6
絶影と呼ばれるには遅すぎる速度で洞窟を駆け抜ける。
アスナを先頭に、キリトと遅れて途中で出会った攻略組ギルドの風林火山が続く。誰もが必至の形相で、そこに含む感情は心配と不安が占めていた。
「アスナ、ヴィクティムがラフコフのアジトに着いてどれくらいだ?」
「もう5分は経ってる」
「オイオイ。そんだけの時間がありゃ、プレイヤー一人なんてとっくに殺されちまうぞ!?」
「いえ、彼が相手ならその心配は無いはずです。むしろ、心配すべきは……」
エギルの店からヴィクティムが去ってすぐ。嫌な予感がしたと言うキリトの言葉で、フレンド追跡機能を確認したアスナは顔を青ざめた。
高速で移動するプレイヤーアイコンは、アスナが伝えたラフィン・コフィンのアジトのある洞窟へと真っ直ぐに進んでいた。キリトの心配は的中していたという訳だ。
それからすぐに、ヴィクティムを追いかけるキリトとアスナ、ラフコフ討伐作戦を提案した聖竜連合に情報を伝えるアルゴに分かれてエギルの商店を出た。その道中でクライン率いる風林火山と遭遇し、今に至る。
ラフコフの危険性を知っている彼らは、一様にヴィクティムの心配ばかりだ。攻略組に匹敵する実力を持っているとはいえ、たった一人では肉食獣の群れに囲まれるようなもの。間違いなく殺されてしまう。
しかし、ただ一人、ヴィクティムの実力を身をもって知っているアスナだけが首を横に振る。
速さとは、攻撃力であり、防御力。
凄まじい性能を持つ魔剣でなくとも。鉄壁の防具でなくとも。ヴィクティムの持つ速さは、それらに匹敵する武器であり、防具だ。
ヒースクリフの持つ神聖剣のような、この世界で唯一のユニークスキルと言われても納得できる。
故に心配すべきは、ヴィクティムの無事ではなく、ヴィクティムが犯罪に手を染めていないかということ。
より具体的に言うならば、彼が人を殺していないかということだった。
「ティム君……!」
そして追い付いた先で、彼女たちは地獄を見ることになる。
その8分前。
「やあ、Poh。久しぶりだね」
最速の名に恥じない速度でラフィン・コフィンのアジトに辿り着いたヴィクティムは、友人に声をかけるような気安さでギルドリーダーに声をかけた。
攻略組を率いるヒースクリフやアスナとは似て非なるカリスマを持ち、たった一度の邂逅でヴィクティムに目を付けられた、SAO最悪のプレイヤー。
「……Wow、珍客が来やがったな」
「随分な言い草だね。せっかく来てあげたのに」
「ハハ、こっちは待ってねぇんだがな。近いうちにPartyがあるもんでよ」
「安心しなよ。そのパーティーは開催されないから」
ラフコフのアジトがある洞窟は、浮遊し、ランダムに移動する地面を進む仕様になっている。そのうちの一つに集まって、自分たちの戦果を自慢し合うギルドメンバーを見渡すように岩の上に座るPoh。ヴィクティムはさらにその上に浮遊する地面の淵に立って、彼らを見下ろしていた。
「そうかい。そんで、何をしに来やがった?」
「当然、殺し合いをしに」
腰に差した鞘から、片刃の短剣を逆手で引き抜く。
それを威嚇と判断したのか、下卑た嗤いで談笑していたラフコフのメンバーも、各々の武器を手に立ち上がった。Pohの両隣に構えていた幹部の二人も、ヴィクティムを睨んでいる。
その様子に、しかしヴィクティムは笑みを浮かべた。
「そっちは全員、ヤル気ってことでいいかな?」
「そうみてぇだな」
「リーダーの癖に指示は出さないんだ」
「俺ぁ放任主義でな。だがまぁ、お前が相手じゃ、全員で殺らねぇと全滅しちまうし」
な。
Pohが言い切る前に、ラフコフの視界からヴィクティムが消える。浅葱色の羽織が尾を引くことも無く、上に浮いていた地面から移動したのだ。
問題は移動先。
移動のモーションすら見えなかったせいで、何処に行ったのか予想もつかない。人を殺すことだけに執着してきた彼らには、対人戦での予測など立てようもないのだ。
「それじゃあ始めよう。殺したいアンタ達と、死にたいVictimの殺し合いをさ」
短剣を振るい、勢いそのままに回転して瞬間二連撃を叩きこむ。
消えたように見えたヴィクティムはラフコフメンバーの中心に着地していた。そして、鍛え上げた速度でもって、殺戮を開始する。
一瞬にして一人を殺したヴィクティムは、踊るように敵の中心で刃を振るう。
彼が脅威足りうるのは、もちろん『はやさ』故だが、はやさにも種類がある。純粋な最高速度。最高速度に達する加速力。動き始めの初速に、反応してから動く瞬発力。その全てのはやさの頂点に立つのがヴィクティムというプレイヤーで、その中でも最高速度と瞬発力においては他の追随を一切許さない。特に瞬発力は、反応速度こそ並みのプレイヤーと同等だが、その後の速さが常軌を逸している。
エギルの店で見せた瞬間移動と錯覚する速さ然り、今のラフコフとの殺し合いの中で見せる速さ然り。
後の先を取ることにおいては、防御の後に攻撃をする戦闘スタイルのヒースクリフと対等以上に渡り合えるほどだ。
「お、おい、こいつ……!」
「間違いねぇ!絶影だ!」
対人戦では絶対に相手にしたくない彼を前に、ラフコフのメンバー達は憤慨して攻撃をより苛烈なものにしていく。
これまで、ヴィクティムは数人のレッドプレイヤーを殺してきた。中にはラフコフのメンバーもいたのだろう。神出鬼没のレッドプレイヤー狩りを恐れて自由に動けなかった彼らは、その鬱憤を晴らし、脅威を排除するためにヴィクティムを殺そうと躍起になっていた。
だが、四方八方から襲い掛かる斬撃、刺突を踊るように回避し、神速の連撃をお返しとばかりに叩きこむ。戦闘が始まり、2分が経った時点で、既に7人のプレイヤーがこの世界及び現実世界から退去していた。
「おいおい、まーた速くなったのか?」
「アンタが会いに来てくれないからさ。モンスターの群れも、フロアボスも、僕を殺してくれないどころか、強くしてくれるばかりだったんだよ」
「そりゃあ悪かったな。だが、このままじゃお前を殺せねぇ」
Pohの言葉を合図にして、ヴィクティムの左右から投げナイフとエストックの高速突きが襲い掛かる。
「ジョニー、ザザ。君たちは強くなったのかな?」
「うっせぇな。ヘッドに言われなきゃ、お前なんかあの時殺してたっつーの」
「そうだ。貴様なんて、いつでも、殺せる」
「そっか」
二人の幹部の攻撃を後方に回避したヴィクティムは、さらにその後ろから迫るプレイヤーの首を見ることも無く切断し、笑みを浮かべて突撃する。
「じゃあ、遠慮なく」
殺人ギルドと、死にたがりの殺人者による地獄絵図。
ジョニー・ブラックの毒ナイフは掠ることも無く、牽制にしかならず。Pohの次に高い戦闘力を誇るザザの刺突も、遊ばれるように回避、迎撃され、その間にも駆け回るヴィクティムは隙を見せた敵を惨殺していく。
血を啜る獣だったはずのラフィン・コフィンは、ここにきてようやく悟る。
本物の獣は。死を齎す凶悪な肉食獣は。
今はヴィクティムの役割なのだと。
「ぅ、うわぁぁあああ!」
そして一人のプレイヤーが死の恐怖に耐えきれず、敵前逃亡を図る。普段は殺す側だった、奪う側だった自分が、全く逆の立場に置かれ、醜く、情けない姿を晒しながら逃げていく。
その様子を一瞬だけ視界に収めたヴィクティムは、何を言うでもなく、思うでもなく、殺戮の手を緩めることなく殺し合いを続ける。
「相変わらずの、化物め」
「お互い様でしょ。それに、おたくのリーダーの方がよっぽど化物だと思うけど」
そんな逃亡を許さないプレイヤーが一人。
味方であるはずのギルドメンバーを躊躇いなく殺すと、重い腰を上げて立ち上がった。
「さて。そろそろ俺も参加しようか、と思ったんだがなぁ」
「いいから早く来なよ。アンタの好きな楽しいパーティーだろう?」
「勿論大好きだぜ。だが、こうなると戦いじゃなく殲滅になっちまうからな。俺ぁ、人が苦しんでねぇと楽しめねぇ」
「何を言って……」
Pohの言葉の真意を汲み取れないヴィクティムの耳に、新しい音が入る。革のブーツやヒールで走る音。鎧が動くときに鳴らす金属音。そして、以前にも耳にした荒れた呼吸の音。
自身の装備や、ボロ衣装備ばかりのラフコフメンバーからは絶対に聞こえない音を響かせて、彼女たちは地獄にやってきた。
「ティム君!」
幹部二人と睨み合いつつも、ラフコフのリーダーに敵意を向けるヴィクティム。浅葱色の羽織には数本の赤いラインが入っていて、ダメージエフェクトが僅かに出ているがHPはイエローゲージにもなっていないだろう。
ヴィクティムの無事を確認して胸を撫で下ろす風林火山と討伐隊の面々だったが、アスナとキリトだけは違った。
彼が無事であることには安堵したが、それに気づいた途端、顔を青ざめた。
情報では、ラフコフのメンバーは40人を超えていたはず。しかし、目の前にいるのはどう見ても20人程度だ。
「チッ。邪魔な奴らが来やがった」
「潮時だな。お前とはこれっきりにしたいぜ、ヴィクティム」
「……は?」
踵を返したPohを、表情が抜け落ちたような顔で見つめる。
ぶらりと腕を下ろした瞬間を好機と見るや、幹部二人が最速の攻撃を仕掛けた。ジョニーの毒ナイフが3本、ライトエフェクトを纏って投擲され、ザザの5連撃ソードスキルが開始される。
狙いは必中。軽装のヴィクティムなら、食らえば即死。ジョニーの毒ナイフによって麻痺しても、ザザの5連撃を食らっても、必死は免れない。
「死、」
「ねぇえ!」
「やめてぇ!」
攻撃よりも早い二人の咆哮と、アスナの絶叫が響いて。
瞬間、ギン、と。
二人の後方。アスナたち討伐隊とは真逆の位置で、壮絶な衝撃を伴って金属がぶつかる音が響いた。
「どこに行く気だよ、Poh」
「HA!正真正銘の化物か、貴様」
「そうかもね。迷宮に迷い込んだ勇者どもを殺す化物。その化物を殺した英雄にしてやるって言ってるだろ?」
「っ、そりゃあ心惹かれるが、英雄の役割は俺じゃねぇ」
「いいや。僕を殺せるのはアンタだけだよ。だから、ほら。殺し合いを続けよう?」
前腕ほどの巨大な刃を持つ中華包丁のような短剣『友切包丁』と称された魔剣を振るい、天井を蹴って神速で落下してきたヴィクティムを吹き飛ばす。誰にも見えなかったが、幹部二人の攻撃を跳んで避けたヴィクティムは、天井に見える浮遊する地面の裏に着地していたらしい。
そして始まったのは、フロアボスを単騎撃破した際の、ヴィクティムのステータスを完璧に、十全に引き出した攻撃方法。
地面を、壁を、天井を蹴り、フェイントを織り交ぜつつヒットアンドアウェイを繰り返す、反撃不可能、攻略不可能の速度の檻。
辛うじてPohが生きていられるのは、天性の勘の良さと、人を殺してきた経験から導き出される狙いの予測を立て、ギリギリでヴィクティムの一撃一撃を防いでいるからだった。
攻略組であっても手を出せない戦いが始まった背後では、また別の戦いが始まっていた。
アルゴが伝達した情報によって後から到着した聖竜連合を中心に、本来の予定を前倒ししたラフィン・コフィン討伐戦が開戦されたのだ。
と言っても、ヴィクティムとの戦闘で大多数が戦意を喪失しており、残っているのは数人のメンバーと幹部二人だけだった。
「シュミットさん、私はティム君の加勢に向かいます」
「絶影の?」
聖竜連合のディフェンダー隊リーダーにして、今回の討伐戦でも指揮を執るシュミットは疑問を呈す。
「貴女の実力は知っているが、絶影の速度についていけるのか?むしろ邪魔になるのでは……」
「っ、大丈夫です!」
シュミットの言葉はもっともで、攻略組随一の速度を、ヴィクティムと出会ってさらに強化してきたアスナであっても、彼らの戦闘には入れないだろう。
だから、アスナの言葉は単なる強がりだ。
二人の戦いは壮絶で、割り込める隙など無い。紛れもない、純粋な殺意をぶつけ合う殺し合い。モンスターしか殺したことのないアスナたちが、人を殺す覚悟も無いままに割り込めばどうなるかなど想像に難くない。
それでもアスナは、ヴィクティムの元に行きたかった。
弟のようだから、ではなく。好意を持っているから、ではなく。
これ以上、彼から何かを奪うことなく、彼に何かを奪わせたくないから。
思い出したのは、本当に偶然だった。
アスナの父がCEOを務める総合電子機器メーカー、レクトの医療機器部門が協賛した手術の、英雄的少年の姿。義兄の腎臓移植のドナーになり、奇跡の適合者として幼いながらに骨髄移植のドナーとなった、天宮遥という少年を。
名前を思い出したのは、ヴィクティムと何度目かの遭遇を果たした時だった。
いつものようにフレンド登録の申請と攻略組への加入を申し込み、いつものように断られていた時のこと。ヴィクティムに追いつくため、レベリングとレアドロップアイテムの探索による敏捷値強化を敢行していたアスナが、一時的とはいえ彼に比肩する速度を得た時。
驚きと共に浮かべた微笑みを見て、アスナは思い出した。
速くなったね、と笑う彼を見たことがある。
アスナの父、結城彰三がまるで自分のことのように嬉しさ一杯の笑みで食卓に出した数枚の写真。金髪緑眼の少年が、病室と思しき白い部屋で自分の父と写る写真や、満面の笑みでピースをしている写真。どれもこれもが嬉しそうな表情で、入院している少年とは思えなかった。
彰三は自慢げに少年、遥の話をした。
ニュースで話題の、心優しき英雄のような少年だと。自分の臓器を提供する手術で、失敗する確率が低いと言ってもゼロじゃないのに、それでも笑顔でいられる高潔な精神。元々は孤児だったらしいが、それを感じさせない快活さ。
そして、兄のナーヴギアを被る数日前に聞いた、右足切断の悲報。
結城明日奈にとって、天宮遥という少年はテレビの向こう側の存在だった。父の話を聞いても、悲報を聞いても、あくまで他人事。大変だな、可哀想だなと思っても、その程度の存在だった。
けれど、それを思い出してしまったアスナにとって、ヴィクティムという少年を放っておけなかった。
ヴィクティム。
犠牲者を示すその名前は、きっと彼の本音ではないか。
帰りたくないと言ったのは、この世界には無く、戻ってしまえば直面しなければならない右足切断という事実を受け入れたくないからではないか。
現実世界のニュースでは、彼の名前こそ知れ渡っているものの、その顔を知る者は限りなく少ない。それは両親の思惑故のものだが、建前としては彼の将来が自由であってほしいからである。
ならば、この世界で唯一彼を知るアスナが、彼を守らなければならない。
自分より幼く、身を削って命を救い、事故で足を奪われ、この世界に自由を奪われた少年が、世界は残酷であると同時に優しいのだと知ってほしい。この世界に囚われ、だからこそ多くの人との出会いで変わった自分のように。
それが彼の本意ではないとしても、生きていなければ何もできない。
アスナは、ヴィクティムに生きてほしいのだ。
強いと思った。優しいと思った。可愛いと思った。守りたいと思った。
それらの感情を一つずつ感じて、アスナは思う。
また会いたい。現実世界で、天宮遥に会いたい。自分のことなど知らず、絶望故にこの世界に居続けたいと願った少年を、褒めてあげたい。優しくしたい。彼が誰かに与えた幸せを、彼に救ってもらった命で、返してあげたい。
「いいんじゃないか?アスナなら、あいつに追いつける。俺も一緒に行ってPohを叩けば、ラフコフを根っこから潰せる」
「だが、幹部はどうする。絶影がPohを抑えているうちに、全戦力であいつらを拘束したほうがいいはずだ」
「大丈夫さ。幹部二人は風林火山と討伐隊に任せればいい。残りをアンタたちが掃討し次第、あいつらの加勢に行ってやればいい」
「む、むぅ。そうだな。絶影に加えて、黒の剣士と閃光がいれば、あのPohを確実に仕留められる。わかった。そちらは任せたぞ」
「ああ」
シュミットの肩に手を置いてアスナの後押しをしたのは、先ほどまで幹部二人を一挙に相手していたキリトだ。
「キリト君……」
「俺にとって、あいつはただの他人だ。だけど、アスナにとってはそうじゃないんだろ?」
決意の表情で頷く。
恩人であり、弟のような存在であり、生きていて欲しい人。
助かるなら何でもいいけれど、誰よりも彼を知る自分が助けたい。
「うん。ティム君は私のことなんて知らないけど、私は彼のことを知ってるから」
だから、助ける。
実力不足は百も承知。
他人の助けを受け入れてくれるかなんてわからない。
それでも、ヴィクティムを心から思って動く人間がいることを知っているということが重要なのだ。
「行こう!」
「どうしたんだよ、Poh。殺人こそが君のアイデンティティじゃなかったの?」
「そりゃあ勘違いだな。俺ぁ楽しみたいだけさ、このゲームを。PKも、このギルドも、その為の道具でしかねぇさ」
「ふぅん。ま、どうでもいいけどさ。でも僕のことは殺してもらうよ?人を殺すのに、君ほどの適任はいないんだから」
「化物狩りは俺の領分じゃねぇ」
「ティム君!」
速度の檻を停止して、インファイトで短剣をぶつけ合うヴィクティムとPoh。
そこに割って入ったのは、紅白の装備を身につけ、腰に水晶のような細剣を差したアスナだ。剣を抜かず、無防備で目の前に現れたアスナに、ヴィクティムの瞳が一瞬だけ揺れる。
だがすぐに邪魔者へと認識を変え、踏み込む先がPohに読まれ無いための障害物として完全に隠れた。そして隠蔽スキルを発動し、視線を外さなかったアスナ以外の視界から完全に姿を消す。踏み込む先は右手前方。Pohの左後方に現れる。右手に持った短剣を振り抜けば、ソードスキルなど無くても即死の間合い。
そんなヴィクティムの動きを止めたのは、またしてもアスナだった。
「待って!」
脇を抜けるヴィクティムを後ろから羽交い絞めにして、アインクラッド最速のスピードを生み出す足が地に着かないように抱き上げる。
そんな戦場にあり得ない隙をPohが見逃すはずもない。
暗く輝いた友切包丁が、二人の首をまとめて切り離さんと振るう。
「な、離せ!どけ!」
「落ち着いて!あいつの相手はキリト君がしてくれるから!」
「Ha。まるで獣だな」
「そう言うアンタこそ。仲間はもう終わりだっていうのに、一人で逃げようとするなよ」
必殺の一撃を防いだのは、友切包丁と同じ黒い、しかし異なる威圧感を持つ直剣だった。50層のラストアタックボーナスとしてドロップし、要求値を満たして以来、頼れる相棒としてその剣振るってきたキリトはPohを弾き飛ばし、アスナとヴィクティムの前に立つ。
できればアスナが説得し、3人で攻めることができればよかったが、口調が荒くなっているヴィクティムの様子を見るに、それは難しいだろう。
「黒の剣士が相手となっちゃあ勝ち目はねぇな。ここは撤退させてもらうぜ」
「仲間を見捨てるのか?」
「それをお前らが言うかね。今まで何人の攻略組の仲間を見殺しにしてきたんだ?」
「それは……ッ」
「ま、んなこたぁどうでもいい。そいつのせいでつまんねぇことになっちまったし、別の機会を用意してやるよ」
「……まだ逃げられると思っているのか?」
「ああ。じゃあな、黒の剣士。また会おうぜ」
そう言うと、彼らが立つ地面の淵に立って、背中から落下した。
目の前の出来事を処理するのに数秒を擁したキリトは、ハッとして地面の淵まで駆け寄る。そこには浮遊する地面が流れており、Pohの姿は既になかった。
おそらく、ヴィクティムと同じように隠蔽スキルを発動しながら高速移動をしたのだろう。そうなってしまえば、キリトの索敵スキルであっても追うのは困難だ。
だが、いくらレッドギルドのリーダーとはいえ、一人では計画殺人はできないはず。その上、残りのラフコフメンバーは既に確保済みだ。ヴィクティムに殺されたメンバーが生きていれば手こずっただろうが、そういう意味では、今回の作戦の一番の功労者はヴィクティムであると言える。
しかし、それは攻略組の結果論だ。
アスナだけが知る真実を知らない彼らにとっては、ヴィクティムはレッドプレイヤーではないモノの、頭の可笑しいプレイヤーで、それがたまたまラフィン・コフィンとの殺し合いに発展したとしか思っていないだろう。
そして、そのアスナでさえも、ヴィクティムの目的を知らない。
「逃げるな!クソ、離せ!」
「ちょっ、落ち着いてティム君!」
「待て、待ってよ!」
腕を振り、足を動かし、けれど鍛え上げた速度を発揮できないヴィクティムの叫びが響く。
後方の戦闘は終了し、急遽始まったラフィン・コフィン討伐戦は、リーダーのPoh以外を黒鉄宮送りにすることができた。
だが、その戦闘開始の合図となったヴィクティムの悲願だけが、叶うことは無かった。
「Poh――――ッ!」