笛をたしなむ弥吉は、いつも山の神様へ笛を一曲奏でるのを習わしとしていた。
そんな弥吉の村を鬼が襲い、姉がさらわれてしまう。
山の神様から授かった不思議な笛の力で、弥吉は鬼たちに挑む。
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【一】
今は昔。
豊前のとある山村に弥吉という若い猟師が、姉と二人で暮らしていた。
弥吉は弓矢の扱いが上手く、加えて笛の名手でもあり、狩りへ出た時にはいつも山の神様に笛を一曲捧げるのを習わしとしていた。
ある日の事である。
弥吉は山で一頭の鹿を見付けた。
風下に回り込み弓に矢をつがえたが、鹿はパッと逃げ出した。
弥吉はそれを追い掛け、鹿が足を止めたところで再び矢をつがえる。
鹿は逃げ出す。
弥吉は追う。
それを繰り返すうちに、弥吉は山の奥へ奥へと踏み込んで行き、ついには右も左もわからなくなった。
日は既に沈み始めており、木々の隙間から見える空は赤く染まっている。
野宿出来る場所を求めて、どんどん暗くなっていく山中をさまよっていると、不意に古びた長い石段を見付けた。その石段を目で追っていくと、先に明かりが見える。
(はてな、こんな山奥に人が住んでるのか?)
いぶかしんだ弥吉だったが、背に腹は代えられぬ。とにもかくにも石段を駆け上がった。
登った先には、立派な構えの門があり、明々と篝火が灯されていた。
門番はおらず、門は開け放されたままである。
中に入ると大きな屋敷があった。
弥吉が「ごめんください」と大声で呼ばわると、
「来やれ、弥吉」
と女性の声がする。何故俺の名を知っているのか……不気味に思ったものの、ここまで来れば後はなるようになれだと己を奮い立たせ、弥吉は屋敷の中に入っていった。
奥へと進むと、一人の美しい女性が座って待っていた。
烏の濡れ羽色の髪を長く伸ばし、色艶やかな十二単を着たその女性の耳は、上端がかすかに尖っている。
「よう来た、弥吉。
女性はそう言って、懐から細長い袋を取り出した。
弥吉が恐る恐る受け取り、中身を改めると、なるほど一本の笛が入っていた。黒く塗った上質の竹で出来た本体の両端に、朱に塗った藤を巻き付けてある。
「あくまでも、困った時に吹くのじゃ。みだりに吹くではないぞえ」
女性──山姫の言葉に、弥吉は深々と頭を垂れた。
その後、もう夜も遅いという事で弥吉のために食事が運ばれ、風呂や寝床も用意された。
そうして山姫の屋敷で一夜を過ごした弥吉は、翌朝姫に重ね重ね礼を言って屋敷を出た。
【二】
山から下りた弥吉が見たのは、荒れ果てた村であった。
家々は薙ぎ倒され、田畑はつぶれている。
まるで嵐が来たかのような荒れようであった。
村人を探して歩き回ると、どうやらみんな村外れの寺に避難していたらしい。
「鬼じゃ。鬼が来おった」
弥吉が事情を問うと、村長はそう答えた。
「鬼の群れが風と雷を引き連れてやって来て、荒らして回ったのじゃ。荒らすだけ荒らし回って去っていった。何人かは喰い殺されてしもうた……」
「姉さんは? まさか姉さんも……」
姉の佐奈の姿が見えないので、弥吉は不安げに尋ねる。
「お佐奈は、鬼の頭目にさらわれてしもうた……」
「鬼どもはどこへ行った?」
「雲に乗って、北の空へ消えていった……どうする事も出来ん、あきらめろ弥吉」
だが弥吉は聞かなかった。
佐奈は小さい頃から自分の面倒を見てくれた。自分の笛をいつも上手だと誉めてくれた。優しい姉の朗らかな笑顔を思い出すと、居ても立ってもいられないのだ。
弥吉は家に帰ると、半壊した我が家の下から作り置きしていた矢を全て取り出し、矢筒に詰め込み、斧と鉈を腰帯に突っ込むと、村を飛び出した。
──飛び出したはいいが、はてさて、雲に乗って飛び去った鬼を、どうやって追い掛けたら良いのか? その行方をどうやって探るべきか? ただ『北の空へ消えていった』だけでは、文字通り雲を掴むような話である……
それでも、何もしないよりはマシだ。今は北へ。弥吉はまっしぐらに駆けていった。
そうして三日ほども歩くと見知らぬ山が見えてきた。空は綺麗な晴天だというのに、山の頂上部分に黒雲が立ち込めている。
すわあれこそが鬼の住み処かと思った弥吉は、山を登り始めた。
道なき道を進んでいくと不意に目の前に濃い霧が立ち込めた。
構わず進んでいくと、不意に道が上りから下りに変わり、そして弥吉は山の麓に出ていた。
何度挑んでも同じである。霧が出始めた時、敢えて引き返して別の道を探ろうとするが、その先にも霧が湧いて出て、麓へと戻されてしまう。
困った弥吉は、先日山姫より授かった笛を思い出した。笛は袋に入れられて弥吉の懐中にある。
それを取り出した弥吉は、笛の唄口に唇をあてがい、ヒューッと一音を発した。
自然と指が動き、短い曲を奏でると、その曲に答えるように鳴く声があった。
見れば、一頭の鹿である。全身を白い毛に覆われた、不思議な鹿であった。
その白鹿が、また一声鳴いた。弥吉に『ついてこい』と言っているかのようで、弥吉はその鹿の後を歩き出した。
再び霧が立ち込めてきた。
その霧の中を、鹿が声を上げながら進んでいく。
弥吉は鹿の鳴き声を頼りに進んでいき、やがて霧が晴れると、目の前には物々しい構えの城門がそびえていた。
鹿はどこかへ姿を消していた。
【三】
門番はいなかったが、門も、その左右からどこまでも続く城壁も、とても高く、簡単には越えられそうになかった。
弥吉は近くの木に登り、そこから城壁に飛び移ろうと考えて早速実行したが、ここでも怪しい力が彼を阻んだ。木のてっぺんにまで登っていざ飛び移ろうとすると、城壁はその木の倍にまで高さを増したのである。
やむを得ず、弥吉は木から下りた。
もしやどこかに穴など空いてないかと思って、城壁の周りをぐるりと回ってみたが、小さなひび割れすら見当たらなかった。
途方にくれた弥吉は、再度山姫の魔笛を吹いてみた。
すると藪の中から数頭の
貉たちは城壁のそばで一斉に地面に穴を掘り始める。
小一時間もすると、人が一人通れる大きな穴が空き、弥吉はその穴をくぐって城壁を越え、鬼の城へと潜入出来た。
城の中には鬼どもがあちこちで酒盛りをしていた。
姉の捜索は、夜になって鬼どもが眠るのを待ってからの方が良かろうと考えた弥吉は、それまで身を隠す場所を探した。
足音を忍ばせ、息を殺して城の裏側へ回ると、そこにはみすぼらしい長屋があり、一人の老婆が洗濯をしていたが、弥吉の姿を見て驚き、すくみ上がった。弥吉はそれをなだめて、自分は鬼にさらわれた姉を助けるためにここに来たのだと話した。
「あんたは人間のようだが、何故こんな所にいるんだ?」
「わしだけではない。鬼どもに小間使いとしてさらわれて、こき使われておる人間が何人もおる。今はみんな雑用で出払っとるがな」
「俺の姉さんがどこにいるか、あんた知らないか?」
「わしゃ知らんが……そういえば三日ほど前に、七嶽之王が新しい女を調達してきたと喜んでおったな。それがお前さんの姉かえ?」
「ななたけのおう?」
「鬼の頭目の名前じゃよ。城のてっぺんに住んでおる。しかしあやつは種々の妖術に長けておる上に不死身じゃ。この世の武器では傷一つ付けられぬ。あれを倒すには竜王丸でなければ……」
「竜王丸?」
「かつて天より遣わされ、千匹の鬼を喰ろうた竜王が変化した、この世のものならぬ太刀の事じゃ。しかしその竜王丸も七嶽之王がどこぞに封印したという……もはやあやつを倒す術などどこにもないのじゃ」
老婆はそう言って嘆息した。
そして弥吉に、姉の事は諦めて早く帰るようにと諭した。夜になるまで自分たちの長屋に隠れているといいとも言ってくれた。
弥吉は老婆の長屋に身を潜めて夜を待つと、老婆に礼を言って長屋を出た。
しかしまだ帰るつもりはない。帰るのは姉を救出してからだ。
鬼どもが寝静まった城の中を、天守閣目指して進んでいく。
城は三階建てで、その最上階にまで登ると、女のすすり泣く声がした。
時々、弥吉の名を呼んでもいる。
姉の佐奈であった。
姉は生きていたのだ。
弥吉はそっと足音を忍ばせ、姉の元へ駆け寄った。
佐奈も弟が無事だった事を喜んだ。
「七嶽之王はどこにいる?」
「あの襖の向こうよ。あいつはとても用心深くて、誰も信用してないから、いつも妖術で守られたあの部屋で一人で寝てるの」
「あいつを倒すには竜王丸っていう刀がいるらしいんだ。姉さん、何か知らないか?」
「わからないわ……でも七嶽之王は毎日離れの塔に小一時間ほど籠っているの。昨日は変な事を言ってたわ。竜が自分を喰い殺す夢を見たって」
姉の話に、弥吉は竜王丸はその塔にあるのではないかと思った。
鬼の王はその封印した太刀を手元に留め置き、その封印が解けたりしないか毎日確かめているのだろう。
弥吉は姉にその塔まで案内してくれるよう頼んだ。
塔は城の東にある。扉だけであり、窓は一つもない。
そして扉は、大きな錠前で施錠されてある。
弥吉は斧や鉈で叩き壊そうかと思ったが、その音で鬼どもが目を覚ましては大変だ。
そこで、山姫の魔笛を吹いてみた。
するとどこからともなく小猿が現れる。
弥吉が「この錠前の鍵を探してくれ」と頼むと、小猿は城の中へと入っていき、しばらくすると一つの鍵を手にして戻ってきた。
その鍵を錠前に差し込むと錠は外れて、扉が開いた。
中にはしかし、井戸があるだけだった。その井戸には大石で蓋がされてある。姉弟が二人がかりでその石をどかすと、井戸は枯れ井戸で、底に箱のような物が見えた。
あの箱に竜王丸が封じられているのだろうか? 井戸の縁から身を乗り出して覗き込む弥吉の耳に、姉の小さな悲鳴が聞こえた。
弥吉が振り向く間もなく、大きな手が彼の背中を押して、井戸の中へと突き落とす。
次いで姉も落っこちてきた。
見上げると、井戸の上から一匹の鬼が見下ろしていた。
額に三本、頭の左右から二本、計五本の角を生やした鬼であった。
この鬼こそが七嶽之王であった。
「竜が目覚める夢を見たのでもしやと思って見に来たが、正解だったようだな。その太刀を盗もうとしたところで無駄な事よ。箱には厳重に封をしてあるし、竜王丸その物にも眠りの秘法を施してある。貴様等ごときにはどうにもならぬわ。明日になったら喰い殺してやるから、そこで震えておるが良いわ」
鬼の王はせせら笑って去っていき、扉の閉まる音と錠前が掛けられる音が聞こえてきた。
もはやこれまでと佐奈はすすり泣くばかりだが、弥吉は諦めなかった。
箱は鉄製で、弥吉の腕ほどもある太い鎖が
もっとも、仮に鎖を断ち切れたところで、太刀その物が鬼の妖術で眠らされているとあっては、どうにもならないのではなかろうか?
弥吉はここで、山姫の魔笛の力にすがった。人ならざる者の力を打ち破れるのは、人ならざる者の力しかあるまい。山を統べる山姫の力が鬼に及ばぬなどという理屈があるものか。
弥吉は懐から取り出した魔笛を奏でた。
笛の音が井戸の中に粛々と響き渡る。
目覚めろ竜よ! 目覚めてくれ!
弥吉は心の中で叫びながら、笛を吹き続けた。
すると、箱がカタカタと震え出した。
蓋が内側から押し上げられ、隙間から光が溢れ出る。
太い鉄鎖が引きちぎれ、蓋が吹き飛び、中から光が大噴出した。
その光は塔を破壊して城の上空にまで届くと、一匹の巨大な竜に変わった。その背に、弥吉と佐奈が乗っていた。
これぞ天が遣わした鬼喰いの竜王。鬼の妖術に不覚を取った雪辱とばかりに咆哮を上げると、にわかに空が曇り、無数の雷が降り注いで、突然の事に驚き飛び起きた鬼どもを片っ端から貫き、焼き殺していった。
竜は加えて、口から火炎をほとばしらせ、巨体をうねらせて、城を焼き、破壊していく。
ものの十分ほどで、鬼の城は呆気なく壊滅した。
竜は城の中庭に姉弟を下ろし、自らは太刀に変じて地に突き立った。
そこへ現れたのは、寝所に戻っていた七嶽之王であった。城を壊され、手下を殺され、ただでさえ恐ろしい形相が憤怒と憎悪でより醜悪に、より獰猛に歪んでいた。
「俺が苦心して封じた竜王丸を、よくも解き放ってくれたな! 許さん!」
七嶽之王は身の丈を越す鉄の棍棒を振り上げ、弥吉目掛けて振り下ろした。
弥吉はとっさに、地面に刺さっていた竜王丸を抜いて、その棍棒を打ち払う。
太刀の方が折れてもおかしくはなかったが、この竜王丸はこの世のものならぬ天が遣わした物である。鬼の武器など何する物ぞ、泥のようにたやすく棍棒を切断した。
弥吉は鬼の懐深くに飛び込み、竜王丸を振るって、一撃でその首を刎ねた──否、竜王丸が弥吉の身体を操り、そうさせたと言うべきか……少なくとも、弥吉にはそう感じられた。
鬼の首が地面に転がり、胴体もバタリと倒れた──かと思うと、首だけが宙に舞い上がり、口から火を噴いた。
弥吉が咄嗟に矢を放つと、その矢は見事鬼首の眉間を撃ち抜いた。
首は再び地面に転げ落ち、そして二度と動かなくなった。
鬼の不死性は竜王丸に斬首された時点で失われていたのである。
鬼王の最後の足掻きであった。
戦いが終わると、竜王丸は再び竜の姿になって、飛び去った。
【四】
夜が明けて、弥吉は城の裏手に囚われている老婆たちの元へ向かった。
だが長屋には誰もおらず、ただ人数分の白骨が転がっているのみであった。
老婆たちは恐らく、七嶽之王の妖術によって、死してなおも働かされていたのだろう。鬼王の死によって、今彼女たちも解放されたのだ。
姉弟は老婆たちの骨を弔い、山を下りた。
姉を取り戻し、鬼を退治した弥吉は、その後は魔笛を吹く事もなく平穏無事に暮らした。
しかし、魔笛を授けてくれた山姫への感謝は忘れず、山に赴く際には必ず山姫へ笛を一曲捧げたという。