君色の栄冠   作:フィッシュ

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第11球 雨の中で

4回表の攻撃は3番の上林からだったが、ここも3人で完璧に抑えられてしまう。

段々とキレが増してきた変化球、そして忘れた頃に投げられる直球。

その組み合わせに固い守備も相まり、内野を抜く事さえ叶わなかった。

 

「1点取れてて良かったですね」

「だな、今日の浜矢なら完封いけそうだし」

 

調子の上がり始めた藤枝について話し合う、監督と千秋に対し。

 

「調子が良いとかって、見て分かるものなんですか?」

「浜矢さんでしたらストレートのノビですね、日によって明らかに違うので面白いですよ」

 

投手の調子を見分ける方法を春宮が問い、それに対し小林が回答していた。

 

 

「ここも3人で抑えるぞー!」

「内山ってランナー無しの方が怖いんだけどね」

「まあ不安要素は少ない方が良いじゃん?」

「そうだね、この回もちゃんと抑えよう」

 

浜矢はロジンバックを手の平で2回跳ねさせ、地面に叩きつけるようにして置く。

余分な粉は息を吹きかけて落とし、投げる準備は万端。

 

1番打者には甘く入ったカーブを右中間に運ばれてしまう。

 

「やばっ、岡田! にる……い」

 

右中間を破られると思った浜矢が指示を出そうとするが、岡田は既に二塁へ送球するところだった。

 

――今の打球捕れるんだ……相変わらず凄いな。

 

 

「サンキュー岡田! 助かった!」

「……はいっ!」

 

自分としては普通のプレーをしていたので、何故お礼を言われているのか分からない岡田は一瞬間を開けてから返事をした。

 

――早紀に助けられた……ここはゲッツー欲しいな。ゲッツーシフト敷きつつ、バントも警戒ね。

 

内野陣は鈴井から出されたサインの通り、ゲッツーシフトを敷く。

 

――右打者だし、外角にストレートが一番良いかな。伊吹ちゃんの球は速いし、打ち損じたとしてもそこそこの打球速度になるはず。

 

ランナー一塁での打者心理としては、右方向へと打ちランナーを一つでも信頼させたいと思うもの。

それを踏まえて内角へ詰まらせるような球を投げさせるのは多いが、それをするとボテボテの打球となり1つしかアウトが取れない事がある。

 

一・二塁間を抜かれる可能性はあるが、外角に投げた方がゲッツーを取りやすいと鈴井は判断した。

 

 

まず内角へのカーブで緩い速度に慣れさせる。

そして次にアウトローへのストレートを投げる。

少し反応は遅れるが、流し打ちがしやすくなる為この打者は狙ってきた。

 

しかしその反応の遅れは大きく、バッテリーの狙い通りセカンドへの痛烈なゴロとなる。

 

「ほらっ、一塁投げろ!」

「オッケー!」

 

茶谷が軽快に捌きまず二塁で1アウト、送球を受け取った上林が落ち着いて一塁へ投げ2アウト。

 

「よしっ! ナイス二遊間!」

「ナイスゲッツー!」

 

 

要求通りの完璧なダブルプレーに、ベンチで全員がガッツポーズ。

こうなると相手側は流れが悪くなり、3番も三振に切り取られる。

 

「ナイピ」

「2巡目もパーフェクトいけるかもな」

「また調子乗る……完封だけ目指してれば良いの!」

 

この回の攻撃も3人で封じ込まれ無得点。

好調の藤枝を前に攻めあぐねている。

 

 

気持ちを切り替えてマウンドに向かう浜矢が、違和感に気づいたようで空を見上げる。

 

「…………雨」

 

ぽつり、ぽつりと小さな雨粒が落ちてくる。

幸い大雨にはならなさそうな感じではあるが、やりにくい事は確かだろう。

 

「伊吹ちゃん平気? 確か雨の中で投げた事ないよね」

「うん……どうしよっか」

「仕方ない、フォークは封印しようか」

「すっぽ抜けたら怖いもんな」

 

雨の日での投球は指が滑りやすくなり、失投が多くなる。

そして彼女の決め球であるフォークは特別滑りやすい。封印してしまうのも作戦の一つだ。

 

 

《4番遊撃手(ショート) 内山さん》

 

内山が今までで一番気合の入った表情で、バッターボックスの前方に立つ。

 

――打たせたくないな……ストレートから入ろう。

 

外角高めに要求したボール、それを内山は狙い澄まし弾き返す。

打球は一瞬にして外野へと到達し、それを見た内山は二塁まで駆ける。

 

「まだ点取られてないから、落ち着いて投げて!」

「そうそう! 後ろは私達がいますから!」

「打たせてくれて構わないっすよ!」

 

それらの言葉に笑顔を返す浜矢だったが、どこかぎこちなかった。

5番に入るのは投手である藤枝、彼女は打撃も得意だ。

 

 

初めに投げたスライダーは大きく外れ1ボール。

次に要求したストレートも地面に叩きつけられたが、鈴井がなんとか捕球した。

 

「タイム! ……伊吹ちゃん平気?」

「いやー、雨の日ってこんな投げにくいんだな」

「極力ボールは濡らさないで、手とかもズボンで拭いて」

「了解、次からはしっかり投げるよ」

 

鈴井がキャッチャースボックスに戻るのを見送りながら、ロジンバックを触ろうとしたが。

 

――そうじゃん、雨だとロジンも使えないんだ。想像以上にムズいんだな、雨の日の投球って。

 

一度ロジンを手に取り、すぐまた元の位置に戻す。

少しでも手についた水分を取り除く為に、ユニフォームに強く手を擦り付ける。

 

 

――フォークは無理だし、カーブも抜くような球だから難しいかな。……なら、ストレート頼むよ。

 

今度は冷静にストレートを投げる浜矢。

内角低めに上手くコントロールされた球だったが、藤枝は難なく打ち返す。

 

「っ、三好! ホーム!」

「はいっ!」

 

三遊間を抜けた打球、捕球した三好が急いでバックホーム。

内山は際どいタイミングだったが全速力でホームに突っ込む。

 

ノーバウンドで届いたボールを受け取り、迫ってくる内山にタッチする。

 

「セーフ!」

「よっしゃー!」

 

――速すぎるでしょ、それに掻い潜り方も上手かった。

 

 

少し窮屈な体勢でタッチが難しかったというのもあるが、上手い具合にタッチを掻い潜られた。

試合終盤で同点に追い付かれてしまい、尚もノーアウト一塁。

 

「……タイム! 千秋、伝令頼まれてくれるか?」

「もちろんです!」

 

監督からの言葉を授かった千秋がマウンドに駆け寄り、内野に加え外野も集めた。

 

「まず伊吹ちゃんと美希ちゃん、これからは打たせて取る投球でいこう」

「それはそうだよね、2球種封じられてるし」

「地面はぬかるんでて踏ん張りにくいと思うから、足の裏全体を地面につけてね」

 

踵やつま先だけで踏ん張ると、余計に滑りやすくなる。地面に触れる面積を増やす事で防ぐのだ。

 

 

「分かっているとは思うけど、土ではバウンドが小さいから少し前に出て構えてね。外野は速度が落ちないで滑るような打球になるから気をつけて」

『はいっ』

 

内野と外野が一斉に戻り、マウンドには3年生しか残っていない。

 

「ここで一番踏ん張らなきゃいけないのは伊吹ちゃんだよ、絶対失点しないでね! ……って監督が」

「こりゃ失点したら怒られそうだな……オッケ! もうこんな情けないピッチングなんてしないよ」

「藤枝さんもフォークは封じられているからね、反撃のチャンスはいくらでもあるけど……良い流れを作れるのは伊吹ちゃんだけだよ!」

 

最後にハイタッチをして千秋はベンチに戻っていく。

先程まで投げにくくて、難しい表情をしていた浜矢はもう居ない。

 

 

 

――前髪も鬱陶しいな……よし、これで完璧!

 

前髪から微妙に水滴が落ちてきて、集中力を奪われていた。

それを腕でグッとかき上げ帽子の中に入れる。

 

未だノーアウトのランナーがいるのは変わりないが、選手一人一人の意識は違う。

浜矢は少し踏み込みを小さくし、安定したフォームで投げ込んだ。

藤枝に打たれた球は握りが甘くて球速が遅かったが、今は本来の速度だ。

 

 

まず1人、サードゴロでランナーをアウトにし1アウト。

2人目はセンターフライに打ち取って2アウト。

そして最後は高めのストレートを振らせて空振り三振。

 

「よっし! なーんとか同点で乗り切った……」

「おつかれ、アンシャ着替えてきたら?」

「そうする〜、めっちゃ水分吸ってて重いし」

 

浜矢がベンチ裏で着替えている間にも、試合は進んでいる。

この回の先頭はノーヒットの岡田からだ。

 

――まだ打ててないし、守備でも良いとこ全然ない! 今年は必ず1試合に1回は活躍するんだ!

 

 

バットを短く持った彼女は粘り続ける。

フォークを投げなくなって変化球の見極めが容易になり、更に制球が乱れ始めてきた。

 

「制球が乱れてきたな」

「やっぱり雨の影響は大きいですね、あまり慣れてないでしょうし」

「プロなら雨でも試合するけど、高校だとあんま梅雨時に練習試合組まないしな」

 

雨が降る事が多いので室内で基礎練習、そのような選択を取る学校は多い。

強豪校のエースでも雨には慣れていない事は稀にある。

 

 

「ボールフォア!」

「やった!」

 

白熱したこの勝負は岡田の粘り勝ちだった。

ノーアウトから俊足のランナーが出塁した、ならば取る行動は一つ。

 

「走った!」

 

――陸上やってた頃は雨でも走ってた、私が走る事で失敗するなんてあっちゃいけないんだ!

 

グラウンドがぬかるんでいるのにも関わらず、岡田は普段と変わらないスピードで盗塁を決める。

これで得点圏にランナーが進み、荒波の打席。

 

 

「よく走れたな……」

「恐ろしいくらい速かったですね」

 

――さて、ここからどうするかな……。荒波はいいとしても、三好は得点圏に強くない。決めるならここだ。

 

しかし監督の願いは届かず、セカンドへの進塁打となる。

 

「いや、でも1アウトからならいけるだろ」

「外野にさえ飛ばせば勝ちですもんね!」

 

左打者が得意な藤枝に対し、右打席に入る三好。

 

――ここで一点取らな、浜矢先輩があと何回持つか分かん。決めんと……!

 

――ガチガチね、これなら打ち取れるわ。

 

 

真ん中付近に投げられた球に、バットを出していく三好。

しかしその球は手元で変化し出した、シュートだ。

 

――シュートか! くそっ、勝負を急ぎすぎた……!

 

セカンド後方へ打球がふらふらっと上がる。

至誠側の誰もが落胆の声を出しているが、捕球した次の瞬間だった。

 

 

「ホーム! タッチアップしてる!」

「えっ!? は、はい!」

 

ただの内野フライで岡田はタッチアップ。

まさかそんなプレーをするとは思わなかったセカンドは、投げるまでに時間がかかった。

 

一瞬たりとも速度を落とさず、鋭いスライディングでホームベースを通過する岡田。

球審は両腕を大きく、地面と平行に開く。

 

「セーフ!」

 

そのコールがされた瞬間、大きな歓声があちこちから飛ぶ。

セカンドフライでホーム生還という、珍しいプレーが見れたのだから当然だろう。

 

 

「岡田〜! よく還ってこれたな!」

「イェーイ、ナイスラン!」

「最高だよ早紀!」

「へへー、もっと褒めて!」

 

ベンチでは好走塁を見せた岡田がもみくちゃにされている。

落ち着いた頃合いを見て、監督が話を聞き出す。

 

「でもよく還ってこれたよな、狙ってたのか?」

「や、なんかあのセカンド捕ってから遅いなーって思ってて」

「ああ……確かに無駄な動作多いよな」

 

今のプレーだってそうだった。

指示が出てすぐに投げれば良かったものを、一度ボールでグラブを叩いてから投げた。

あの動きが無ければ結果は分からなかった。

 

 

「それにセカンドが捕ってくれたんで、ライトが捕ってたら走りませんでしたよ」

「そういうとこまでちゃんと考えてプレーしてたんだな……やっぱり走塁のスペシャリストだな」

「走塁なら全国の誰にも負けませんよ!」

 

フフン、と胸を張りドヤ顔をする岡田。

今ばかりは監督も彼女を褒め倒す。

 

 

「……打てない」

「あら……上林はちょっと今日ダメだな」

「次の試合は打ちますから!」

「いや、別にスタメン落ちさせるとは言ってないけど……」

 

縋るような顔で、いや実際に監督に縋りながら言っていた。

そんな上林にスタメン落ちはないと告げ安心させる。

 

「これで佳奈利が打ったら嫌なんやけど……」

「……フラグ回収おめでとう」

「くそーっ! 佳奈利の奴っ!!」

 

――味方が打って、こんなに悔しがってる奴初めて見たな。

 

上林の不安は的中し、茶谷はツーベースを放つ。

それを見てベンチの中で荒れに荒れる上林。

 

 

「真希ってもっとクールだと思ってたんだけど」

「分かる! 見た目がクールだよね」

「……関西のひと、だからなの、かな……?」

 

彼女の荒れっぷりを春宮、佐野、白崎の3組トリオが意外そうな目で眺めていた。

見た目は冷静沈着で大人びていそうな印象を与える上林だが、実際はそうでもない。

 

「鈴井せんぱーい! 私の無念を晴らして下さい!」

 

ベンチからの声に気付いた鈴井は、こちらを振り向いて頷いた。

親指をグッと立て、おまけにウインクも。

 

「っ…………!」

「監督ー、真希と耀先輩が試合以外で死にそうです」

「余韻に浸しといてやれ」

「はーい、てか人間の喉からこんな声出るんだ」

 

三好と上林は声にならない声をあげていた、しかも高音で。

 

――……聴き覚えあると思ったら、イルカだ。

 

白崎はそう思ったが絶対に言葉を漏らすことは無かった。

 

 

ベンチ内でこんなドタバタが行われている事は知らず、鈴井はただ藤枝と向かい合っていた。

雨がヘルメットをつたって落ちてくるのにも関わらず、目の前の相手をどう打ち砕くかを考えている。

 

――私に対してフォークは投げてくる? いやでもさっきよりも雨足が強い……この状況でいきなり投げるとは考えにくい、ならシュートとストレート狙い……いや、シンカーもある。

 

考えている間に初球が投げられる。

内角高めのすっぽ抜けたストレートを見送り1ボール。

2球目は外角のシュートをファールにして1ボール1ストライク。

次はワンバウンドするシンカーをしっかり見送り2ボール。

 

――内角、外角、そしてまた内角……。私は高めが得意だからここで高めに投げるとは考えられないし、ここでストレートを投げるとも思えない。

 

藤枝は左脚を引いてから大きく上げ、右腕を素早く振り下ろす。

 

 

――ワンバンしたら同じ球種を要求しない、私ならそうする。けど、私のその癖を知っていたとすればここは……ストライクのシンカー!

 

彼女の読みは的中した。

内角へ食い込んでくるシンカー上手くバットに乗せて運ぶ。

 

打球が飛んだ瞬間ヒットを確信した茶谷は走り出す。レフト線ギリギリの打球がポトリと落ちる。

 

「フェア!」

「ゴーゴー!」

 

打球の処理にモタついている間に、茶谷はホームイン。この場面で2点差に突き放した。

 

 

「茶谷ナイラン、鈴井もナイバッチー!」

「まっ、あれくらい出来て当然っすよ」

「そうだな、これからも頼むぞ!」

「……フン」

 

茶谷は顔を背けるが、その耳はほんのり赤く色づいていた。

その勢いに乗りたい浜矢は三遊間を襲う打球を放ったが、雨でバウンドが変わり凡打になってしまう。

 

「ドンマイ、でもあとは抑えるだけだよ」

「せっかく鈴井が3点目取ってくれたんだもんな!」

 

2点差が付いて精神的に余裕になった浜矢は、6回にヒットを許すものの無失点で切り抜ける。

しかし藤枝もようやく雨に慣れてきたのか7回を3人で抑える。

 

 

 

「よしっ、牧野いくぞ!」

「はい」

 

最終回のマウンドには牧野が送られる。

 

「まだ投げられるのに……」

「もう110球超えてるし、それに牧野は雨での登板慣れてるって言ってたからな」

「……そうですけど〜」

 

ここでの降板に浜矢は不満そうだった。

理由を聞いて納得自体はしているが、それはそれとして投げたいようだ。

 

「それにエースは大切にしたいからな」

「そ、そうですよね! 私はエースですもんね〜……って、騙されませんよ」

「乗ってくれないか、まあ牧野にも投げる機会与えたいって事で」

「……それなら仕方ないですね」

 

自分の為と言われても納得しないが、後輩の為と言われれば大人しく引き下がる。

監督は既に浜矢の扱い方を熟知していた。

 

 

そんな彼女に代わってマウンドに登る牧野は、発言通り雨でもその制球が乱れる事は無かった。

それに加えて浜矢との球速差に独特なフォーム。

全ての要素が打者を翻弄して3人で試合を締め括った。

 

雨の中の熱戦は、3対1で幕を閉じた。


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