犠牲の道   作:百日紅 菫

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9話 絶望

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 その後のことを、ヴィクティムは知らない。

 死んでその場から退場したのだから当然ではあるが、彼の予想通りになったのかどうかにすら興味は無い。

 

 その場に崩れ落ちたアスナからヴィクティムの遺品である菊一文字則宗を受け取ったキリトが、死闘の果てにヒースクリフを打倒したことも。

 

 SAOクリアと共に崩れ落ちるアインクラッドを眺めながら茅場晶彦と対話したキリトとアスナのことも。

 

 現実に帰還した後も目を覚まさない300人のプレイヤー達のことも。

 

 その黒幕を知って救出する為にキリトと風林火山、エギルにリズベット、そしてアスナが奮戦したことも。

 

 その末に、生き残ったSAOプレイヤーが全員解放されたことも。

 

 全てはどうでもいいことなのだ。

 天宮遥の分身であり、もう一人の彼だったヴィクティムはあの世界で死んだのだから。現実世界と死だけが繋がった仮想世界で、世界の創造主にして魔王だった騎士に殺されたのだ。

 その事実が覆ることは無い。

 あの場に居た全てのプレイヤーが証人だ。

 だからこそ、これは悪夢だと思った。そう考えて然るべきだった。

 鋼鉄の浮遊城で剣を握った。誰にも追いつけない速度を手に入れて、幾度となく死闘を繰り広げ、その度に相手を殺し尽くし、最後に全てを清算して死んだ筈なのだ。

 なのに、何故。

 二年間開かれることのなかった重い瞼。力の入らない手のひら。苦しい程に乾いた喉からは、ひゅうひゅうと呼吸音が抜けていく。

 ぼやけた視界に映ったのは、あの世界と変わらない姿形の彼女の姿。その後ろに控えている白い服を着た男性は、二年前に仮想世界に閉じ込められる直前に見た医師だろう。

 何故。

 その疑問に答えられる者は存在しない。

 だが、自問するだけの少年にはわかっていた。

 あの騎士は。魔王は。創造主は。最後に自分を殺してくれた感謝すべきクソ野郎は、約束を破ったのだと。

 怒りは湧かなかった。

 ただ、目の前の現実を処理するので精一杯だったからだ。

「遥君……!」

 明日奈の後ろに居た倉橋医師が瞼を開けてから動かない遥の頭からナーヴギアを外す。二年間処理されることのなかったトゥヘッドのブロンドがはらりと落ちる。腰まで伸びたブロンドヘアはべたついてはいるものの、不快になるような異臭はせず、むしろ甘い香りがするようだった。

 久しぶりに肌で感じる空気は冷たく、換気の為に開けた窓から流れ込んでいるようだ。ぼやけていた視界も徐々に鮮明になって、久しぶりに見た景色に僅かな懐かしさを覚える。

 ああ、帰ってきてしまった。

 生きて戻ってきてしまった。

 違和感を覚えて、右足を触る。布団の中で触れた右足は太腿の半ばから無くなっていた。ベッドに預けた背には、最早慣れてしまった小さな感触が残っている。

 呆然としていた遥の表情が歪む。

 ようやく晴れた視界は水中のように滲んで、乾ききった喉を震わせ、走る痛みを気にも留めずに絶望を吐き出した。

「ぃ……ね、なか……っ、た……」

 SAOから生き延びて帰還してきた彼らは一様に喜びを露わにしていた。

 死の危険がなくなったからか、SAOでの出来事を懐かしむように口にして、とあるプレイヤーはあの世界の出来事を本にしているという。

 どんな形にせよ、彼らは生きて帰還できたことが嬉しくて仕方が無いのだ。

 対して遥は全く逆の反応を見せる。

「し……ぃた、か……った……!」

 死ねなかった。死にたかった。

 二年間思い描き、願い続け、叶えたと信じた絵空事は空を切り、三度目の絶望に少年の心は完全に砕かれた。

 涙を流し、慟哭しながら両手でそれを握る。

 不自然に沈んだブランケット。本来なら右足があるそこには、何も無い。

 ああ、忌まわしくも懐かしい体よ。戻ってくるつもりはなかった傷だらけの体よ。ヴィクティムと共に死ぬはずだった、失うばかりだった哀れな体よ。

 ただいま。

 そして。

 


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