貴方の命はキスの味。   作:夜桜さくら

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『今夜は月が綺麗ですね』

 時に、デートという言葉の意味を調べたことがあるだろうか。

 

『異性の友人と会うこと』

『あらかじめ時間や場所を決めた男女が会うこと』

『恋い慕う相手と日時を定めて会うこと』

 

 細かな表現はものによって異なるだろうが、デートというのは大抵の場合会うだけで成立するような感じに記されている。

 では、と。

 これも一種のデートなんだろうな、と思うと胸が弾み──痛む。

 貴女を想うと胸が痛む、なんてそんな台詞ありふれたものだが、彼は同時に頭も少し痛むものなんだなと知った。

 まぁ、そんなものはすぐに優しい月明かりで癒えてしまうのだけれど。

 

「……いた」

 

 やぁ、と十歩ほど先の場所にいるすずかに手を振る。

 すると、物陰に潜んでいた夜空のような髪がふわりと揺れて、すずかが顔を出した。

 彼女ははにかむように笑い、彼に小さく手を振り返す。

 君尋からすれば、もうそれだけで幸せと呼ぶべきやり取りだった。

 

「や。ごめんね、呼び出したりなんかして」

「ううん。全然」

 

 風で揺れる草木のように笑う姿が綺麗で、君尋は思わず笑みをこぼす。

 

「停電したときはびっくりしたけど、もうあんなのなかったみたいだよなぁ」

「そうだねー」

 

 停電事故から約一週間が経った。

 原因は工事中の事故だとかどうとかいうことを耳にした。

 電線が誤って切れてしまったらしい。

 

「もうあっという間に冬だね」

「そうだね。もうこのくらいの時間には冷えちゃう」

「制服って着こむのに限界あるよなぁ。セーターを装備するので精一杯」

「ねー」

「女子はしかもスカートだもんなぁ。やっぱ寒い?」

「んー。まぁ多少。でもタイツ穿いてればそんなだよ」

「へー」

 

 すずかはスカートをちょこんとつまみ上げ、黒いタイツを眺めている。

 スカートの奥に視線が吸い寄せられてしまうのは男の性だろう。

 すずかの仕草にどきっとしながら、君尋は目を泳がせていた。

 

「そういえば紅葉(こうよう)紅葉(もみじ)の違い、調べてみたんだけど」

「ほんと?」

「うん。ちょっと暇だったから。なんだったかな……」

 

 思い出すからちょっと待ってね、とすずかは明後日の方向へと視線を送る。

 

「確かね。ええと、そもそももみじって木は存在しないらしいんだけど……知ってた?」

「え。そうなんだ。もみじもみじってよく言うし、もみじ饅頭とかあるのに」

「私も調べるまで知らなくて、ちょっとびっくりしちゃった」

「……へー」

 

 君尋のすずかに抱いている印象としては、「可愛い」「賢そう」「優しい」などがある。

 まあ本を読んでいるから頭が良いなんてことはない、というのは当たり前の話で、彼自身も本を読む以上わかっている。

 でも憧れの彼女は、理屈抜きで、なんとなく凄そうだという風に思っていて、だけどいま目の前にいるのはそんな大層なひとではなくて。

 君尋は、凄いひとではない等身大の少女と、話していた。

 

「楓の木の中でも特に色づいたものをもみじって言うんだって。紅葉(こうよう)ともみじはほとんど同じ意味みたいな」

「あー。……あー、だから同じ字なんだ?」

「たぶんそう」

「賢くなった」

「やったねっ」

「やった」

 

 そんな他愛のないやりとりをしていた。

 そもそも今彼らが会っているのは、必然という名の偶然に近い。

 先週と同じ時間であれば、習い事をしているというすずかに出逢えるのではないかと、下心をこめて散歩をしていた君尋は「もう習い事って終わったの?」とメッセージを飛ばして、それからなんだかんだやり取りをしてじゃあ会いましょうとなったわけである。

 とはいえ、会って何をすると言っても、何もすることはない。

 会うことが目的で、話すことが目的だった。

 

 だからこれで正解。

 

 なんでもないような会話をして、なんでもないように別れる。

 そういう時間を、彼らは過ごした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 りん、と。

 そんな音とともにお店に入る。

 雑誌に掲載されたこともあるというその名店の名は翠屋。

 どちらかというと、女性人気が高い女性向けのお店ということもあって、存在を知っていても足を踏み入れたことはなかった。

 そもそも高校生に喫茶店などという贅沢をするほど財布に余裕があるはずもなく、だから喫茶店というものに入ること自体が数えるほどしかなかった。

 そんな様々な理由から彼は緊張をしていた。

 

「おはようございますっ。……てあれ、君尋くんだ。一人?」

「おはよう。うん、一人」

「煙草は……まぁ吸うわけないよね。こっちどうぞー」

 

 すたすたと歩くなのはの後を追うと、四人がけのテーブル席に案内された。

 一人で座るには少し広めだがここでいいのか、と困惑の目を向けると、「いいよいいよ」となのはが笑う。

 

「まだ朝だし、そんなに混んでるわけでもないし。注文決まったら教えてね」

「えと。おススメとかある?」

 

 去ろうとするなのはを間をおかずに呼び止める。

 

「んー。朝ごはんって、まだ?」

 

 無言でうなずくと、「それなら」とメニューのモーニングの載った場所をなのはは示す。

 とりあえず席に座りながら、ふんふんとなのはの言葉に耳を傾ける。

 

「うちはABC三通りのモーニングあるけど、このへんがオススメかな? 私はAセットが好き」

「んー。じゃあAで」

「はいはい。セットのドリンク何がいい?」

「ちょっと待ってね……」

「いいよいいよ」

 

 お冷やとかおしぼり後でいいかな、と言いながらなのはは彼の対面に腰掛ける。

 

「お店いいの?」

「ふふ。ほんとは良くないんだけど、お母さんもお父さんも怒らないと思うし。忙しくなってきたら戻るから」

「ふうん」

 

 まあ店長の娘というポジションだとそういうこともあるのかな、と君尋は思った。

 

「とりあえずブレンドコーヒー、ホットで」

「はいはい。待っててね」

「うん」

 

 そうしてパタパタと歩き去ってゆくなのはの後ろ姿を見届けてから、君尋はぐるりと店内を見回す。

 確か聞いた話だと、お店の経営は基本的に高町家で回しているとかどうとか。

 バイトは雇っているが、それも多くはないとかどうとか。

 聞いた話なので正しくはないかもしれないが、その話を踏まえると、なかなか広々としたお店だなあと感じる。

 店のところどころに緑が置かれ、店内は明るく清潔で、珈琲の香りが漂っている。

 

 そんな風にしていたら、なのはがお待たせ、とお冷やとおしぼりを持ってきた。

 もうちょっと待っててね、というなのはを見送り、メニューを眺めたりぼーっとしていたり携帯端末を触ったりして、君尋は時間を過ごした。

 

(いいお店だな)

 

 空気感、といえばいいのだろうか。

 そのお店の持つ雰囲気。

 それがとても柔らかくて、何もしていなくてもなんとなく居心地が良い。

 

「お待たせしましたー」

 

 のほほんとした声で、なのはがトレイを持ってやってきた。

 美味しそうなサンドイッチと、ドリンクが二つ。

 

「あれ?」

「相席よろしいですか? お客様」

 

 ふふ、と悪戯っぽく笑うなのはに、なるほど、と思いながら頷いた。

 

「それ何?」

「豆乳ラテ。最近豆乳ハマってるんだよね」

「へー豆乳。飲んだことないや。美味しいのか」

「うん。……一口飲む?」

「……もらう」

 

 少し逡巡したもののの、普通に味が気になったので一口もらうことにした。

 

「あー。……なんといえばいいのか。すごく口の中に大豆の風味広がるね」

「うん。美味しいでしょ」

「美味しいな」

 

 それはさておき、君尋は自分が注文したものに手をつけ始める。

 手始めに珈琲の香りを吸い込んで、その後に一口。

 珈琲というのはものによってはただ苦いだけだが、彼にとって、このお店のブレンドは凄く飲みやすいものだった。

 すっきりとした苦みが、苦に感じない。

 

「……美味しいな」

「おとーさんに言ったら喜ぶね」

「お父さん……ってあのカウンターのひと?」

「そうそう」

 

 なのはがカウンターに向かって軽く手を振ると、若々しい男性がにっこりと会釈をする。

 

「……え、若くない?」

「ねー。お父さんとお母さん見てると、若作りに関しては不安感じないや」

「……すげー」

「ねー?」

 

 頬杖をついているなのはは、可愛いという言葉を当てはまるのがとても似合う女の子だった。

 綺麗や美しいという形容よりも、可憐という言葉が似合うような、柔らかい雰囲気の女の子。

 

「すずかちゃんに怒られちゃうかも」

「え、なんで」

 

 唐突に出てきた名前に、ドキッとして問い返す。

 なのはは、揶揄うような悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

「間接キスしちゃったし」

「いや」

「それにいま二人きりでおしゃべりしてるし」

「…………」

「すずかちゃんって結構ほら、寂しがりやというか羨ましがりやというか、嫉妬深いとこあるから」

「……そうなの?」

「たぶんね。そんな気がする」

 

 アリサちゃんがそんなこと言ってた、となのはは言う。

 

「まあ私も思い当たるとこはあるし、だからそうなんだろうなーとかは思うかな」

「へー」

「でさ」

「何」

「君尋くんて、すずかちゃんのどういうとこが好きなの?」

「え」

「好きでしょ?」

「いや……」

 

 君尋は、即答できずに口ごもる。

 

「……あれ、違うの?」

 

 なのはが意外だとばかりに、目を瞬かせる。

 

「なんていうか。あんまり好きっていうのもよくわからなくて。友達の好きと恋愛の好きって何が違うんだろとか」

「あぁ。なんとなくわかるかも。私も男の子の友達は何人かいるし」

 

 でも、となのはは続ける。

 

「君尋くんのは、恋だと思うよ」

「そうかな」

 

 繰り返しになるが、感情というものは酷く主観的で、曖昧なものだ。

 だから自分が怒っていると思っていても、周りから見れば悲しんでいるようにしか見えないなどということは往々にして起こりうる。

 

「まあでもどこが好きって聞かれると……」

 

 恋愛だの友愛だの言っても、それが愛には変わりなく好意であることには変わりない。

 だから“好き”を語ることくらいはできた。

 

「目、かなぁ」

「へぇ」

「なんか、吸い込まれそうな色をしてるというか。夜空みたいだなあって思ったことがある。なんていうかさ、良くも悪くも夜が似合うなって思うんだよ。だからなんとなく、そばにいてあげられる人で在りたいとは、思う……いやごめん忘れて」

「恥ずかしがらなくてもいいのに」

 

 くすくすと笑うなのはの顔も見えず、君尋は顔を覆う。

 顔が少し熱かった。

 

「あ、ごめんね。食べて食べて。美味しいよ」

 

 君尋がサンドイッチに手をつけていないことに気付いたなのはが、どうぞと手振りをして食事を促す。

 君尋は「お言葉に甘えて」と、美味しそうなサンドイッチを手にする。

 なかなか分厚いそれを大きく口を開けてかぶりつくと、じゅわぁぁと口の中が水分で満たされるようだった。

 トマトの旨味と、レタスのシャキシャキ、ベーコンの香り。

 王道ゆえに、シンプルな美味しさだった。

 

「……美味しいな」

「でしょでしょ」

 

 我が事のように喜ぶなのはを見ていると、なんだか見ている側も嬉しくなるなぁと彼は頬をほころばせる。

 

「なのはは、将来お店継ぐとかそういう感じなの?」

「……んー。そういう風に見える?」

「えーと、まあうん。別に深い理由はないんだけど、楽しそうだったし……。何か他に夢でもあるの?」

 

 何気ない一言だったが、しかして正鵠を射る一言だった。

 

「まーあるのかなぁ。なやみちゅー」

 

 にゃはは、と子供っぽくなのはは笑う。

 

「君尋くんは? 何かあるの?」

「んー……」

「まぁ、将来とか難しいよねぇ」

「そうだなぁ……」

「ちなみにすずかちゃんは機械工学系らしいよ」

「ほー」

 

 機械工学という単語を頭のノートにメモしておく。

 別にそこを目指すというわけではないが、自分の将来の方向性を定めるときの考えの一助にはなるだろう。

 

「将来ねぇ……」

「難しいよねー」

「難しいなぁ……」

 

 サンドイッチに舌鼓をうち、珈琲の香りを楽しんで一息をつく。

 

「……仕事、戻らなくて大丈夫なの?」

「いいよいいよ。さっきオーダー通すときにお母さんに聞いたけどいいって言ってたし」

「ほー」

 

 なのはは、カラカラとグラスの中の氷をストローでかき回して、嘆息をつく。

 

「……私も彼氏ほしいなー」

「いや別にまだ付き合ってないんだけど」

「時間の問題じゃん」

「……」

「そういうのはちょびっと諦めてたけど、別にそんなこともないのかなぁ」

「諦め……って彼氏? なんで?」

「んー。まあ私もすずかちゃんも、“普通”じゃないからさ。すずかちゃんは特にね。だからかな」

「普通じゃない……?」

「そそ」

 

 ちゅー、とラテを飲んで一拍おいてから、なのはは少し悩むように話す。

 

「どういう方向に“普通”じゃないかは、とりあえず私の口からは言わないけど……心構えだけは、しておいてほしいかな」

「心構え……」

「うん」

 

 野花が咲くように、柔らかく、控えめに。

 なのはは微笑む。

 

「私の親友のこと、よろしくね」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「最近、寒くなったよねぇ」

『うん。朝家出たとき、吐く息が白くなってきちゃった』

「お布団に帰りたくなるやつ」

『ふふ。そうだね、帰りたくなっちゃう』

 

 ありふれた世間話を、電話でしていた。

 夜。

 寝る前の、短い時間。

 ドキドキしながら、はじめての通話ボタンを押して、かけた。

 ひとたび話し始めると胸の苦しみが治り、むしろ心穏やかになるのだから不思議なものだった。

 

『ところで、今日はどうかしたの?』

 

 別に用はなかった。

 すずかの質問にあえて答えるなら、「声が聴きたくなったから」となる。

 しかしそうストレートに言うのも、日本人的じゃないよなぁと思ったりもして。

 

「月が綺麗だったから」

 

 君尋は、婉曲な言い回しを選んだ。

 

『……月?』

「うん。こう、月に叢雲って言葉あるけどさ。まさにそんな感じで、月の周りにだけ凄く雲が集まっててさ」

『…………』

「雲の向こうに透けてみえる月が、なんだか凄く綺麗に見えてさ」

『へー』

 

 かた、と通話の先で物音が聞こえた。

 もしかして空を見るために立ち上がったのかな、と彼は思って、あわてて言葉を付け足した。

 

「あー。ちょっと前のことだからもう空模様変わってるかも」

『……そうなんだ』

 

 少し気落ちしたような声色をしている……ような気がする。

 声のトーンで相手の感情を把握するなんてとはどだい無理な話で、だから推測でしか語れない。

 ひとの心、とりわけ乙女心というのは難解だ。

 女心と秋の空、なんて言葉もある。

 もう秋が終わり、冬が訪れんとする感じではあるが、冬のように澄んだ心境には未だになれない。

 

『あぁ、でも綺麗だね』

「ん?」

『空。窓開けてみたの』

「さむそう」

『さむいよ〜』

 

 ふふ、と笑い合う。

 

『ところで君尋くんって──』

「何?」

『…………んー』

「え、何」

『今夜は月が綺麗ですね』

「──」

『……の意味知ってるのかな、と思って』

「え」

 

 ぐるぐる、と思考がまわる。

 そういえばさっき俺はなんて言った? 

 

「いやちが──」

『違うんだ?』

「あのですね」

『ふふっ』

 

 悪戯っぽい声に、思わずこちらも笑ってしまう。

 

「別にそういう意図があったわけじゃなくて。いやほんと……不快にさせたらごめん」

『気にしてないよ────って言ったら嘘になるけど』

「えっ」

 

 彼女のその言葉に一安心して、次の一言でまた惑わされる。

 

『だってちょっとドキっとしたもん』

「……ええと」

 

 

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