I 3604 Twinsがリリースされて二週間。そろそろ梅雨も終わって本格的な夏が始まるって頃になっても俺の気分はすっきりしなかった。営業成績上がったら給料増えていいじゃないですか、なんて江崎の言葉も頭を素通りする。いつもなら俺も諸手を挙げてその意見に賛同してたんだろうがな。何せ、俺たちが苦労しなくても客の方から売ってくれって煩く言われるんだ。営業努力が微塵も関係ないなんて、こんな笑える話もないだろう。
もちろん先回りして情報を流したってのもあるんだろう。所長が必要以上に喜んでるのも多分そのせいだ。きっとあれだな。上司に誉められでもしたんだろ。でなけりゃ、どう見ても手抜き営業しかしてねえ俺はさすがに叱られてるだろう。
そんな時だった。俺は終業時間を超過して帰社し、警備室で所定の手続きをしてからオフィスに向かうエレベーターに乗ろうとした。降りてきたエレベーターの扉が開き、乗り込もうとしたところで俺は動きを止めた。一人きりでエレベーターで降りてきた勝亦が俺と同じように驚いた顔をしている。
「久しぶりだね」
「おう」
いつも通りに返事した俺の脇を抜けた勝亦がじゃあ、と歩いて行く。俺は慌てて振り返って勝亦を呼び止めた。警備員の詰める部屋の前を過ぎようとしていたところで勝亦が足を止める。
「ちょっと訊きたい事があるんだが」
「今すぐ?」
もしかしたらリリース直後から別の商品の開発でも始まったのか。そう俺が思っちまう程度には勝亦の顔色は冴えない。おまけに白衣着たまんまじゃねえか。そんな格好で電車に乗ろうってのか?
「いいから来い」
そう言って顎をしゃくってから俺はエレベーターに向き直った。タイミング悪すぎだ。何で乗ろうとしたとこで閉まるかな。どうやらエレベーターの扉が閉まったところでたたらを踏んだ俺を見ていたらしい。勝亦が格好つかないな、と笑う。相変わらず嫌な野郎だ。
社員が専用で使えるエレベーターは二基だ。それ以外のエレベーターはテナントの入った六階で乗り換えることになる。行ってしまったのとは別のエレベーターが下りてくるのを待っている間、俺たちはどちらも口をきかなかった。俺の方は訊きたいことは山ほどあるんだがな。どうも人の目が気になって切り出せない。勝亦はそんな俺に言いたいこともないのか、やっぱり黙ってる。
無言でエレベーターに乗り込んで扉が閉まったと同時に勝亦が言う。
「売れてるらしいな」
「あー? ああ、新しい奴か?」
わざわざ訊き返さなくても新製品の話に決まってる。なのに俺は何となく訊き返した。するとああ、と勝亦が頷く。
「そうらしいな」
「何だ。売れているのに浮かない顔して」
不思議そうに勝亦が言う。俺は深々とため息をついて肩から力を抜いた。くそ暑い中を歩き回ったおかげで足は痛いし、身体はだるい。
「お前、俺に嘘を教えやがっただろう」
言いたい放題に愚痴を吐いてから俺は勝亦にそう言った。すると勝亦が怪訝そうに眉を寄せる。ばかやろう。そんな顔したって無駄だ。
「お前が俺に説明したのと、新しい奴って違うじゃねえか」
「へえ」
感心したような声を出して勝亦が薄く笑う。その笑い方に引っかかるものを感じ、俺は続けて文句を言おうとしていた口を閉じた。何だ? いやに不気味なんだがな、その笑い方。何だよ、と俺が声を荒らげたと同時にエレベーターのドアが開く。
誰が聞いているかも判らない、こんなところで文句をぶちまける訳にもいかない。俺はまばらに人の残るオフィスで手早く営業日誌を書き込んだ。慌ただしく作業する俺の後ろで勝亦はじっと待っている。隣に座る江崎にお疲れ、と声をかけてから席を立つ。
「下で待ってても良かったじゃないか」
作業を終えてジャケットを取り上げた俺に勝亦が呆れたように言う。うるせえ。うだぐだ言うんじゃねえ、と小声で勝亦を脅してから、俺はオフィスを出た。こんなとこで落ち着いて話してられない。かと言って、勝亦が言うように地下で待たせておくって気にはならなかったんだよ。逃げられたらしゃくだしな。大体、白衣着たままどこ行くってんだ。
勝亦を促して、俺は開発部に向かった。何で下に行かないのかって? 決まってんだろう。俺は確認したいことがあるんだよっ。
「で? 僕が嘘を教えたって?」
不思議なことに開発部一課には誰もいなかった。勝亦が明かりのスイッチを入れる。すっかり暗くなっていた部屋はすぐに明るくなった。がらんとした部屋をぐるりと見回してから俺は勝亦の席に近づいた。
「そうだ。てめえが言ってたのと、リリースされた奴、まるで違うだろう」
勝亦からさんざっぱら聞かされた解説は多分あのシステマの内容だ。あの日に見たシステマのことを思い起こしながら俺は訊ねた。勝亦は自分の席に腰掛けてじっと俺を見上げている。
「引っ張り出された会議で妙なこと言われたんだ。2wayとは資料のどこにも書いてないってな」
だからえらい恥をかいてな。俺はしかめっ面でそう言った。すると勝亦がなるほど、と頷く。ばかにするかと思ったのに勝亦はやけに真面目な顔をしている。
「なのに2way方式を採用しているって勘違いしてる客が殆どだ。これはどういうことだろうな?」
そう。俺が一番腹が立っているのはそこだ。何で客達は口を揃えて勝亦の説明した通りのことを言うんだろう。二台で一台、大きな仕事を分けてさせるんですね、と納得顔で頷いていた客達の顔が脳裏を過ぎる。その方式ならこれまでよりずっと速く作業が進む。客達はそう理解しているんだ。