出勤から一時間。各小売店が開店する時間に合わせてフロアから人々が出て行く。俺はいつもの光景を眺めてから肩を竦めた。
「まだ資料の半分も読めてないんですよね。これじゃ今から出るのは無理だな」
半ば独り言のつもりで俺は言った。すると中條先輩がそうだな、と笑う。中條先輩と江崎の体格はかなり差がある。がっちりとした江崎の隣に立つと中條先輩はやけに頼りなく見える。でも二人に共通しているところがあるんだな。それが人の良さそうな顔立ちだ。当たりの柔らかそうな顔ってのはそれだけで随分と得だ。こっちが頼まなくてもクライアントが勝手に油断してくれるしな。
江崎に約束のある客のところに行くように頼んでから俺は画面に向き直った。あれだけ人のいたフロアには俺と事務員の女性の二人きりになっちまった。所長もさっさと出かけたらしい。くそ。人に余計なこと押し付けててめえは外回りかよ。釈然としないものを感じつつも俺は資料に目を通した。
資料には新しいタイプのシステマについて記されていた。勝亦が熱心に話していた内容なんだろうな、これ。二基のシステマの性能がずらりと文章で並べられている。そして新型のシステマの利点がずらり。俺はかなり苦労しながら文章を読んだ。日誌なんかを書く方はてんで駄目だが、これでも俺は文章を読むのは得意なんだ。なのに読みにくいのは説明ばっかりだからだろうな。
ただ一つだけびっくりしたのは、このシステマは男女のツインタイプになっていることだ。これまでのシステマは外観は中性的で、性が感じられないのはもちろんだが、人の形を真似ているだけのものだった。つまり平たく言うと、見てくれは人形だったわけ。その後でゲームのキャラクタもどきだのってタイプが何種類か出たが、どれも廃れたな。
で。一部コアな連中を沸き立たせたらしいそんな商品ですらだよ。顔形とかってのは従来のモノとは大差がなかったんだ。決して不細工ではないが、中性的でどこの国の人間か判んないような見てくれだけは変わんなかったんだな。
そんなシステマに性差をつけるという。俺は我ながら珍しく真剣に画面を見つめちまった。そんなことが可能なのか? システマは人形と思え。中條先輩の言葉が脳裏を過ぎる。でもシステマは人形そのものじゃない。色んな型があるのは確かだが、それら全ては生身なのだ。
例えば俺が日誌を書いたりするのに使ってるこの端末。これは完全に機械で出来ている。この端末はネットワークシステムを介してシステマにデータを送るための機械だ。壊れれば修理も出来るし、側のデザインなんて幾らでも変更が利く。一から組み上げる奴なら、一台ずつに個性も出したり出来るだろ。それこそケースにこだわってみたりも出来るわけだ。
だがシステマはそれは出来ない。あくまでも市場に流れるシステマの外見は完成品なのだ。だから買ってから客が勝手に手を入れるとなると、服を着せたり色を塗ったり程度のことしか出来ない。例えばだよ。システマの背丈がもっと欲しいとか、顔の形を変えてみたいとか、そういうことは出来ないんだよ。それがどんな技術者だったとしても、だ。
俺は気付くと瞬きをするのも忘れて画面を見つめていた。I 3604 Twins。それがこの商品の正式な開発番号だ。これが完成すればそのまま商品名として市場で流通するだろう。ちなみに名前に入ってる『I』は社名のIISの頭文字だ。3604は開発番号。そしてTwinsというのがこのシステマの名称だろう。文字通り、Twinsは二台で一つの商品なのだ。
俺が驚いたのはもう一つ。男の体型に近いシステマを構築するという点だった。これまでシステマを幾つもクライアントに売りつけてきたし、他社の商品もそれなりに俺は見てる。だが、その中にこれまで一つだって男の体型ってはっきり判るような商品はなかった。あー、つまりだなっ。男性の生殖器のついたタイプのシステマってのはなかったわけ。その理由は勝亦から何度か聞いた覚えはあるが……。確か初期のシステマの身体的構成がどちらかと言えば人間の女性に近かったんだっけか。
誓って言うが俺は性差別をするつもりはない。はっきり理解してるって訳じゃないし、理屈がどうなってるかは知らないが、とにかくだ。システマってのは生物の持つ自己治癒能力を活かすってコンセプトで作られてる。その活かすって考え方を元に作られてるからか、システマの肉体はどちらかと言えば人間の女性寄りにされてるんだと。この、どちらかと言えばってのが曲者で、ぱっと見には本当に判んないんだよな。判るのは……その、何だ。だから排泄器官の違いなんだよ。そこまで思い出して俺は慌てて頭を振った。いかん。顔が熱い。想像なんざするもんじゃねえな。たかがシステマって思っても、頭ん中ですり替わっちまう。
いや、システマは道具なんだと強く自分に言い聞かせて俺は席を立った。ずっとこんなもん読んでるから変なこと考えちまうんだよ。そう考えるとほんと、開発の奴らって変だよな。そんなもんのこと一日中考えてるんだもんなあ……。
オフィスを出てエレベーターホールのちょっと奥、人の目に付きにくいところに自動販売機が端に二台置かれたスペースがある。小銭を突っ込んでアイスコーヒーを買ってから傍のベンチに腰を下ろす。そこで俺はしみじみとため息をついた。こんな風にずっと会社に閉じこもってるなんて久しぶりだ。毎朝、客のとこに行く前にある程度の市場調査はするが、そんなに時間はかからない。俺みたいな手抜きじゃない、綿密な調査をするって所長に誉められてたあの中條先輩だってみんなと同じ時間に出るしな。狙いさえ間違ってなけりゃ、調査なんぞあっさり済むんだよ。だからデスクワークなんて殆どしなくていいんだな、これが。
そんな俺が机にかじりついて二時間だぞ。疲れるって。はは、と情けない気分で笑ってから俺は腕に巻いた時計に目をやった。今時、腕時計が珍しい? ばか言っちゃいけない。外回りしてるとだな。いちいち端末だの電話だの見てらんねえ時もあるんだよ。時間確かめるのはこれが一番早い。
誰もいない休憩スペースでコーヒー啜ってから俺はオフィスに戻った。いつの間にか事務の女性がいなくなっている。あ、そうか。昼休憩か。そういえば音楽鳴ってた気がしたな。オフィスにいなかったから殆ど聴こえなかったが。
まあいいか、と一人で納得して俺は残ってたテキストデータを読み始めた。早いとこ読んでさっさと飯を食わないとな。休憩を入れたからか、それからの俺の作業は実にスムーズに進んだ。要するに全部理解しようとするからいけないんだよ。俺は開発の人間じゃないんだから、完全に理解なんてする必要はないんだ。要は会議で何を話しているか判る程度に把握してればいい。どうせ営業の下っ端の下っ端、会社の底辺にいる俺に意見求めてくるなんてこたあねえだろ。