10
「総員、突撃!」
5本あったHPバーは残すところあと一本。その一本も、既に赤く染まっていた。
ヒースクリフの指揮によって全員がソードスキルをスカルリーパーに叩きこんでいく。スキルを使わないヴィクティムはと言えば、体長の長いスカルリーパーの頭に乗り、刀を突きさしたまま尻尾まで駆け抜けていく。
誰にも見えない一筋の赤いラインが刻まれたのと同時に、ヴィクティムの足元が光り輝く。それを見て即座に飛び降りた彼の背後で、攻略組を苦しめたスカルリーパーが霧散した。
「……」
今まで見たことも無い量のポリゴン片が舞う中、誰一人として歓声を上げなかった。
いつだって熾烈なボス攻略が終われば、誰もが喜びと安堵に声を漏らしていた。誰がMVPだとか、あの時の攻撃は危なかったとか、戦闘の振り返りをしながらも笑顔で戦利品や次の層の話をしていた。
しかし、今の彼らにあるのは途轍もない疲労感。
「何人、やられた……?」
その場に座り込んで呟いたクラインの言葉に、レイドメンバーの数を数えたキリトが答える。
「10人、死んだ」
「ウソだろ……?」
50層以来のボス攻略での死者。しかも、その誰もが一撃で死んでいくところを見てしまった。
この後の階層を守護するボスモンスターが全て同レベルかそれ以上であるのか。その疑問を、エギルは続ける。
「俺たちは、てっぺんまで辿り着けんのかよ……!?」
誰もが先のことを考えて絶望する。だが、先のことを考えている分、まだマシかもしれない。絶望しても前を向くその姿勢がなければ、彼らの足は完全に止まっていた。
そんな彼らと一線を画す実力と精神力を持つ者が二人。
誰もが座り込む中、立ったまま超然とした雰囲気を纏い、生き残ったメンバーを見下ろすヒースクリフ。
つまらなさそうに刀を置いて、アスナに手を繋がれていなければ今にも次の層へと飛び込んでいきそうなヴィクティム。
どちらもスカルリーパーの強力な鎌を防ぎ続けた猛者であり、どこか浮世離れした雰囲気を持つ二人だ。
けれど、やはり違う。
自分の為に周りを顧みることも無く、自力で目的を果たそうとするヴィクティムは、どこまでもプレイヤーであり人間臭かった。ラフコフ討伐戦前に見た、楽し気に彼らを狩り尽くす姿。討伐戦後の沈んだ表情。アスナと会話する姿と、それ以外に見せる拗ねたような表情。ソードアート・オンラインが感情を過剰に見せるシステムであることを考慮しても、人間としての感情で人と接していたように見える。
しかし、ヒースクリフは違う。
どこまでも聖騎士。どこまでも超然としていて、人間離れしたような、他のプレイヤーとは元々立っている場所が違うような。
そして脳裏に、75層攻略前の興行として行った時のデュエルが蘇る。
最後の一瞬。確実に入ると思った最後の一撃を防がれた時の、あり得ない速度。
「ふふ」
何かに気づいたキリトの様子を遠目に見たヴィクティムがくぐもった笑いを溢す。誰にも気づかれない二人の言動。その理由は同一のものだ。
過ったのは一つの可能性。もし間違えば、キリトは犯罪者どころかトッププレイヤーを束ねる聖騎士殺しとして奴隷的扱いを受けるかもしれない。
それでも、もしそうであるならば。
「……ッ!」
放つのは片手剣スキルの単発重攻撃、ヴォーパルストライク。
プレイヤーを見下ろすように佇む聖騎士の首元を狙って最速で駆ける。誰もが気を抜いている中、その姿に気が付いて目で追えたのはたった一人だった。
目前に迫るキリトに気が付いて、盾を持ち上げても遅い。僅かに盾の上を過ぎた黒い片手剣は、しかしヒースクリフの首元を貫くには至らなかった。
黒い魔剣の切っ先の進撃を阻み、ヒースクリフの命を守ったのは紫色のメッセージ。
「システム的不死、って、どういうことですか。団長!」
Immortal Objectと書かれた警告はすぐに消え、代わりに座っていたプレイヤー達が立ち上がる。警戒と困惑を混ぜた感情を心に宿し、武器を手にする。
「この世界に来てから、ずっと疑問だったことがある」
キリトは語る。この世界を完成させ、観測することが目的だと言った茅場晶彦は、一体どこで自分たちを観測しているのか、と。そして、他人がやっているゲームを傍から見ていること程つまらないものはない、と。
そこから導き出される結論を口にする。
「なぁ、茅場晶彦」
聖騎士ヒースクリフの正体。この世界で初めてユニークスキルを取得し、攻略組を先導してきた。誰からも信頼され、希望とされてきたプレイヤーが一転、絶望の魔王になる。
最悪のシナリオを語るヒースクリフに、引きつった笑みで答えるキリト。
緊張状態の会話に、一つの笑い声が響いた。
「アハハ、やっぱりバレちゃったね、ヒースクリフ」
「やはり君もか。参考までに、いつ気付いたのか教えてもらえるかな?」
「……この前のデュエル、最後の一瞬だけアンタ早すぎたよ」
「そこの黒いのと一緒だね。まぁ、アンタが誰でもいいから言わなかったけど」
契約もあったしね、と口の中で呟く。
「そうか。あれは私としても痛恨事だった。キリト君の攻撃に気圧されて、ついシステムのオーバーアシストを使ってしまった」
「あれ僕と同じくらい速かったもんね」
傍から見ていたヴィクティムも、ヒースクリフの異常な速度には気づいていた。むしろ、それに気が付いたからこそ、彼はヒースクリフとの契約を結んだのだ。
硬さだけが取り柄なら、ヒースクリフはヴィクティムの敵ではない。速さで翻弄して、背後からの一突きで終わりだ。けれど、そこにオーバーアシストによるあの速度が加われば、逆にヴィクティムの方が手も足も出なくなる。
つまり、ヒースクリフがヴィクティムを殺すという約束の信憑性が確固たるものになったのだ。
「そんで?正体がバレちゃったヒースクリフサンはどうすんの?」
ただ一人、足を延ばして座ったまま話を続けるヴィクティム。
正体のバレた魔王がすることなど相場が決まっている。煙に巻いて魔王城で勇者を待つか、もしくは。
「最終的に私の前に立つのはキリト君だと予想していた。二刀流は全てのプレイヤーの中で最も反応速度の速い者に与えられる。その者が魔王に対する勇者の役割を担う筈だった」
そう言ってキリトの傍に寄ってきたサチを見やる。
「だが君は私の予想を超える力を見せてくれた。そして、ヴィクティム君」
「ん?」
「もしキリト君が途中で折れるか、死んでしまった場合は君が私の前に立つはずだった。そういう意味では、君との契約は元々守れなかった。それについては謝罪しよう」
「あっそー」
つまらなさそうに返答するヴィクティムに対し、満足そうに頷くヒースクリフ。
それだけのやり取りを躱し、視線をキリトへと戻す。
が、彼らが話を進めるよりも先に、血盟騎士団の団員が行動へ移す。あまりにも短気なそれは、忠誠を誓ったリーダーが、姿を偽った魔王だったことに対する怒りだ。裏切られた者達の感情を一身に、感情的に剣を握った。
「よくも……よくも、俺たちの忠誠を――――!!」
名も知らないプレイヤーの動きを見ていたヴィクティムは思う。
忠誠など糞喰らえ。何故この自由な世界で、自ら縛られるような制約を課すのか。別にバカにしているわけじゃないが、自分には到底できないだろう。
何故なら、彼が今感じている悔恨や怒りは、ヴィクティムが仮想世界に来る前に感じていたものと同種のものなのだから。
しかし、ヴィクティムと違い武器を握った彼の刃は、ヒースクリフには届かない。
スッと手を振ったヒースクリフが一秒にも満たない時間でいくつかの操作をすると、飛び掛かったプレイヤーの動きが止まる。
「な……!」
「キリトぉ……!」
「クライン、エギル、アスナ!皆!」
それだけじゃない。キリトとヴィクティム以外のプレイヤーが次々と倒れていく。
「お、アスナさん大丈夫?」
「ティム君は……?」
「僕は大丈夫みたいだね。あの黒い人も」
二人以外のプレイヤーを強制的に麻痺状態にした当の本人は、キリトと向き合う。
まるでテレビを見るような気楽さで二人を観戦するヴィクティムの手は、変わらずアスナと繋がれていた。
「どうする気だ。ここで全員殺して隠蔽する気か?」
「まさか。少し早いが、私は第100層の紅玉宮にて君たちを待つとしよう。なに、君たちなら必ず辿り着くと信じている。が」
ダンッ、と鞘を兼ねた大盾を地面に着く。
「その前に、私の正体を看破した報酬を与えなくてはね」
ヒースクリフの言う報酬とは、この場で一対一の決闘。つまりは、SAOクリアのチャンスが与えられているのだ。不死属性は解除され、HP量も同じ状態から始まる。完全なプレイヤーの実力が全ての、平等なデュエルだ。
ただ、デュエルをするのはたった一人。もう一人には、デュエルをした方が負けた際に、ユニークスキル若しくはユニーク装備を与えられる。
勇者の役割を持つキリトか。死の契約を結んだヴィクティムか。
判断は二人に託された。
「……ヴィクティム」
「好きにしなよ。僕はどっちでもいい」
「そうか……ありがとう」
「感謝されるようなことじゃない。僕としては、アンタが死んでくれた方がいいけどね。まだまだゲームを続けられるし」
「はは、笑えないな」
「冗談じゃないもん」
「……ほんとに笑えないな」
そう言ってキリトはこの世界で出会った大切な友人たちの元へ向かう。
二刀流は魔王に対する勇者が持つスキル。彼の背負う二刀には仲間の想いだけではなく、魔王たる茅場晶彦から与えられた役割という重荷が宿っている。
だからこそ選ぶのは、その二刀で魔王を打ち倒す選択。
対してヴィクティムは、望みを叶える最後のチャンスかもしれない状況であるにも関わらず、終始穏やかだった。
「ねぇティム君」
そんな彼に、麻痺に倒れながらもヴィクティムの手を握り続けているアスナが聞く。
何故、そんなにも穏やかでいられるのか。君の願いを叶えたいわけじゃないけれど、君が求め続けたモノを手に入れる最後のチャンスなのに。
現実世界に戻れば、天宮遥は想像を絶する地獄を生きていくことになる。
2年間で衰弱しきった体を元に戻すリハビリに加えて、仮想世界に来てしまったが故に慣れることも無かった左足だけの生活。里親の家族とも連絡はつかず、退院した先のことは全くの不透明。
それらが嫌で、君は死にたかったんじゃないのか。
アスナは問う。
けれどヴィクティムの反応は淡白なものだった。
最後の会話を終えたのか、ヒースクリフと向き合い、両手の剣を構えて走り出すキリトを見ながら答える。
「僕はこの世界を作ってくれた茅場に感謝してる。本物の死があるこの世界を、自分の足で駆け抜くことができた」
決闘は静かに始まり、デュエルとは比較にならない苛烈さで進んでいく。
「あいつは、二刀流を持つ者に勇者の役割が与えられるって言った。そして、自分が魔王だって」
SAOはMMORPGだ。クエスト中の役割や職はあっても、物語のキャラクターのような役割は無い。
それでも、茅場晶彦は魔王と勇者という役割を口にした。
「これまで自由にやってきた。誰の迷惑も考えず、誰かに縛られることも無く。だったら、まぁ最後くらいは、あいつの好きそうなことに協力してやってもいいかなって思ってさ」
この世界のルールは茅場晶彦だ。
剣だけの世界。魔法は無い。無限にも思えるスキルに、ステータスが全ての実力世界。そして、現実の死。
彼が定めたルールに則り、定めなかったことは自由なこの世界が、ヴィクティムにとって最も居心地のいい世界だった。
里親の二人も、その子供も。自分の体のおかげで生き延びた患者も、世界的に珍しい症例で脚光を浴びた医師も。自分を縛る何者もいないこの世界は、まさしく理想郷だった。
だからこそヴィクティムは、そんな世界を作り出した茅場晶彦に心から感謝している。
「アスナさんはさ、生きて帰りなよ。僕を守るって言ってきちんと守り通したことはすごいと思うし、実際、さっきのボス戦でアスナさんが居なかったら5回は死んでたと思う」
キリトの猛攻を精密に十字盾で叩き落とすヒースクリフの表情には余裕がある。対して、ソードスキルを使えない、使っては勝てないキリトの表情は必死そのもの。今まで幾度となく敵を屠ってきた究極の必殺技は、ラスボスたる茅場晶彦がデザインしたものだ。使えばすべての技を叩き落された挙句、スキル後の硬直を狙われて終わりだ。
鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。
「自分で決めた意志を貫き通す力を、アスナさんはもう持ってる」
「な、なんで、それを……!」
「僕を通して何かを為そうとしてたのは気付いてたよ。でもまぁ、僕を利用するって感じでもなかったから放っておいたけど」
今まで利用されてきて、それに気が付き、二度とそうはならないと誓ったヴィクティムだからこそ気が付いたアスナの心理。
シュルと羽織と同じ浅葱色の髪紐を解き、左手を握るアスナの手に握らせる。
「僕はヴィクティム。誰かに利用され続けた生贄だ。現実に帰れば、僕はまた生贄になっちゃう。だから、ここでの役割と一緒に、僕は死ぬ」
脇に置いた菊一文字を持って、生贄を名乗る少年が立つ。
美しいブロンドを靡かせるその姿は、生贄と呼ぶには綺麗すぎた。少女のような見た目の彼は、優しい笑みを浮かべてアスナを見やると、直ぐにその笑みを別のものにする。
犬歯をのぞかせ、獰猛に笑い、死ぬために走る。
「ダメ……ダメよ!行かないで、ティム君……!」
「さよなら、アスナさん。ああ、もし現実に戻って僕のことが気になったら、横浜港北総合病院に行ってみるいいよ。ついでに、倉橋って先生にSAOを貸してくれてありがとうって言っておいてくれると嬉しいな」
きっと、責任を感じてるだろうから。
言い残したヴィクティムは駆ける。アスナの言葉よりも早く駆けたヴィクティムの向かう先は、ヒースクリフの反撃を掠め、激情のままにソードスキルを発動してしまったキリトだ。27連続の二刀流ソードスキル『ジ・イクリプス』をシステムのように弾かれ、最後の一撃で青い片手剣が盾に阻まれ砕け散る。
「さらばだ、キリト君」
紅い燐光を纏った十字剣が振り下ろされる。
魔王によって、勇者が死ぬ。在ってはならない物語だけれど、この世界はゲームであり現実だ。どんな非情な現実であっても、この世界に居る以上は受け入れなければならない。
だが。
「ざんねん」
ノンフィクションであれば、キリトは死んでいた。誰もかれもが麻痺によって動けず、唯一動けるヴィクティムとはほとんど関わりが無い。そういう意味で言えば、キリトの命を救ったのもまたヒースクリフ、茅場晶彦だとも言えた。
「勇者を魔王の一撃から救う、なんてのも王道でアンタ好みなんじゃない?」
「ふっ、それを言うのなら一撃で死んでおくべきだったな、ヴィクティム君」
魔王の攻撃で死ぬはずだった勇者を間一髪のところで仲間が救う。まさにファンタジーの王道だ。
ヴィクティムが予想した通り、茅場は至る所に王道らしい要素を盛り込んでいる。魔王と勇者の立ち位置然り、ギルド名然り、アインクラッドの各階層のテーマ然り。
キリトを蹴り飛ばし、ヒースクリフのソードスキルをその身で受けきったヴィクティムが刀を抜く。
「アンタのソードスキルが貧弱なだけでしょ」
「ソードスキルを一度も使わなかった君に言われるとはね。それはさておき、これはどうしたものかな。あくまでも指定したのは君たちのどちらかとの決闘だったが」
「一回くらいチャンスがあってもいいでしょ。アンタだって、こないだのデュエルでズルしてるんだし」
「それを言われると弱いな。よかろう、それでは仕切り直しを」
「する前に、僕とは個人的に戦ってもらうよ」
「……ほう?」
刀の切っ先をヒースクリフに向ける。ヒースクリフは鋭い視線を向け、蹴り飛ばされたキリトは呆然とヴィクティムを見ていた。
「な、何を言ってるんだヴィクティム!」
「うるさい。ヒースクリフに追いつけないアンタは黙ってろ」
「っ」
ばっさりと切り捨てると、ヒースクリフとの会話を続ける。
「アンタが契約を守るつもりが無かったなんてどうでもいいんだよ。僕とアンタは契約を結んで、一回こっきりとはいえ攻略組を手伝ってやった。だから、アンタには僕を殺してもらう」
「ふむ、一理ある。が、私にその契約を守る理由は無い。既にHPもキリト君に合わせてしまっているからね」
「うん、だからアンタに不利な条件が無いようにしてあげるよ」
そう言ってヴィクティムが提示した条件は、ヒースクリフにとってのデメリットがほとんど無いものだった。
提示したのは二つ。
一つはオーバーアシストの常時使用。最も、これに関しては元より二人の契約に入っていたようなものだ。ヒースクリフのオーバーアシストの存在を知らなければ、そもそも契約を結んでなどいない。もし戦うことになれば、むしろヴィクティムの方から使うように言っていた筈なのだから。
しかし、誰もが驚いたのはもう一つの条件。
「さっき解除してた不死属性、僕と戦ってる間はつけてていいよ」
勝つつもりが無い。死ぬためだけに戦うヴィクティムでなければ出ない言葉に、さすがのヒースクリフも言葉を失う。
「僕以上の硬さ、僕と同じくらいの速さに加えて、減らないHP。これだけあっても僕と戦うのは嫌なのかな、魔王さんは」
「……ふ、よかろう。その条件で、君を殺すまで戦おうじゃないか。キリト君との仕切り直しはその後で行おう」
「いいじゃん、魔王。そうこなくちゃね」
キリトとの戦闘の前に行った操作で不死属性を付与し、オーバーアシストを常時使用できるよう自身の設定を変更する。
もはやプレイヤー同士の決闘ではない。これではただの処刑だ。アスナを始めとして、親交のあるエギル、誰かを犠牲にするようなやり方を嫌うクライン、血盟騎士団のメンバーが止めろと叫ぶ。
そんな中、蹴り飛ばされた姿勢のまま、砕けて消えた剣があった左手を見つめていたキリトとヴィクティムの視線が合った。
無言のままの二人は、ヴィクティムがふいっと視線を逸らすまで視線を合わせていた。
「ああ、そうだ。ついでに、あの黒いのも麻痺にしておいてよ。割り込まれても嫌だし」
「そうだな……それでは始めようか。どこからでもかかってきたまえ」
「それじゃあ、遠慮なく」
誰の意志も意見も置き去りにして、二人の戦いは始まる。
最後かもしれない戦いの前哨戦。人生最後の戦闘。最速のプレイヤーと、最速になれるゲームマスター。
理不尽で、不条理で、互いの望む処刑が始まった。
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塊のような白銀がヒースクリフを襲う。正面から襲い掛かるそれは、絶影の二つ名を持つヴィクティムが放つ最速の連撃。縦横無尽に煌めく剣閃がヒースクリフの盾に弾かれ、次の瞬間にはもう一度ぶつかる。
マシンガンのように絶え間なく響く衝撃音。
もはや叫び声も静止の声も無く、麻痺で動けない彼らが思うのは一つだけ。
ヒースクリフの不死属性が無ければ、あるいは。
元よりソードスキルを使わないヴィクティムには決まった型が無い。茅場がデザインしたソードスキルは体の自由を奪われる感覚がするから、という理由で使用しなかった経緯がここにきて開花していた。
ただ気になるのは、60層のフロアボスを殺し、ラフコフ討伐の際にPoh相手に見せた、全方位攻撃をしていないこと。速度の檻で囲むあの攻撃は、ヴィクティムの代名詞である速度を十全に生かしたものだ。
目の前のヴィクティムの戦い方は、まるで誰かの真似をしているような。それでいて、自身の長所を活かすような。そんな戦い方だ。
「ほう、確かにこれは、アシストが無ければ防ぎきれなかったな」
「防いでるばっかじゃ殺せないよ?」
「そうだな。では」
ガン、と大きく刀を弾くと一転攻勢に出るヒースクリフ。
オーバーアシストによる速度限界はヴィクティムの速度と同等らしく、避けるヴィクティムと防ぐヒースクリフの攻防は拮抗していた。
「認めよう、ヴィクティム君。この世界での最強は君だ。魔王の私より、勇者のキリト君より、君は強い」
「そりゃどーも」
「ユニークスキルはある意味チートだ。私がデザインしたスキルではあるが、たった10種類しか存在せず、その全てに役割が与えられている。しかし君は、この世界のルールに則ったまま最強の地位まで上り詰めた。私はねヴィクティム君、心から君に敬意を表する」
「開発者様にそう言われれば悪い気はしないね」
目にも留まらぬ速度の攻防は、剣を交えて互いを吹き飛ばしたところで停止した。僅かに剣が触れたのか、金糸のような髪がはらはらと落ちる。
まるで少女のようなヴィクティムが衝撃を殺すために曲げた膝を伸ばして立ち上がった。その小さな体には幾つもの赤いダメージエフェクトが走っており、直撃すればHPが全損するのは確実なのが見て取れる。
ヴィクティムの望む死はすぐそこだ。今までの彼ならば、笑いながらヒースクリフに向かって行くだろう。
しかし、今の彼は笑うことも無く、時折どこかを気にするかのような素振りを見せる。
死以外の何かを気にして殺し合いに向かう姿は、らしくないと言う他ない。
「さて、そろそろ最後といこうか。アンタはこの後も戦うんだし」
「それはそうだが、君はいいのかね?」
「ん、まぁ十分楽しんだしね。この世界に来て、自分の足で走ることができた。最後の最後でいい人に出会えた。伝言も伝えたし、後悔も何もない。残せるものは受け取ってもらえたみたいだし」
倒れたまま苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるキリト。今にも泣きそうな表情でヴィクティムを見つめるアスナ。それ以外の倒れ伏した攻略組の面々を見て、ヴィクティムは口にする。
元より死ぬつもりであったが、最後に十分以上に楽しんだ。元々悔いはなかったけれど、満たされていたはずの心を満足させることができた。
ここに来てよかったと。
ナーヴギアを被ってよかったと。
希望に救われたと。
あまりにも救いの無い希望を叶えるために生きてきた少年の吐露。こんなにも絶望に満ちているというのに。聞くだけで心臓が締め付けられるような言葉なのに。年端も行かない少年が口にするには、余りにも重い言葉だというのに。
その言葉を聞いた全員が、希望に満ちている言葉だと感じてしまった。
感じてはならない筈の感情を抱かせたヴィクティムは、死ぬ直前の人間とは思えない程に美しい笑みを浮かべて駆けだした。
白銀の刀を手に、魔王の元へ一直線に。最短距離を、最速で。
尾を引く金と浅葱と白銀を残すそれは、少年のラスト・ラン。
現実で一度救われ、最初の絶望が霞と思うほどの絶望を味わい、誰もが絶望と感じた世界で希望を見出した少年の最後の拍動。
その姿から僅かに視線を逸らしたヒースクリフは瞠目する。
ヴィクティムの左側から迫るアスナの姿を視認したからだ。
他のプレイヤーの麻痺はまだ効いている。なぜ一人だけ。まさか。
そんな思考が一瞬で廻ると、新たな光景に移り変わる。
剣も握らずに向かってくるアスナの胸に、見覚えのある白い刀があった。
「なっ、きゃっ!?」
ヴィクティムには劣るものの、攻略組で最速だったアスナの動きが急停止する。
原因は手に持っていた刀を抜き身のまま向かってくるアスナに投げつけたヴィクティム。刃が剥き出しになったそれは、ふわりとアスナの腕の中に納められた。その際、僅かに刃が触れたのか、アスナのHPが1ドット減り、ヴィクティムのカーソルがオレンジになる。
全員が動けない中ただ一人、要求値ギリギリだった刀を捨てたことでさらに速くなったヴィクティムが加速する。
繰り出したのは、ただ速いだけの蹴り。左足を軸に、鞭のように放たれた右足は呆気なく盾に防がれた。
「――――さらばだ、ヴィクティム君」
紅の鎧を身に纏う魔王は、最強のプレイヤーだった少年の最後の攻撃を受け止める。
そして、十字剣に紅の燐光を纏わせて、笑みを浮かべた。
「――――楽しかったよ、ヒースクリフ」
さようなら。
瞬間二連撃のソードスキルを防ぐ術を持たないヴィクティムの体に、十字の傷が刻まれる。
死ぬ直前に放った言葉は、開発者冥利に尽きるものだった。最後の最後まで楽しませてくれたヴィクティムに、ヒースクリフは、茅場晶彦は笑みを浮かべる他なかった。
アスナの目の前で、唯一の希望を叶えた生贄を名乗る少年が弾け散る。
ゲームマスターのように全知全能ではなく。ソードアートオンラインを開始する前からゲーマーだったわけでもない。あくまでも他のプレイヤーと同じ、ただその身に宿した歪んだ希望に向かって走り続けた少年は、最後の最後でこの世界のすべてを理解して、必要なものだけを残して、自らの望みを叶えて死んだ。
美しく舞うポリゴン片に少年の意志は既に無く。
残ったのは勇者と魔王。そして、最後に必要なピースである白銀の刀だけだった。