2月14日、世間一般で言うバレンタインデー。
本来のバレンタインはとある聖職者が迫害された日だのヨーロッパでは大切な人に贈り物をするだけであってチョコの必要はないだの言われているが、ここは日本なので日本の文化に従う人が殆どだ。
というよりも、普通にチョコを貰いたいだけの人間もいる。それが浜矢だ。彼女は全国大会にも出場したので、多少は貰えるだろうと期待に胸を膨らませていた。
「鈴井ー! チョコ貰ったー!?」
「うるさい……貰ったよ」
「なーんで鈴井のが多いんだよ……私5個しか貰ってないのに」
「それだけあれば十分でしょ」
鈴井は12個、浜矢は5個という格差。
同じ一年生なのにこの差が出る理由は恐らく活躍度合いと立ち振る舞いの違いが大きい。
ショートとして攻守に渡って活躍した鈴井と、投手としては中々の活躍をしたがサヨナラタイムリーを打たれてしまった浜矢。
根は真面目で大人びているのだが活発に振る舞っている浜矢と、常に冷静沈着な鈴井。
同級生からの鈴井人気が高いのも頷ける。
「食費浮くからもっと欲しい」
「急に現実的な話をしないでよ……」
「日持ちするから出来れば市販品で」
「バレンタインでそんな注文付けてんの、多分伊吹ちゃんくらいだよ」
普段は食費を削る事を考えて買わないだけで、浜矢はお菓子が苦手ではない。寧ろ好きな方だ。そんな彼女にとってバレンタインは、滅多に食べられないチョコを食べられる特別な日という印象。
市販品を強請っているのは日持ちするという理由と、単純に甘い物を大量に食べられないから。数は少なくても折角貰った物なのだから、全て美味しく食べたいというのが浜矢の本音。
「せんしゅーから貰ったのは市販のだったから助かったなぁ」
「えっ」
「んん? まさか鈴井……」
「私の手作りだったんだけど」
嫉妬のような感情が浜矢の心の中に湧く。
浜矢は千秋の事を恋愛的に好きという訳ではないが、二人しかいない同級生内で差を付けられて嫉妬するのは仕方ない。
「伊吹ちゃんの事を考えて市販のチョコにしたんじゃないの?」
「なるほど? むしろ私の事が好きってことか!」
「はっ? いや普通に私の方が好きでしょ、手作りなんだし」
「せんしゅーからの愛はやらんぞ!!」
こういう話に鈴井が乗ってくるのは珍しい。それだけ彼女も千秋に懐いているという事だ。
結局、お互い貰えるだけありがたいという結論で言い争いは終わった。
そして放課後の部活の時間。先輩たちは文句無しに貰っているだろうと思い浜矢が部室に入ると、机の上にチョコが入った紙袋の山が出来ていた。
「金堂先輩が一番貰ってるの、少し意外なんですけど……」
「私自身そう思ってるよ、なんでだろうね?」
「そりゃ大人っぽい方が好きなんだろ? 特に後輩とかは」
「監督〜! 私達に救いの言葉を!」
後落ち着いていて頼り甲斐のある、いかにも大人といった先輩の方が後輩からの人気が出やすい。
青羽も落ち着いている方だが、素の彼女を知らない人からすると怖いと思う事の方が多いだろう。
貰ったチョコを眺めて微笑んでいるのも、野球部の人間以外は知らない。
「柳谷先輩とかはエグい数貰ってそうですよね」
「球団のバレンタインのチョコ貰った数ランキング1位だって」
「ルーキーでそれですか……」
「寧ろルーキーだからだろ? 人気がある時期だし」
全国大会で活躍したスーパールーキーの入団直後というのは、一番人気がある時期。
彼女たちは今頃、キャンプ地のホテルでチョコの山を見ているのだろう。
「糸賀先輩もチーム内トップスリーくらいには入ってるらしいよ」
「朱里さんが毎年1位なんだっけ」
「相手が悪すぎるなぁ」
今の日本球界に、神田(朱)より貰える人など居ないのではないか。神田(朱)はかなりの美形、というよりも神田家は美形揃いだ。
神田(翠)も性格こそアレだが顔はずば抜けて良い。
「中上先輩の所はまだ公表されてないんですよね」
「……中上なら、さっき相良に数負けて煽られたってメッセージ送ってきたぞ」
「中上先輩……」
「てかめっちゃ仲良くなってますね」
中上と相良はいつも一緒に居ると球団広報のSNSにも投稿されていた。食事をする際の席もわざわざ隣に座っており、何だったらドラフト1位と2位なのでホテルも相部屋だ。
「私達もプロ入ったらそんくらい貰えるのかな」
「球団にもよるだろうけど……それでも一般人よりかは貰えるよね」
「楽しみだなあ!」
「……そういうのって、食べられはしないんじゃないんですか?」
球団にもよるが、基本的にはファンの人から貰った飲食物は口に入れない。ファンを装ったアンチが何を入れてるか分かったものではない。手作りであれば余計に。
「ま、まぁ貰った数がステータスになるし……」
「バレンタインでマウント取るんですか?」
「むしろ伊吹は取らないの?」
「取れるほど貰える気がしないんですけど……」
浜矢の場合、同い年に美形が多いのが厳しい。飛鷹に斑鳩と鈴井、あとは最大の壁である神田。この辺りにメディアと一般客からの人気を奪われている。
まあ彼女も初心者でここまで活躍したり、実は顔もそこまで悪くなかったりするのでコアなファンが付いてはいるが。
「それより! 練習始めるぞー」
「はーい」
バレンタインだろうと部活は普通にある。今日はサッカーをやらずに通常の練習。浜矢はキャッチボールを終えた後、鈴井を相手に投げ込みを始める。
「ナイピ、フォーク良い感じだね」
「これなら全国相手にも通用しそうかな」
「それは厳しいかな。一球種が良くても他が良くなきゃ打たれるし、それにコントロールはまだアバウトだから」
飛鷹や神田のようなミート力も兼ね備えたパワーヒッターは抑えられないと鈴井は言う。
「なら、あの二人にも通用する球を投げられるようになればいいんだな」
「そうだね、私も付き合うから頑張ろう」
「鈴井がそう言ってくれると頼もしいよ」
捕手の鈴井にもだいぶ見慣れてきた。
キャッチングが非常に上手くて返球も胸元から逸れず、それに意外と褒めてくれる。
普段あんな冷たい対応をしているので一切褒めてくれないのではと浜矢は予想していたが、いい意味でその予想を裏切られた。
そもそも鈴井が冷たい対応をするのは浜矢が変なテンションで変な事を言ったりするからであり、野球が関わればあまり冷たくしない。
「鈴井的にさ、飛鷹と神田どっちのが怖い?」
「悩むけど飛鷹かな、何でも当ててくるじゃん」
「確かに」
「インハイで仰け反らせてもその次のアウトロー打てるとか、普通できないよ」
打率だけなら神田よりも飛鷹の方が高い。そして彼女の場合は走塁技術も兼ね備えており、そう言った意味でも神田より厄介だ。
「どちらにせよ、今のままじゃ打たれるだろうね」
「ストレートも磨かないとな」
「というか全部だね、全部の球をカウントも取れて空振りも取れるような球にしたい」
「そこまでしないと抑えられない、か……」
それくらい強い方が燃えてくるというもの。一流のアスリートなぞ負けず嫌いばかり。浜矢もそちら側にだいぶ染まってきた。
「来年こそ神田に勝つぞ!」
「あの鼻っ柱をへし折ってやろう」
二人して不穏な事を言っているがまだ落ち着いている。当時は暴力に訴えかけようとしていたので、それと比べるとマシな方だ。
それに、野球選手なら野球で決着を付けるのが筋というものだろう。
(待ってろよ神田、必ずお前に勝つからな)