既定の選択肢として見ていた」
会議卓に、前作戦中の最高司令部命令記録が表示された。
・若いパイロットを使い潰すな
・帰還を前提に運用せよ
・姿勢制御部への干渉を主目的とし、コロニー破壊を目的としない
・作業船団牽引成立を支援せよ
「シナプス大佐」
「はい」
「確認する。貴官は、コウ・ウラキ少尉を復讐のために出したか」
「違います」
即答だった。
「任務は、コロニーの姿勢制御部への干渉、および作業船団牽引の成立支援でした。ウラキ少尉には、帰還を前提とする任務であると伝えています」
「帰投条件は」
「技術班、管制班、ニナ・パープルトン技術者の支援を艦内管制に組み込みました。推進剤残量、姿勢制御、被弾時の撤退判断を常時監視しています。私の判断で撤退命令を出せるよう、艦橋と技術管制を接続しました」
「ウラキ少尉を使い潰す形ではなかったと」
シナプスは一拍置いた。
「危険な任務であったことは否定しません。しかし、使い捨てるつもりはありませんでした。艦長として、艦と乗員を帰すことを最優先しました」
私は、その言葉を聞いてから、コウへ視線を移した。
「コウ・ウラキ少尉」
「はい」
画面の向こうで、コウは姿勢を正した。
「ガトーを追いたい気持ちはあったか」
コウは、すぐには答えなかった。
その沈黙は、嘘を探す沈黙ではない。
言葉を選ぶ沈黙だった。
「ありました」
「最終局面で、追ったか」
「いいえ」
「理由は」
「任務は、コロニーを止めることでした。ガトーを追うことではありませんでした」
若い兵の答えだった。
完璧な英雄の答えではない。
感情があり、それでも命令を選んだ兵の答えだった。
「記録する」
副官が、短く頷いた。
技術監査部が、試作三号機の管制記録を拡大する。
「管制支援に、アナハイム技術者のニナ・パープルトン氏が深く関与しています」
画面の向こうで、ニナが息を整えた。
彼女は軍人ではない。
アナハイム・エレクトロニクスの技術者であり、ガンダム開発計画に関わった人物である。
だからこそ、扱いは難しい。
◆同会議室 ニナ・パープルトン技術証言
「ニナ・パープルトン氏」
「はい」
「貴女には、技術者として証言してもらう。軍人としてではない」
ニナは、少しだけ目を伏せてから頷いた。
「承知しました」
「試作三号機運用時の貢献を確認する」
技術監査部が支援記録を開いた。
・姿勢制御部への攻撃支援
・管制補正
・シーマ艦隊由来の現場情報整理
・試作三号機の推進制御補助
・帰投時の機体状態確認
「私は、試作三号機を動かすために必要な情報を渡しました」
ニナは言った。
「コウを戻すために必要な管制支援もしました。ただし、企業の契約経路や部材供給の全体像については、私の権限では把握していません」
「その区分でよい」
私は答えた。
「君個人の貢献は記録する。アナハイムの契約と資料提出は別に扱う」
アナハイム参考人が、画面の別枠で表情を固くした。
技術監査部が、提出資料の不足一覧を表示する。
・契約変更履歴
・下請け再委託先
・部材ロット番号
・推進剤供給経路
・技術者派遣命令
・現場指示系統
「アナハイム側の資料提出には、未提出項目が複数あります」
技術監査部の声は硬い。
「企業秘密を理由とした保留が多すぎます」
アナハイム参考人が答える。
「弊社としても、連邦軍との契約範囲内で最大限協力しています。ただ、月面下請け企業を含む商取引情報には、他社との契約上の制約が――」
「その制約も資料にしろ」
私は遮った。
「出せないなら、出せない理由を文書で出せ。企業秘密という言葉だけで止めるな」
「……承知しました」
「もう一つ」
私はニナへ視線を戻した。
「貴女を、現時点でアナハイムへ即時帰任させる予定はない」
ニナの顔に、初めて明確な動揺が出た。
コウも反応した。
だが、私はコウには視線を向けなかった。
ここで余計な情報を与える必要はない。
「理由は、技術保全、監査協力、アナハイムからの圧力回避、そして試作三号機関連技術の継続確認だ」
情報局長が、非公開資料に印を付ける。
その中には、ニナとガトーの過去に関する調査結果がある。
・作戦上の情報流出
・意図的支援
・作戦妨害
それらは確認されていない。
だから、この場で彼女を吊し上げる理由はない。
だが、ガトーは捕虜として生きている。
過去の関係が再接触や外部圧力に利用される可能性は、消えない。
「ニナ・パープルトン氏は、アナハイム社員の身分を維持したまま、ロンド・ベル第2機動群付き技術協力員として特別出向とする案を検討する」
コウが、何か言いかけた。
シナプスが、目だけで制した。
ニナは、膝の上で指を握りしめた。
「私は……アルビオンに残るのですか」
「当面はそうなる」
「命令ですか」
「連邦軍からアナハイムへの正式要請だ。実質的には、拒みにくい要請になる」
アナハイム参考人の顔が、さらに硬くなった。
「弊社としては、人員の帰任について――」
「監査協力に必要な人員だ」
私は言った。
「貴社が全面的に資料を出し、技術支援の空白が解消されれば、配置は再検討する」
法務局が、特別出向の根拠条項を確認する。
情報局は、非公開監視の項目を別系統に移した。
・通信
・接触
・移動記録
・外部からの働きかけ
ウラキ少尉へ知らせる必要はない。
知らせれば、若い少尉の感情を余計に乱すだけだ。
ニナを孤立させる必要もない。
孤立させれば、守るべき情報まで外へ流れる。
監視とは、吊し上げることではない。
危ういものを、危ういまま管理するための手段だった。
◆同会議室 ロンド・ベル司令の評価
監査は、数時間に及んだ。
・シナプス大佐の証言
・ウラキ少尉の証言
・ニナ・パープルトンの技術証言
・アルビオン副長の補足報告
・技術監査部の資料照合
・宇宙軍総司令部意見書の確認
・アナハイム提出資料の不足
全てを聞いた後、私はロンド・ベル司令へ視線を向けた。
「意見を」
少将は、すぐには答えなかった。
会議卓に表示されたアルビオンの損傷一覧、乗員帰還率、管制記録、コウの出撃記録を順に見ている。
「シナプス大佐は、完璧な指揮官ではありません」
その言葉に、シナプスは表情を変えなかった。
「ガンダム開発計画との距離は近すぎる。試作三号機運用は危うい。宇宙軍総司令部との命令関係も、綺麗とは言えません」
ロンド・ベル司令は、そこで一度言葉を切った。
「ですが、艦を沈めず、若い兵を帰しました。帰還後に報告書を書ける状態で、部隊を戻した」
会議卓に、アルビオン帰投時の損傷図が表示された。
無傷ではない。
だが、帰っている。
それが重い。
「第2機動群に必要なのは、勝った後に部隊を壊す指揮官ではありません。勝った後に、何をしたかを報告できる指揮官です」
「評価は」
「ロンド・ベル第2機動群に必要な人物です」
宇宙軍総司令部連絡官が、口を開いた。
「しかし、シナプス大佐を将官に引き上げれば、アルビオン隊の行動を全面的に追認したと受け取られかねません」
「追認ではない」
私は言った。
「管理するために階級を与える」
連絡官は黙った。
「大佐として艦を動かした。だが、第2機動群を預けるなら、大佐では軽い。責任を増やすには、階級も増やす」
副官が辞令案を表示した。
・エイパー・シナプス大佐
・准将昇格
・ロンド・ベル副司令 兼、第2機動群司令
強襲揚陸艦アルビオンを、第2機動群中核艦とする。
「シナプス大佐」
「はい」
「昇進は褒美ではない。君に、より重い責任を持たせるということだ」
シナプスは、画面の向こうで姿勢を正した。
「承知しております」
「大佐として艦を帰した。准将として、今度は部隊を帰せ」
「拝命します」
「アルビオンを、連邦軍の管理下に置かれた部隊として運用しろ。記録、監察、技術監査、捕虜処遇、民間人対応。逃げ道は作らない」
「アルビオンを、二度と記録の外には置きません」
その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
「コウ・ウラキ少尉は、第2機動群所属」
「はい」
コウは返事をした。
「ニナ・パープルトン氏は、ロンド・ベル第2機動群付き技術協力員として特別出向。軍人にはしない」
ニナは、少し遅れて頷いた。
「……承知しました」
「アナハイム監査は継続。アルビオン隊の個別監査も継続する。無条件の免責ではない」
法務局と監察部が、同時に記録へ印を付けた。
「ただし、アルビオン隊を処分対象として扱うな。動いた者を、動かなかった者の責任整理に使うことは認めない」
宇宙軍総司令部連絡官は、何も言わなかった。
その沈黙は、不満ではなく、受け入れの沈黙に近かった。
◆ルナツー要塞 アルビオン待機区画
監査終了後、アルビオンの待機区画に通達が届いた。
・エイパー・シナプス大佐、准将昇格
・ロンド・ベル副司令兼第2機動群司令
・強襲揚陸艦アルビオン、第2機動群中核艦
通達を読んだ乗員たちは、すぐには喜ばなかった。
処分はない。
艦は残る。
部隊も残る。
だが、軽くなったわけではない。
むしろ、重くなった。
シナプスは、通達を一読して端末を閉じた。
「艦長」
コウが声をかけた。
言ってから、自分で言葉を直す。
「シナプス大佐……いえ、シナプス准将」
シナプスは、少しだけ眉を上げた。
「辞令が現場に届いた以上、呼称は合わせろ」
「はい、准将」
「ただ、仕事は減らん」
「はい」
「むしろ増える」
コウは、そこで少しだけ苦い顔をした。
「自分は、第2機動群で任務を続けます」
「その前に、機体と体を休ませろ」
「自分は――」
「命令だ」
コウは、言葉を飲み込んだ。
「了解しました、司令」
その呼称に、シナプスはわずかに目を細めた。
艦長ではなく、司令。
大佐ではなく、准将。
アルビオンは、艦一隻の話ではなくなった。
ニナは、少し離れた場所で特別出向通知を見ていた。
アナハイム社員。
ロンド・ベル第2機動群付き技術協力員。
軍属ではない。
軍人でもない。
だが、アルビオンから離れられる立場でもない。
コウが近づこうとしたが、技術士官が別件の確認を求めて彼を呼び止めた。
ニナは、その背中を見た。
言うべきことは、まだ整理できていない。
言ってはいけないこともある。
監査は終わった。
だが、全てが許されたわけではない。
ただ、居場所だけは、ひとまず定められた。
それが救いなのか、監視なのか。
彼女には、まだ分からなかった。
◆地球連邦軍最高司令部監査会議室 副官席
副官は、辞令発令処理を終えたあと、会議卓の予定表を見た。
・アルビオン隊正式監査
・シナプス准将昇格
・ロンド・ベル第2機動群発足
・アナハイム監査継続
・ニナ・パープルトン特別出向手続き
・ガトー捕虜尋問準備
全てが、今日の処理案件として並んでいた。
副官は、上官たる大将を見た。
この人は、まだ資料を読んでいる。
「閣下」
「何だ」
「食事を取られていません」
「監査中に食べるわけにもいかん」
「監査前も食べていません」
私は資料から顔を上げた。
「なぜ知っている」
「予定管理が職務です」
「食事管理もか」
「必要に応じて」
私は、しばらく黙った。
「五分で済むものを」
「食事を五分で済ませる前提が、既に医務室案件です」
「君は最近、医務室の味方をしすぎではないか」
「閣下が敵に回しすぎています」
会議卓の向こうで、ロンド・ベル司令がわずかに目を伏せた。
笑ったのかもしれない。
副官は、食事の手配を入れながら、もう一つの資料を見た。
・治安維持強化照会
・地球圏治安維持特別部隊構想
・ジャミトフ・ハイマン准将
・バスク大佐監査規定
今日、アルビオンは連邦軍の管理下に収められた。
ロンド・ベルは、第2機動群を得た。
だが、仕事は減らない。
むしろ、部隊を増やすほど、監察も記録も増える。
この人は、人を救おうとして仕事を増やす。
責任を明確にしようとして、自分の机に資料を積む。
凄い人だとは思う。
ただし、あの働き方は、部隊より先に本人を壊しかねない。
副官は、食事手配の備考欄に短く追記した。
温かいもの。
胃に軽いもの。
医務室へは、まだ送らない。
まだ、で済むうちに食べさせる必要があった。
◆ブレックス大佐執務室
ブレックス大佐は、通達を閉じなかった。
エイパー・シナプス准将、ロンド・ベル副司令 兼、第2機動群司令。
強襲揚陸艦アルビオンを第2機動群中核艦へ。
それは、ただの人事ではなかった。
最高司令部が、誰を信任したかの表示だった。
ブレックスは、シナプスの昇格そのものを不当とは思わなかった。
艦を帰した。
若い兵を戻した。
戦場から戻り、報告書を書いた。
ならば、評価される理由はある。
不当ではない。
不当ではないからこそ、胸に引っかかった。
自分は、軍内部で何を築けているのか。
議会員資格はある。
政治感覚もある。
連邦の現状に危機感もある。
だが、最高司令部が重い部隊を預ける相手として、自分の名が挙がることはない。
信頼を築いていない。
少なくとも、あの最高司令部の大将から見れば、そうなのだろう。
ブレックスは、別の資料を開いた。
・議会内の治安維持強化照会
・ジオン残党対策
・コロニー暴動予防
・反連邦運動監視
恐怖は、票になる。
怒りは、予算になる。
ジャミトフのような男は、その流れを制度に変えようとするだろう。
最高司令部の大将は、連邦軍内部でそれを縛ろうとしている。
だが、軍内部だけで政治を止められるのか。
ブレックスは、まだ答えを持っていなかった。
ただ一つ、分かることがある。
連邦軍の会議室だけでは、次の時代を止められないかもしれない。
その時、自分は何を使うのか。
軍内部で足りない力を、外で補うのか。
通達の表示は、まだ消えていない。
シナプス准将。
ロンド・ベル副司令。
第2機動群司令。
最高司令部は、動ける者を選び始めていた。
ブレックスは、その選別から外れている自分を、まだ直視しきれていなかった。