4月末、世間はGWの話題で持ちきりだ。
しかし野球強豪校ともなればそんな物は存在せず。
「今年も合宿するぞ!」
「うへー……休みは無いんですね」
「他校よりか練習時間短いんだから頑張れ!」
灰原の方針により至誠は短時間で効率の良い練習をこなしている。
他の強豪校は22時前後まで練習をしているのに対し、至誠は遅くても20時には片付けを終える。
それでも神奈川という激戦区を制したのは、プロで得たトレーニングの知識や厳しい上下関係を無くし遠慮しない環境を整えたのが大きい。
「場所はどこなんですか? あんま遠くには行けないですよね?」
「宿舎もあるし学校でやるぞ」
「えーつまんない……」
岡田を始めとした一年生が不満を漏らす。
寮生の彼女達からすれば、夜の学校など見慣れた景色であり別段テンションの上がる物ではない。
「文句言う奴は厳しくいくぞー?」
「全く不満などございません!!」
効率は良いが、決して楽ではない練習内容。
それが更に厳しくなれば身体がついていかないのは明白で、不満を漏らした面子は掌を返した。
そして合宿当日、寮生以外も荷物を用意し学校に集まる。ここにいる全員がこの合宿で大きく成長しようと意気込んでいる。
「言い忘れてたけど、合宿の最終日には試合組んであるから」
「ダブルヘッダーですか?」
「残念ながら一試合だけ」
その分試合後の練習に当てられる時間が増える。
元々試合経験が豊富なメンバー、勝負勘は既に十分あると判断し地力を上げることを選んだ。
「じゃあ合宿開始だ! 投手と外野はグラウンドでフリー打撃、内野は室内で千秋のノック!」
灰原の一声で選手が室内と屋外に分かれる。
投手陣は肩慣らしのキャッチボール、外野陣は素振りから始める。
初めに浜矢がマウンドに上がり、打席には青羽。
捕手はもちろん鈴井で球審は灰原だ。
(青羽先輩はストレートが好きだし、変化球でカウント稼ぐよ)
スライダーのサインに頷いた浜矢は左足を引く。
ぎこちなさが消えたそのフォームから放たれた変化球は、斜めに滑るように曲がっていき外角に構えたミットへ収まる。
「良い変化するんだな」
「今日がたまたま調子良いだけですよ」
(とはいえ、たまたまでもこのスライダーが投げられるのは成長の証かな)
鈴井は口ではそう言うが、実際の所は高い評価をしていた。相変わらず素直ではない。
昨年よりも曲がりが大きく制球も効くようになり、カウント稼ぎにも決め球にも使える優れた球だ。
今の浜矢の決め球は、と聞かれた際にストレートもしくはスライダーと答える人は多いと予想される。
そのクラスまでスライダーは磨かれている。
なお観客がスライドフォークを見た瞬間、一気に決め球争いに食い込んでくる模様。
(フォークはまだ温存したいしツーシームで、引っ掛けさせられるかも知れないし)
鈴井が内角低めに構えた瞬間、浜矢は嫌な予感がして首を横に振る。マウンドから見える青羽の姿から何かを感じ取った。
(内角がダメなの? けど外も飛ばされるしな……ならボールからストライクになるように投げてよ)
ツーシームは利き手側に曲がる変化球、浜矢は右利きなので右打者の内角を抉る軌道になる。
青羽は右打席に立っている、つまり外角に投げれば青羽からすればボールからストライクに入ってくる打ち辛い球となる。
鈴井の意図を読み取った浜矢は、外角のボールゾーン目掛けてツーシームを投げる。
シュート方向に曲がりながら沈むツーシームは、バッテリーの思惑通りストライクゾーンへと向かっていく。
ボールを受け止める準備をしている鈴井の視界にバットが入ってくる。
そのバットが白球を捉え痛烈な打球がライト方向へと飛ぶ。
「ちっ、ファールか」
(あぶな……もう少しタイミングが早ければホームランにされてたかも)
打球は惜しくもラインを割りファールとなった。
タイミングがズレていただけで、球自体は真芯で捉えられていた。青羽のパワーなら簡単にホームランに出来ただろう。
(ならフォークいくよ、伊吹ちゃん!)
(おう! 先輩に見せつけてやるぞ!)
ストレート、スライダーと来て新しく決め球候補に挙がったスライドフォーク。
手元で鋭く落ちるこの球には、流石の青羽も対応出来ず空振りの三振に終わる。
勝負には負けたものの、何かを掴んだような表情の青羽に灰原が近づく。
「三振だったけど手応えはあっただろ?」
「はい」
(この調子なら大会までには間に合いそうだ)
青羽は自身の打撃スタイルを変えるべく急いでいた。根本から変えるのではなく、一部だけ。
もっと四番に相応しいバッティングが出来るようにと研究を続けている。
「二人ともありがとうな」
「いえいえ! こちらこそ楽しかったです!」
「またよろしくお願いします」
三人はそれぞれ礼をしてからグラウンドを離れる。
洲嵜や神宮もマウンドに上がり、伊藤と組みながら外野陣プラス鈴井と戦った。
しかし洲嵜に食らいつけたのは青羽と鈴井の二名のみであった。
「よーし、次はゲッツーいくよー!」
グラウンドでフリー打撃をしている一方、室内練習場では千秋の内野ノックが行われていた。
二遊間を守るのは三好、菊池、石川の三人。
石川がショートとセカンドを交互に守り、組み合わせを変えながら行う。
「ナイッスロー」
「キャプテンって捕るの上手いので、こっちも楽に投げられますよ!」
「そう? ありがとう」
ファーストは世間一般的に、守備力が低い選手がやるポジションと思われがちだ。
しかしアマチュアレベルであれば送球の精度に問題がある内野は珍しくなく、その送球を全て受け止めなければならないファーストこそ守備力が必要だ。
(上手いファーストがいるだけで内野の守備レベルは上がる……キャプテンには感謝しなくちゃ)
千秋もそんな考えの持ち主であり、内野陣の中で菊池に次いで捕球が上手い金堂がファーストだから内野のエラー数が減っていると分析する。
「サードいきますよー!」
「こーい!」
緩い打球に猛チャージして捕球し、一塁に目掛けて低く鋭い送球をする山田。
右に逸れた送球を金堂は脚を開いてキャッチする。
「ごめん! 神奈ありがとー!」
「これくらいなら捕れるから気にしないで」
(ここまで上手いと、キャプテンの後継者探しは大変かな……なるべく良い選手は獲りたいけど)
金堂は今年で卒業なので、当然新入生でファーストを獲得する必要がある。
金堂は高い守備力を持ちつつ類希なミート力も兼ね備えている。守備面でも攻撃面でも大きな穴が開くのは必至。その穴を埋められる中学生など殆ど存在しないだろう。
(山田先輩に青羽先輩もいなくなると、本格的に長打力不足になる……最悪打力重視のスカウトも考えなくちゃいけなさそうかな)
浜矢は成長しているがまだ物足りないし、鈴井はミート力はあるが長打力は無い。
一年生を見ても打撃が得意な選手自体がおらず、打力不足になるのは防げない。
その為来年の新入生は、全体的に打力重視のスカウトになってもおかしくはない。
(けど大会の結果次第かな。夏大で成長した選手が多ければスカウトできる選手の幅も広がるだろうし)
補強ポイントが分かるのは大会が終わってから。
そこで成長する選手が多ければ補強しなければならない箇所は少なくなり、ある程度自由に選手をスカウト出来る。
その為にもこの合宿で総合力の底上げをし、夏の大会で何かを掴むきっかけを作らなければならないと千秋は感じていた。
打球音と捕球音、そして足音や選手たちの声が響き渡る練習場とグラウンド。
一日目は守備練習をメインに終わっていった。
選手たちが片付けをしている最中、小林は合宿所のキッチンで夕飯を作っていた。
「すみません先生、手伝って貰って……」
「私は野球に詳しくありませんから、これくらいは手伝わせて下さいください」
顧問でありながら野球という競技に詳しくない。
普通の学校では珍しくない事だが、ここは強豪校の至誠だ。
そこに少なからず負い目は感じているのだろう。
「それに千秋さんは一際頑張っていますから、少しでも負担を少なくしたいんですよ」
「そんな、私なんて……! ただ好きだからやってるだけですよ」
「でしたら私も好きでやっているんですよ、家庭科の教師ですから」
優しく微笑みかけながら千秋にそう語る。
元々料理や裁縫が好きで家庭科教師になった身、この言葉も事実だろう。
「ありがとうございます、本当に助かります」
「ふふっ、気にしないでもっと頼ってくれていいんですからね?」
(分かってはいましたが、千秋さんは人に頼るのが苦手そうですね。私や灰原監督くらいには頼ってくれてもいいのですが……)
“何でも出来る”そう思われているのを自覚しているからこそ人に頼れない。
しかし灰原や先生は千秋の倍近く生きている大人、その二人からすれば完璧と言われる千秋も周りと同じ高校生だ。
「……少しだけ、頼っても良いですか?」
「もちろんです! 可愛い生徒の頼みとあれば断るなんて選択肢はありませんよ」
二人は和やかな空気のまま夕食作りを進めていく。
暫くして、片付けと入浴を終えた選手達が集まってくる。
「腹減ったー!」
「もうご飯できてるよ! 先生が作ってくれたんだ」
「あれ? せんしゅーは作ってないの?」
「私は明日のメニュー考えてたんだ」
(先生が全部やってくれたから、私はメニュー作りに集中できた。休んでないってちょっと怒られちゃったけどこれで良いんだ)
今日の練習中の動きを見て、翌日のメニューを少し組み直した千秋。
休ませる為に小林は頼みを聞いたのだが、千秋は野球に触れていないと落ち着かないようだ。
「一年生は特にいっぱい食べてね! 身体大きくして夏乗り切ろうね!」
「はーい! いっただきまーす!」
食べ盛りの高校生が十四人だ、山盛りのご飯とおかずがあったとしても一瞬で無くなる。
「先輩! この後って自由時間ですか!?」
「そうだよ、遊んでても良いけど寮が近くだから静かにね」
「はーい、友海! 早紀! ボードゲーム持ってきたから遊ぼー!」
「負けないぞ!」
神宮、荒波、岡田の三人が集まり遊んでいると、石川や菊池も寄ってきて参加する事に。
最終的には一年生全員が参加する大所帯でのゲームになった。
そんな楽しい時間を過ごしている後輩たちとは打って変わって、宿舎の裏では浜矢が自主練をしていた。
「伊吹ちゃん? 素振りしてたんだ」
「うん、やっとバッティングにも手応え感じてきたしモノにしたいなって思ってさ」
浜矢は昨年に比べスイングスピードも上がり、変化球の見極めも出来るようになった。
「打率こそあまり変わらないけど、良い当たりは出るようになってるしね」
「そうそう、上手くいけば中上さんと同じくらい打てるかなって」
野手の正面に行ってしまうだけで、打球の質自体は格段と上がっている。
あとはタイミングを合わせられるようになれば、チーム内でも上位の打力は身につくだろう。
「鈴井は何してたの?」
「私も素振りしようとしてたんだよ、今年は打撃も求められてるし」
「あー、一年貧打だもんな」
(私が言えたことではないけど、岡田とか荒波は私より下位打ってたしなぁ)
この二人も打力の低下には危機感を覚えていた。
特に浜矢は自分よりも下位を打つ後輩の存在を重く見ている。
「せんしゅーたちも大変だなぁ、スカウト候補のリストアップ」
「今年は守備重視で獲ったって言ってたし、逆に来年は打撃重視かもよ」
「投手としてはそっちのがありがたいな」
いくら守備が良くて無失点に封じ込められても、点が入らなければ試合に勝てない。
浜矢のような奪三振率が高く守備を頼らない選手からすれば、打撃型のチームの方が嬉しい。
「今年も勝ち上がって佐久間に会いたいな」
「意外、蒼海大の打線とはもう戦いたくないとか言うと思ってた」
「私だって成長してるんですー! それに佐久間はライバルだし!」
(初めて私のことをライバルだと認めてくれたんだ、アイツの目は狂って無かったことを教えてやりたい)
自身が不甲斐ない投球をすれば、そんな自分に目を掛けた佐久間に失望されるのは分かっていた。
そんな事が無いように浜矢は投手としての成長を続けていた。
「そういや鈴井ってライバルいないの?」
「いないかな」
「神田は?」
「あれはただのムカつく奴」
(気持ちは分かるけどキッパリ言うなぁ……)
浜矢も神田のことをライバルとは思っていない。
しかし、鈴井と同じで見返してやりたいという気持ちは強く持っている。
「佐久間にも勝って、神田も見返す! それが今年の目標だな!」
「だね、だから生半可な投球はしないでね」
「なら鈴井も酷いリードはするなよ!」
星空の下でバッテリーはお互いを焚き付け合う。
群青の瞳と琥珀の瞳を持つ二人の心は赤く燃え上がっていた。