地球連邦軍最高司令部上層部高官執務室
極秘回線というものは、名前の響きだけなら格好良い。
多重暗号、迂回通信、秘匿経路、認証鍵、通信傍受対策。
軍事機密の塊であり、通常の将官ですら使用権限はない。
だが、実際に使う側からすれば、ただただ胃に悪い。
繋がるまで時間が掛かる。
途中で切れないか不安になる。
相手が今どこにいるのか分からない。
そして何より、繋がった瞬間に飛び出してくる情報が、大抵ろくでもない。
「接続、確立しました」
副官が端末を見ながら言った。
「傍受の可能性は?」
「現時点では確認されていません。ただし、長時間通信は避けるべきです」
「分かっている」
私は端末の前に座り直した。
画面が一瞬だけ乱れる。
そして、そこに女の顔が映った。
シーマ・ガラハウ。
一年戦争の亡霊を背負い、それでも部下を抱えて生き残っている女。
こちらを見た彼女は、いつものように口元を歪めた。
『やぁ、随分と疲れた顔をしてるじゃないか。連邦の大将ってのは、もっと良いものを食べて寝てるのかと思ってたよ』
「食べる時間も寝る時間もあれば、もう少しまともな顔をしているさ」
『あんた、私より先に過労で死ぬんじゃないかい?』
「最近、医務室にも同じことを言われてね。だが、今日は私の健康相談ではなく、デラーズ・フリートの話だ」
『つまらないねぇ。私はあんたの血圧の話も嫌いじゃないんだけど』
「私が嫌いだ」
シーマは小さく笑った。
通信越しでも分かる。
余裕があるように見せているが、目の奥は笑っていない。
つまり、彼女の側も危険な状況にある。
「観艦式は壊滅した。核は使われた。次の手があるはずだ。君の側では何を聞いている?」
シーマの表情がわずかに変わった。
『あいつら、コロニーを見てるよ』
部屋の空気が冷えた。
分かっていた。
疑っていた。
だが、実際にその言葉を聞くと、胃の奥が重く沈む。
「どのコロニーだ?」
『コロニー再生計画の絡みさ。無人化した環境再生用のやつが複数。名前はまだ全部は出てないが、アイランド・イーズ、アイランド・ブレイドに相当する候補が上がってる』
「複数か」
『ああ。単体じゃなく、組み合わせて使う腹らしい。曳航だの、接合だの、面倒な話をしてるよ』
「標的は?」
『表向きは月だね』
「月」
『フォン・ブラウン方面に落とす、って匂わせてる。月面都市を人質にすれば、連邦もアナハイムも慌てる。そういう筋書きらしい』
私は黙って聞いた。
フォン・ブラウン市。
月面最大級の都市であり、アナハイム・エレクトロニクスの影響が極めて強い場所。
そこにコロニーを落とす。
政治的打撃としては十分だ。
だが、十分すぎるほど分かりやすい。
分かりやすい作戦は、時に本命ではない。
「君は、月が本命だと思うか?」
シーマは少しだけ目を細めた。
『思わないね』
「理由は?」
『デラーズの爺さんは大義が好きだ。ガトーは名誉が好きだ。けど、あいつらは馬鹿じゃない。月を脅すだけなら、あんな面倒な軌道を取る必要はない』
「面倒な軌道?」
『私らには強奪役をやらせる気だよ。汚れ仕事はいつもこっちさ。だが、コロニーの姿勢制御と推進剤の計算が変なんだ。月に落とすだけなら余計な余裕がある。余裕というより、何か別の動きに備えてるように見える』
「月の重力を使うつもりか」
思わず口に出ていた。
シーマは画面の向こうで、満足そうに笑った。
『やっぱり、あんたもそう見るかい』
「まだ断定はしない」
『慎重だね』
「断定して外せば人が死ぬ。慎重で済むなら安いものだ」
本当は安くない。
慎重に考えるには時間が必要だ。
だが、戦場はいつも時間をくれない。
「デラーズ側は、君たちをどう扱うつもりだ?」
『便利な道具さ。コロニーを奪う。汚れ役を引き受ける。連邦に追われたら盾になる。使い潰すにはちょうど良いと思ってるんだろうね』
声は軽い。
だが、その奥に冷たい怒りがある。
一年戦争の時も、彼女たちはそうだった。
命令を受け、汚れ仕事を押し付けられ、その責任だけを背負わされた。
その後に待っていたのは名誉ではない。
爪弾きと逃亡の日々だ。
「君の部下は?」
『今のところ無事だよ。だが、このままデラーズに付き合えば、無事じゃ済まない』
「逃げ時は任せる。だが、可能ならもう少し中にいてほしい」
『酷い男だねぇ。危ない場所に女を残すのかい?』
「君をただの女扱いしたら、それはそれで怒るだろう」
『分かってるじゃないか』
シーマは笑った。
今度は少しだけ、本当に笑っていた。
「報酬はいつも通りだ。情報提供費、危険手当、部下の保護費用。必要なら後で上乗せもする」
『金払いが良いのは結構だね』
「それと」
私は一瞬だけ言葉を選んだ。
彼女たちをいずれ連邦側で保護し、場合によっては編入する。
それは既に私の中にある構想だった。
だが、今ここで明言するには早い。
言葉は時に希望になる。
だが、早すぎる希望は判断を鈍らせる。
「生き残ることを最優先にしろ。君も、部下もだ」
シーマの表情がわずかに柔らかくなった。
『あんたは本当に変わってるよ。連邦の大将が、ジオンのはぐれ者に生き残れって言うんだからね』
「元ジオンだろうが、連邦だろうが、死ななくていい者が死ぬ必要はない」
『そういう甘いところ、嫌いじゃないよ』
「私は自分では現実主義者のつもりなんだが」
『現実主義者は、こんな危ない通信を女に繋いだりしないのさ』
反論できなかった。
シーマは画面の向こうで姿勢を正した。
『追加で何か掴んだら流す。ただし、次は繋がりにくいかもしれない。こっちも目が厳しくなってる』
「無理はするな」
『無理しない範囲で裏切りなんてできるかい』
「それもそうだな」
『じゃあね、大将。胃薬を飲みすぎるんじゃないよ』
「善処する」
『それは信用できないね』
通信はそこで切れた。
画面が黒くなる。
私は深く息を吐いた。
胃が痛い。
だが、情報は得た。
コロニー再生計画。
複数の無人コロニー。
月面、フォン・ブラウン方面への衝突偽装。
そして、月が本命とは限らないというシーマの直感。
「情報局長を呼べ。それと軌道計算班もだ」
「既に待機させています」
副官が即答した。
「準備が良いな」
「閣下がシーマ中佐との通信後に胃を押さえながら情報局を呼ぶ確率は高いと判断しました」
「私はそんなに読みやすいか?」
「かなり」
少し傷ついた。
地球連邦軍最高司令部第1会議室
一時間後、会議室の中央には月遷移軌道の立体図が投影されていた。
コロニー再生計画で移送予定だった無人コロニー群。
その仮想強奪地点。
月方面への推定軌道。
フォン・ブラウン市周辺への仮想衝突コース。
それらが複数の線で示されている。
「こちらが、シーマ中佐から提供された断片情報と、情報局が保有するコロニー再生計画の航路データを照合したものです」
情報局長が説明する。
「月面衝突軌道としては成立するのか?」
「成立します。ただし、不自然です」
「どう不自然だ」
軌道計算担当の士官が前に出た。
「フォン・ブラウンへの衝突を目的とするなら、もっと単純な減速・降下軌道でよいはずです。しかし、この推定軌道は月の重力圏に深く入り込みすぎる。月面衝突直前に姿勢制御と追加加速を行えば、月の重力を利用して地球方向へ転じる余地があります」
会議室がざわめいた。
「スイングバイか」
私は呟いた。
「はい。もちろん、現時点では仮説です。しかし、月へ落とすように見せかけ、月を使って地球へ向かうことは理論上可能です」
「地球側の標的は?」
「複数あります。ジャブロー直撃コースも取り得ます。ただし、月通過後の微修正次第では、北米方面への落着も可能です」
北米。
穀倉地帯。
嫌な言葉が頭をよぎる。
ジャブローを狙うなら軍事攻撃だ。
北米穀倉地帯を狙うなら、兵糧攻めだ。
地球そのものの食料基盤を破壊し、スペースノイドへの依存を強める。
デラーズがそこまで考えているかは分からない。
だが、ジオン残党の中にその思想を持つ者がいてもおかしくはない。
「閣下、宇宙軍総司令部は月防衛を優先する意向です」
別の将官が報告した。
「コリニー大将は?」
「最高司令部の地球落下仮説については、可能性は低いと見ているようです。まずはフォン・ブラウン周辺への脅威に対処する、と」
「月が狙われているのは事実だ。そこは間違っていない」
私は戦況図を見つめた。
問題は、そこだけを見て良いのかということだ。
「月防衛と地球防衛を並行させる」
「戦力が分散します」
「分散させなければ、片方を外した時に終わる」
「宇宙軍総司令部が従うでしょうか」
「従わない可能性が高い」
会議室の空気が重くなる。
まったく、敵はデラーズ・フリートだけではない。
味方の面子、縦割り、派閥、予算、責任回避。
これらもまた立派な敵だ。
「最高司令部直轄で動かせる戦力を使う。ロンド・ベルには月遷移軌道を継続監視。アルビオン隊とは情報共有を続けろ。地球軌道上には迎撃予備戦力を配置。ソーラー・システムIIは準備を継続。ただし、使用前提では動くな」
「またソーラー・システムIIを抑えるのですか?」
「当然だ」
私は即答した。
「あれは最後の手段だ。コロニーの軌道も、味方の位置も、民間船の避難も分からない段階で使用計画を前提にすれば、必ずどこかで雑になる」
「しかし、準備だけでは間に合わない可能性も」
「だから準備はする。だが、頼り切るな」
強力な兵器ほど、人間を怠惰にする。
当たれば勝てる。
撃てば終わる。
焼けば片付く。
そんな発想が、味方ごと焼く惨事を生む。
「月は標的かもしれない。だが、踏み台かもしれない。全局、その前提で動け」
「了解!」
私は椅子に座り直した。
その拍子に、髪が一本、資料の上に落ちた。
副官が無言で視線を逸らす。
「見なかったことにしてくれ」
「了解しました」
「了解が早いな」
「任務ですので」
泣きたくなった。
ルナツー発 強襲揚陸艦トロイホース
トロイホースは月遷移軌道へ向かっていた。
艦橋の中央には、最高司令部から送られてきた追加情報が表示されている。
コロニー再生計画関連宙域。
複数の無人コロニー。
フォン・ブラウン市方面への仮想衝突コース。
月重力圏での軌道変更可能性。
ブライト・ノアはその線をじっと見ていた。
「月面衝突に見せかけて、地球へ向かう……」
副長が呻くように言った。
「可能なのですか」
「軌道計算上は可能だそうだ」
「では、最高司令部はそれを本命と?」
「いや、断定はしていない」
ブライトは首を振った。
「だが、あの方はまだ何かを疑っている」
「何か、ですか」
「あの方が一番嫌うのは、分かったつもりになって動くことだ。今回の命令は月も地球も捨てるな、というものだ」
そこへアムロが艦橋に入ってきた。
「追加情報を見た」
「どう思う」
「最悪だ」
短い答えだった。
アムロはモニターのコロニー軌道図を見つめる。
「またコロニーを兵器にするつもりなのか」
その声には、静かな怒りがあった。
一年戦争で見たもの。
聞いたもの。
感じたもの。
コロニー落としは、アムロにとって単なる作戦名ではない。
人間が人間の住む場所を丸ごと兵器に変えるという、越えてはいけない線だった。
「まだ確定ではない」
ブライトは言った。
「だが、確定してからでは遅い」
「分かっている」
アムロは表示された月を見た。
「月を狙うなら止める。地球を狙うなら、なおさら止める」
「アレックスの準備は?」
「出られる」
「無理はするな」
「それは、あの方にも言われそうだ」
ブライトは苦笑した。
「言うだろうな。そして無理な任務を出す」
「いつものことだ」
二人は短く笑った。
だが、その笑いはすぐに消える。
通信士が振り向いた。
「司令、アルビオン隊より断片通信。デラーズ・フリートの補給線らしき反応を追跡中。月方面へ向かっている可能性あり」
「返信。識別コードを再確認し、単独突出は避けろ。こちらも月遷移軌道へ向かう」
「了解」
ブライトは戦況図を見た。
線はまだ定まっていない。
だが、敵の影は確実に月へ伸びている。
そして、その先に地球がある。
シーマ艦隊旗艦
「中佐、連邦へ情報を流した件、気取られてはいません」
副官の報告に、シーマは軽く頷いた。
「今のところは、だろう?」
「はい。デラーズ側の監視は強まっています」
「当然だね。あいつら、私らを信用しちゃいない。便利な駒とは思ってるだろうけどね」
シーマは艦長席で足を組み、端末を眺めた。
コロニー再生計画。
無人コロニー。
月面衝突軌道。
そして、何かを隠したような推進剤計算。
「月へ落とすだけなら、こんな面倒なことはしない」
「中佐もそう見ますか」
「勘だよ」
「中佐の勘は当たりますからね」
「当たってほしくない時ほどね」
シーマは皮肉っぽく笑った。
部下たちは、彼女を見ている。
不安がない訳ではない。
デラーズを裏切るということは、旧ジオンの大義を敵に回すということだ。
だが、シーマ艦隊にとって大義とは何だったのか。
毒ガスを撒かされた時、大義は彼女たちを守らなかった。
汚れ仕事を押し付けられた時、名誉は与えられなかった。
ならば、今さら大義に殉じる義理などない。
「中佐、連邦の大将を信用していいんですかい?」
副官が低く尋ねた。
シーマは少し黙った。
「連邦は信用しないよ」
「では?」
「あのくたびれた大将は、約束を守る」
「それだけですか」
「それだけで十分さ。戦場じゃ、約束を守る人間は貴重なんだよ」
シーマは端末を閉じた。
「デラーズの連中には、今まで通り従っているように見せる。強奪役も引き受ける。ただし、部下を捨て駒にはしない」
「了解」
「それと、逃げ道を常に三つ用意しな」
「三つですか」
「一つは潰れる。二つ目は裏切られる。三つ目でようやく生き残れる」
副官は苦笑した。
「中佐らしい」
「生き残るのが仕事だからね」
地球連邦軍最高司令部上層部高官執務室
会議後、私は執務室に戻っていた。
机の上には資料が積み上がっている。
コロニー再生計画。
月面防衛。
地球軌道迎撃。
ロンド・ベル運用。
アルビオン隊追跡記録。
アナハイム関連通信。
ソーラー・システムII準備進捗。
そして医務室からの警告文。
最後のものが一番腹立たしい。
「閣下、休憩時間です」
副官が言った。
「今、休んでいる場合か?」
「医務室は、閣下が倒れた場合の指揮系統混乱を懸念しています」
「私の体調まで作戦リスク扱いか」
「はい」
「否定してくれ」
「できません」
まったく、最近の副官は遠慮がない。
私は椅子にもたれ、天井を見た。
月は標的か。
それとも踏み台か。
デラーズは何を狙う。
ジャブローか。
フォン・ブラウンか。
北米か。
それとも、連邦そのものの判断能力か。
「副官」
「はい」
「バスク・オム大佐の現在位置は?」
副官の手が止まった。
「宇宙軍所属のバスク大佐ですか」
「そうだ」
「月方面への即応艦隊に近い位置にいます。ジオン残党への強硬姿勢で知られていますが、指揮能力は高い人物です」
「危ういが、有能」
「その評価が妥当かと」
私は目を閉じた。
バスク・オム。
苛烈で、敵に容赦がない。
だが、任務遂行能力は高く、命令には忠実。
今回のような危機では、使い方次第で大きな戦力になる。
使い方を誤れば、未来の災厄にもなり得る。
「彼に繋ぐ準備をしろ」
「最高司令部直通ですか?」
「ああ」
「宇宙軍総司令部を迂回することになります」
「今さらだ」
副官は頷いた。
「命令内容は?」
「月方面、コロニー再生計画関連宙域、フォン・ブラウン周辺、推進剤施設の哨戒。加えて、コロニーが月を踏み台にする可能性を念頭に置いた進路妨害準備」
「バスク大佐が撃滅任務を優先する可能性は?」
「だから私が直接釘を刺す」
私は端末に手を置いた。
「敵を憎むなとは言わん。だが、今回は敵を殺す戦いではない。コロニーを止める戦いだ」
副官が静かに敬礼した。
「了解しました。極秘回線を準備します」
私は窓の外を見た。
青い地球。
その向こうに、月がある。
そして、その間を何かが動こうとしている。
まだ見えない。
だが、見えてからでは遅い。
「さて」
私は小さく呟いた。
「有能で胃に悪い男に、胃に悪い任務を頼むとするか」
今日もまた、仕事が増える。
地球連邦軍上層部は、いつも多忙です。