君色の栄冠   作:フィッシュ

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第15球 不穏な始まり

神奈川の高校野球好きはこの日を待ち望んでいた。

至誠高校対蒼海大相模高校による決勝戦。

3年連続同カードのこの決勝の対決記録は、互いに1勝1敗。

どちらが勝ち越すのかを楽しみにしているファンもいる。

 

――あっつ……。自販機でなんか買おうかな、お金勿体無いけど。

 

35度を越す猛暑日での試合となり、浜矢はこの暑さにやられていた。

自宅から持ってきていた水筒の中身はほぼ0に等しく、自動販売機で輝く飲料がいつもより美味しそうに見える。

 

――うん、買おう。熱中症になったらまずいから、そう。熱中症は危険だからね。

 

自分しか居ないというのに、言い訳をして自動販売機の前に立つ。

色とりどりの飲料を前に悩んでいると。

 

 

「よう」

 

浜矢の隣に立つのは、蒼海大の1番を背負った佐久間。

 

「わっ!? なんだ佐久間か〜、おすすめなんかある?」

「お前らも決勝まで勝ち残って来たんだな……私はこのオレンジジュースが好きだな」

「蒼海大にリベンジしなきゃだからな……じゃあこれ買おー」

「……2つの話を同時進行させるのやめないか?」

 

いい加減佐久間が突っ込むと、浜矢はケラケラと笑いながら謝る。

他校でライバル同士だというのに、2人は仲が良い。

 

「1つだけ聞かせろ、今日は絶対先発だよな?」

「そんな圧かけんなよ……心配しなくても先発だよ」

 

浜矢の顔に近づいてそう質問した佐久間は、浜矢の返答に安心したようで距離を取る。

 

 

「ようやくエース同士の投げ合いだな、最後まで降りるんじゃないぞ」

「言われなくても、佐久間より先に降りる訳ないだろ」

「私だって降りないさ、決着が付くまでは」

 

別れる際に、何も言わずとも拳と拳をぶつけ合い互いの健闘を祈る。

佐久間は三塁側へ、浜矢は一塁側へと歩き出す。

 

 

「戻ったよー」

「伊吹ちゃん、なんか嬉しそうだね」

「んー、佐久間とばったり会ったから話してた」

「一応これから戦う相手なんだけど……」

 

今からまさに戦う相手と、仲睦まじく会話するなど鈴井には理解出来なかった。

これには千秋も同感なようで、愛想笑いを浮かべている。

 

「これおすすめなんだって」

「オレンジジュース? ……佐久間もこういうの飲むんだね」

「ワイルドなの飲んでるイメージあったわ」

「ワイルドな飲み物って何?」

 

浜矢の適当な言葉1つ1つにツッコミを入れる鈴井。

暑さのせいか決勝戦でテンションが上がっているのか、今日の浜矢はボケに回っている。

 

 

「伊吹ちゃん平気……?」

「せんしゅーのガチ心配は結構落ち込むからやめよう? 平気だって」

「ならよかった!」

 

千秋に不安そうな顔をされたら、浜矢といつも通りになるしかない。

暫く佐久間について話していると、蒼海大の選手が三塁側から入場し始めた。

 

「佐久間の隣にいる奴デカくね?」

「捕手の相川さんだね、確か170くらいあった気がするよ」

 

佐久間の身長は168cm、それよりも縦に高く体格も良い。

一般人が想像する捕手のイメージと一致した選手だ。

 

「縦にも横にもデカいじゃん……こわ」

「まあ高校No.1キャッチャーは私だけど」

「いきなりマウント取るじゃん……そういや孤塚と鈴井って捕手としてはどっちのが凄いの?」

「私だけど?」

 

 

――最近は結構素直だったから忘れてたけど、こいつプライド高かったな。

 

少なくとも同級生の捕手の中では、絶対に自分が1番と信じて疑わない鈴井。

しかしその自信に違わぬ実力の持ち主である。

 

 

「みんなしゅうごーう!」

 

そんな話をしている横で千秋が、ストレッチをしていたり素振りをしていた部員を集める。

 

「蒼海大は全国でもトップクラスの打力を誇るチーム、何点差あっても安心は出来ないからね!」

「まあ浜矢が先発だから、そこまでの失点は無さそうだけどな」

「佐久間さんはコントロールが悪いから、甘い球以外は全部見逃そうね!」

 

蒼海大のエースである彼女の弱点は、やはり制球力。我慢して見逃せば、1試合に5個は四球を出す。

 

「あいつまだノーコンなのか……球速は?」

「相変わらずの県内最速だよ」

「自分のスタイルを貫くのはカッコいいよな」

 

3年間一貫して速球派を貫いた佐久間。

成績こそ圧倒的では無いが、そのプレースタイルと信念には感服せざるを得ない。

 

 

 

「さあ、この試合も勝って甲子園へ行こう!」

『おお!』

 

神奈川県最後の試合のサイレンが、今鳴り響く。

至誠が先攻、左打席に入るは打撃の成長した荒波。

最初に投げられたのはやはりストレート。

風を切る豪速球は、重い音を立ててミットに収まる。

 

「相変わらず速いな……」

「けど変化球は増えてませんし、多分打てると思います」

「速球は浜矢でいつも練習してるしな」

 

――やっぱり速い……。けど、ハマ先輩と違ってノビは無い。当てるくらいなら出来そう。

 

球の質なら浜矢の方が何段階も上、速いだけの佐久間の球は至誠の選手なら当てられる。

荒波はストレートを続けられても全てカットする。

 

 

――フン、ストレートには対応できるようになったか。……なら、これはどうだ?

 

高速スライダー。ストレートの球速と大差ない速度で投げられる変化球。

通常のスライダーに比べれば変化量は少ないが、速球派投手が投げればかなり厄介な球種だ。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

これには対応出来ずに空振り三振に終わる。

 

「……伊吹ちゃん、あれ見て」

「はっ? 私の最速と同じなんだけど……」

 

電光掲示板に表示された球速、それは浜矢の最速と同じだった。

 

「伊吹ちゃんのマックスと同じの変化球とか……」

「打てる気しね〜……」

「けど佐久間さんって、勝負所はストレートばっかり投げてるし……」

「ほんとワイルドだな」

 

直球勝負を好む佐久間は、決め球に変化球をあまり投げない。

それさえ無ければもう少し良い成績を残せた筈なので、もったいないと述べる解説者も多くいる。

 

 

三好も豪速球からのフォークの組み合わせにやられて三振。

上林はスライダーを捉えるものの、セカンドライナーに終わる。

 

「伊吹ちゃん相手の時は生き生きしてるよね」

「まあライバルだからね……けど、こっちも準備万端だよ?」

 

浜矢は気合十分といった表情でマウンドに上がり、鈴井が来るのを今か今かと待ち望んでいる。

その様子は飼い主に遊んで貰いたくて待っている、犬のようだった。

 

「はぁ……伊吹ちゃんは犬か何か?」

「大型犬だねぇ」

「2人って意外と似てるのかもね」

 

呆れた口調でそう吐き捨てながらも、駆け足で浜矢の元へと向かう鈴井。

その姿をくすくすと笑いながら見送る千秋。

 

 

「今日の調子はどう?」

「バッチリ! 今までで1番調子良いよ!」

「なら良かった……決め球何投げたい?」

「全部調子良いから何でもいいよ!」

 

本当かどうか気になるが、ここまで言うなら恐らく本当だと判断して配球を脳内で組み立てる鈴井。

他にも制球はどうか、投げたくないコースなどはあるかを確認して2人は自分の守備位置につく。

 

「しまっていこー!」

『おー!』

 

鈴井の一声で全員の気が引き締まる。

蒼海大打線は強打者揃い、一瞬も油断は出来ない。

 

 

「プレイ!」

 

1回裏の始まりを告げられ、浜矢も佐久間に対抗するようにストレートから入る。

空気を切り裂きながら進んだボールは、いい音を響かせてミットに。

 

「佐久間も浜矢もいいよー!」

「どっちが勝つと思う?」

「私は蒼海大かなー」

「私は至誠!」

 

このカードは神奈川屈指の人気カード。

それに加えてエース2人の投げ合いとなると、観客も楽しまずにはいられない。

勝敗予想や2人への声援などが各地から聞こえる。

 

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

決め球のスライドフォークが炸裂し、空振り三振。

2番、3番にもストレートを振らせてこちらも三者凡退で終わらせる。

 

「ナイピ」

「なっ? 言った通りだったろ?」

「そうだね、良い球投げてるよ」

 

調子が最高と言ったのは間違いでは無かった。

鈴井も受けるのが楽しいと感じている様子だ。

 

 

2回表は4番に入った茶谷から。

初球はストレートを弾き返すも、ポール際のファール。

スライダーを見逃して2ストライク、そして3球目のフォークにバットが出てしまい三振。

 

――狙いはストレートだけど、甘い球があまり来ない。初球打ちも考えた方がいいかな。

 

浜矢との投げ合いで調子が良い佐久間は、これまで失投らしい失投はしていない。

お互いが先発するとお互い調子を上げる、これぞライバルだ。

 

 

――やっぱりストレートだ。狙いは……右中間!

 

狙いを研ぎ澄まして流し打つが、ライトの正面。

少し球威に押された形となった。

 

「ドンマイ」

「意外と手強いね」

「まあ多分、それはお互い様だけど」

 

今日は6番に入った浜矢が打席で構える。

直接対決の場面でお互い不敵な笑みを浮かべている。

 

 

――2年前お前に打たれたホームラン、まだ忘れてないからな。これでもくらえ!

 

コントロールを度外視した、ど真ん中へのストレート。浜矢は反応したが僅かに振り遅れて空振り。

次の高速スライダーには手が出ず2ストライク。

 

そして勝負球はやはりストレート。

今度はタイミングを合わせて振り抜くが、これも野手の正面。

 

「うーん、打てない!」

「佐久間さんが崩れるのを待つしかないね」

「回が進めば四球連発するかもだしね」

 

自滅を待つしかないのがもどかしいが、それしか作戦は無い。

それまでに点を取られないようにするのだ。

 

 

 

《4番投手(ピッチャー) 佐久間さん》

 

エースで4番、しかも蒼海大という名門校で。

佐久間はそれほど素晴らしい打力の持ち主という事だ。

 

――さあ、私のストレートを味わえよ!

 

アウトローにズバッと決まるストレート。

そのノビと球速に、関心したと言わんばかりの表情。

 

2球目は身体に迫ってくるスライダーが、僅かに外れてボール。

そして3球目、決め球であるスライドフォークを打たせる。セカンドにボテボテの打球が向かう。

 

「一塁!」

「オーケー!」

 

――あ、やばっ……握り替えが。

 

一塁への送球は高く、更に横に逸れていく。

栗原は咄嗟の出来事に対処出来なかった。

 

 

「玲、二塁!」

「おう!」

 

それを見た佐久間はすかさず二塁を狙う。

栗原もその肩をフル稼働して送球するが、間に合わずなかった。

 

「嫌な場面でエラー出たな……」

「次は相川さんですよね、敬遠しますか?」

「……いや、浜矢(アイツ)なら平気だろ」

 

監督は浜矢の実力を信頼していた。

たとえ捕手の中で屈指の打力を誇る相川でも、浜矢なら抑えられると信じている。

 

 

――相川は速球に強い……。カーブでカウント取って、スライダーで決めるよ。

 

――了解、こんな序盤で失点はしないからな。

 

作戦通りカーブでカウントを取り、2球目。

外へ逃げていくスライダーを引っ掛けさせようとしたが、思ったよりも打球の勢いが強い。

 

「ファースト!」

「はい!」

 

しかし一塁正面、打球の強さもありランナーも進塁はギリギリだろう。

だが栗原はほんの一瞬、ランナーの動きを見る為に打球から目を逸らした。

 

「っ、しまった!」

「一塁エラーした! 佐久間ゴー!」

 

目線を打球に合わせた時には、もう目の前まで迫っていた。

グラブで追いかけたが土手の部分で弾いてしまい、ライトまで転がる。

 

 

「荒波ー! バックホーム!」

「りょーかい!」

 

佐久間が三塁を回っているのを見て、荒波が矢のような送球をする。

だが鈴井のミットにボールが届く時には、佐久間はホームに到達していた。

 

「セーフ!」

「うわぁ……最悪」

「エラーとタイムリーエラーですか……」

「これが魔の一・二塁間……」

 

ベンチでは監督達がそれぞれの反応をしていたが、全員揃って苦い顔をしている。

流石にこれは流れが悪すぎると、鈴井は一旦タイムを取りマウンドへ。

 

 

――鈴井……。凄い心配そうな顔してくれてる、平気なのに。

 

だがマウンドに到着するや否や、ニヤけながら言う。

 

「自責点0で失点した気分はどう?」

「最悪だよちくしょう!!」

 

まさかの女房役からの煽りに、地団駄を踏んで怒る浜矢。

しかしこれは鈴井なりの励ましだという事を、彼女は知っている。

 

「元気そうで良かった、後続は切れるよね?」

「あったりまえだ! ……2人に凹んで欲しくないし」

 

浜矢が目を向けると、茶谷も栗原もバツの悪そうな顔をして目を逸らす。

2人ともかなり罪悪感を感じているようだ。

 

 

「なら完璧に抑えるよ! こんな所で流れ渡したくないし」

「分かってる! 全力で行くぞ!」

 

浜矢は後輩を落ち込ませない為に躍動した。

6番は三振に切って仕留め、7番もショートゴロ。

最後はセンターフライに打ち取り、最少失点で切り抜けた。

 

「すみません……」

「……すんません」

「気にしないで良いって! たった1点だし」

 

ベンチに戻るとすぐに、2人とも浜矢に謝罪をする。

そんな2人に浜矢は明るく励ましの言葉を送る。

 

 

「ほらほら! 落ち込んでる暇があるなら打撃で取り返せ!」

「監督の言う通り! 2人は長打あるんだからさ、1発頼むぜ?」

「……はい!」

「うっす」

 

そんな話をしている間に、本来の調子を取り戻した川端が出塁。

早速ミスを取り返せる好機が回ってきた栗原。

 

――さっきのエラーした奴か……纏っている空気がダメだ。そんなんしゃ私は打てないぜ。

 

ストレートとフォークで追い込んだあと、1球ボールを挟む。

最後は内角に切り込む高速スライダー、内角が得意な栗原はそれを思い切り引っ張るが。

 

 

「ショート!」

「オーケー、セカン! ランナー脚遅いよ」

「はいよー」

 

ショート正面の打球となり、6-4-3のダブルプレー成立。

先程よりも落ち込んだ様子でベンチに戻る栗原。

 

「み、美央……今のは仕方ないって!」

「そ、そうだよ、捕ったのを褒めよう?」

 

春宮と佐野が慰めるが、栗原の表情は浮かばれないまま。

 

「……そうだよね、私は捕れなかったもんね」

「いや、そういう意味で言ったんじゃ……!」

 

普段の栗原からは想像出来ない低いトーン。

これには言葉が出てこなくなる。

 

 

「栗原、ミスを引きずるのは良くないぞ? お前はそんな事で躓く選手じゃない、もっと活躍出来るんだ」

「……監督」

「それにまだチャンスはある、そこで取り戻そう!」

「……本当に、私で良いんですか?」

 

監督の必死の説得も栗原には通じず、いまだネガティブな発言をする。

 

「伊藤先輩の方が上手いじゃないですか……本職じゃないのに」

「そんな事言うなよ、交代されたいのか?」

 

栗原はこの言葉に、肯定も否定もしなかった。

 

――交代した方がチームには良い、けど……迷惑ばかりかけて下がるも嫌だ。

 

複雑な思いが頭の中を巡っている。

そんな栗原に対して、監督が出した決断は。

 

 

「なら伊藤、準備だけはしておいてくれ」

「えっ?」

「次の打席で打てなかったら交代だ」

「……分かり、ました」

 

巻き込まれた伊藤は居心地が悪そうだ。

それもその筈、本来なら自分は一切関係無かったのだから。

 

「彗も大変だね……」

「まあ大変なのは灯で慣れてるけど」

「最近はそこまでじゃないよね? ねっ?」

 

少しでも空気を明るくしようと、2人は軽口を叩き合う。

しかし空気を重くしている張本人の様子は変わらないまま。

 

 

「美央、監督もチャンスくれたんだから頑張ろ?」

「そーそー! いきなり交代とかされなくて良かったじゃん!」

「私は……美央ちゃんのヒット……見たい、な」

「美央が活躍しないと、私達も寂しいよ!」

 

ベンチに居たメンバーが必死で励ます。

だが復活までにはまだ時間がかかりそうだ。

 

 

 

何とかして栗原を元に戻したい、そう奮闘している場所に鋭く切り込む声が。

 

「放っておいていいんじゃないの?」

「湧……? 言っていい事と悪い事が……」

「夏輝にはありがたい事なんじゃない? ライバルが勝手に潰れてくれるんだし」

「っ、湧!」

 

今にも掴みかかりそうな佐野を、春宮と白崎が止める。牧野を守る為に石川と伊藤も間に入る。

 

「それに美央は交代したそうな顔してるし? 1人にさせておきなよ、あんなプレーした後に慰められるのって惨めじゃん」

「湧……! 絶対許さないから」

「なんで本人以外が怒ってるのか、私には分からないね」

 

佐野と牧野の間に、嫌な空気が流れる。

ただでさえ重かった雰囲気が更に悪くなった。

 

「もうこっちの攻撃も終わったよ! 美央ちゃん一塁行こ?」

「はい……」

 

この空気を変えるように、いつもと同じ声で千秋が栗原を呼ぶ。

少しだけ空気が和らいだ気がする。

 

 

たった1人、ベンチで孤立して座っている牧野に白崎が近づく。

 

「湧ちゃん……」

「なに杏紗? 私は謝らないよ」

「うん……分かってるよ、湧ちゃんの本当の気持ち」

「……杏紗には敵わないね、これ絶対誰にも伝えないでね」

 

牧野の言葉に分かったよ、と返す白崎。

2人の間に秘密の協定が結ばれた。


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