睦月が俺の部屋にいる 1
真っ白なシャツを着た睦月が目の前にちょこんと座っている。残念ながら二台は出せないのだよ、と言っていた開発部長の穏やかな笑みが脳裏を過ぎる。
嘘だろ。何度見ても俺はその光景が信じられなかった。ぐっちゃぐちゃに散らかった俺の部屋の真ん中に睦月がいるんだぞ。
「あー……えっと、お茶とか飲むか?」
情けないくらい上ずった声で俺は言った。しばらく部屋の様子を見回していた睦月が黙って首を横に振る。あ、そう。喉は渇いてないか。そりゃそうだよな。さっきまで外の喫茶店で茶をたらふく飲んでたんだもんよ。
事の始まりは開発部長の言葉だった。正直なところ、あのおっさんが考えてることなんざ俺には判らねえ。でも言われたことそのものはとても魅力的に思えた。これ以上のチャンスはねえだろう。何せシステマを外に連れ出してもいいってんだから。
そう。開発部長は俺にそう言ったんだ。聞き間違いなんかじゃねえ。現に開発部長は俺と一緒に例の調整室に行ったんだからな。あのカードを俺にくれた時には、こいつ気が触れたんじゃないかとか思ったが。
まだ俺の頭は混乱してる。あそこで会話したような気もするんだが、殆ど内容を覚えてない。二人をケースから出そうとした俺を開発部長が止めたのは覚えてる。二台は貸し出し出来ないって言われて……そう。だから俺は睦月だけをケースから出してシャワーを浴びさせて、着替えはなかったから下のテナントに慌てて買いに降りて、それを着せて……。
頑張りたまえ。なんてありきたりのせりふで開発部長は俺を部屋から送り出した。これだけは持っていけ、と渡されたインターフェイスの片割れは俺のシャツのポケットにしっかり納まってる。もう片方は睦月が着けたままだ。
頑張るって何を頑張れってんだ。何で俺はあのおっさんの言うことをほいほい聞いてるんだ。大体だな。睦月って妙に目立つんだよ。だから喫茶店で時間潰していたんだが、すぐに居たたまれない気分になっちまった。だからってストレートにうちに連れてくるのもどうかと思うだろ。まるで見合いの席ですかって感じでお互い黙りこくったまま二時間半。結局、コーヒー何杯飲んだか忘れちまったぞ、俺は。
「能戸さん」
「は、はい!?」
考え事をしていた俺は呼びかけに慌てて返事した。静かな面持ちで正座していた睦月がじっと俺を見つめてる。
「暑くないんですか」
「あ、そうだな! クーラーつけた方がいいよな!」
あははは、と空笑いした俺は、散らかったものを慌てて足でかき分け、部屋の隅に放り出してあったリモコンで空調のスイッチを入れた。ほどなく涼しい風が部屋に降りてくる。あ。よく見りゃ睦月のやつ、汗だくになっちまってるよ。この時期に閉め切った部屋にいればそりゃ汗くらい出るよな。って、俺もじゃん!
うわあ、情けねえ。睦月が座れるスペースを何とか確保したのはいいが、それで部屋は片付いた訳じゃない。散らかってた物を足で退けただけだ。俺はばかみたいに突っ立ったまま、頭を抱えて呻いた。
何してるんだ、俺は。見合いしてる訳じゃねえんだぞ。もちろん彼女を部屋に招待したって訳でもない。相手はまだ世間がよく判っていないただの……。そこまで考えて俺は恐る恐る振り返った。相変わらず正座をしたまま睦月がじっと俺を見つめている。どうでもいいが、何だってこう、睦月とか時雨って真っ直ぐに人を見るかな。別に悪いことをしてる訳でもないのに居たたまれなくなる見つめ方ってどうよ。
思わず目を逸らしてから俺は必死で考えを巡らせた。今はこの状況に緊張している場合ではない。本当は時雨も一緒の方が良かったのだが、開発部長のあのおっさんの権限では片方しか外に出せないらしい。開発部長の言った賭けの期間は今日と明日の二日間だけだ。俺が負けた場合、週明けには睦月は元通りケースに戻さなければならなくなる。
「よし。とにかくだな」
まずはこの部屋を片付けよう。俺は睦月に頼んで一緒に部屋を片付けることにした。片付けついでに余計な荷物を処分すると、意外と部屋が広いことが判る。……まあ、ごみは山のように出たがな。
ディスクだのを納めておく収納家具なんぞないから、部屋の隅に強引に積む。掃除機をかける。要らないものを端からごみ袋に突っ込む。睦月の目につくとやばそうなもんは手当たり次第にダンボールに放り込む。そりゃあな。俺だってエロビデオのディスクの一つや二つは持ってますよ。って、うわ!
「何ですか。これ」
掃除機をかけた後、拭き掃除をしていた睦月が手にしたものを見つめて首を傾げる。どうやら積んでいた荷物の間からはみ出してたらしい。俺は慌てて睦月からそれを奪い取った。今は懐かしいレア物グラビア雑誌。俺が学生の頃に友人から強引に譲り受けた代物だ。
「保存しますか?」
焦って雑誌を取り上げた俺に睦月が淡々と訊く。どうやら表紙の写真を視覚から読み込んだらしい。
「しなくていい!」
「ですが、その状態のままでは劣化が進みます。大切な写真なら尚更、データ化して保存することをお奨めします」
生真面目な顔で言った睦月に俺は降参の意を表して片手を上げてみせた。睦月はこれで俺をからかってるつもりはないんだよな。深々とため息をついて俺は手にしていた雑誌をダンボールに放り込んだ。
いきなり睦月が部屋に来ました。
ホントは能戸が引っ張ってきたわけですが。
よく考えたら今ではなかなか難しい居酒屋なシーンとかありますね。
三密を避けるという今のご時世では無理な感じのものですが、大昔のモノなのでお許しください……(泣)