地球連邦軍上層部はいつも多忙です。   作:はにわはにわ

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第五話 月はただ、通過点だった

 

◆地球連邦軍最高司令部第1会議室

 

「強奪コロニー群、月重力圏へ接近!」

 

「予測衝突点、フォン・ブラウン市近傍!」

 

「月面防衛部隊、迎撃態勢へ移行!」

 

「宇宙軍総司令部より通達。月面都市防衛を最優先とする、とのことです!」

 

会議室の空気は張り詰めていた。

 

月面都市フォン・ブラウン。

 

そこに巨大なコロニー群が落ちようとしている。

 

そう見える。

 

誰が見ても、そう見える。

 

だからこそ、宇宙軍総司令部が月防衛へ戦力を集中させること自体は間違っていない。

 

間違ってはいないのだ。

 

だが、正解の一部だけを掴んで安心することほど危険なものはない。

 

「軌道計算班、最新値を出せ」

 

「はい」

 

立体戦況図が更新される。

 

強奪された環境再生用コロニー群は、接合状態を維持したまま月へ向かっている。

 

フォン・ブラウン市への落着予測線。

 

月面推進剤施設周辺の不審な搬出記録。

 

シーマ艦隊からの短文暗号。

 

アルビオンから送られてきた、コウ・ウラキ少尉とニナ・パープルトン技師の解析。

 

バスク・オム大佐の月面施設封鎖報告。

 

全てが、一つの嫌な形を取り始めていた。

 

「閣下」

 

軌道計算担当士官が、青ざめた顔でこちらを見た。

 

「このままなら、月面に落ちます」

 

「だろうな。問題は、その直前だ」

 

「はい。この直前で姿勢制御と追加加速が入った場合、月の重力を利用して地球方向へ転じる可能性が高まっています」

 

「可能性は?」

 

「先ほどまでは三割程度でした。現在は……六割を超えています」

 

会議室に重い沈黙が落ちた。

 

六割。

 

軍事作戦において、それはもはや警戒ではなく前提に近い。

 

「宇宙軍総司令部には?」

 

「通達済みです。しかし、コリニー大将の幕僚部は、フォン・ブラウン防衛を最優先と判断。地球方向への転進可能性は、現時点では副次的リスクとして扱う、と」

 

副次的リスク。

 

便利な言葉だ。

 

そして、後で言い訳に使いやすい言葉でもある。

 

コロニーが本当に地球へ向かえば、副次的リスクでは済まない。

 

「再度通達しろ。月面防衛を否定するものではない。だが、月を通過点とする地球落下コースを最重要警戒に引き上げろ、と」

 

「了解!」

 

「それと、地球軌道迎撃予備戦力と作業船団の準備状況は?」

 

「曳航艦、作業艇、推進剤タンクの集結を開始しています。ただし、まだ十分ではありません」

 

「動かせるものから動かせ。十分になるまで待ってくれる敵ではない」

 

「了解!」

 

私は椅子に座り直し、胃のあたりを押さえた。

 

痛い。

 

かなり痛い。

 

今ここで胃薬を飲もうとすると、副官がまた無言で薬瓶を遠ざけるに違いない。

 

案の定、副官が横から言った。

 

「閣下、顔色が悪いです」

 

「月が踏み台にされそうで、地球にコロニーが落ちるかもしれない状況で、顔色が良かったら逆に問題だろう」

 

「医務室から、苛立ちが強い時ほど深呼吸をするようにと」

 

「医務室は月軌道計算より私の呼吸数に詳しいな」

 

「管理しやすいので。閣下の呼吸数の方が」

 

「地球連邦軍の大将が、呼吸数まで管理される時代か」

 

嘆かわしい。

 

深呼吸はした。

 

少しだけ胃の痛みが和らいだ気がする。

 

たぶん気のせいだ。

 

「バスク大佐からの報告は?」

 

「月面推進剤貯蔵施設の第七区画を封鎖。アナハイム系列の民間補給会社名義で、不審な搬出記録を押収中。燃料流出阻止を優先し、職員拘束は最小限に留めているとのことです」

 

「よし」

 

少し驚いた。

 

いや、失礼だが、本当に少し驚いた。

 

バスクなら、施設ごと制圧して全員を壁際に並ばせかねないと思っていた。

 

少なくとも、命令は効いている。

 

「追加で伝えろ。記録押収と燃料流出阻止を優先。関係者の身柄確保は必要最小限。市民施設への威圧行動は避けろ」

 

「了解」

 

「それと、バスク大佐個人へ」

 

「はい」

 

「よく抑えている、と」

 

副官が一瞬だけこちらを見た。

 

「そのまま送りますか」

 

「……少し硬くして送れ。あの男は褒め言葉をそのまま送ると、逆に疑うかもしれん」

 

「了解しました」

 

私は戦況図へ視線を戻した。

 

月へ向かうコロニー。

 

それを守るように動くデラーズ・フリート。

 

月面で封鎖される推進剤施設。

 

遠方から追うアルビオン。

 

ロンド・ベルが月遷移軌道上で展開している。

 

その全てを繋ぐように。

 

まだ間に合う。

 

そう信じたい。

 

 

◆バスク艦隊 月面推進剤貯蔵施設周辺

 

「第七区画、封鎖完了」

 

「搬出記録、押収中」

 

「施設職員の一部が抗議しています。アナハイム系列企業の正規契約だと主張」

 

バスク・オム大佐は、指揮艦の艦橋で報告を聞いていた。

 

バイザー越しに表情は読めない。

 

だが、口元は硬い。

 

声は低く、冷えていた。

 

「契約番号が管制局記録と一致しない時点で、正規契約ではない」

 

「職員を拘束しますか」

 

部下は、もっと強硬な命令を予想していたのだろう。

 

無理もない。

 

ジオン残党に繋がる可能性がある。

 

月面側協力者がいる。

 

アナハイムが関わっているかもしれない。

 

ならば、全員拘束し、施設を完全制圧し、必要なら強制尋問をかける。

 

それが最も早い。

 

だが、最高司令部高官の声が残っていた。

 

敵を憎むなとは言わん。

だが、憎しみで命令を出すな。

 

面倒な命令だ。

 

実に面倒だ。

 

だが、今は従う価値がある。

 

「責任者と搬出担当のみ確保。一般職員は施設内待機。武装解除を徹底しろ。暴発させるな」

 

部下が一瞬、間を置いて返答した。

 

「了解」

 

「搬出予定だった推進剤の量は?」

 

「コロニー群の最終姿勢制御に使うには十分です。月面衝突回避後の再加速にも使用可能」

 

バスクの顎がわずかに下がった。

 

「やはり、月は終点ではないか」

 

「最高司令部へ即時送信。推進剤移送は、月面衝突ではなく月通過後の軌道変更を目的とする可能性が高い、と」

 

「了解」

 

「それと、月面自治政府には正式文書を回せ。最高司令部名義での緊急封鎖。後日補償手続きを行う、と」

 

部下が少し驚いたように振り返る。

 

「補償ですか」

 

「命令だ」

 

バスクはそれだけ言って、戦況図を見た。

 

彼の声は冷たい。

 

だが、命令は制御されていた。

 

 

◆強奪コロニー管制補助区画 シーマ艦隊

 

「デラーズ本隊より更新。姿勢制御データ」

 

「月面衝突コース補正……これは、いえ……」

 

「言わなくていい」

 

シーマ・ガラハウは端末を覗き込み、口元を歪めた。

 

やはりだ。

 

フォン・ブラウンに落ちるように見せている。

 

だが、実際には月の重力圏でぎりぎりをかすめる。

 

そこで姿勢を変え、加速する。

 

月は標的ではない。

 

通過点だ。

 

「デラーズ側技術班が補正値入力を急がせています、中佐」

 

「急かす男は嫌われるよ」

 

「どうします?」

 

「入力するさ。少しだけ、間違えながらね」

 

シーマは指を動かした。

 

表向きにはデラーズ側の補正値を入力する。

 

だが、その中に微細な遅延を噛ませる。

 

管制系統に気づかれない程度に。

 

しかし、後で連邦側が追跡する時に役立つ程度に。

 

「露見したら、中佐」

 

「殺されるね」

 

「軽く言わないでください」

 

「重く言ったら助かるのかい?」

 

副官は黙った。

 

シーマは小さく笑った。

 

「逃げ道は三つあるんだろう。心配しな」

 

「三つとも怪しくなってきました」

 

「なら、四つ目を作るだけさ」

 

彼女は暗号端末を開いた。

 

長文は送れない。

 

通信が長引けば、デラーズ側に気取られる。

 

送れる情報は断片だけだ。

 

推進剤。

外部供給。

補正値偽装。

月縁通過。

 

それだけ打ち込む。

 

送信。

 

「あの大将が勝手に胃を痛めてくれるだろうさ、これで」

 

「褒めてます、中佐?」

 

「褒めてるよ。胃を痛めながら約束を守る男は貴重なんだ」

 

シーマは端末を閉じた。

 

「全員、退路を再確認しな。デラーズの爺さんが本性を出すのは、ここからだよ」

 

 

◆ロンド・ベル 月遷移軌道

 

アレックスが宙域を駆け抜ける。

 

デラーズ・フリートの妨害部隊は、ロンド・ベルをコロニーから引き離そうとしていた。

 

敵は本気でこちらを落としに来ている。

 

だが、狙いはロンド・ベルの撃破そのものではない。

 

時間稼ぎだ。

 

「ブライト、敵の動きが変だ」

 

『どう変だ』

 

「こちらを倒すより、コロニーから離すように誘導している。見せないことを優先している」

 

『つまり、見られたくないものがある』

 

「たぶん、コロニーの月面接近角だ」

 

アムロはアレックスを反転させ、敵MSの射撃を避ける。

 

ビームライフルを撃つ。

 

敵機の武装腕が弾けた。

 

撃墜はしない。

 

無力化。

 

それを繰り返す。

 

「敵機、まだ来る!」

 

「……しつこいな」

 

アムロは歯を食いしばった。

 

コロニーが月に落ちるなら、降下角はもっと明確なはずだ。

 

だが、あの巨大な影は月面をかすめるように動いている。

 

落ちるのではない。

 

曲がる。

 

そう感じた。

 

「ブライト、コロニーは月に落ちない。かすめる」

 

『確かか?』

 

「感覚だ。でも、間違っていないと思う。月面衝突だけを見るな!」

 

通信の向こうで、ブライトが短く息を呑む気配がした。

 

『最高司令部へ送る。全艦、追跡態勢へ移行準備』

 

「了解!」

 

アムロは敵MSの脚部スラスターを撃ち抜いた。

 

その声には怒りが滲んでいた。

 

「そっちじゃない。どけ」

 

 

◆アルビオン艦内

 

コウ・ウラキは、軌道データとガトーの行動記録を見比べていた。

 

機体はない。

 

出撃できない。

 

だが、記録はある。

 

ガトーの戦い方。

 

試作二号機を奪取した時の判断。

追撃を振り切る時の大胆さ。

観艦式襲撃のタイミング。

 

全てを思い返す。

 

「ガトーなら、月に落とすだけで終わらせない」

 

コウは低く言った。

 

ニナ・パープルトンが端末を覗き込む。

 

「推進剤量もおかしいわ。月面衝突に必要な補正量より多い。それに、姿勢制御の余白が残りすぎている」

 

「つまり?」

 

「月面直前で姿勢を変える。重力を使って進路を変える。追加加速が入れば、地球方向へ転じる可能性がある」

 

「……やっぱり」

 

コウは拳を握った。

 

そこへシナプス艦長が入室する。

 

「解析結果をまとめたまえ。最高司令部とロンド・ベルへ送る」

 

「はい」

 

「ウラキ少尉」

 

「はい」

 

「今の君は機体に乗れん。だが、ガトーを実際に追い、戦った者は少ない。君の分析は使える」

 

一瞬、コウは言葉に詰まった。

 

そして敬礼する。

 

「了解しました」

 

悔しさは消えない。

 

機体があれば。

 

出撃できれば。

 

そう思う。

 

だが、今は違う形で戦うしかない。

 

コウは軌道図を睨みつけた。

 

月面直前の予測線が赤く点滅している。

 

その問いに答えるように。

 

「ガトー……どこを狙っている、お前は」

 

 

◆地球連邦軍最高司令部第1会議室

 

「シーマ艦隊より極短暗号!」

 

「内容は?」

 

「推進剤。外部供給。補正値偽装。月縁通過」

 

「ロンド・ベルより報告! アムロ少佐、コロニーは月面に落ちず、月をかすめる可能性が高いと判断!」

 

「アルビオンより解析データ! 推進剤量、姿勢制御余白ともに、地球方向転進の可能性を示唆!」

 

「バスク大佐より報告! 推進剤貯蔵施設の不審搬出記録を押収! 外部供給ルートを封鎖中!」

 

全てが繋がった。

 

月面衝突に見せかけた軌道。

 

月縁通過。

 

外部推進剤。

 

姿勢制御余白。

 

デラーズ・フリートの欺瞞。

 

私は椅子から立ち上がった。

 

「やはり、月は標的ではない」

 

会議室の全員がこちらを見る。

 

私は戦況図の月と地球を指した。

 

「踏み台だ」

 

その瞬間、軌道計算班が叫んだ。

 

「コロニー群、姿勢制御開始!」

 

「月面降下角、変化!」

 

「フォン・ブラウン衝突予測線、消失!」

 

「月重力圏を利用して加速。進路変化!」

 

「新進路は?」

 

会議室の空気が凍りついた。

 

「地球方向です!」

 

その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 

疑っていた。

備えていた。

分かっていた。

 

それでも、実際に戦況図の赤い線が地球へ伸びる光景は、胃の奥を冷たく掴んでくる。

 

「宇宙軍総司令部は?」

 

「月防衛陣形の再編に手間取っています! 追跡態勢への移行が遅れています!」

 

「……だから言っただろうが」

 

思わず声が漏れた。

 

副官が咳払いする。

 

「閣下、音声が開いています」

 

「切れ」

 

「切りました」

 

危ない。

 

今のは全軍通信に乗せるには、少々品がなかった。

 

いや、かなりなかった。

 

私は深呼吸した。

 

まさかここで医務室の指示が役立つとは思わなかった。

 

「全軍に通達」

 

私は声を整えた。

 

「強奪コロニー群は月面衝突偽装を解除。月重力圏を利用し、地球方向へ転進した。これより本作戦は地球落下阻止段階へ移行する」

 

会議室に緊張が走る。

 

「ロンド・ベルは追跡を継続。デラーズ妨害部隊を排除しつつ、コロニーの軌道監視を最優先」

 

「了解!」

 

「バスク大佐の部隊は推進剤供給線を完全遮断。月面施設の封鎖を維持。ただし、民間人への過剰拘束は避けろ」

 

「了解!」

 

「アルビオンは解析データを継続送信。コウ・ウラキ少尉とニナ・パープルトン技師の解析を優先チャンネルで扱え」

 

「了解!」

 

「地球軌道迎撃予備戦力を前進。作業船団、曳航艦、推進剤タンクを地球落下予測線へ移動準備」

 

「了解!」

 

「ソーラ・システムIIは?」

 

将官の一人が問う。

 

私は即答した。

 

「準備は継続。ただし、まだ使用前提にするな」

 

「ここでもですか」

 

「ここでもだ」

 

私は強く言った。

 

「射線も、味方位置も、民間船の退避も不確定だ。強力な兵器に頼る判断は最後でいい。今は軌道を読み、追い、ずらす準備をする」

 

誰も反論しなかった。

 

戦況図の中で、コロニー群の進路線が月を離れ、青い地球へ向かって伸び始めていた。

 

フォン・ブラウンではない。

 

月でもない。

 

本命は地球だ。

 

「閣下」

 

副官が静かに言った。

 

「医務室から血圧測定要請です」

 

「後にしろ」

 

「緊急だそうです」

 

「こっちの方が緊急だ」

 

「医務室は、閣下が倒れれば指揮機能に影響すると」

 

反論する時間もなかった。

 

「作戦後にしてくれ」

 

副官は少しだけ沈黙し、頷いた。

 

「了解しました。作戦後に、必ず」

 

「知っている」

 

「数値が高いです、閣下」

 

「……一分で済ませろ」

 

逃げ道を塞がれた。

 

副官は無言で血圧計を取り出した。

 

会議室の片隅で、地球落下コースへ転じたコロニーを見ながら血圧を測る大将。

 

実に嫌な光景だ。

 

だが、笑える者はいなかった。

 

私は戦況図を見た。

 

コロニー群は地球へ向かっている。

 

ここからが本番だ。

 

月面衝突偽装。

スイングバイ。

地球落下コース。

 

デラーズ・フリートの星の屑作戦は、ようやく本当の姿を現した。

 

「ここからが本当の星の屑だ」

 

私は呟いた。

 

誰も答えなかった。

 

答える必要はなかった。

 

全員が分かっている。

 

この先の数時間が、地球圏の未来を決める。

 

 

地球連邦軍上層部は、いつも多忙です。

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