季節は春、桜舞う色鮮やかな季節だというのに世界は灰色で満ちている。新しく袖を通した制服も、瞳に映る景色の全てが灰色だ。舞い散る桜は火山灰のように、白い雲が浮かぶ晴天も曇天が広がった空のように、道路も、景色も、そして人さえも全てが灰色である。
そう見せているのは自分の心が薄暗いからか、世界の色はまるで絵具の溶けた灰色の水をぶちまけたみたいに見事な灰色なのだ。
新しく始まる高校生活に浮き足立っている奴らの制服に着せられている感と言ったらもう口に出せたものではない、と僕は達観した感想を胸の内に吐きながら憂鬱そうな瞳を外へ向けた。
奴らはどんな心境でこの季節を、この日を、迎えたのだろうか。
僕が色で表すなら間違いなく『灰色』だ。憂鬱で、先が思いやられる、煩わしく、つまらない通過点。僕は高校生活をそのように考えている。
奴らの期待や希望に満ちた顔を見れば、共感できない感情故に僕は首を傾げた。何故そうまでして人生を楽しめるのかと?
「……はぁ、何が楽しいんだか」
頬杖をつき、興味なさげに窓の外を見る。
相変わらず嫌になる光景から目を逸らしていると–––。
「……さ、榊原君?」
不意に声が掛かった。
入学式を終えた、今日この日に。
態々、僕に声を掛ける希少な人種がいたのだ。
まず初めに確認したことだが、あ行から始まるクラス名簿を見るに『榊原』という苗字を持つのは他におらず、自分だけというのが判っている。同じ中学から入った奴が入学時の不安から声を掛けてきたのかと思いつい声に反応して一瞥すると、それは知らない顔だった。普通に初対面の女子生徒で僕は一瞬言葉を失う。
「……誰?」
名前も知らない女子生徒。まず、初めに足先に視線を戻して順繰りに見ていく。引き締まった美脚、細い腰、それから薄くはない胸が制服を押し上げて自己主張をしている。全体的にはスレンダーだが造形美は完璧で類稀な美少女という奴だった。顔も目鼻が整っていて、小顔で、綺麗と可愛いが半分半分といったところか。鴉の濡羽色の黒髪で、艶があってより一層美しく見える。
まず、中学の知り合いではないし、名前も知らない。そんな相手にそう投げかけてしまうのは至極当然のことで、中学の時の誰かが高校デビューしたと言ったらまぁそれで説明がつくのだが、生憎こんな美少女は知らない。
「え、えっと……覚えてないよね?」
いや、名乗れよ。
残念ながら顔の照合には失敗しているのだ。
それに顔なんて中学の時のやつを覚えているのでギリギリ。
それ以外を探せと言われても迷子になってしまう。
と、突然のことに思考を割いていると妙に周りの視線が気になった。他の視線が全集中しているのだ、その原因は言わずもがな目の前の美少女と自分に集まっている。
それは一種の偶像的崇拝からであり、彼女が美人だからなのだが……。
「知らん。友人は数少ないが、その中に女はいないからな」
僕は美人だからと媚を売ることはしない。
不遜な態度で切って捨てた。
「まぁ、そんな都合のいい話もあるはずがないか……君は私を忘れて当然だ」
落胆したような、安心したような、何処か歪で混じり気のある妙な顔をして、女子生徒はそう落ち込み気味に言ってみせると肩を落とす。
「名前を言えば判るかもしれない」
自分と仲良くしていた相手なら、と条件はつくが。
そう言うと彼女はそれもそっかと自己紹介をする。
「私の名前は鹿島湊月、っていうんだけど……?」
確認するように、鹿島湊月と名乗った少女は不安そうに此方の顔を覗き込む。その顔には不安と、怯え、そんなものが混じっていて、次に彼女が口にしたのはこの言葉だった。
「ごめん、人違いだったみたい……!」
そう言い捨てて、彼女は逃げるように走り去った。
◇
結論から言えば、『鹿島湊月』という少女の名は覚えている。小学生の頃、僕が転校する前までは仲良くしていた女の子の名前だった。だが高校生になった彼女の姿は見違えて綺麗になっており、昔の地味な印象と比較するとがらりと変わっているのだ。こういう女が一番怖いと僕の爺さんが言っていた。
それはさておき。
高校に進学してから一ヶ月、僕には深刻でありながら、小さな問題が発生していた。
「おはよう、圭」
僕が彼女のことを思い出し、それを伝えるタイミングを逃し放棄したにも関わらず、彼女は毎日絡んでくるようになったのだ。もう既に彼女は第一学年のヒロインであり、一番人気を掻っ攫っているにも関わらず、そんなカースト上位の人間が人間関係であぶれた男子生徒に関わっているのだから当然の如く、彼女に一目惚れした男子生徒どもは面白くないと感じているはずで、その不快そうな雰囲気と人を殺せそうな視線が背中に刺さる。
旧知の仲であることを僕が思い出していない体とはいえ、彼女の積極性は昔はなかったもので僕は狼狽えるばかり打開策さえ浮かばない。
「……あぁ、鹿島か。おはよう」
なんとか朝から挨拶するだけの勇気と体力を消費すると、今日の分の労力が根こそぎ失われる。帰って寝たい。
そんな僕とは対照的に、挨拶を返された彼女は満面の笑みを浮かべると満足げな表情で此方を見る。僕が教科書等を机の中に放り込む間、ずっとその視線を投げていた。
「……僕の顔に何かついてるか?」
「強いて言うなら、寝癖が酷いね。圭がしっかりすればカッコいいのに、そうだ私がやってあげよっか」
僕の跳ねた髪を見て彼女、湊月が提案するがはっきり言おう。
「要らん。無駄だ」
「私が断言する。間違いない」
「それに何の意味がある?」
「モテる」
「生憎、一度もモテたいと思ったことはない。これからも、この先もな」
一蹴するとそっかそっかと湊月は頷き、ニコニコとした表情を浮かべ、
「……私はカッコいい君が見たい」
そう堂々と言い切る。
「意味が判らない」
「ダメか?」
「勝手にしろ」
上目遣いで懇願されるまでもなく、適当に返事をする。髪の毛に干渉されたところで不満はないのでやりたければやれと伝えると、湊月は自前の櫛やスプレーを使い僕の髪を整え始めた。何故か、そこにはメンズ用のまである。用意周到すぎるだろうに。
「ふふっ、どうだ?」
それから数分して、湊月は手鏡を使い僕の姿を鏡に写す。
そこにはやる気なさげな死んだ魚の目をした男がいた。
「どうと言われてもな……」
客観的に見て、自分をカッコいいと思えないので良くなったとは思えず、湊月の腕を評価するならさすが女子というか身嗜みに関しては完璧で寝癖もなくなり、髪型も少し弄られて普段は鬱陶しいほどの前髪で顔を隠した僕の瞳が、僕を鏡越しに見つめていたといえばいいだろか。相変わらず酷い顔と言ったところか。
「戻していいか?前髪」
「……気に入らなかったか?」
卑屈な人間ほど下を向いて歩き、猫背になり、顔を隠すものだ。だから、前髪を掻き分けて瞳がノーガードなのは自分の精神衛生上よろしくない。
「おまえはどうして僕なんかに構うんだ」
正直、僕に関わったところで鹿島湊月という女子生徒には何の得もないはずで、言外に鬱陶しいと告げると彼女は寂しそうな笑顔を見せる。無理やり笑っているようなそんな表情。その内側にあるのは何だろうか。
「……昔、君は私を助けてくれただろう。だから恩返しがしたいんだ」
それが理由の全てではないように思えるが湊月はそう言って、気丈に笑う。
「助けた、か……残念ながら心当たりはないな」
僕は思い当たる節があるにはあったが、忌まわしい記憶なので封印する。もう蓋は開けたくないとばかりに気づかないフリをして、ただぼーっと黒板を見つめた。湊月の目を見ることが出来なかった。
忌まわしいことにそんな自分の感情を抑えつけ、脳は思考を放棄してくれない。
『心当たりがあります。話してみますか?』
–––『YES』or『NO』
自分の前にあるのは二つの選択肢だ。
ゲーム風に表現するなら、そんな感じの。
誰にでもある、何処にでもある、分岐点。
だけど、確かに未来というものを左右する大事な場面。
「私は君に感謝しているし、また昔みたいに君と仲良くしたいと思っている」
そんなことを美少女から告げられても、僕の心境に変化は訪れない。
「そんな大層なことをした覚えはないな」
だから僕はもう一度突き放すように言った。
あらすじは多分そのうちちゃんと考える。