不穏な空気が至誠も纏っている中、3回裏の蒼海大の攻撃が始まる。
「向こうは何やら仲間割れしているようだ、その隙に叩きのめしてやろうぜ!」
『オオ!』
空気の悪さは向こうにも伝わったようで、ここで心を折る為に猛攻を仕掛けるようだ。
だが至誠もただやられるだけにはいかない。
――今日は調子が良い、蒼海大相手にも楽に投げられてる。
絶好調の浜矢は9番から2番を、完璧に封じ込めてこの回を終える。
打ち気満々な打者に対して、内外への変化球で打ち取った。
「いやー、やっぱそんな楽にはいかないか」
「流石は浜矢だな……私達も負けてられないぞ」
「オッケ、いい投球頼むよ」
「誰に言ってるんだ? 私は蒼海大のエースだぞ」
"蒼海大のエース"その肩書きは飾りではない。
四球こそ出したものの、メンタルの強さと圧倒的な速度を誇る変化球で無失点。
「少し荒れ始めましたね……6回辺りが勝負ですかね」
「かもな、それまでに更に失点するのは防ぎたい」
「こればかりは伊吹ちゃん頼りですね」
4回表になっても、浜矢は調子を落とす事はなかった。3番は3球で三振に仕留め、佐久間の打席。
――外野は長打警戒、内野も少し下がろうか。
長打に備え外野はフェンスギリギリまで後退する。
初球はスライドフォークを打ち損じてファール。
続くカーブは見送って1ボールとなり、3球目。
――スライダーか、打ってやる!
しかし佐久間のバットは空を切り、空振り三振。
真ん中付近に投げられた球が、ストライクゾーンの外まで変化した。
絶好調な今日だからこそ投げられた球だ。
「伊吹ちゃん、ナイピー!」
「まだまだいけるぜ!」
その言葉通り、相川もそのスライダーで三振に切り取る。
お互い安定した投球で4回まで接戦で終える。
ここでグラウンド整備の時間となり、作戦会議。
「そろそろ荒れてくると思うから、全員待球するよ! もちろん失投がくれば初球でも仕留めてね!」
『はい!』
――まさか佐久間さんがここまで手強いとはね……当たり前だけど、この3年間で成長している。
3年間ずっと成長を見てきたのは、浜矢と鈴井だけではない。
毎年決勝で戦ってきた佐久間の成長も、千秋は見てきた。
5回裏の攻撃、先頭の茶谷は失投を待つ。
2球続けてボール球を投げてからの3球目、真ん中から曲がる高速スライダー。
それをストレートと間違い、引っ掛けてしまいファーストゴロ。
「くっそ!」
「今のは仕方ないよ、よく当てられたね」
「……どもっす」
先輩に褒められると、どうもいつも通りの反応が出来ない茶谷。
特に鈴井と千秋には滅法弱い様子だ。
《5番
鈴井はヒットにするコースを狙う。
流し打ちが多い打球傾向から、内野はライト寄りのシフト。
――だったら、無理矢理引っ張って頭を越す!
内角に切り込むスライダーを捉えるも、サードの守備範囲内。
2打席連続で凡退と、鈴井にしては珍しい成績だ。
「ごめんね」
「私が打つから見てろって!」
浜矢はそう意気込んで打席に入ったが、結果はショートゴロ。
こちらは引っ張り警戒のシフトを敷かれ、まんまとそれにハマった形になった。
「……伊吹ちゃん?」
「ぴ、ピッチングはちゃんとするから……」
しかし動揺したのか佐久間の速球に手が痺れたのか、先頭にヒットを与えてしまう。
「伊吹ちゃん、本当に平気なんだね?」
「いけるいける、今ので落ち着いたから」
「手投げになってたよ、腕振って投げてきて」
「気をつけるわ」
鈴井と会話をした事で落ち着いた浜矢は、7番から三振を奪う。
8番はライトフライ、そして9番も三振に仕留めて無失点ピッチ。
6回表の攻撃が始まる前、打席に向かう川端に監督が小声で耳打ちする。
「川端、頼むから塁に出てくれ」
「分かりました、必ず出ます」
――多分今のは美央のお膳立てをしろって事……その仕事、しっかり遂行しますよ。
際どいコースはカットして粘り、外れれば見送ってじわじわとカウントを整える。
そして迎えた8球目だった。
「ボールフォア!」
「よしっ」
「最高の結果! 川端に任せて良かったよ」
《8番
6回表、1点ビハインドの場面。
ここで打たなければ負けが近づくという状況で、彼女は打席に入る。
――ここで打たないと交代……。先輩に迷惑かけて、チームの雰囲気も悪くしたまま。そんなのは嫌だ!
しかし思いは空回りし、初球の甘く入ったストレートを空振ってしまう。
次はいつくるか分からない程の絶好球だった。
――どうしよう、これじゃ足手まといのままだ。なんとかしなきゃ……!
「美央ー! かっ飛ばせー!」
「……いい、スイングだったよ」
「ホームラン打ってやれー!」
栗原の不安を振り払うかのように、元気のいい声がベンチから飛ぶ。
1年生を中心に飛ばされた応援の声、それに応えなければならない。
だが栗原の視線は、ある一点に集中していた。
――湧……さっきは結構助かったよ、実際ミス連発した時は1人にして欲しかったし。それに湧だって言いたくてあんな事言ったんじゃないよね。今だってずっと私の事見ててくれてるし。
牧野は打席の栗原から、一瞬を目を離さなかった。
それどころか祈るのような顔でこちらを見ているのだ。
――正直言い過ぎだと思ってる。発破を掛けるだけならあそこまで言わなくても良かった。けど、これから先も同じような場面は何度も来る。その度にあんなに落ち込んでる訳にはいかないでしょ。だからさ……。
「打ちなよ! 今までの鬱憤、全部吹き飛ばしなよ!」
「……うん!」
牧野の大声での激励を受け、栗原はもう一度マウンド上の佐久間と向き合う。
そして放たれたフォークボール、それを掬い上げて引っ張る。
白球は蒼穹に高々と舞い上がり綺麗な放物線を描いて、ライトスタンドへと向かっていく。
「行ったか!?」
「越えろー!」
声援を乗せた打球は突き刺さるように、スタンドへ到達した。
6回表で逆転のツーランホームラン、栗原の復活だ。
「よっしゃー! 栗原、信じてたぞ!」
「美央ちゃん、ナイスバッティング!」
満面の笑みでダイヤモンドを一周した栗原は、その笑顔のまま全員とハイタッチを交わす。
「湧、ありがとね!」
「別に私はなにも……打ったのは美央の実力だよ」
「けど立ち直らせてくれたのは湧だから! ほんっとにありがとう!」
「大袈裟だよ、それより今日はもうエラーしないでね」
最後の最後で冗談を言うが、栗原はそれを笑い飛ばせるくらいには回復した。
「……あのさ」
満足そうな顔でベンチに座ろうとした牧野に、佐野がおずおずと声を掛ける。
「ごめん……私、湧のこと分かってなくて……」
「あそこまで言わなくても良かったんだよ、私もやりすぎた」
「……けど」
「むしろ夏輝があそこまで怒ったから、美央も奮起できたんじゃない? チームの雰囲気を治す為に頑張ろうって」
私はただ悪役になってただけだよ、そう言って牧野は話を切り上げる。
「それでもごめんね、それとありがとう」
「……どういたしまして」
チームの為に、栗原の為に自ら嫌われ役を買って出た牧野。
彼女の行動の真意を知っていた白崎が、また牧野に話し掛ける。
「一歩間違えれば、大変な事になってたと、思う……その対策とかも、考えてたんだよね……?」
「…………いや、正直何も考えてなかった」
「えっ……」
「美央なら打てるって信じてたから、そう言い訳させて?」
実際に栗原は復活したのだから、牧野のやり方に異議を唱える事は出来ない。
――確か湧ちゃんって頭良いはずだったよね……? 意外と抜けてるのかな。
そんな毒舌も、白崎の性格上飲み込んだ。
彼女は意外と辛辣な事を思っている時が多い。
その間にマウンドでは、相川と佐久間が会話を交わしていた。
「玲……」
「なんて顔してんだよ、まだ1点差だろ? ウチの打線なら取り返せる、そうだろ?」
「……ああ、そうだな!」
佐久間は打たれた事なんて引きずらなかった。
後続の岡田と荒波を三振に仕留め、三好には粘られた末に四球を与えたが上林は抑え込んだ。
6回裏の蒼海大の攻撃は1番からの好打順だったが、1番と2番は三振に仕留められる。
しかし3番には甘く入ったフォークをライト前に運ばれ、佐久間の打席を迎える。
――佐久間ってあんま苦手なコースとか無いんだよね。強いのはストレートだから、ストレートは投げさせないけど。
初球はフォークから入るが外れてボール。
2球目のスライダーは引っ張られるが、ファールとなり1ストライク。
次はカーブが外れて2-1となるが、スライダーでカウントを整えて並行カウント。
――フォーク投げれば三振取れるかな。
鈴井はフォークのサインを出すが、浜矢は首を横に振る。
スライダーのサインにも、ツーシームのサインにも首を横に振る。
――まさか直球勝負したいの? ……そっか、勝負したいよね。向こうだって直球勝負してきたんだから、伊吹ちゃんもやりたいよね。
ストレートのサインを出すと、浜矢は満足そうに頷く。投げられたのは内角高めへのノビのある直球。
佐久間も待ち望んでいたその球に、ジャストミートさせる。
「……いったか」
「まさか打たれるとは……」
打球は一直線にレフトスタンドへ、弾丸のように突き刺さる。
これで3対2となり、再び蒼海大がリードを奪う。
「伊吹ちゃんドンマイ」
「いやー、今の打たれるとか堪ったもんじゃないよ」
「けど今の少し甘かったよ? 相川さんには打たれないでよね」
「佐久間以外に打たれる気は無し!」
浜矢は宣言通り相川を2球で追い込んだ後、フォークで三振に仕留めた。
3対2という接戦のまま最終回の攻撃を迎える。