再会した女の子が放っておいてくれない話   作:黒樹

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梅雨の一幕

 

 

 

それはある日の放課後。

 

「はぁ、テスト勉強?」

 

死の宣告を持ってきたのは、野球部に所属している泉健吾だった。

 

「なんで僕が?」

 

「お願いだよ榊原君、オレを助けると思って」

 

あまり仲良くもない彼が僕に頼み事を持ってきたのはテスト期間に入り、部活動が休止している最中のことであった。放課後の教室から足早に帰ろうとした僕を引き止め、がっちりと制服を掴んで離さない。彼がこうなってしまったのも教室の隅の方で帰り支度をしているあの二人にあるようで、ちらちらと此方の様子を窺っているのは緋奈と湊月の二人だ。

 

「いや、そもそも僕は頭良くないぞ」

 

自慢じゃないがテストは全教科合わせて平均五十点、赤点だけは奇跡的に回避している。そんな危ない綱渡りを続けている僕に対して、試験勉強の手伝いを頼むのはどうも間違っているだろう。

 

それを理由に突っぱねようとしたら、泉はそんなこと最初から期待していないというように、

 

「違うんだって。期待してるのはそこじゃない。あの二人が榊原君も一緒じゃなきゃ勉強教えてくれないっていうからさ!」

 

そう宣った。

それこそ、僕には関係のない話だ。

 

「じゃあ、運がなかったと諦めるんだな」

 

この学校は割と学業には厳しく、赤点が続き、再試も合格できないと留年どころか退学の可能性もある。どれだけスポーツが上手かろうが、学業優先を掲げる学校では別に珍しくもない話だった。

 

「いやほんとマジやばいんだって、今回のテスト赤点なんて取って再試なったら夏の大会のレギュラーすら危うくなるし、監督もそれだと使ってくれないから」

 

なおも追い縋る泉が引き摺られながらも、僕を教室から逃すまいと抵抗を試みる。既に攻防は教室の出入り口まで及んでおり、足を扉に引っ掛ける形で泉は最終防衛ラインを張った。

 

「それこそ僕に関係ないじゃないか」

 

藤宮先輩からの呼び出しも、バイトもないのだ。

のんびりする時間くらい、自由を持つ権利が僕にはある。

だから、僕の抵抗も正しいことで。

薄情でもなければ、正しい選択である筈だ。

現に僕の頭の中では誰も争っていないのだから。

良心の呵責は、放っておいていいとある。

 

「あの二人、オレや西宮と一緒だと凄い警戒すんだよね」

 

「それはおまえの日頃の行いが悪いからじゃないか」

 

「え、オレなんもしてないけど」

 

「……好意と下心がだだ漏れだっての」

 

本人の名誉のため、あえて小声で苦言を漏らした。

 

泉を異性として意識していないあの二人の様子からすれば、多少は鬱陶しさもあるのだろう。そういう警戒の意味では男として意識していると捉えなくもないが、詮ないことだろう。

 

「–––というわけだ、圭」

 

説明の大凡を省くためか、泉の真剣味を図るためか、今まで見守っていた湊月と緋奈、西宮が近寄って来る。まるで逃げ場を塞ぐかのような登場に僕は最初からそのつもりだったことを悟った。

 

「それに圭もあまりテストの点数はよくないんじゃないか?」

 

「何を言うんだ。大丈夫だっての」

 

「ん、でも舞ちゃんに聞いた話では–––」

 

不意を突くように、僕の妹の名前が湊月の口から出てきた。

彼女は僕の妹の存在など知らない筈である。

昔に言っていたなら、その限りではないが–––。

家族の話をしたことなど、一度だってないと思う。

 

「……なんで妹のこと知ってんだ」

 

「この前、圭の家に電話をしたら圭の妹が出たんだ。仲良くなった」

 

「いや、それにしたって連絡先なんて–––」

 

「連絡網用の連絡先があるだろう」

 

そう言われてみれば……と、僕は嘆息する。妹と仲良くなっていたことは別にいい。が、僕の行動の一部始終が筒抜けというのはどうも落ち着かない。

 

いや、もうこの際それもどうでもいい。

僕の平穏だけは守らなければいけないだろう。

 

「とにかく、僕は参加しないからな。勉強会だなんて無駄なこと」

 

第一、勉強は一人でやるものだ。他の人がいても気が散る。

まぁ、他の人がいなくてもゲームや漫画に手を伸ばしがちだが。

 

「退学も留年も自分の責任だろう。別に構う必要もないだろう」

 

「で、でも、圭が留年や退学になったら私が困る」

 

早々に切って捨てようと今度こそ教室を出て行くと、制服の袖をぐっと握られる。振り向けば、湊月が僕の制服の袖を掴んでいた。

 

「あぁ、くそ、勉強嫌いなんだけどなぁ……」

 

諦め混じりに呟いた言葉は、窓を打つ雨の音に消えていった。

 

 

 

 

 

 

その十分後、放課後の図書室には五人の影があった。僕とあの四人だ。泉は不得意な英語の教科書や参考書、辞書を並べて必死に問題を解いていた。僕もまた同じように英単語をただひたすらに覚えている。

 

「でも、意外だったわね。泉だけじゃなくあんたまで勉強苦手だったなんて」

 

面白い玩具を見つけたと言わんばかりに無邪気な悪戯っけを含ませた瞳の煌きで、緋奈は此方を見つめて来る。そこ単語の綴り間違ってるとの指摘も頂いた。

 

「しかも、泉と同じで英語が一番の苦手教科だなんて」

 

「「日本人に英語は必要ない」」

 

泉と僕の主張が重なる。真似すんな、とばかりに睨みつけたがあっちからは別の思惑があるようで、その視線には熱意のようなものが感じられた。馴れ合うつもりはないぞ。

 

「うちのお爺ちゃんみたいなこと言うのね」

 

幸か不幸か、僕の考えは緋奈曰く前時代的らしい。

 

「でも、そう言う割に現代文とか国語系統苦手じゃない」

 

「じゃあ、僕は日本人ではないのかもな」

 

「逆にあんた何処の人間なのよ」

 

「異世界?」

 

「は?」

 

異世界の言語なら死ぬ気で習得とかしただろう。漫画やアニメの世界ではないんだし、そんな夢みたいなこと考えるだけバカな話であるのだが、ちょっとしたボケを真面目に受け取られて僕は内心傷ついた。美人な女子高生からの冷たい「は?」は流石に心にくるものがある。

 

「歴史とか得意じゃないの?」

 

「おまえオタクが皆歴史得意だとか思うなよ」

 

とんだ偏見である。

 

「じゃあ、何が好きなのよ?」

 

「別にジャンルはそこまで拘ってないが。恋愛系とか、ファンタジーとか、バトルものとか、スポーツ系とか、本当に色々見るな。色恋が絡んでいるとなお嬉しい」

 

「ふーん、恋愛系ね。やっぱり読むんだ」

 

「少女漫画も好きなものがあれば読むな」

 

元よりそちらの方が恋愛系の漫画に関しては種類が多く、未知の世界であったがためにどっぷり嵌まり込んだこともある。尤もこれは妹から借り受けた漫画が原因であるし、その一端は緋奈にもある。小学生の頃、漫画ならなんでも読んだが緋奈の家に行くと何冊も置いてあり、片っ端から読破したものだ。

 

「ねぇ、じゃあこれ知ってる?幼馴染との恋愛ものなんだけど」

 

「あぁ、『夜に咲く花』か。泣けるシーンが多くて、あれはいいな」

 

「例えばどの辺が良かった!?」

 

「幼馴染が初恋の人にふられた時の–––」

 

「あそこもいいわよね。でも、私は–––」

 

妙に食いついてくる緋奈の様子になんだか懐かしいものを感じつつ、話していると妙な視線が三つほど。嫉妬深い女の視線と、二人の男の軽蔑したような目だ。

 

「榊原君、少女漫画なんて読むんだ」

 

「漫画なんて子供っぽくないか」

 

批難がましいというか、泉と西宮の意見はそんなものだった。

聞き捨てならない台詞もいくつかある。

 

「おまえら漫画家全員に謝れ」

 

「あんた達も一回くらい見てみなよ、人生変わるわよ」

 

さっきまで僕を嗜めていた緋奈も援護に回っていることもあって、湊月の視線が酷く淀んだものになる。

 

「緋奈の少女趣味は知っていたけど、まさかそんなところで圭と馬が合うなんて……」

 

ぶつぶつと独り言を呟き始めた湊月だが、あまり内容は耳に入ってこない。そんな湊月の様子に緋奈は酷く狼狽えた様子だ。

 

「別に湊月が懸念するようなことは何もないわよ。ね?」

 

「あぁ、そうだな」

 

いったい何を勘繰っているのかと聞かれれば、答えに窮するが僕はそう流されるままに応えた。

 

「一度泣ける作品の一つや二つ見てみろよ。それで泣けなきゃおまえら心が枯れてる」

 

「「なんだろう、こいつにだけは言われちゃいけない言葉を言われたような気がする」」

 

その日の勉強会はこうして捗っていた。

 

 

 

翌日もまた次の日もと勉強会をするために図書室に集まった時のことだ。自覚はあったが、どうやら自分は理数系ばかりに特化していて他がてんでダメらしいということが判明した。

 

「ふむ、どうやら圭は理数系が得意らしいな」

 

得意教科の一つもなければどうしようか、と思っていたらしい湊月が安堵に胸を撫で下ろす。何処か自慢げなその顔は他人事のはずなのに何処か嬉しそうで、見ていると調子が狂いそうになる。

 

「まぁ、自覚はあったが……」

 

歴史とか英語とか眠たくなる授業に比べて、それなりにできていたし理解はできる方だと思う。興味があるものに関してはやる気は出るし、そういう姿勢の問題だろう。

例えば、歴史を漫画やアニメの展開に置き換えてみる。

好きなアニメなら大体のところは勉強しなくても記憶している。

一度記憶をリセットして見直したい、とはよく言ったものだ。

 

「でも、泉あんたやばいわね。得意教科の一つもないの?」

 

それに比べて、と緋奈が呆れたような諦めの含まれた視線を隣の泉に向ける。向けられた本人は顔を逸らした。

 

「ほら、オレ榊原君と違って体育会系だから……」

 

確かに陽キャ特有の雰囲気というか、僕の嫌いなタイプの人間のオーラをしている。僕が彼を好きになれない理由の多くは此処に起因しているのだろう。

緋奈もギャルっぽい似たような雰囲気があるが、昔から知っているからか既知の存在に対してはそれほど抵抗というものがなかった。彼女の少女思考も相まって懐かしさがあるからかもしれない。

 

「そうは言っても、榊原も運動得意だよね」

 

外見や普段の無口な姿勢が偏見を生んでいるのか、インドア派と判別されているらしい僕を見て、緋奈は思い出したように言う。男女で体育の授業は別だが目にする機会はあったのかもしれない。とはいえ、クラスの中心は決まって目立ちたがり屋でそれに比べたら埋もれて僕は何もしていないが。団体競技ともなると、それこそ仲の良いやつで群れあって僕のような人間があぶれるのだから。

 

「昔は圭の方が私よりクラスに馴染んでいたからな」

 

「うっそ、マジかよ……?」

 

湊月が昔の僕を思い出したのか何故か誇らしげに告げると、まるで珍獣を見たかのように仰天した泉の反応は世界の神秘に驚いているように見える。

 

「悪かったな。あの頃は若かったんだよ」

 

「年寄りくさいよ榊原ー」

 

確かにジジ臭かったと思うつい出てしまった反応に、緋奈は楽しそうに笑って揶揄う。悪い気はしない。

 

「思うんだが、よく二十歳くらいの男性や女性をおばさんやおじさんとか言う子供がいるだろう。なんで言われたその人達は過剰に反応するんだろうな」

 

「んー、嬉しくないからじゃない?」

 

僕の疑問に、間髪入れず緋奈が答えた。

 

「あたしはお姉ちゃんって言われた方が嬉しいけど」

 

「別にどうでもよくないか?」

 

「よくなーい。ねぇ、湊月」

 

「うーん。私も緋奈と同意見だな。おばさんとか言われるのはちょっと……」

 

言われたことがあるのか、影を落とした顔で俯きながら湊月は沈んだ表情をした。何がそんなに嫌だったのかとか、あまり詮索しない方がいいのだろう。

 

「それより四人とも、勉強に戻らなくていいのか?」

 

頃合いを見計らってか、黙々と一人で勉強をしていた西宮が苦言を呈する。あ、と思い出したように呟いたのは僕以外の三人だった。

 

「西宮、人がせっかく話題を勉強から遠ざけたのに……」

 

「あんたやっぱり悪知恵だけは一級品ね」

 

こんな日々が、週末まで続いたのだった。

僕に似つかわしくない、青春の一幕が。


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