貴方の命はキスの味。   作:夜桜さくら

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ひとつ、私の秘密を教えてあげる。

 彼女と逢うのは夜が多い、と君尋は思った。

 統計的に見るなら、割合的に頭抜けて多いわけではない。

 最近そういう機会が少し続いていたから、そんな風に感じただけだった。

 

 だけれど、夜の一族と呼ばれる彼女と対話をするならば、夜以外にはあり得ないのもまた事実。

 だからいまこうして、夜という時間に逢っているのは、偶然ではなく必然だった。

 

「お、お邪魔してます……」

「いらっしゃい」

 

 君尋の視線は、泳いでいた。

 まず同年代の女子の部屋に入るとか何年振りだ? という話で、そこに好いている相手という条件を足すと生まれて初めてという話になる。

 

「…………」

「……? どうかした?」

「いやっ、猫、いたなーって」

「あぁうん。言ったことなかったっけ。うち猫飼ってるんだ。……アレルギーとか、もしかしてある?」

「ないです……」

 

 まず敷地の広さに驚いて、メイドという存在にこれまた驚いて、屋敷の豪華さに驚いて、女の子の部屋着とか部屋の感じにときめいていた。

 いやもうなんていうか、それ以外にもいろいろ緊張があったのに加えて、その破壊力。

 君尋の精神はもう限界に近かった。

 

「とりあえず座って座って」

「あ、うん」

 

 ぼーっと突っ立っていたところを、ソファへ座るように促される。

 もふん、と。

 お尻が沈み込む感覚に、感動の声をあげそうになる。

 やわらかい。

 細かなことにちくいち動揺しつつ、挙動不審なのは格好が悪いので、君尋は表に出ないように無表情を心掛けていた。

 まぁ、表情をごまかすのは笑顔がベストだというのはよく言う話で、つまり無表情なんてのは感情を隠すのにあまり効果はないのだが。

 

「お茶、もらってくるね」

「あ、うん」

 

 放っておいたらメイドさんがこの部屋に持ってきてくれそうなもんだけどな、と思いつつすずかの背中を見送って、君尋は部屋の中に一人になった。

 柔らかなソファ、向かいにローテーブルがあり延長線上にテレビが置いてある。

 ぐるりと視線を回すと、壁一面の本棚が見える。シンプルながら洒落た木製のそれが部屋の雰囲気をぐっと大人っぽくし、本棚の上に飾られたぬいぐるみたちが部屋の雰囲気をぐっと少女的にしている。

 とりあえず本当に、でかい。

 ここは本当に同年代の女の子の部屋か? というほどにでかい。俺の部屋の倍くらいだなと思いながら、カチコチになって座して待つしかできなかった。

 

「お待たせー」

「あ、はい。いえ、全然」

「そんなに緊張しなくていいよ」

「いや……うん。はい」

 

 ふふ、と柔らかな笑みを浮かべるすずかは余裕そうで、それがどうにも情けなかった。

 

「あ、今更だけどハーブティー平気? ローズヒップ淹れてきちゃったんだけど」

「……飲んだことがないから何とも。たぶん平気」

「ごめんね。最近よく飲むから無意識で淹れちゃってて。一応蜂蜜も持ってきたから、酸っぱかったら足してみてね」

「酸っぱいんだ」

「うん。結構酸っぱい。なんだろ……うーん、まぁレモンとかの系統の酸っぱさ、かなぁ……?」

「へぇ」

 

 カチャ、とトレイを対面のローテーブルに置き、そのまますずかが君尋の隣に座る。

 ぎゅむ、と。

 ソファが沈み、その振動がこそばゆく、彼女から甘い香りがした。

 いつもすずかは可憐で、いい匂いがするのだけど、今日はやけに意識をしてしまう。

 だって月村さん、部屋着が結構ゆったりめ。改めて見ると、改めて見なくても知っていたがこの女胸がめちゃめちゃでかい。

 意味がわからんな……と彼は思っていた。

 

「男の子は自分で買ったりしないイメージだけど、お母さんが買ったりしない? 結構美容によかったりとかで人気あるけど」

「……あーっと。なんか母さんが昔飲んでたような気もしなくもないような……」

「ハーブティー?」

「…………あぁ、ルイボスティーかな」

「ルイボスかぁ。あれもおいしいよね」

「すぐに飲まなくなっちゃったな。なんでかは知らないけど」

「そうなんだ」

 

 すずかが淹れてきたローズヒップは、赤いことが一目見たときの特徴だろうか。

 赤く、紅い。

 紅茶のそれより鮮やかな“赤”は、見るだけで綺麗だという印象を受ける。

 カップがお洒落なのも相まって、これだけでお高いお店でお茶をしているような特別感だった。

 

「いただきます……」

「どうぞ」

「あ」

 

 酸っぱ、と君尋は思った。

 

「どう?」

「いや、おいしい。想像以上にほんとに酸っぱくて、びっくりした。なんか、お茶って感じしないね」

「まぁハーブティーってそういうものだしね。私は結構気に入ってるんだ」

 

 自家栽培もしてるんだよ、と笑うすずかに、それは凄い、と相槌を打つ。

 

「たぶんはじめてだとやっぱり酸味に慣れないとは思うんだよね。酸っぱいのが苦手じゃないなら大丈夫だとは思うんだけど……」

「へぇ」

 

 そう言いながら、すずかはハニーポットから自分のカップに蜂蜜を加える。

 お茶と蜂蜜を混ぜ合わせるその姿も、どこか麗しい。

 よかったら試してみて、というすずかの声に従って、蜂蜜をいれてくるくるとかき混ぜる。

 

「…………あーなるほど」

「柔らかくなるよね」

「なるね」

 

 暖かいお茶で体が温まって、頭の中も、リラックスしてきたようだった。

 そうして、自然と思考を切り替える。

 すなわちどう話を切り出すのがいいのかな、と。

 

 そもそも、ここに来たのは、なのはと話をしてそのままの流れで、だ。

 つまるところ「何がごめんねだったの?」という話をしに来たのだが、それは相手の心に踏み入る行為に等しい。

 繊細で、驚くほど複雑な人の心。

 どうしたって、慎重にならざるを得なかった。

 

「…………」

「…………」

 

 少しの間、お茶を飲むだけの時間が流れる。

 そういえば、と君尋は考える。

 魔法とはなんだろうか、と。

 なのはが言っていた、「私もすずかちゃんも、“普通”じゃないからさ」と言っていた言葉の意味。

 そして、「魔法って本当にあるんだよ」という言葉の意味。

 

 もしかして、魔法使い?! 

 

 という思考をして、そんなわけないか、と即座に自分で否定しようとして……「いや、そういうこともあり得るのかな」と再び思い直す。

 世の中の怪奇現象というのは、未だに解明されていないことも多い。

 数ある幻想の理屈を、科学で説明することができてしまう現代だから忘れてしまいがちだが、科学は全知ではなく、まだまだ途上だということを知らなければならない。

 だからそう、魔法という科学もあるいはあるのかもしれない、と君尋は思った。

 それは的を射た思考で、なのはが願った通りの思想の拡張だった。

 だけれど、彼の隣にいるのはそれとはまた別のもので、そこまでは思い至らない。

 

「……ねぇ」

「ん?」

 

 沈黙を破ったのは、すずかだった。

 

「なのはちゃんと会ってたって聞いたけど、何話してたの?」

「あー、えー。……魔法ってあると思う? とかそんな話」

「そうなんだ」

 

 へぇ、とつぶやくすずかの声色は意外そうだった。

 

「それで、それだけ?」

 

 君尋は、言うべきかどうか迷ったが、ここで嘘を吐くことに意味はないと思った。

 

「……ええと。“私とすずかちゃんはちょっと特別だから”……的なことを言ってた」

「へぇ」

「俺のいまんところの他愛ない妄想だと、なんか二人とも魔法使いなんじゃないかなとか思ってるんだけど……」

「……んー」

 

 なんと言ったものか、とすずかは困っていた。

 半分正解半分不正解。

 だけどまぁ、自分はそんな上等なものじゃない、という自己否定的な思いがやっぱりあった。

 

「…………私の秘密、知りたい?」

「……知りたい」

「そっか」

 

 すずかはローズヒップティーを口に含みながら、視線を明後日のほうへと向けていた。

 実のところ、彼女は酔っていた。

 無論お茶にお酒が入っているとかそういうことではなく、場の空気に、隣にいる相手に、酔っていた。

 微笑みの下にどくどく高鳴る興奮を隠しながら、すずかはお茶を飲んでいた。

 

 秘密にしておきたいという思いと、自分の全部を知ってほしいという思いがせめぎ合う。

 

 冷静に考えるなら、理想を思うなら、これからを願うなら、自分のことを打ち明けるという選択肢以外はあり得ない。

 黙っておいて関係を続ける、というのは、つい先日衝動が激しくなったことを思うといささか難しい点がある。

 

 だけど。

 

 感情というものは、頭の中に描いていた理想通りには動かない。

 理性を超えた感情を止めることなんて誰にもできないのだ。

 

「……あのさ」

 

 逡巡しているすずかを見かねて、君尋が口を開く。

 

「別に俺は、君の秘密がどうしても知りたいってわけじゃないんだよな」

「……」

「正直まだ会って日も浅いし、秘密を教えてもらうとかいう関係かと言われるとどうなんだというのも思う。いやまぁ、仲良くなりたいという気持ちに嘘はないんだけど、別に一足飛びでそうなりたいわけじゃないし、だからつまり、そう……」

 

 なんていえばいいかな、と君尋も明後日の方向を眺め始める。

 天井にはシミもなく、綺麗だ。

 

「つまり、俺は君のことが好きなんだ」

「はえ」

 

 色々考えこんだ末に出てきた、本音の言葉。

 

「好きなんだ」

 

 なんで、とか、どこが、とか。

 そんな装飾の言葉はなかなか出てこなかった。

 

「……付き合ってください」

 

 すずかは放心していた。

 一拍遅れて、迷いが生まれて、迷って、迷って、迷った結果。

 

「…………はい」

 

 頷いて、そして、思い出したかのように、溢れるように、ずっと言いたかったことを口にする。

 

「あの、昨日はごめんなさい。別に貴方に何かあったわけじゃないの。私の、私の感情の問題で。貴方のことは私も、好きです。……ただ」

「別に言いたくないならいいんだ」

「知ってほしいとは思ってるの。でも怖くて」

「……」

「私は貴方に嫌われたくない」

 

 嫌われたくないという心の底からの本音の言葉は、重かった。

 小さい声であったのに、ずん、と空気を震わせる。

 

「あまり俺は、無責任なことを言うのは好きじゃない」

 

 真面目な言葉だったから、真摯に対応するべきだと思った。

 情けないし口にすべきでもないことかもしれないが、それが本音だったから。

 

「自分の好きなひとが何をしてても好きで在り続ける自信はない。殺人癖があるとか言われたら素直に引く自信があるし、放火が趣味とか言われても困るし……そう、俺は君のことをまだ全然知らないんだよな」

 

 だから、と言葉を続ける。

 

「これからもっともっと好きになっていきたいので、君のことを教えてください」

「はい」

 

 じゃあ、とすずかが口を開く。

 

 

 ──ひとつ、私の秘密を教えてあげる。

 

 

 なんだろう、と君尋が思う間もなく、甘く重さが体に乗って、気付けば唇が合わさっていた。

 月下美人が花開くように、穏やかで芳潤なやさしい時間。

 やがて、花が閉じるように、二人は唇を離した。

 

「私、こういうことばっかり考えてるの」

 

 先ほど口にしていたローズヒップのように顔を赤くしながら、すずかが言った。

 どく、どく。

 二人の心臓が早鐘を打って、そして、手が絡む。

 二人ぶんの体重が一点に集まり、ソファが一層沈み、言葉を交わす代わりに二人はまた唇を重ねるのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 十二月二十五日、クリスマス。

 十四時過ぎ、月村邸にて。

 

「二匹くらいなら乗るかなあ」

「ぐえー」

 

 君尋とすずかは、猫と戯れていた。

 ソファで横になっている彼の上に、彼女は次々に猫を乗せていっている。

 乗せたそばから降りていく子、居座る子、リアクションは猫によって様々だった。

 

「でも本当によかったの? クリスマスにこれで」

「それはこっちの台詞なんだよな」

「私は楽しい」

「ですよね」

 

 きゃー、と無邪気に笑うすずかを見ているだけで嬉しくて、君尋としてはそれ以上はなかった。

 先日、クリスマスイヴにもイルミネーションを見に行ってタピオカ飲んでプレゼント交換をして──というようなデートをした。そして、二日連続そういうことするのもなぁ、ということで室内でゆっくりすることになった、というのが簡単な経緯になる。

 

「……? どうかした?」

「……いや」

 

 すずかは今日も可愛いな、ということを思っていただけだった。

 

「まあなんというか……その髪型、なんとなくむず痒いなぁって」

「いやならやめるけど」

「そのままでいてください」

 

 そっかぁ、とすずかは笑いを含んだ声で答えた。

 サイド編み込み、ローポニー。

 君尋は女性の髪型について多くは知らないが、彼女いわくそういうものだった。

 普段すずかが好んでするカチューシャスタイルを、今はしていない。

 先日、彼がヘアゴムをプレゼントとして送ったときに「好きなヘアスタイルとかあるの?」と聞かれて、しどろもどろに答えると今のようになったのだった。

 まあなんともこっ恥ずかしいものだが、可愛いので可愛い。

 

「ところで君尋くんって、アメジストの石言葉とかって知ってるの?」

「え」

「このゴムについてるの、アメジストだよね。たぶん合ってると思うんだけど」

「あ、はい」

「やっぱり」

 

 すずかは自分の結んだ髪に触れて、ふふ、と笑っている。

 

「アメジストの石言葉、知ってる?」

「…………」

「知らないなら、教えてあげるね」

 

 パクパクと口を開閉していると、すずかが続けてそう言った。

 無論、彼が知らないわけがないのだが。

 

「愛の守護石──だって。素敵だね?」

 

 横になった彼の耳元で、脳をとかすように彼女がささやく。

 びくりと彼が震えて、拍子に上に乗っていた猫さんが鳴きながら床に降りる。

 

「…………」

「…………」

「ささやき声やばい……」

「そうなの?」

 

 重石もなくなったし、と君尋は上体を起こして、あらためてすずかと向き直る。

 

「ぞわぞわーってする」

「いやだった?」

「もっとやってほしいくらいですはい」

「……」

 

 へぇ、とすずかが相槌を打ちながら考えこみ、それならやってみたいことがあるんだけど、と微笑みを浮かべる。

 

「なに?」

「耳かき、してみたいなぁーって」

「……」

「いや?」

「……いえ、あの、ぜひ。積極的にやっていただけるとこちらとしても助かります……」

 

 じゃあ耳かきとってくるから待ってて、と彼女はみーみーにゃーにゃーと鳴き声が満ちる部屋から出て行った。

 後ろ姿、髪には紫色の石がついていた。

 愛の守護石とも呼ばれる、愛と慈しみを誠実に守る、誓いの石。

 

「恋人が可愛すぎてつらい……」

 

 彼は、扉が閉まるのを見届けてからそう一人ごちたのであった。

 

 

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