## 地球連邦軍最高司令部上層部高官執務室
「……反転攻撃、だと?」
通信越しに届いた宇宙軍総司令部の怒声に、私は思わず受話音量を一段階下げた。
耳が痛い。
いや、比喩ではなく本当に痛い。
最近、医務室の軍医から「閣下は胃だけでなく耳と血圧にも注意してください」と真顔で言われたばかりなのだ。軍医は私の健康管理を戦略課題か何かだと思っている節がある。
まぁ、間違ってはいない。
私が倒れると、書類が止まる。書類が止まると、艦隊が止まる。艦隊が止まると、地球にコロニーが落ちるかもしれない。
つまり、私の胃粘膜は地球防衛の一部なのだ。
嫌すぎる。
「そうだ。シーマ艦隊がデラーズ・フリートに対して反転攻撃を開始した」
『何故、最高司令部はそんな情報を事前に掴んでいた!?』
「情報局の成果だ」
嘘ではない。
私個人が四年前から関係を構築していた旧ジオンの女傑に、情報局が正式な協力線を被せているだけだ。
物は言いようである。
『最高司令部は宇宙軍の作戦に干渉しすぎている!』
「コロニー落としが進行している以上、最高司令部は地球防衛上の責任を負う。宇宙軍総司令部の面子より、地球市民の生命を優先する」
『貴官は我々を信用していないのか!』
信用していたら、こんな胃痛にはなっていない。
とは、さすがに言わない。
「信用している。だからこそ、宇宙軍にも全力で対処してほしいと再三要請している」
『ならば余計な手出しはするな!』
「あぁ、そうしたかったよ」
私は静かに答えた。
「だが、観艦式は壊滅した。核は使用された。コロニーは動き出す寸前だ。ここまで来れば、最高司令部として動かざるを得ない」
通信の向こうが一瞬詰まった。
そこを逃さず、私は続ける。
「我々は宇宙軍の敵ではない。デラーズ・フリートを止めるために動いている。貴官らも同じだと信じている」
綺麗事だ。
しかし、綺麗事を言い続ける者がいなくなれば、軍隊はただの暴力装置になる。
一年戦争で、我々はそれを嫌というほど見た。
通信は不機嫌な沈黙を残して切れた。
私は椅子に沈み込み、額を押さえた。
「閣下、血圧を測りますか?」
副官が血圧計を持って近づいてくる。
「いらん」
「医務室から、閣下の苛立ちを感知したら測定しろと」
「私は兵器か何かか」
「少なくとも最高司令部内では、閣下の健康状態は戦略資源扱いです」
「やめろ。悲しくなる」
それでも副官は容赦なく腕にカフを巻いてきた。
数値を見た副官の顔が曇る。
「閣下」
「言うな」
「高いです」
「言うなと言っただろう」
副官は無表情のまま胃薬と降圧剤の服用記録を端末に入力した。
まったく、最近の副官は私を上官ではなく管理対象の老朽艦艇か何かだと思っている。
だが、そんなことを言っている場合ではない。
「バスク大佐からの報告は?」
「サイド6外縁に展開完了。作業船団の徴発も進んでいます。ただ……」
「ただ?」
副官が少し言葉を選んだ。
「やり方がかなり強引です。民間作業船の船長が抗議したところ、軍令を盾に即時協力を命じたようです」
「補償手続きは?」
「後日、最高司令部へ一括請求するように、と」
私は頭を抱えた。
あの大佐、仕事は早い。判断も早い。胆力もある。
だが、早すぎる。
「……有能な部下ほど胃に悪い」
「閣下が選ばれた人材です」
「だから余計に胃が痛いんだ」
しかし、現場は動いている。
それが今は何より重要だった。
「民間船への補償予算を財務局に通せ。非常時徴発扱いでなく、協力謝礼も上乗せしろ。強引な命令を出したなら、後始末はこちらで丁寧にやる」
「了解しました」
「それと、大佐には伝えろ。市民を守るために市民の生活を踏みにじるな。必要なら命令しろ。ただし、終わった後に頭を下げる覚悟も持て、と」
「そのまま伝えますか?」
「少し柔らかくしろ」
副官は頷いた。
柔らかくしなければ、あの大佐はたぶん額面通りに受け取る。
そして、作戦後に作業船団の船長全員に本当に頭を下げて回るかもしれない。
いや、やりそうだ。
あれはそういう男だ。
苛烈で、冷徹で、しかし軍人としての責任感は強い。
使い方を誤らなければ、間違いなく連邦軍の柱になる。
使い方を誤れば、未来の災厄にもなり得る。
……私は何故、将来の胃痛の種まで育てているのだろうか。
## ルナツー発 強襲揚陸艦トロイホース
「シーマ艦隊、デラーズ側前衛部隊と交戦中!」
「アルビオン、こちらの後方宙域に接近!」
「宇宙軍独立哨戒部隊より通信。作業船団、コロニー予測進路上に展開開始!」
ブライト・ノアは艦橋で次々に流れる報告を処理していた。
一年戦争のホワイトベース時代から、無茶な状況には慣れているつもりだった。
だが、今の戦場は単純な艦隊戦ではない。
ロンド・ベル。
アルビオン。
シーマ艦隊。
宇宙軍の独立哨戒部隊。
それぞれ命令系統も目的も微妙に異なる部隊が、ひとつの巨大な破滅を止めるために動いている。
一歩間違えれば、味方同士の衝突すらあり得る。
「最高司令部らしい作戦だな」
ブライトは皮肉っぽく呟いた。
「無茶苦茶だが、手は打ってある」
隣の通信士が苦笑する。
「司令、アレックスより通信です」
『ブライト、デラーズ側の前衛は崩れ始めている。ただし、奥に妙な動きがある』
「妙な動き?」
『ゲルググ系とは違う。高機動の試作機らしき反応だ。パイロットの動きも普通じゃない』
ブライトの表情が険しくなる。
「ガトーか」
『可能性は高い』
アナベル・ガトー。
ソロモンの悪夢。
一年戦争時から名を知られたジオンのエース。
核攻撃を成功させた男でもある。
「アムロ、交戦は避けられるか?」
『向こうが避ける気なら』
「つまり、無理か」
『たぶんね』
アムロの声は落ち着いていた。
落ち着いているからこそ、ブライトは危険を感じた。
アムロが本気で戦う相手だ。
それだけで戦場の密度が変わる。
「コロニー阻止が最優先だ。ガトーに引きずられるな」
『分かっている。けど、放置すればシーマ艦隊かアルビオンがやられる』
「ならば短時間で抑えろ」
『簡単に言ってくれる』
「あの方に比べれば、まだ優しい命令だ」
通信の向こうで、アムロが小さく笑った気配がした。
『了解。短時間で抑える』
## サイド6外縁宙域 廃棄コロニー周辺
戦場は混乱していた。
デラーズ・フリートの部隊は、シーマ艦隊の裏切りに動揺していた。
味方だと思っていた艦から砲撃を受け、通信回線には怒号と罵声が飛び交う。
その混乱の中、シーマ・ガラハウは旗艦の艦橋で笑っていた。
「いいねぇ。大義に酔った連中ほど、裏切られた時の顔が面白い」
「中佐、管制区画への突入艇、到達まで三分!」
「護衛を厚くしな。あそこを押さえれば、コロニーの軌道データを弄れる」
「完全停止は無理ですぜ」
「分かってる。止められないなら、ずらせばいい。ずらせないなら、時間を稼ぐ。時間が稼げれば、連邦の作業船団とロンド・ベルが何とかする」
「随分と連邦頼みですな」
「頼れる時に頼らない奴は、ただの馬鹿さ」
シーマはそう言い切った。
一年戦争の頃、彼女たちは誰にも頼れなかった。
命令は降ってきた。
汚れ仕事も降ってきた。
だが、助けは来なかった。
だから生き延びるために、奪い、騙し、利用してきた。
それを恥じる気はない。
しかし、同じことを部下に続けさせる気もなかった。
「中佐! 高速接近する機影!」
「デラーズ側かい?」
「違います! 単機、異常な速度です!」
シーマの目が細くなる。
モニターに映ったのは、蒼とも灰ともつかない機体。
だが、その接近の仕方に覚えがあった。
獲物を狙う狼のように、真っ直ぐで、迷いがない。
「ガトーか」
通信が割り込む。
『シーマ・ガラハウ! 貴様、よくも大義を裏切ったな!』
アナベル・ガトーの声だった。
怒りに満ちている。
だが、その怒りはどこか悲しみにも似ていた。
「大義ねぇ」
シーマは鼻で笑った。
「大義のために、また地球にコロニーを落とすのかい? そこに住む連中が何をしたっていうのさ」
『地球連邦こそが腐敗の根源だ! その膿を焼き払わねば、人類は変わらん!』
「だったら、軍人だけでやりな。子供や老人を巻き込むな」
一瞬、通信が沈黙した。
その沈黙は短かったが、確かに揺らぎがあった。
だが、ガトーは止まらない。
『貴様に語る資格はない!』
「そうさ。私に綺麗事を語る資格はない」
シーマは静かに答えた。
「だからせめて、これ以上汚れ仕事を増やさないようにするのさ」
ガトーの機体が突撃してくる。
シーマ艦隊の護衛機が迎撃に出るが、速い。
速すぎる。
「迎撃しろ! 管制区画への艇を守れ!」
その時、白い機体が割って入った。
アレックス。
ビームサーベルとビームサーベルが激突し、眩い光が宙域を染める。
『アナベル・ガトーだな』
『貴様は……アムロ・レイ!』
『コロニーは落とさせない』
『連邦の亡霊が!』
二機が高速で交錯する。
シーマはその戦いを見て、思わず舌打ちした。
「化け物同士の喧嘩かい。巻き込まれたら死ぬね」
だが、その隙に突入艇は管制区画へ向かっていた。
シーマは前を見る。
「行け。あの大将に高い報酬を請求するんだ。生きて帰らなきゃ、請求書も出せないよ」
## アルビオン艦内
コウ・ウラキは格納庫で機体の最終確認をしていた。
整備兵たちが慌ただしく走り回る。
ニナ・パープルトンが端末を抱え、調整値を確認している。
「コウ、機体出力は安定している。でも、無理な機動はしないで」
「分かってる」
「分かってない顔してる」
「……分かってるつもりだ」
ニナは一瞬だけ困ったように笑った。
「コロニーを止めるには、機体性能だけじゃ足りない。ロンド・ベルも、シーマ艦隊も、宇宙軍の作業船団も動いている。あなた一人で全部背負わないで」
コウは黙って頷いた。
少し前の彼なら、ガンダムに乗る自分が何とかしなければと思っていただろう。
だが、今は違う。
戦場には多くの人間がいる。
ブライトがいる。
アムロがいる。
敵だったはずのシーマもいる。
そして、見えない場所で作戦を繋いでいる最高司令部の高官もいる。
自分はその中の一人だ。
それでも、やるべきことはある。
「ニナ」
「何?」
「帰ってきたら、ちゃんと話がしたい」
ニナの表情が止まる。
「今、それを言うの?」
「今だから言うんだ。帰る理由が増える」
ニナは少しだけ目を伏せ、それから頷いた。
「じゃあ、必ず帰ってきて」
「うん」
コウはヘルメットを被った。
「コウ・ウラキ、出ます!」
## 地球連邦軍最高司令部上層部高官執務室
「アムロ少佐、ガトーと交戦!」
「シーマ艦隊、管制区画へ突入!」
「アルビオン隊、戦闘宙域に到着!」
「宇宙軍作業船団、予測進路へ展開完了!」
報告が重なる。
私は戦況図を睨みつけた。
まだだ。
まだ足りない。
デラーズ・フリートは必ず次の手を打つ。
コロニーの起動そのものを止められなければ、今度は軌道変更と破砕、そして最終防衛線になる。
「地球軌道迎撃部隊は?」
「準備中です」
「遅い。最高司令部命令で即応配置に移せ。ソーラシステムに頼るな。あれは最後の手段だ」
「了解!」
私は拳を握った。
この段階で犠牲はまだ限定的だ。
観艦式の惨劇は取り戻せない。
ワイアットも、多くの将兵も帰ってこない。
だが、これ以上の惨劇は止める。
「閣下」
副官が小さく声をかけた。
「何だ」
「医務室から、休憩を取るようにと」
「今、地球にコロニーが落ちるかもしれんのだぞ」
「医務室は、閣下が倒れれば最高司令部の指揮機能が落ちると判断しています」
「……五分だけだ」
「三分で構いません」
「妥協案が短くなるのはおかしいだろう」
だが、私は立ち上がらなかった。
モニターの中で、青い地球が静かに浮かんでいる。
その周りで、人間たちは愚かに、必死に、戦っている。
「皆、よくやっている」
私は呟いた。
「だから私も、倒れる訳にはいかんな」
胃薬をもう一錠飲もうとして、副官に止められた。
「閣下、それは一日上限です」
「地球防衛に上限はない」
「薬にはあります」
正論だった。
私は渋々、胃薬を机に戻した。
戦況図の中で、廃棄コロニーの識別表示が黄色から赤へと変わる。
管制系統に変化。
起動準備。
いよいよ、奴らが本命を動かす。
「全軍に通達」
私は椅子に座り直し、声を整えた。
「これよりコロニー落とし阻止作戦は第二段階へ移行する。全ての部隊は、コロニーの完全停止、または地球落下軌道からの逸脱を最優先とせよ」
副官が通信を開く。
私は短く、しかしはっきりと言った。
「諸君。地球を守るぞ」
その言葉と同時に、サイド6外縁宙域で、廃棄コロニーの巨大な推進光が灯った。