システマティックな少女と一般サラリーマンな俺   作:伊駒辰葉

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走り出す 2

 少しの間、俺の頭の中は完全に真っ白になっちまった。その間も所長は容赦なく喋り続けやがった。所長曰く、中條先輩は忙しいのにわざわざ時間を空けて俺に合わせていたんだそうだ。

 

「お前は私の言うことを本当に聞かんだろ? だからお前のことは中條に頼んである」

「待て……いや、ちょっと待ってください」

 

 混乱する頭を押さえて俺は呻き混じりに所長に制止の声をかけた。つまり何か? 中條先輩は仕事仲間として俺に声をかけた訳じゃないってのか。要するに所長に言われたから忠告したりだの、俺を飲みに誘ったりだのしてたってんだな。ふざけんなよ。

 

「そんな訳ないだろ。あの人は本当にいい人で」

 

 思わず素に戻って言った俺を所長が睨む。

 

「……いいかげんにしろ。能戸、ここは学校じゃない。仲のいい友達とつるんで遊んどるんじゃないんだぞ」

 

 仕事だ、仕事。そう言って所長が腕組みをする。

 

「中條がどうして成績がいいか、能戸は知らんだろう」

「いい人だからでしょ」

 

 ため息混じりに問い掛けられて俺はそう即答した。すると所長が疲れたように肩を落とす。怒りに煮えた俺の頭はゆっくりとだが落ち着きを取り戻しつつあった。考えれば単純な話なんだよ。中條先輩のいい人加減に客はほだされて増えるって訳だ。だがそんな俺の考えを読んだのか、所長は力なく首を横に振った。

 

「違う。奴はうちの所内で一番のプロだからだ。仕事に対する考え方がお前とは全く違う。私らの仕事は平然と他社を踏みにじることが出来る強さがなけりゃやっとれんのだ」

 

 そうでないとあんな風にトップにはなれん。所長はしかめっ面でそう説明した。……おい、ちょっと待てよ。じゃあ何か。中條先輩は冷徹だって言いたいのか。そんなもん、信じられるはずがねえだろうが!

 

「中條は上に行くだろうな。私をすぐに追い越すだろう。春の異動で昇進しなかったのが不思議なくらいだ」

 

 俺の憤りは所長の少し小さな声で紡がれた言葉にかき消された。反射的に言い返そうとしていた俺の言葉が喉の奥で凍りつく。もしかして俺はこれまで随分と勘違いをしてきたんじゃないのか。そんな不安が胸を過ぎる。

 

「能戸。この仕事が本当に好きじゃないなら辞めた方がいい。クライアントはお前のことを気に入っとるようだが」

「ちょっと待ってください。クライアントが……何っすか」

 

 聞き逃しそうになった単語を微かに耳で捉えて俺は慌てて聞き返した。所長は自分の言葉を遮られたことには大して腹も立てなかったらしい。改めて説明し始める。

 

「気付いとらんだろうが、能戸はシステマを見る目が優れとるんだよ。自社他社問わず、お前はシステマを客の目から評価しとるんだ」

 

 それは営業としてだけではなく、システマに関わる仕事につく者なら誰もが欲しがるスキルだ。そう所長は付け足した。今度はおべっかかよ。そう疑った俺を所長がしかめ面で見る。あ、顔に出てたのか。疑り深い奴めって所長に先に言われちまった。

 

 なまじシステマに深く関わるとその目は失われるのだという。いや、そんなこと言われても困るんだが。それにあんた、その前に俺に仕事辞めろとか言わなかったか?

 

 一度に色んな情報を与えられたことで俺の頭は混乱していた。人間関係はきっちり把握しておけ。確か勝亦の奴にも言われたことがあるな。そうか。俺はこれまで随分と勘違いしてたってことか。あれ? それじゃあ。

 

「……所長は憎たらしいから俺のこと怒ってたんじゃねえの?」

 

 思わず敬語使うのも忘れて俺はそう訊ねた。すると所長がしかめ面でばかもん、と言う。

 

「営業成績がふるわんのはいかんな。業務態度がなっとらんのもまずいな。だが私怨で怒ったことはない。私はそういうのが大嫌いなんだ」

 

 えらい早口で所長が言う。もしかして……俺の勘違いじゃなかったらこのおっさん、照れてないか? いや、俺だって所長にこんなことを言われるのは不気味だと思う。だって聞きようによっては俺のことを心配して怒った風に取れるんだもんよ。これまで一ミリたりとも誉めたことがないこの所長がだぞ? 俺を誉めてるっていうか、庇うっていうか、そういう発言するってだけで気恥ずかしいだろが。一番恥ずかしいのは気付いてなかった俺だがな。畜生っ。

 

 ああ、くそ。要するに俺の勘違いってことか。そう納得して俺は深々とため息をついた。確かに社内の人間関係なんて調べたことなかったし、気にしたこともなかった。となると、だ。所長の言葉を信じるならあの開発部長ってのが俺を嵌めたってことだよな。でも俺は単に賭けに負けたってことに……あ。

 

 まさかと思うが……。

 

「俺、もしかして泥棒扱いされてたり?」

 

 嫌な予感を覚えながら俺は恐る恐る所長に訊ねた。大体、この手の予感ってのは嫌な時しか当たらないもんなんだよな。所長が重いため息をついて言う。

 

「今ごろ気付いたか、ばかもん。本当に能戸は私の話を聞いとらんな」

 

 やっぱりですか。そうですか。半ば諦め気分で俺は納得した。だが俺を泥棒に仕立てたところで得することなんてあるか? 個人的な恨みでもあるならともかく、俺は開発部長に何かした覚えはないし、第一あのおっさんとまともに顔を合わせたのは会議の時が最初で。

 

 考え続けていた俺は不意に胸ポケットの中で振動した電話にびくりとなった。うわ、焦った。いきなり電話が入ると思わなかった。何気なく携帯電話を取り出したところで俺は硬直した。電話機の表面にある小さな液晶画面には勝亦の名前が表示されている。……タイムリーなやつ。

 

 ちょっといいっすか、と所長に断って俺は通話ボタンを押した。耳にあてがうとすぐに勝亦の声がする。

 

『一度しか言わないからよく聞いてくれ。例のシステマの処分が急遽決まった』

 

 いつもより随分と低い声で勝亦が言う。俺は息を飲んで目を見張った。何で、という俺の言葉にだが勝亦は答えない。

 

『部長の足止めはした。だがもって十五分ほどだ』

 

 おいおい、ちょっと待てよ! どいつもこいつも、何で俺を無視して勝手なことしてやがるんだよ! っていうか、勝亦! てめえ、どういうつもりだ! ……そんな俺の文句は悉く勝亦に無視された。このやろう。喧嘩売ってんのか?

 

『他の社に引き渡すくらいなら能戸にやった方がましだ。欲しければくれてやる』

 

「くれてやるったってお前」

 

 それっきり電話は切れてしまった。いきなり切られた電話を見つめ、俺は呆然となった。な、何が起こってるんだ? よく判らんが、なんかとんでもないことになってないか? 上司の足止めって何だよそれ。他社に引渡しって何なんだよ。

 

「友達か?」

 

 うわ、全部お見通しかよ。所長に言われて俺は思わず素直に頷いちまった。やれやれ、と所長が呟いて立ち上がる。何をするのかと思ったら、所長はドアを開けてオフィスに声を飛ばした。げ! 何だってここで中條先輩を呼びつけるかな、おっさん!

 

「何ですか?」

 

 いつものように人好きのする笑みを浮かべて中條先輩が応接室に入ってくる。それから中條先輩はちらっと俺を見た。そこで困ったように笑ってため息をつく。

 

「もしかしてオレが性悪なの、ばれた?」

 

 あけすけに言って笑う中條先輩を俺はばかみたいに唖然と口を開けて見つめた。いいから、と所長が中條先輩に手招きをする。ドアのところに突っ立ってた中條先輩は所長の言う通り応接セットに寄り、俺を見て笑って言った。

 

「あんまり人を見かけで判断しない方がいいぞ。そんなだから能戸はオレみたいのに利用されるんだよ」

「利用って」

 

 言われている意味が判らない。力なく言い返した俺に中條先輩はまあまあ、と手を振って所長に向き直った。

 

「それで? 用件は何です?」

「ちょっと能戸に手を貸してやってくれんか。どのみち、私の力だけでは事態は収拾出来んだろう」

 

 ……あの。話がいきなり深刻になってないですか。というか、俺、くび確定なのか!? 俺は断じて盗みなんぞしてねえ!

 

 憤る俺とは対照的に中條先輩はあっさりと言った。

 

「オレにメリットないじゃないですか、それ」

「だから私が頭を下げとる」

「所長も甘いですよねえ。まあ、貸しにしておきますか」

 

 余りにも意外なやり取りをする二人を俺は交互に見つめた。感じていた怒りが鎮まってしまうほど驚いた。うわ。所長、本当に中條先輩に頭下げてるし。立場が逆じゃないのかそれは。というか、所長が人に頭を下げてるの、初めて見たぞ。

 

「状況を端的に説明しろ。オレも暇じゃないんだ」

 

 今度は一転して冷ややかに中條先輩が俺に言う。うわ、性格がいつもと違わないか? でももしかしたらこっちが地なんじゃあ……。

 

「早くしろ」

「あっ、は、はい!」

 

 反射的にそう返答して俺は自分が置かれた状況と、勝亦に知らされたことを中條先輩に告げた。

 

「ふうん。RC1を他社との取引材料にするつもりか。あの人もなかなか」

 

 とっちらかった俺の説明で全てを理解したらしい中條先輩がそう言って笑う。俺は焦って所長を見た。だが所長はしかめ面で俺に首を振ってみせる。つまりこれが中條先輩の地ってことかよ。

 

「ところで能戸。お前、辞めるんだよな?」

 

 そんなあっさり言わないでくれるかな。俺だって辞めたかねえよ。再就職するあてもねえのに放り出されてたまるかよ。そうは思ったが、残念ながら仕事を続けるのは無理だろう。事態をこのままにしておいてもどのみち俺はくびになる。内部の犯行ということで会社を追い出されるのは間違いない。事実、俺はあのカードを持っているのだ。

 

「事態をかき混ぜてる間に逃げるのがベストかな。あの人も警察沙汰には出来ないだろうし」

 

 そんなことになったらオレも困るしな。そう笑って中條先輩は自分の電話を取り出してどこかにかけ始めた。そうしながら俺に手をぞんざいに振る。い、行けってことか? ちょっと待ってくれよ。何で俺が。

 

「後のことは私が責任を持つ! いいから行け!」

 

 この時の所長の怒鳴り声は俺が聞いた中では一番迫力があった。俺は声に押されるようにして慌てて応接室を駆け出した。

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