今年もまたGW合宿が始まった。
監督と千秋は指導を、小林と春宮はドリンクの準備をしている。
「川端は三塁線の打球捕る時に、正面に入るの直そうな」
「けどずっとそうやって教わってきたんですけど……」
「中学と高校じゃ打球の強さは違う、三塁線の打球は全部逆シングルで捕るくらいの意識でやらないと」
「監督が言うならそうなんですね」
プロで三塁手を守った経験のある監督。
その彼女が言うのであれば、間違ってはないだろうと判断した。
「そもそも正面に入ると捕りにくいだろ、体で止めたとしてもそれで怪我したら意味ないし」
「まあそうですね、実際それでアウトに出来なかった事もありますし」
「ウチではどんなやり方でもいいから、とにかくアウトを取ることを重視してるからな」
茶谷のような派手なプレーでもいい、上林のような基本に忠実なやり方でもいい。
とにかく取れるアウトを逃さなければ何でもいい、それが監督の守備に対する考え方だ。
「だからベアハンドだってやっていいんだぞ、てかそれじゃなきゃ間に合わないのであれば迷わずやってくれ」
「ジャンピングスローもいいんですよね、至誠って自由ですよね……」
「基本が出来ているのが前提ではあるけどな」
基本に忠実すぎるのも良くないが、難しい派手なプレーばかりするのも好ましくない。
状況に応じて最適なプレーが出来る選手を求めている、と監督は言う。
「そういう点では、鈴井とか上林辺りを見習うといいかもな」
「確かに……真希って時々大胆なプレーする時ありますしね」
「ああ、あれはその動きじゃないとアウトに出来ないって分かってるからだな」
上林のプレーこそ、監督が理想としているものだ。
それを川端に教え込むべく、付きっきりで練習をする。
「ボールを捕る前の左足は力を入れて、捕った後は右足に力を入れて……そうそう! それで姿勢を低くしたまま切り返して一塁送球」
「こうですか?」
「上手いじゃん、毎日続けていけばもっと上手くなるぞ」
「……ありがとうございます」
川端は赤面しながら、恥ずかしそうにグラブを弄る。
同じ三塁手である監督に褒められた事は、彼女にとってもかなり嬉しい事だったのだろう。
「基礎は十分すぎるほど出来てるから、応用もサラッと出来るんだな」
「そうなんですかね……あまり自覚は無いです」
「このままいけば、私の現役時代より上手くなれると思うぞ」
「そ、それは流石に言い過ぎじゃ……」
怪我で肩こそ弱かったものの、守備の安定感は流石と言ったところだった。
恐らくフルシーズン出ていればGG賞も夢ではなかっただろう。
監督が熱心な指導を仰いでいる側で、千秋も外野陣に練習指示を出していた。
「2年生4人はこれね!」
「何ですかこれ?」
「中上さん達が寄付してくれたピッチングマシン! 変化球も対応してるから4人にはぴったりだと思うよ」
「おお……! これでいつでも打撃が鍛えられますね!」
投手が4人いるとはいえ、人である以上1日に投げられる球数には限度がある。
更に全球種を投げられる訳ではないので、自分の苦手な球種を投げられる投手がいなかった場合は対策が出来ない。
このマシンはそんな悩みを解決してくれる。
「球速もかなりの速さまで対応してるよ」
「完璧じゃないですか! よーし、バリバリ打つぞー!」
「私も私も!」
「落ち着きなよ……私がやる時間取っといてよ!」
4人とも大興奮でマシン打撃に近寄る。
荒波は外角の変化球を、石川は内角の速球を、三好は速球を、岡田は変化球も速球も全て対応出来るように打ち込む。
川端の指導が終わった監督は、栗原と茶谷に狙いを定めた。
「さてと、魔の一二塁間をどうにかしなくちゃな」
「何ですかその呼び方ー!」
「監督がそんな事言っちゃいけないんだー」
魔の一二塁間、と呼ばれご立腹な2人。
そんな2人の反論は気に求めず監督は話を続ける。
「栗原は一塁ってことを考えたらエラー多いし、茶谷は送球雑だし……魔の一二塁間だろ」
「まあ打撃型ってことで……」
「だとしても許容出来ないから守備練やります」
監督の指導からは逃れる事は出来なかった。
栗原は守備力の底上げを、茶谷は送球の精度を上げる為練習を始める。
――栗原はとにかくノックだな……川端とは逆で基礎をしっかりこなさないと。茶谷は壁当てでもしてもらうかな、地味だけど精度は上がるだろ。
「茶谷は壁当てな」
「えー、地味っす」
「ただ呆然と当てるんじゃなくて、的を作ってそこを狙って投げてくれ」
「はーい」
渋々とだが、言う事は聞いて壁当てを始める。
普通に当てて返ってきたボールを掴みまた投げ返す。
それだけではなく、ノックを打ってもらい実際の打球を捕ってから的に当てる練習もする。
「栗原は……意外と強い打球は捕れるんだよな」
「イレギュラーとかワンバンが苦手です……」
「とにかくバウンドする打球が苦手と……一塁でそれって致命的だぞ」
「ですよねー……ウチの内野肩強い人少ないから、皆結構ワンバン送球してきますし」
川端と上林は肩があまり強くはない。
平均程度はあるが、強肩かと言われればそうではない。
その為難しい打球を捕った際はワンバウンドでの送球が主となる。
「イレギュラーとハーフバウンドは捕れなくても仕方ない! けどワンバンは絶対合宿中に捕れるようにするぞ!」
「はいっ! いくらでも練習しますっ!」
その宣言通り1時間にも渡るノックが行われたが、栗原は弱音を吐く事なく打球を受け続けた。
「よしっ、終わり! 飲み込み早いなー、偉い偉い」
「えへへっ、伸び代はまだまだありますよ!」
「なら監督の私がそれを伸ばしてやらないとな」
厳しいノックの後に褒められてご満悦の様子。
ノックを受ける前と後では、バウンドした球への対応力が見違えるように上手くなっていた。
「投手の皆さん、ドリンクはここに置いておきますね」
「あざっす! じゃあ春宮タイム頼んだよ」
「任せてください! まずは3分間ストライク投げっぱなしで!」
「了解、いつでも良いよ」
室内練習場では、投手陣と捕手でインターバルピッチングを行っていた。
捕手の人数不足によりまずは浜矢と牧野の2人から行う。
「マッキーはコントロール良いね」
「けど球威は無さそうかな……浜矢先輩は凄いね、風を切る音が聞こえてくる」
「シューって音するよね! でもコントロールはあんまり……」
――空よりかはマシって言いたいな……。
「今私よりはマシって思ったでしょ!」
「バレた?」
「いやまあ自覚してるしね……」
そう言って項垂れる神宮の頬を突く洲嵜。
「やわらかい……正月太りまだ残ってる?」
「元からですー! 体重はもう元通りだもん!」
そんな風に2人が戯れている間に、3分間の投球は終わり春宮が終了の笛を鳴らす。
「浜矢先輩お疲れ様です」
「ありがと」
「マッキーお疲れ!」
「ありがとうございます」
浜矢には春宮が、牧野には神宮がドリンクを手渡す。小林と洲嵜がタオルを渡し2人は汗を拭く。
「えー、2分休んで1分で肩作って、今度は3分で外のストレート! 18球投げて下さいね」
「りょーかい」
全て3分間の投球ではあるが、指示は毎回違う。
最初はどの球種でも良いのでストライクを投げ、今回は外角のストレートのみ。
しかも時間内での球数指定もある。
「みなさんこんな練習やられてたんですね」
「良い練習でしょ? 実戦の感覚掴めるし」
「ですね、普通の投げ込みより効果ありそうな感じがします」
牧野と浜矢がこの練習について話していると、春宮から2分経過の合図がされた。
「よしっ、肩作って外の直球か」
「18球投げて下さいね」
「了解」
1分で肩を作り外角へと投げ込む。
捕手はスコアカウンターでストライクとボールの割合を測る。
「終わりでーす! また2分休んで1分で肩作って、今度は内角のストレート!」
「ふぃー、キッツイ……」
「伊吹ちゃん11球しかストライク入ってなかったよ、せめて13球はストライク投げて貰わないと」
「あれ、そんなもんだった? 次から気を付ける」
何球ストライクが投げられるかの基準も決められている。
浜矢とは対称的に、牧野は18球中15球ストライクを投げていた。
「はい、休憩終わりです! 内角のストレート18球!」
「もう終わりか……頑張ろ」
「意外としんどいですね、これ……」
休憩が挟まれる度に、また肩を作り直さなければならない。
その為疲労がどんどん蓄積されていき、より実戦に近い感覚を掴める。
「内角投げられるようになれば、投球の幅も広がるもんね」
「空はノーコンなのに内角バンバン投げるから怖いんだよね」
「でもそこまで当ててないよ?」
「そのメンタルが羨ましいよ……」
メンタルが強すぎて何事にも動じないというのは、投手としては良い事なのかも知れない。
「終わった……疲れた……」
「さ、最後は外に変化球です……15球」
「3分で15球か、ゆっくり投げられるね」
直球を3回投げ終わり最後は外角の変化球。
疲れている時こそ変化球をミスせず投げられるかが大事になってくる。
休憩を終え肩を作り、3分で15球の変化球を投げ続けた。
「伊吹ちゃんは10球ストライク、まあ及第点かな」
「湧は12球ストライク、凄いね」
「まあコントロール命だし」
2人はストライクの割合を確認しているが、かなりくたびれている様子だった。
「2人ともお疲れ様でした、おにぎりもあるので食べながら休んで下さい」
「先生〜! ありがとうございます……」
「お言葉に甘えて、いただきます」
牧野と浜矢は休憩し、その間に神宮と洲嵜がインターバルピッチングを開始する。
洲嵜が基準をクリア出来たのに対して、神宮は基準を下回る結果となった。
「去年よりはマシかな」
「だよね! だからセーフ!」
「セーフではない、もっと制球磨くよ」
「はい……」
洲嵜は疲労困憊といった様子だが、神宮はまだ余裕がありそうだった。
――このスタミナがあるんだから、本当に制球さえどうにかなればエース級なんだけどな……。
「……なんか悪口考えてた?」
「考えてないよ、本当に制球さえ良くなればって思ってただけ」
「うう、夏までには頑張るから……!」
リリーフ投手としても制球は良い方がいい。
投手陣は夏までの課題が明確となった。
打撃練習を終えた上林が、監督にメニューを尋ねにくる。
「私は何をすればいいですか?」
「あー……じゃあ守備練するか」
「私の扱い雑やないですか?」
「いや、上林って弱点らしい弱点がないから」
――まあその分、飛び抜けて凄い能力も無いけど……チームとしてはバランス型が1番助かるんだよな。
「強いて言うなら守備範囲かな……ちょっと狭いよな」
「それは自分でも分かってます、何をすれば広く出来ますか?」
「打者を観察する事だな、その打席でのタイミングの取り方や打ち方、そもそもの打撃傾向……それらを観察してどこに打球が来るのかを予測するんだ」
それが分かれば一歩目が速くなり、結果的に守備範囲が広がると監督は教える。
「あとは守備の時の構え方かな……姿勢とかも自分のスタート切りやすい格好でいいぞ」
「低くしないでいいんですか?」
「私は現役時代高くしてたな、その方が動き出しやすかったし」
自分は外野手のように、中腰で構えていたと言う。
「まあ私のアドバイスを全部受け入れる必要はないぞ、あくまで参考程度で! 自分のやりやすいやり方が1番だ」
「はい、早速ノック打って貰ってもいいですか?」
「もちろん」
まずは基本の動きをさせる為に、正面への打球を。
段々と難しくしていき、終盤は飛び込まなければ捕れないような打球まで打つ。
「よしよし、これなら夏には間に合いそうだな」
「ありがとうございました!」
――さて、あとはあの2人か……。って、もう千秋がやってくれてるな。
ベンチで白崎と佐野、そして千秋が話している。
「2人には外野も守ってもらいます! 杏紗ちゃんはレフト、夏輝ちゃんはライトね」
「センターは無理として、両方守れた方が良くないですか?」
「2人の利き手かな、左利きはライトの方が守りやすいって聞くし」
「なんでですか?」
選手ではないから詳しい事は分からない、と千秋が意味ありげに笑いながら言う。
視線は近くにいた白崎に向いていることから、彼女に理由を言ってもらうように頼んだのだろう。
その視線を受けて白崎が小さな声で話しだす。
「えっと、ライトはセカンド方向に投げる事が多い、から……左利きだと動きに無駄がない、らしいよ……」
「んー? ……なるほど! 杏紗は物知りだな〜」
「そ、そんな事ないよ……」
言葉で言われただけでは分からなかったが、実際に送球の動きをしてみるとライトの方が投げやすい事に気付いた。
「利き手で守りやすいとかあるんだ……」
その会話を聞いていた春宮がぽつりと呟く。
「あるよ〜、内野だと左利きはファーストぐらいしか守れないし」
「そうなんですか? えっと、一塁の方投げるんだから……あっ、確かに左利きはやりにくいですね!」
「でしょ? まあアマチュアだとたま〜に左投げの内野とかもいるけど、本当に稀だからね」
左投げの内野は話題になりやすいが、大成する事は殆どない。
右投げに比べ左投げは、一塁に送球するのに時間が掛かる。
プロの世界でその少しの差は致命傷だ、だから取らない。
「まずは軽くノックから入ろうね! 内野のフライとはまた違う打球だからゆっくり慣れてこう!」
「はい!」
「……はい」
外野フライは内野フライに比べスピンが掛かっている事が多い。
その為逃げていくような軌道にもなり、それを捕るのは難しい。
――慣れてる分杏紗ちゃんの方がフライの追い方は上手いけど、やっぱり内野から外野って大変だよね……。思った以上に時間はかかるかな。
「そっちはどうだ?」
「監督! うーん……思ったより時間はかかりそうですね」
「そうか、千秋がいる間に形にはしておきたいな」
「そうですね……今年で卒業ですから」
浜矢と鈴井、そして千秋は今年で卒業する。
投手と捕手1人ずつしか居なくならないので、大幅な戦力ダウンにはならない。
しかし浜矢のチームを引っ張る力、鈴井のリード力、千秋の分析力と指導力が無くなるのは痛い。
「千秋がいなくなると忙しくなるな」
「コーチさんとか雇われないんですか?」
「私が要望出しても届くかな……それに」
「?」
「……いや、何でもない」
――千秋と比べるかも知れない、なんて言えないよなぁ。
そんな事を口にしてしまったら、この子は自分の為に進路を変えてしまうかも知れない。
それだけは絶対にして欲しくないと監督は思っていた。
「今日の練習はこれで終わり! 自主トレしてもいいけど、明日以降の練習に支障がない程度にな」
『ありがとうございました!』
「しゃーしたー」
濃密な合宿初日は終わった。
疲労を見せているものが殆どだが、3年生は流石にまだ余裕がありそうな表情。
弱点は分かりその対策も練ることも出来た、有意義な1日となった。